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   Farsideの過去ログ。




◆ナカトミビルの占拠事件を振り出しに、この18年間で三つもの大事件の渦中に放り込まれたニューヨーク市警のジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)は、人生の悲哀をかみしめていた。世間的には大事件を解決したヒーローだったかもしれないが、そんな扱いはほんの一瞬。要は、撃たれて、傷だらけになって、死にかけただけだ。過去の事件で命がけで守った妻からは、愛想を尽かされて離婚。年頃の娘ルーシーには一方的に親子の縁を切られ、顔も見たくないと罵られる始末。今やすっかり老け込んだ中年男のマクレーンに舞い込んだ深夜の指令は、ニュージャージーに住むマット・フォスター(ジャスティン・ロング)というハッカーを捕まえて、ワシントンDCのFBI本部まで護送せよというものだった。たまたまニュージャージーに居合わせた運の悪さをぼやきながら、マットのアパートで身柄を確保した時、二人は重武装したテロリストの襲撃を受ける。時を同じくして、各地で腕の立つハッカーが次々と爆死していた。彼らは、国家機能を麻痺させるサイバーテロ、通称"Fire Sale"に手を貸したメンバーだった。利用し終えたハッカーを次々と殺して足跡を消していくテロ集団。"Fire Sale"を発動し、交通・通信・金融のネットワークを掌握したテロ組織は、国家を完全に無力化すべく計画を進めていく。同時に、サイバーテロの全貌を知る唯一のハッカー、殺し損ねたマットを始末すべく、組織はDCを目指すマクレーンたちを襲う。セキュリティ強化のためと聞かされ、金になるバイト、クールな遊びのつもりで侵入用のコードを書いていたマットは、現実になったサイバーテロに呆然とする。全通信システムが麻痺し、FBIが事態を掌握しきれないまま、状況は刻々と悪化していく。そんな中、アナログ世代のくたびれた中年男と、デジタル世代の軟弱なハッカーが、たった二人で敵地を目指す。二人には、それぞれ後に引けない理由があった。


◆ご存じダイハードシリーズの第四作目。三作目が尻すぼみな感じだったので、12年ぶりの新作にはいささか不安もあったのだが、これはなかなか面白い。思わず肩に力の入る、痛快アクション映画だ。


 例によって例のごとく、たまたまその場にいただけで渦中の人物となってしまう巻き込まれ型のストーリー。刑事ものというより奇想天外なアクションものになっているのは確かだが、前三作を見ている人ならジョン・マクレーンの不死身ぶりには免疫が出来ているだろう。また、ダイ・ハードシリーズの伝統である「主人公の格好悪さ」が、無駄にマッチョな超人ヒーローものにありがちな嘘くささを感じさせない。実際のアクションは「をい、そんなのありか?」がふんだんに盛り込まれているのだが、すっかりハゲたジョン・マクレーンの、傷だらけでドロドロで、ゼーハーゼーハー肩で息をしながらの戦いっぷりは、ついつい応援したくなってしまう。特に本作は、ブルース・ウィリスの年齢を生かした「うらぶれた中年男」らしさを前面に出す演出なので、格好悪さがしっかり板についている。ここ数年、『シン・シティ』や『16ブロック』で老境にさしかかった刑事役をこなしてきたブルース・ウィリスだが、実は1955年生まれの52歳。老境に収まるほど枯れた役者ではないので、まだまだ観客をハラハラさせて、笑わせてくれる。監督は『アンダーワールド』シリーズのレン・ワイズマン。制作はブルース・ウィリス本人と、ダイハードも含めて過去に何度も組んできたジョン・マクティアナン。『ダイ・ハード5』制作の噂もあるとかで、今後も当分はこの路線で稼いでいけそうだ。


