small_happiness
   Farsideの過去ログ。





この子は、親元を遠く離れて東京に出てきた学生さん。
市松人形みたいな、艶々した黒髪の女の子。
くりくりした大きな瞳が、子リスみたいな雰囲気。





一人暮らしは悩みもあるようで、しばらくふさぎ込んでいたとか。
今は元気になってくれたようで、嬉しい限り。




そろそろ接写は卒業せねばと思いつつ、花屋さんの待ち時間でぱちり。
花屋さんなら、モデルには事欠かない。





レンズを通すと、見慣れた花も普段と違うものに見える。





夜明け前のような、ひっそりとした雰囲気。
暑さも喧噪も忘れたような静けさ。





空気の流れも時間も止まっているような、不思議な感じ。





のぞき込むと、小指の爪より小さな花にもみ、ずみずしい命と表情がある。
[人を基準にした大きさ]だけに意味があるなんて、大きな考え違い。
山から見れば海から見れば、人は砂粒にも満たない些細なもの。
その些細な存在が、日々笑い、日々涙して、日々愛する。
そうして命が巡っていく。
巡り行くのは、人も草花も同じ。


ちと、呑みすぎましたか.....。(((((^^;




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デスクのすみっこでホコリをかぶった二穴パンチ。
見ようによっては、それなり。





小さな小さな花から無心に蜜を集める、小さなシジミ蝶。





小さな世界の、小さな出来事。




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この子の定位置に自転車を止めてしまったらしく、にらまれてしまった。





時は8月、夏毛と冬毛が抜け替わるような時期ではないと思う。
ただの寝癖なら良いのだが、この毛玉みたいな毛並み、ちょっと心配な感じ。
獣医さんに連れて行ってくれる飼い主もいなさそうだし、悪い病気でなければいいが.....。




普段は滅多に飲まないグラッパ。





これは樽熟成だそうで、ふんわりとした口当たり。
度数は50度あるものの、30度くらいの柔らかな感じ。久々のアタリ。




日々を暮らしていれば、疲れることも、寂しい思いをすることもある。
嬉しくはないけれど、それが毎日というもの。


ゆったりした自分を取り戻す方法は、人さまざま。
自分なりのやり方で、新しい明日を迎えられますように。
そして、無理はなさいませんように.....。




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◆アメリカのアムンゼン・スコット南極観測基地。要員交代の時期を迎えた基地は、新たに迎え入れた新人と、本国に帰る交代要員で賑わっていた。2年の任期を終えた連邦保安官のキャリー・ステッコ(ケイト・ベッキンセール)もあらかた荷造りを済ませて、離陸の時を待っていた。軽犯罪しか起こらない気楽な仕事場とはいえ、南極の環境は過酷で、暖かい世界が懐かしかった。極寒の地を離れるまで、あと72時間。この機を逃せば南極は冬を迎え、航空機での帰還は不可能になる。


 基地がお祭り騒ぎで盛り上がる中、地質学者ワイスの死体が発見される。基地のドクター、ヒューリー(トム・スケリット)と共に検死を行ったステッコは、南極初の殺人事件を抱え込むことになってしまった。そんなとき、ステッコはロシアのボストーク基地にいるワイスの同僚から、「無線では話せないから、基地に直接来て欲しい」という連絡を受ける。新人パイロットのデルフィ(コロンバス・ショート)と共にロシアのボストーク基地へ飛んだステッコは、吹雪の中で何者かに襲われて傷を負い、意識を失ってしまう。デルフィに助けられたものの、ステッコを呼んだ男は死体になっていた。


 被害者達が行っていた地質調査と殺人事件の間に関連があると睨んだステッコは、事態を重視して国連が派遣した捜査員、ロバート・プライス(ガブリエル・マクト)と合流して捜査を続ける。「地質調査」の現場、6メートルの氷の下に眠っていたのは、死体を満載した半世紀前の貨物機だった。


◆美しいケイト・ベッキンセールが、心に傷を受けて極寒の地にやってきた女性捜査官を好演。冬を迎える南極基地を舞台にしたサスペンスとしてはなかなか面白かったし、暑い夏には涼しげな映像が心地良い。ただ、脚本の詰めは甘いし、重箱ツツキストとしては「をいをい」な場面も多々ある。極地を舞台にした緻密な冒険小説のファンには、どうにもお勧めしにくい。心を広くして映画を観られる方、ケイト・ベッキンセールのファンの方にお勧め。以下は内容に触れる可能性があるので、未見の方はご用心ください。


