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   Farsideの過去ログ。

ミラーズ

2008-12-27 | 映画の感想 ま行
◆ベン・カーソン(キーファー・サザーランド)は、失意のどん底から這い上がろうとあがいていた。ニューヨーク市警の刑事だったベンは、誤って同僚を射殺してしまい、長期停職処分を受けていた。自責の念に押しつぶされ、酒に溺れてアル中状態になったベンは、自分を支えてくれる妻のエイミー(ポーラ・パットン)に当たり散らし、家庭をメチャクチャにしてしまった。今は離婚寸前の別居状態。妻と幼い子供達、デイジーとマイケルの住む家を出たベンは、妹アンジェラのアパートに転がり込んでいた。兄を案ずるアンジェラの元で禁酒を始めたベンは、家族を取り戻すため、新しい仕事を始める。
 ベンが見つけた仕事は、メイフラワー・デパートの夜警だった。5年前の火事で多数の焼死者を出し、保険を巡る裁判が係争中であるために取り壊しもされずに残った巨大な建物。そこは、ニューヨーク6番街の一角にありながら、高い塀に囲まれて現実から隔離された別世界だった。多くの人が命を落とした火災現場であり、出火当時のまま後片付けもなされていない。配線が焼損しなかった地下以外は、当然のことながら電気も通じていない。ただでさえ曰くたっぷりの不気味な環境だったが、ベンは勤務一日目から怪異を眼にすることになる。どうやら、デパートの中央に位置する巨大な鏡がその現象の中心であるらしい。やがて怪異は、デパートの中だけでなく、鏡のある場所ならどこにでも現れるようになった。仕事を辞めても、この怪異から逃げることは出来ない。そして、妹のアンジェラが無惨な死体となって発見された。"鏡"の狙いが自分だけでなく家族にも及ぶと知ったベンは、妻のエイミーに警告するのだが、情緒不安定からアル中へと落ちて別居した夫の言葉など信じてはもらえなかった。妻と子供達を守るため、ベンは建物の過去を探り始める。メイフラワー・デパートは、1952年に閉院された聖マシュー病院の跡地に建てられており、地下には一部、病院の施設が残されていた。全ての怪異はそこ、半世紀以上前のある事件に端を発していた。


◆久々にホラーらしいホラー映画を観た。私個人はなかなか満足。ただし、本作はスプラッター系の残酷描写が少しあってR-15指定になっているので、その種のシーンが苦手な方にはお薦めしない。まぁ、年季の入ったホラー好きとしては、この程度の描写でR-15に指定するのは、いささか過敏すぎるとも思うが.....。
 本作は、2003年の韓国映画『Mirror 鏡の中』のリメイク。私は本家の方は観ていないのだが、アメリカ資本がアジアン・ホラーのリメイク権を買うという最近の流れの一つのようだ。それなりに良い脚本でなければわざわざ手は出さないはずなので、本家の方もそれなりの出来だったのだろう。


 この映画の素晴らしいのは、なんと言ってもその造形。人通りの多い街中にありながら、裁判所の保全命令で手をつけられず、高い塀に囲われて隔離された建物。この設定だけで、廃墟好きな私はワクワクしてくる。さらに、建物が火事で焼けたデパート、しかも謎の病院の跡地とくれば、「新耳袋 現代百物語」の愛読者である私はゾクゾクしてくる。問題は、建物をいかにそれらしく造り上げるかなのだが、実際の廃墟ロケとセット撮影を組み合わせた本作の映像には隙がない。出来ればもう少し、廃墟探索の場面を増やしてほしかったかも。
 鏡像反転を使ったオープニングの美しい映像、廃墟と化した建物の内部、R指定の原因となったショッキングな描写、どれをとってもホラーマニアにとってはオーソドックスなものだ。そこに、家族を守るために失意の底から立ち上がって戦う父親、過去の秘密を解き明かす謎解きといったエッセンスを加えることで、物語を上手く転がして行く。『サイレントヒル』からグロテスクな描写を大幅に間引いたような感じで、アメリカ映画としてはこれでいいのだと思う。ただ、ジャパニーズ・ホラーの愛好家としては、残酷描写はいらないが、もう少し不条理で孤独な怖さも盛り込んでほしかったところ。ホラーというのは結局のところ「個」や「孤」の物語であって、家族ものとは馴染みにくいものだ。ついでに言うと、「真の闇」に恐怖する瞬間もワンシーンぐらいは欲しい。とはいえ、ホラー分野が枯渇しつつある昨今の情勢下では貴重な映画のひとつ。