 さて、本作には父親を罵倒するルーシー(もちろん、最後には親娘が和解する王道的展開なのでご安心あれ)以外にヒロインと呼べる立場の女性は出てこないし、その彼女もヒロインと呼べるほどの活躍はしない。そんな中、美しさの部分を一手に引き受けているのが、敵側の重要な役どころを演じるマギー・Q。日本でも資生堂やロート製薬のCMなどに出演していたモデル出身の女優さんで、佐田真由美をノーブルにしたような日本人好みの美人さん。最近では『M:I-3』のゼーン役でも登場していたが、映画が大作だった割に役としては小さく、今ひとつ影が薄かった。本作では、その美貌とキレの良いアクションの格好良さで観客の目を引きつける。身長168cmと小柄ながら、そのスタイルのためか、一回り長身に見える彼女。アクションが出来るのでハードな役を振られるが、モデルとしては、優しい目をした綺麗なお姉さんキャラでもある。幅広い役柄をこなせるアジアン・ビューティーとして、今後の活躍に期待したい。


 予告編を見れば分かることなので書いてしまうが、マクレーンが敵地に乗り込むのは、人質に取られた娘を取り返すため。たとえ感謝されるのが一瞬だけとはいえ、娘を守るためなら死地に赴くのが父親の心意気と納得できる。そんなマクレーンと行動を共にするハッカーのマットには、別の動機がある。自分が書いたコードがサイバーテロに使われて世の中が滅茶苦茶になり、多くの人が傷ついたり死んでいく様を目の当たりにして、その現実に責任を感じて行動しているという描き方だ。確かにアメリカでは、ハッカー(おおざっぱに言えば「詳しい人」程度の意味で、ハッカーそのものは犯罪者ではない)に依頼してセキュリティの脆弱な点を発見し、システムの強化を行ってきた例がある。だから、依頼主がテロリストだと知らなかったマットが、合法性を怪しみつつもハッカーとしての興味・誘惑にほだされ、報酬に釣られて必要なコードを書いてしまった、という部分はある程度の説得力を持つ。それが現実に悪用され、責任を感じたマットが命がけでマクレーンと行動を共にする事にも説得力がある。そこまではいいのだが.....。この事件では、少なく見積もっても数百名が死に、数百億ドルの経済被害が発生している。事件の解決に命がけで貢献したことを斟酌しても、普通に考えたら仮釈放無しで300年ぐらいの刑を喰らう犯罪を犯していることになるだろう。このあたりを何とかしてもらわないと、映画をハッピーエンドで終わらせることに無理があると思う。要するに、犯人達がいかに巧妙にマットを騙したかを描いておかないと、マットも加害者側になってしまうのだ。用済みになって殺されかけても、それは犯罪者同士の仲間割れと変わらないのでマットの免罪符にはならない。依頼主がNSA内部の人間だったとか、そういう担保的な設定にしておいた方が良いだろうし、騙されていたと知ったマットが衝撃を受ける場面も必要だろう。このあたりは詰めが甘く、ちょっと残念なところ。劇中のハッキングなどは実際と大きく異なるものだが、そこはそれ、許せる範囲の映画の嘘なので気にならない。


 本作の邦題が『ダイ・ハード4』ではなく『ダイ・ハード4.0』となっているのは、サイバーテロに引っかけて日本の配給会社が付けたのだろう。原題は"Live Free or Die Hard"。
 なお、字幕には「てにをは」の間違い、かかり言葉の間違いで意味がおかしくなっている部分がいくつかある。細かい点が気になる方は、あまり字幕にこだわらず、全体の流れを見ながら自分の直感に頼ろう。自分の耳で意味がとれる方ならなお良いだろう。


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 定期購読しているバレーボールマガジンが届いた。私は女子バレーを応援しているのだが、Vリーグにしても全日本にしても、実は情報がほとんど無い。メディアの扱いのマイナーさ加減では、ハイアライと良い勝負だろう。私の情報源はバレーボールマガジンと、JVAや各チームのホームページぐらいだ。後は、内部情報をご存じの方から直接聞く。


 さて、バレーボールマガジンで全日本女子のメンバー20人を見て、「うわぁ」と悲鳴を上げたくなった。女子バレーを応援している私の、相当ひいき目な視点から見ても、このメンバーはひどい。この20人中、30代が5人。もちろん、最終的に選ばれる12人の中に30代のメンバーが何人入るかは分からないし、30代だから無条件に悪いと言うことではない。だが、若手の数が少なすぎるし、実際に戦力となる若手は大目にみても3人しかいない。チームの中核は一応20代だが、体力の落ち始めたベテランが多い。個々人を悪く言うつもりは毛頭無いが、4年前、8年前とはやはり違う。ポジションが要求する体格・パワーを持たない選手、故障を抱えている選手も少なくない。私が監督なら、このメンバーのうち11人は外したい。