 物語としては、前半でもっと美しい氷の世界を描くべきだった(綺麗な場面はエンドロールに出てくる)し、主人交たちが孤立する状況を、もっと早い時間に持ってくるべきだっただろう。ついでに言うと、あの程度の爆薬であれだけの厚みの氷を破砕することは絶対に無理。百歩譲ってそれが可能なほどの爆薬が仕込まれていたとしたら、耳を塞いで口を大きく開けていなければ、全員が鼓膜をやられてしまう。それは軍隊の基礎教練でも教えることなので、爆発物に詳しい元軍人がその程度のことを知らないはずはない。また、南極で使う手袋は一枚ものではなく、何重にもなっていて、一番下は絹などの薄手のものだ。銃を撃つときも含めて、どんな状況でも素手にはならないし、そもそも簡単に素手にはなれない構造になっている。ブリザードの中ではゴーグルが必須だし、顔の露出部分はほとんど無い。ただ、そういうリアリティを追求していくと、登場人物は全員もこもこの着ぶくれ姿で見分けがつかなくなってしまうし、この程度の脚本では物語が転がって行かなくなってしまう。結局、リアリティーより映画の嘘を優先するしかないのが残念なところ。突き詰めていくと、別に南極じゃなくても成立する話になってしまう。


 冒険小説の世界では、南極や北極を舞台にした作品は少なくないし、映画でも極地を舞台にしたものはある。『遊星からの物体X』などもそうだ。だが、映画で極寒の世界を描くことはとても難しい。以前、とある外国の作家が後書きで触れていたが、「極寒と原発被爆は物語にしづらい」のだそうだ。日本と違って、海外の作家は数年に及ぶきちんとした取材をしてから小説を書くことが多い。この二つのテーマでは、[安全圏]の向こうに[危険地帯]があるのではなく、いきなり[即死圏]が待っているため、リアリティを追求するとドラマが成立しにくいらしい。危険地帯をギリギリですり抜ける主人公を手に汗握って応援する、という状況が成立しにくいのだそうだ。「三秒間息を止めていたら死ぬ」という設定で海洋パニック映画が作れるかどうか考えてみれば分かるだろう。


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彼女たちは道の向こうのお洒落なマンションを見上げていて、
視線を合わせる術もない。





見つめ合うより、同じ方向を見ることに価値があると言うが.....。





やっぱり笑顔を見ていたい。




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 7月25日、埼玉県秩父市の山中へ遭難者救助の防災ヘリが出動したが、現場で2名の隊員が降下を終える寸前にヘリが墜落するという事故があった。降下した2名は幸い無事だったが、ヘリに搭乗していた5名の隊員は死亡、遭難者も助からなかった。大変に痛ましい事故だ。


 一週間後、日本テレビの取材班2名(記者とカメラマン)がこの事故の現場に向かい、遭難して死亡した。この取材班は軽装で現場に向かおうとし、山岳ガイドの指示でいったんは引き返したものの、自分たちだけで再度入山して遭難したという。この日テレ取材班の遭難・死亡に関しては、なんだかメディアの取り上げ方がおかしいような気がする。テレビ各局のコメンテーターの中には、「事故は痛ましいが、果敢な取材はジャーナリストの鑑。安全を重視していたら戦争の報道など出来ない。」と口にする者までいた。


 最初に遭難した登山者については事情は分からないが、救助に向かった防災航空隊員達は、人命を助けるために行動した。きちんとした訓練を受け、必要な装備を揃えていても、時にはこういう痛ましい事故が起きてしまうことがある。
 日テレの取材班は、人命を助けるために現場に向かったわけではないし、危険だと分かっている現場に不十分な装備で向かい、専門家から引き返すように指示を受けていた。適切な人材や必要な装備を揃えない状態、つまりは取材費用を出し惜しみした結果、死ななくてもいいはずの二人が命を落としたことになる。これは「果敢」ではなく「無謀」に思えるし、目的は人命救助ではなく、幾ばくかの視聴率だ。誰の指示で、誰が責任を取るのかは分からないが、これは「ジャーナリストの鑑」という美談で語られるべきことなんだろうか。報道に携わる人間の安全確保を考えてはいけないのだろうか。


 最初に遭難した登山者の方も、救助活動中に命を落とした隊員の方も、生還した2名の隊員の方も、この記者達の無駄死にを喜んではいないだろう。亡くなった記者・カメラマンの家族の方は大変お気の毒だと思うが、ヘリに乗っていた救助隊の方にだって家族はいる。プロの指示を無視して無謀な行動に出た連中のことより、人命救助という危険で尊い仕事の最中に事故にあった方たちのことを取り上げる方が先ではないかと思う。なにか、「同業者の葬式は美談でまとめろ」というような協定がテレビ局にはあるんだろうか。


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梅雨時の湿気よりマシとは言え、この気候は疲れが溜まる。最近は夏バテ気味。


コンクリートやアスファルトは50度まで熱せられ、マンホールのフタは60度に達する。
都会は植物にとっても住みにくいはずなのに、この生き生きした緑はどうだろう。
そこに暮らす小さな住人達も、応援したくなるほど元気いっぱい。





紫陽花の新芽にはり付いた虫。こんな形は初めて見た。





陽炎が立ちそうな熱気。





日向は眼がチカチカするほど眩しい。





団塊の世代.....。










一人高みを目指すもの。





静かに佇むもの。





日が傾くと、ほっとひと息。





せっかくの夏に、待つのは陽射しより宵闇。
そしてもちろん、キンキンに冷えた生ビール。
まぁこの暑さも、そんな小さな幸せに繋がっているわけで.....




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