フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Laissons les filles tranquilles (1: Le Monde)

2015年04月15日 | 外国語学習

[注釈]
*qu'il soit volontaire ou imposé. : ここは譲歩構文です。il はもちろんle foulard islamique です。つまり、「べールが自発的なものであれ、強制されたものであれ」

[試訳]
 私たちはフェミニストであり、常に女性の権利を擁護しています。そして学校において宗教的なシンボルを身につけることを禁じる2004年の法律を撤廃しなければならないと考えています。
 問題は、私たちフェミニストが宗教一般を、とくにイスラム教をどう考えているのか、また、それが自発的なものであれ、強制されたものであれ、イスラム教徒のベールの着用に私たちがどんな象徴的、政治的な意味を付与しているのか、などではありません。問題なのは、ここでもう一度強調しておきますが、女性たちを犠牲者の地位に貶めてしまっていることなのです。あるいは、彼女たちを解放すると称して排除しまっていることなのです。もう一度言いますが、女性たちの身体がいわば戦場であり、その前線において、解放の名の下にさまざまなイデオロギーが対立しているのです。そして、フランスは非宗教原則ライシテの対価を、イスラムの女性たちに払わせようとしているのです。
 あの法律成立から十年を迎える今日、私たちは何を手に入れたのでしょうか。あの法の名の下に、どれだけの差別と暴力が冒されてきたでしょうか?何人ものベールを被った女性たちが暴力を振るわれました。何人もの母親たちが差別されました。そのおかげで、フランスはよりライシテに則った国になったでしょうか?この法律を推進した人々が望んだように、べールを着用する女性は減少したでしょうか?そんなことはありませんでした。少女たちは学校から排除されました。ベール着用に寛容な、あるいは反対する両陣営の対立は激しくなりました。女性たちに対する暴力は増加しました。
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 misayoさん、Mozeさん、訳文ありがとうございました。今回もぼくから特に付け加えることはなにもありません。
 イスラムの女性信者であることを象徴するベールを着用して登校した女の子が、学校側の判断で登校を拒否され、それが大きな論議を呼んだのが1989年のことでした。それ以来様々な形で、このベールの着用とフランス共和国の原理とされるライシテの関係が論議され続けています。今再びこうした問題に焦点が当てられているのは、もちろん1月7日が事の発端となった一連のテロ行為のためです。
 先日雑誌『ふらんす』の特別編集号として「ジャルリ・エブド事件を考える」と題された特集号が出版されました。多くのフランス通の論者が様々な観点から今回の事件を考察していて、もちろんこのベール問題も議論のテーマのひとつとなっています。また、先日ここで取り上げたバリバール「ジハード」も、あの三浦信孝氏によって論じられています。是非一度手に取って、現代のフランスが抱える難しい課題の諸相に触れてみてください。
 それでは、次回は残りの試訳を29日(水)にお目にかけます。Shuhei