 正直に言えば、応援している私ですら、このメンバーでオリンピックを目指すのは無茶だと思う。このメンバーで北京オリンピックの出場権を獲得するのはかなりキツイ。仮に出場できても結果は望めないだろう。だとしたら、経験の浅い10代の若手を大量に起用して、これからの選手を育てるべきだろう。20代のベテラン選手を何人か入れて、後は全部若手を起用する。北京の次のオリンピックを目指して、もっと長期的な視野で選手を育成しないと話にならないと思う。


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 週末に花の写真を撮っていたら、後ろにいた人と軽くぶつかった。「すみません」と言いながら慌てて振り返ると、相手は15~16才のちっちゃな女の子。私には特技と言えるものがほとんど無いが、唯一の特技が、瞬間的な印象を鮮明に記憶すること。切りっぱなしの艶々した黒髪、邪気のカケラもない瞳、すっぴんでも真っ白な肌に、淡いピンクの口もと。仔うさぎみたいな女の子だった。コンパクトサイズのデジカメを持った彼女は、私の手元を見て「わぁ、一眼レフですかぁ?」と口にした。「が」にアクセントのある、独特の発音。フィルムの頃からずいぶん長く一眼レフを使っているが、持ってて良かったと思ったのは生まれて初めてだ。「写真、好きなの?」に始まって、少しの間、その子と話をした。彼女が今使っているのはお父さんのデジカメで、いつかは一眼レフが欲しいのだそうだ。


 彼女は一眼レフをうらやましがったが、倍以上長く生きている私には、嫌と言うほど良く分かる。道具なんか、ホントはどうでも良いのだ。大切なのは「好き」でいること。商業写真を撮るプロならいざ知らず、趣味の世界には道具の善し悪しも無ければ、上手下手も無い。対象を好きだと思えること、撮ること自体を好きでいること、それは写真に大きく反映するだろう。「好き」でいること以上の技術はたぶん存在しないと思う。名の通ったプロのカメラマンですら、気が乗らない被写体を相手にしては、クズ以下の駄作を量産している。私のような馬鹿な素人が道具ばかりを揃えてみても、それで何かが変わるわけではないのだ。私もあの子のように、撮ることを好きになりたい。モノだけ集めて悦にいる愚か者ではなく、持っている道具を精一杯使う趣味の人になりたい。結構いい年になるまで生きてきたが、自分のアゴに届くか届かないかのちっちゃな女の子にも、教わることは山ほどある。その夜、私は購入予約していた二本のレンズをキャンセルした。


 キャンセルしたレンズ、ペンタックスの16-50mm F2.8と50-135mm F2.8の代金はすでに引き落とし済みだが、これはきちんと返金してもらえる。ただ実は、すぐに発売されて手元に届くと思っていたこの二本のレンズ用に、私は77mmと67mmの保護用フィルターと、77mmの偏光フィルターを買い込んでいたのだ。その三枚で1万8千円ほどになるのだが、それはもちろん返品できないし、使い道もない。


 気がつけば私は、吸い込まれるようにシグマという会社の18-50mm F2.8と72mmの保護用フィルターを買い込んでいた。いや、道具が全てじゃないんだけどサ、やっぱり、綺麗に写る明るいレンズの一本ぐらい持っていたいし、値段もペンタックスの半額ぐらいだし.....。とにかくこのレンズ、とても使いやすいし、写りも綺麗だ。あとは超広角を買えば、ほとんど全て揃うような.....。


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◆アメリカで、1960年代末から世間を騒がせた実在の連続殺人事件を元にした映画。有名な話なので粗筋は割愛、と言いたいところだが、ご存じない方もいると思うので、少しだけ触れておく。