 私が観に行ったのは公開二日目、12月27日の16時の回。シネコンでは、時間によって130席の筺と160席の筺があてがわれていた。シネコン側はさしたる集客を見込んでいないということだ。私が観たのは130席の筺で、観客の入りは7割程度。シネコンのロビーが閑散としていたことと合わせて考えると、この種のホラー映画としては異例の好成績だと言える。どうやら、「"24"のキーファー・サザーランド主演」ということでお客さんが集まったものらしい。私はTVシリーズなどは見ないので"24"がどんな物語なのか知らないが、おそらく、こういったホラー映画とはかなり違うものだろう。"24"つながりで見に来られる方、その点だけは注意した方が良いかも。


 さて、蛇足の余談だが.....。私も詳しいことは知らないが、日本と違ってアメリカの警察には長期の停職処分がある。その間は無給なので、何らかの職に就くわけだ。だから、停職中の刑事が警備員の職に就くことはおかしくない。ベンが飲んでいる禁酒薬(抗酒薬)は劇薬で、結構危険な薬。抗酒薬だけで幻覚を見ることはないと思うが、抗酒薬が必要な状態、つまり、アル中やアルコール譫妄状態(断酒期の禁断状態)では幻覚を見ることもある。監察医である妻はもちろん、ベン自身も最初は自分の見たものを信じられなかったのは、それなりに理屈の通った話ではある。
 重箱ツツキストの私が映画の弁護ばかりしていてもなんなので、ついでに一言。デパートの地下だけに電気が通っていたりするのは演出の都合だろうが、やっぱり変。スチームや水道管ならともかく、あの状態で給電されることはない。ついでに言うと、ベンの前任者がベンの住所を知っていたというのは、タイミング的に考えてもどうかと思う。どうせだったら、前任者のロッカーから資料やメッセージを発見した方が話のツジツマは合うだろう。

ミスト

2008-05-11 | 映画の感想 ま行
◆メイン州の片田舎、湖を臨む一軒の家。画家のデヴィッド(トーマス・ジェーン)は、二階のアトリエでポスターを描いていた。好きな仕事をして、妻と息子の三人で暮らす生活は幸せそのもの。記録的な嵐のせいで木が倒れ、アトリエの窓を破って絵を台無しにしてしまったが、家族さえ無事なら落ち込むほどのことではなかった。嵐は送電線や電話線にもダメージを与え、携帯電話も不通になっていた。山から湖にかけて濃い霧が広がり始める中、デヴィッドは、息子のビリー(ネイサン・ギャンブル)と隣人のブレントを車に乗せて、街へと向かった。食料品や、とりあえずの補修材料を買いにスーパーマーケットに入ると、店内は同じような買い物客でいつになく混雑していた。人々は、顔見知りを見つけては愚痴をこぼしてはいたが、そこには嵐が通り過ぎたことへの安心感があった。だが、広がりつつあった霧が街を覆い始めた時、本当の異変が始まった。


 視界の全てを白く殺してしまう濃霧。この霧の中には何かが潜んでいた。人を襲い、殺す未知の生きものたち。スーパーに立てこもった彼らに怪物の襲撃は続き、ジリジリと人数を減らしていく。極限状態の中、人々はいくつかのグループに分かれて反目し始めた。中でも、聖書を片手に破滅を説く狂信者、街の厄介者だったミセス・カーモディ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)が多くの人々を従えて一大勢力を築きつつあった。ミセス・カーモディの主張は「贖罪」。神の意に背くものを生け贄として差し出せば、残ったものは生き延びられる、と。


◆スティーヴン・キングの「骸骨乗務員」に収録された中編「霧」をベースに、『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』のフランク・ダラボン監督が映画化。映画は原作に極めて忠実に作られており、筋金入りのキングファンでも満足できる出来になっている。もともと、キングの「霧」はF・ポール・ウィルソンの「ナイトワールド」シリーズなどと違って怪物との戦いに派手さが無い。映像化されて実体を得たことで、原作には無かった派手さ、緊迫感が加わって、私的にはとても満足のいく出来だった。原作のファン、「ナイトワールド」「サイレントヒル」といった作品が好きな方なら無条件にお薦め。
 原作と映画の違いは、小説の中ではほのめかす程度だった軍事施設と霧の関係と、ラストの脱出行の結末の二点。このラストはなかなか衝撃的で、『ディセント』や『猿の惑星』のような強い無常感があって、原作以上に良い物語になっていると思う。極限状態に置かれた人間が、煽動者の言に乗せられて、仲間である人間に牙をむく異常な集団に変わってしまう恐怖。原作でもそういった人間の恐ろしさは描かれていたが、映画では、それとは異なる種類の悲劇も盛り込んでいる。本作はR-15指定となっているが、本来はPG-12ぐらいで十分だろう。個人的には、その種の規制は不要な映画だと思う。


