今年も、電力需要がピークとなる夏を、ほとんど原発ゼロで迎えることになる。福島を除くほとんどの原発は、定期検査のために稼働を停止したあと、[民意]によって再稼働できずにいる。日本人は消費税を上げられても年金をだまし取られても、表だって抗議の声を上げない。諸外国から見ると、信じられないほど我慢強いのか、それとも全く意志を持たない従順な国民なのかと思われがちだが、この[民意]が発動すると、法的根拠は何もないのに、国は原発の再稼働が出来なくなってしまう。もちろん、発電コストは数倍に跳ね上がっているが、それでも国民が原発の再稼働を許さない。良く言えば国民主権の発動だが、他の国々では考えられないほど、その圧力は強い。政治が弱いとも言えるが。
自民党政権から民主党政権への雪崩のような移行、そして3年の民主党政権を経て自民党政権に戻る際の崖崩れのような極端な圧勝もそうだ。日本人は普段は声を上げないが、声を上げるときは絶対的な「NO」の声を上げる。極端なのだ。私はそれが、あまり良いことだとは思わない。出来たら普段から声を上げるべきで、雪崩や崖崩れ的な極端な反応、感情的な反応をすべきではないと思う。
日本人が普段声を上げないことによる害悪の一つに、職業活動家の台頭がある。首相官邸前のデモにも、沖縄の基地問題のデモにも、実は同じ連中が参加している。大阪府の職員など、公務員組合の活動家だ。有休を取り、組合費で現地に行き、組合費で良いホテルに泊まって宴会をする。彼らに政治的な主張はない。ただで旅行をして、ただで宴会をするのは彼らの娯楽、ただそれだけだ。普通の国民が声を上げないから、縁もゆかりもない公務員組合の活動家の行動だけが報道され、それがあたかも国民の意見であるかのように報道されてしまう。
雪崩や崖崩れのような極端な反応の害悪は、公平な議論を封殺するという問題だ。今の日本では、原発について公平な議論をすることは難しい。感情論がそれを封殺してしまうからだ。きちんとした議論が出来なければ、判断の基準となる情報も国民に伝わらず、正しい決断も出来なくなっている。現時点で原発ゼロにすることの問題は、発電コストの高騰だけではない。老朽化した発電施設への負担増で小さな事故が頻発し、安全面での不安が報じられている。だが、火力発電所の安全性を問うことは原発の再稼働を検討することにつながるため、心配を口にすることは許されない。原発のそばに住む住民には声を上げる権利があっても、火力発電所のそばに住む住民には声を上げる権利がない。これは、公平なことだろうか。
この日本人の特性は、諸外国にはあまり知られていない。特に、中国・韓国には決して理解されないだろう。憲法9条にかかわる解釈の変更など、実はどうこう言うほどのものではない。解釈変更は戦後ずっと繰り返されてきたことで、珍しくもなんともないし、日本国民はそれを許容してきた。原発の例で分かるように、日本の[民意]は法律に優先する。もし、尖閣諸島で小規模な武力衝突があり、日本人の命が失われるようなことがあれば、国民の感情は沸騰してしまうだろう。その条件下なら、簡単に改憲できる。民主党政権から自民党政権への崖崩れと同じことが、今度は改憲のための国民投票でも起こるだろう。改憲自体は、決して悪いことではないと思う。現在の日本国憲法は、国家主権と言論の自由がなかった占領下で、占領期間の日本の行動を規定するために作られたものだ。日本が国家主権を取り戻した1952年に改憲しておかなければならなかったことが、60年以上経ってようやく行われるだけだ。憲法9条の改憲で中国に対しては正当な抑止力が強まり、日中関係は一定のレベルで安定、というか均衡に向かうと思われる。ただ、日韓関係は極端に悪化するだろう。
韓国は中国と異なり、日本が遠慮するほどの国力がない。日本人が[自衛]という意識を持ってしまったら、70年近くも罵られ続けてきたことに対する怒りや、その度に払ってきた巨額の資金に対する不満が一斉に噴き出す恐れがある。呉 善花(オ・ソンファ)さんの本や、室谷克実氏の「呆韓論」・「悪韓論」に代表される、韓国出身者や、韓国在任経験者による本がベストセラーになりつつあることからも分かるように、すでに下地は整っている。韓国に関しては、いつ雪崩や崖崩れが起こってもおかしくはない。
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