 残酷な手口で殺人を繰り返す犯人は、暗号文の犯行声明をマスコミに送りつけ、自らを"ゾディアック"と名乗った。自身の犯行でない事件も「自分がやった」と公言していたため、実際の犯行件数は不明。襲われても生き延びた被害者がいるため、確実にゾディアックの犯行とされる事件での死亡者は5名。懲役365年を喰らった"サムの息子"などと並ぶ、猟期連続殺人犯の一人。この事件は、今に至るも未解決のまま。


◆この映画は、ゾディアックを追う男たちの執念を描いたもの。寝食を忘れてゾディアックの追求に打ち込む新聞記者エイヴェリー(ロバート・ダウニー・Jr)。昼夜を分かたず事件を追うサンフランシスコ市警の刑事トースキー(マーク・ラファロ)とアームストロング(アンソニー・エドワーズ)。事件にとりつかれた新聞社の風刺漫画家グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)。映画はゾディアックの事件に関わったことで人生を狂わされていく、この四人の男たちをの姿を描いていく。
 監督は『セブン』のデビッド・フィンチャーで、顔のない連続殺人犯ゾディアックのおぞましい犯罪と、ゾディアックを追う者達の焦燥感、そして挫折感を上手く描いている。事件を追い続けた記者のエイヴェリーは酒とドラッグに溺れて編集部を去る。優秀な刑事アームストロングは、家庭生活を犠牲にしての捜査に疲れ、殺人課を離れる。残された相棒のトースキーは、縮小される捜査態勢の中、事件の担当者でありながら何も出来ない苛立ちを抱えて日々を送る。そしてグレイスミスは、世間に忘れ去られたこの事件を追い続け、家族を失う。管轄の違い、錯綜する情報に振り回された初動捜査の誤りといった壁に阻まれて、膨大な捜査資料の中に埋もれていくゾディアックの姿。手詰まりのまま、事実上捜査を諦めている各管轄の刑事たちの協力を得て、孤独に犯人を追い求めるグレイスミス。このあたりの展開はとても良い。グレイスミスが細かい手がかりの糸を手繰りながら犯人に迫る展開は、カート・ラッセル主演で映画化されたジョン・カッツェンバックの『真夏の処刑人』(映画のタイトルは『マイアミ殺人事件』)を思わせる。70年代後半から80年代を描いた映像も、時代の空気感を良く出していて秀逸。うっかりしていると聞き逃しそうなほどさりげなく使われるGerry Raffertyの「霧のベイカー・ストリート」など、時代を象徴する名曲も雰囲気を盛り上げる。刑事ドラマとしての部分も70年代テイストを色濃く持っていると思う。往年のクライムストーリーが好きな人なら、それなりに楽しめる重厚な雰囲気を持っている。


 ただ残念なことに、この事件は未解決なのだ。『真夏の処刑人』も最後に一片の謎を残す展開だったが、こちらは謎だらけ。名目上は「継続捜査中」になっているものの、実際には迷宮入りした事件なので、謎解き・解決のカタルシスはない。それと、事件にとりつかれた人間達、特に捜査員ではないグレイスミスの執念は、妄執、時には狂気とも取れる。「こいつが犯人だ」という先入観を持つと、全ての物事をその方向にねじ曲げて見るようになる。これが警察の人間なら明らかに冤罪を生むプロセスで、見ていて共感はしにくい。それと、2時間37分という上映時間は長い。もう少し話を整理して、2時間ちょっとぐらいにまとめた方が良かっただろう。


 ここからは余談だが.....。私は、クライムストーリーの愛読者だし、犯罪ものの映画も山ほど観ているから、"ゾディアック"だの"サムの息子"だのといった有名どころの事件は一通り知っているし、ヘルター・スケルターと聞けばマンソン・ファミリーが思い浮かぶ。当然、この映画を観に行った時も、犯人が確定されたり射殺されたりしないことは最初から分かっている。だが、そういう犯罪マニアは多くないだろう。予告編だけの知識でこの映画を観た人の中には、『セブン』だったり『羊たちの沈黙』だったりという事実とは全く違うイメージを日本の配給会社に植え付けられて、そういう映画だという期待を持って足を運んだ人も少なくなかったようだ。上映終了後の客席では、「結局犯人わかんないの?」「こんだけ長くて結論なし?」という声を多く耳にした。予告編に騙されて本作を観ると悲惨なので、あらかじめどんな映画だか承知の上で観に行く事をお勧めしたい。「腰痛持ち」でない「趣味の人」なら、十分楽しめる映画だ。


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 先日、TVでミス・ユニバースの話題を放送していた。何十年ぶりだかで、日本人がグランプリに選ばれたのだという。へぇ~、と思って画面を見たが、意外なことに受賞者はどこにでもいるありふれた感じの、ごく普通の女の子だった。あえて普通でない点を挙げるとすれば、二十歳という実年齢より7、8歳は老け込んで見える点ぐらいだろうか。
 私はその種の事に詳しくないので良くは知らないが、ミス・ユニバースというのは美人コンテストではなく、内面を含めた総合的な審査なのだと聞いた。受賞者はチャリティ活動に参加したり、親善大使のような活動をするのだとも聞く。おそらく、普通の女の子が高い志をもって社会に貢献する、というのがこのコンテストの主眼なのだろう。これが単なる美人コンテストであるとしたら、森泉みたいな美人が受賞していたはずだから。そんなことを考えつつ、ついつい外見だけに目がいってしまう自分に反省。


 画面はCMに切り替わった。昨年の準グランプリ受賞者が出演しているエステのCMだ。見事な二重アゴの関取フェイスで、年齢はどう控えめに見ても30代半ば。つい一瞬前まで外見だけに目がいってしまう自分を反省していたのは確かだが、もう少し外見も考慮して良いんじゃないだろうか。確か、ミス・ユニバースには水着審査などもあったはず。外見をまるっきり無視しているわけではないはずだ。世の中には、もっとずっと綺麗で素敵な女性がごろごろ溢れている。社会に貢献するという目的であれば、注目されることや、「あんなふうになりたい」という憧れを持たれる事にも意味があるはず。もうちょっと考えてから日本代表を選んでもバチは当たるまい。


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大事なものが どんどん増えていく
ひとつ ひとつ 守ってく
明日には今日より光が見える
そんな自分でいたい


読みかけたままで
部屋の隅に埋もれてた本を読むように
今だからこそ広がる世界があるの
あの頃の私は
雨宿りををするように
気づくことを避けるみたいに
小さく生きていたかも


あなたに出会った日
きっと何かが変わり始めたんだね


二人でいると どんどん過ぎていく
一分 一秒 不思議だね
時が経つごとに深まってく
愛を育てていこう


やっと咲いた花が
風に吹かれて散っても
次の季節はもっと大きく
誇らしくよみがえるよ


あなたがくれたもの
どんな痛みも勇気に変えてくれる


大事なものが どんどん増えていく
ひとつ ひとつ 守ってく
明日には今日より光が見える
そんな自分でいたい


生きてることの喜び
感じられる今ならば
誰かのことも幸せに
きっと出来る.....


大事なものが どんどん増えていく
ひとつ ひとつ 守ってく
明日には今日より光が見える
そんな自分でいたい
そんな自分でいたい.....






東子姐さんの、"Beautiful Days"。
ガラじゃないのは承知の上で、それでもやっぱり大好きな歌。
うん、そんな自分でいたい。

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 2007年6月5日に起きた、放火殺人未遂事件。埼玉県朝霞市の河川敷で、東洋大学四年生の安藤佳南子(21才)と専門学校生の伊藤貴紘(20才)、東洋大学二年生男子(19才)、成城大学二年生男子(19才)の四名が、ホームレスの男性が寝ていた段ボールの箱にサラダ油をかけ、火をつけて殺そうとした事件だ。安藤・伊藤ら四人はバイト仲間で、深夜から朝まで河川敷で酒を飲みながらバーベキューを続け、そのまま犯行に及んだ。たまたまライターが着火しなかったおかげで被害はなかったが、四人は「燃やせ! 燃やせ!」「殺せ! 殺せ!」と奇声を上げ、明確な犯意・殺意を持って行動したと報道されている。
 逮捕時の四人の容疑は「器物損壊」。ホームレスの男性が使っていたダンボールハウスを壊そうとしたという罪で、説諭で済む微罪だ。まず確認できている容疑で逮捕し、取り調べで確証を得て追加の容疑で再逮捕するのはごく普通のことだ。当人たちは犯行の意図を認めているが、警察が殺人未遂で再逮捕したという報道を聞かない。このまま、微罪で終わってしまう事もあり得る状況だが、生きた人間に火をつけて殺そうとするという事件は、未遂であっても厳しく扱われるべきだと思う。


 安藤佳南子と伊藤貴紘以外の二名は19才ということで実名を報道されていないが、放火殺人となれば成人と同様の処分を受ける年齢。このまま器物損壊容疑のみであれば、基本的には書類送検されて不起訴で終わる。要するに、交番でお説教されただけで済むのと同じ処罰だ。「東洋大学四年生の安藤佳南子」という報道は、ある程度個人を特定できる。学校側も除籍程度の処分はするだろうから、大学を卒業できなくはなるだろうが、ただそれだけだ。就職時も履歴書に高卒と書けば良いだけだから、問題になることもない。社会的制裁など受けていないのと同じだ。警察や検察が無罪放免にしてしまえば、事実上犯罪行為はなかったのと同じ扱いになる。「偶然そこにいただけ、巻き込まれただけで無関係。起訴されなかったのが何よりの証拠」という強弁も通る。専門学校生の伊藤貴紘は、さらに個人を特定しづらい。名前が報道されなかった二名については、何をか言わんやである。周囲の人間には隠しおおせるものではないだろうが、誤報道・誤認逮捕の被害者と言い逃れることも可能なのだ。不起訴が決定したあとであれば、どんな嘘を公言しても法律には触れないし、再起訴されることもない。被害者がホームレスとあっては、民事で責任追及されることもないだろう。言った者勝ちで終わる可能性は極端に高い。


 私はこの四人の犯罪者にも、被害者のホームレスにも特別な興味を持っているわけではない。ただ、放火未遂や殺人未遂が「悪ふざけ」で許されてしまう社会で良いのか、その点は強く不安に思う。次の放火は、火がつくかもしれない。河川敷のダンボールではなく、住宅密集地帯かもしれない。風の強い日かもしれない。それを考えると恐ろしい。


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◆新しい時代を迎えようとする19世紀末のロンドン。若きマジシャンのロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とアルフレッド・ボーデン(クリスチャン・ベール)は、共に舞台に立っていた。もっとも、無名の二人はマジシャンとしてではなくアシスタント、それもサクラとしてだった。舞台の主役はミルトンというマジシャン。それなりに名が通り、独立して興行は出来るものの、熱意とアイデアに満ちた若い二人の目には、古くさい前時代のマジックにしか見えなかった。出し物は水中脱出。ミルトンのアシスタントを務めるアンジャーの妻ジュリア(パイパー・ペラーボ)の手足を、観客に扮したアンジャーとボーデンがほどきやすいように縛り、大型の水槽にジュリアを閉じこめて幕で隠す。その間にジュリアは手足の縄をほどき、水槽から脱出したところで幕を引き上げるという古典的なものだった。ある日の興行で、ジュリアは脱出に失敗し、二人の目の前で溺死してしまう。ジュリアの死は、彼女の手首を縛る役のボーデンが結び方を変えたことが原因だった。この事故により、ミルトンの興行は打ち切り。アンジャーとボーデンは、それぞれマジシャンとして独立して興行を始める。だがアンジャーの心には、妻を死なせたボーデンへの復讐心があった。マジシャンならではの方法で、観客の前でボーデンに重傷を負わせるアンジャー。それを恨んで仕返しを目論むボーデン。徐々に人気を得て、一人前のマジシャンとしてのし上がっていく二人は、互いに相手を貶め傷つけることに熱意を注ぎ、相手を凌駕するマジックを完成させることに人生を傾けていく。


◆うん、なかなか面白い。19世紀末のロンドンという時代の空気感が全編にキッチリと出ていて、雰囲気ばっちり。


 私はヒュー・ジャックマンの出演作は、『X-MEN三部作』『ソードフィッシュ』『ヴァン・ヘルシング』しか観ていない。『ニューヨークの恋人』では貴族の役もやったようだが、私にとってのヒュー・ジャックマンはウルヴァリンのイメージしか無い。そのせいか、洗練された物腰と演出の妙で観客を引きつける、今回のアンジャーという役は新鮮だった。技術とアイデアはあるが演出が下手というボーデン役のクリスチャン・ベールは、自身が得意とする役柄を胡散臭さたっぷりに演じている。出演者は他に、アンジャーの助手、オリヴィア役にスカーレット・ヨハンソン。同じくアンジャーと組むマジックの仕掛け制作者カッター役にマイケル・ケイン。異端の科学者ニコラ・テスラ役にデヴィッド・ボウイ。ボウイはエンドロールを観るまで気づかないほど変容していて、昔日の面影はない。監督は『メメント』『インソムニア』『バットマン・ビギンズ』のクリストファー・ノーラン。


 筋立てが分かると面白さを殺してしまうので感想も書きづらいのだが、これは華やかなマジックの世界を舞台に、時代の空気を色濃く映した復讐劇。物語に仕込まれたトリックの伏線は、かなりはっきりと描かれているので、集中して観ていればストーリー展開は読めるように作られている。ただ一点、「をい、それもアリって設定か?!」という部分がある。かなり映画ズレしているお客さんでも、その部分だけは驚かされるだろうと思う。おそらく賛否が分かれる、かなり飛んだ設定なのだが、映画を観ていると不思議に許せてしまう。トリックの説明はきちんとされているので、よほど散漫な性格の人間でない限り、分かりにくいことはないと思う。スチームパンクを許せる方にお勧めしたい。


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 社会保険庁が国内最大のテロ集団の一つであることは、日本国籍を持つ社会人なら誰でも痛感していると思う。破防法の適用が当然な、犯罪行為だと言える。年金の納入記録に5000万件の不整合があると報道されて日も浅い先日、新たに1400万件以上の新たな不整合があることが外部の指摘ですっぱ抜かれた。現時点では6500万件弱の不整合しか発見されていないが、日本国民は生まれたての赤ちゃんまで含めても1億3000万人に満たない。つまり、単純計算すれば、日本国民の二人に一人はまともな年金給付を受けられないことになる。
 それに対する社会保険庁の弁明は、「5000万件の不整合は5000万人分ということではなく、一人で複数の不整合を抱えているケースが考えられるので、実際の被害者数はずっと少ない」と、「新たに公表された1400万人強の不整合の中には、すでに死亡している人が多く含まれているので、実際の被害者数はずっと少ない」というものだ。


 お考えいただきたい。10年間に10回強姦事件の被害にあった女性は、罪名が同じ「強姦事件」であるというだけの理由で、1回しか被害にあっていない事になるのだろうか? 殺人事件の被害者が「すでに死んでいる」からといって、犯罪がなかったことになるのだろうか?


 そんなことは絶対にあり得ない。そんな詭弁が許されるなら、日本は法治国家というハリボテの看板を焼き捨てた方が良いだろう。ここは金正日のような狂人に支配された北朝鮮ではないのだ。犯罪の実行犯である国家機関の責任者が、こんなふざけた弁明を公共の場で行ったというだけで、重罪に相当する。私は暴力が大嫌いだ。それでも私は、国民が大挙して社会保険庁に、厚生労働省に押しかけ、投石を行うべきではないかと思う。重ねて言う、私は暴力が大嫌いだ。だが、テロリストがのうのうと遊んで暮らし、法がそれを裁こうとしないのなら、緊急避難として国民の実力行使による意思表示も許されるのではないかと思う。これはただの犯罪では無く、国民全員に対するテロ行為なのだから。


 大規模データベースのプログラミングを行っていた人間としては、現在公表されているような内容のデータ不整合の突き合わせを行う事は、電算上は不可能だというのが常識だ。そんなもの、本物のAIでもない限り不可能だし、現時点で人間と同じだけの判断能力を持つAIシステムは存在しない。極めて信頼性の低いザル同然のプログラムなら作成可能だが、それだって一年では無理だ。これからプログラムの作成を依頼しても、実稼働までに二年はかかる。プログラミングに二年かかるのではなく、実情を調査してどんなプログラムを組むことが最適かを判断するだけで一年以上はかかると言うことだ。データの突き合わせを行うなら、その多くは人間による手作業、しかも根気のいる資料探しから始めなければならない。件数の多さを考えると、時間的にも人員的にも、年金記録の不整合の突き合わせは不可能だ。現時点で6500万件弱、実際にはそれ以上になるであろう年金受給者の被害は、逆立ちしたって是正も救済も出来ない。詐欺師に老後の財産を預けさせられてしまった以上、これはもう、どうしようもないことだ。残念だが、それは諦めるしかない。ただ、罪ある者はその罰を受けるべきではないだろうか。



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◆スティーヴン・ハンターの原作を映画化。CIAの陰謀に巻き込まれた凄腕のプロフェッショナルが、自分の持てる技術の全てを使って反撃するという、いつもの王道的パターンの物語。私は原作も読んでいるので、映画で改変された部分、省かれてしまった部分が気になる。ラスト、ライフルの撃針にまつわるエピソードなども、端折りすぎで話が通じにくい。時間の関係でやむを得ないのだろうが、ずいぶんと駆け足な雰囲気で、この種の翻訳物の愛読者にすらお勧めしにくいんじゃないだろうか。上映終了後の客席の様子を拾ってみたが、カップルや高校生たちは無反応。「ふ~ん」程度の感じだった。ちらほらと聞かれたのは映画の感想ではなく、「長かったね」だった。


 射撃、特に長距離の狙撃を扱う小説の場合、「長距離狙撃っていうのはこういうものなんですよ」という説明が必ず入る。普通の人はそんなことは知らないし、物語の核になる技術について理解しないと、その難しさや凄さが分からないために、緊迫感も盛り上がりも無くなってしまうからだ。それは映画でも同じだと思う。長距離射撃という特異な技術についての説明的な描写がないため、観ていて「だからどうした」という程度の感想しか湧かない。読者も多く、上手く作れば盛り上げどころの多い小説の映画化だけに、残念な仕上がりの映画だと思う。


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◆史実にあるテルモピレーの戦い(20万とも30万とも言われるペルシャの軍勢に対して、スパルタのレオニダス王率いる300人の軍勢が、狭隘な地形を利用して三日間持ちこたえ、玉砕した)にヒントを得て創作されたコミックの映画化。


 まず第一に、この映画は史実とは全く関係がない。映画は、専横体制で世界を席巻しようとする100万のペルシャ軍に対して、自由と未来のためにスパルタの300人の精鋭が戦いを挑む、という物語になっている。だが実際は、スパルタは奴隷制度によって成立していた国家であり、国民皆兵の「スパルタ教育」は、奴隷の反乱を鎮圧するための防衛策だとされている。彼我の兵力差はともかく、極悪なペルシャ軍に抵抗した民主主義のスパルタ軍、という図式はまるっきりおかしい。また、映画ではレオニダス王が300の精鋭を率いて自らペルシャ軍に立ち向かったことになっているが、史実では、作戦の失敗で撤退した数千の自軍のしんがりとして戦闘に突入したわけで、史実と映画は大きく異なる。娯楽である映画で史実のと差違をあげつらうつもりは毛頭無いが、「脚色」と呼ぶには大胆すぎるほど違う話になっているので、史実にヒントを得た全くの「創作」だと理解しておいた方が楽しめるだろう。これは、架空の時代に架空の世界で起きた洋風武侠物。歴史物というよりは、洋風チャンバラ映画と考えた方が良いと思う。ほとんどベルセルクの世界だ。


 さて、洋風武侠チャンバラ映画として観た場合、アクションシーンの殺陣は良く出来ているし、スローを多用した戦闘シーンの画作りは観応えがある。ただ残念ながら、なぜレオニダス王がわずか300の兵のみを率いて出陣しなければならなかったのか、そのあたりの事情は説明不足で、理解は出来るものの感情的には納得しにくい。何というか、どこもかしこも嘘くさくて感情移入が出来ないのだ。客席の反応もテンションが低く、「だからどうした」という雰囲気が強かった。どうせ史実とはかけ離れた漫画を映画化するのだから、史実とも漫画とも違う、映画ならではの脚本を練り込んで、リアリティのある話を作れば良かったのではないだろうか。


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