 この映画、TVなどで特別な前宣伝をしているわけでもないのだが、公開二日目の客席は実に9割が埋まっていた。客層は20代から60代まで、メインは30代のようだ。シネコンのロビーを見渡した限りでは、お客さんの数は決して多くなかった。混んでいるのは『ミスト』だけだが、観客の全てがキングのファンとも思えない。「キングの原作を、『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』のフランク・ダラボン監督が映画化」というアオリ文句に踊らされて、感動的な物語かと勘違いして劇場に足を運んだ人が多いのではないかと邪推してしまった。念のためにご注意申し上げるが、この映画はSFホラーであって、感動的な部分はゼロ。B級映画の王道を行く作りだ。勘違いで観に行くと取り返しの付かないことになるので、その点だけはご用心いただきたい。

舞妓Haaaan!!!

2008-01-27 | 映画の感想 ま行
◆修学旅行先の京都で舞妓さんに一目惚れ、その日から舞妓さんが人生の全てになってしまったヲタク、鬼塚公彦(阿部サダヲ)。ヲタクのまま長じて社会人にはなったものの、東京の鈴屋食品に勤めるサラリーマンの鬼塚には、お茶屋遊びは夢のまた夢。休みのたびに京都へ出向き、舞妓さんの写真を撮っては自分のホームページに載せるのが精一杯。そんな鬼塚に朗報が届いた。京都にある食品工場への異動が叶ったのだ。出身が京都だというだけの理由で付き合っていた藤子(柴咲コウ)をあっさり捨てて、鬼塚は憧れの京都へ。だが、一介のサラリーマンに手の届く世界でないのは、京都に来ても同じ事。「仕事で結果を出せば連れて行ってやる」という社長(伊東四朗)の言葉に一念発起、コケの一念でカップ麺の大ヒット作を生み出し、念願のお茶屋遊びデビューと相成ったのだが.....。そこには神戸グラスホッパーズのエースピッチャー、祇園では知らぬ者のない遊び人の内藤喜一郎(堤真一)がいた。内藤を生涯の宿敵と定めた鬼塚だったが、相手は年俸8億の大投手。打倒内藤を心に誓う鬼塚は、更なる成功を目指して暴走をはじめる。その頃、鬼塚のことを忘れられない藤子は会社を辞め、舞妓を目指して置屋で修行を始めていた。


◆宮藤官九郎の脚本と言うことで、ひたすらお馬鹿なコメディで終始するのかと思ったら、後半にはそれなりにドラマも盛り込まれていて、なかなか面白い映画になっていた。初めての映画主演作となる阿部サダヲの思いっきりテンションの高い演技は好き嫌いの別れるところだと思うが、そこさえクリア出来る人なら、けっこう笑えて楽しいと思う。堤真一も、ここまでテンションの高い演技をしているのは初めて見たが、シリアスからコメディまでこなせる幅の広い役者さんなので、特別な違和感はない。共演は、鈴屋食品の個性的な先崎部長に生瀬勝久、これが遺作となった植木等、芸妓の小梅役で京野ことみ、一番人気の豆福役で酒井若菜、お茶屋の卯筒の女将に真矢みき。


 主人公の鬼塚は、ひとことで言えば嫌な男。ヲタクで舞妓しか愛することが出来ず、京都への異動が決まったとたんに藤子を捨てるあたり、いかにコメディとはいえ、観ていて気持ちの良いものではない。宿敵内藤と縁浅からぬ舞妓の駒子(小出早織)に入れあげる展開も、本当に駒子が好きなのか、それとも舞妓なら誰でも良くて、内藤への当てつけにいちばんいいから駒子なのか、誰しも疑うところ。結局のところ、これは鬼塚が成長してまともな男になるまでの物語。その過程で、内藤・駒子・藤子もそれぞれの問題を解決したり成長したりして一気に大団円を迎える。そういう話なので、途中でフラストレーションを感じても、全てがあるべきところにきちんと収まっていくのでご安心を。


 これを言っちゃうとミもフタもないのだが、私は本物の舞妓さんを見たことがないし、画面で白塗りの舞妓さん達を見てもあまり綺麗だとは感じなかったりもした。豆福を演じた酒井若菜など、白塗りじゃない方が確実にかわいいと思うし.....。ま、それはさておき、駒子役の小出早織の演技は良かった。堤真一を向こうに回してのあの演技はお見事。柴咲コウも、どうにもこうにも冴えないOLの藤子と、愛する男のために生まれて初めて強くなる駒富士を上手く演じていた。終盤では、「をい、そのまま終わっていいのか!?」とハラハラしたが、きちんと落ち着くべきところに落ち着いて一安心。細かいことを考えるより、肩の力を抜いて楽しむのが吉。

魍魎の匣

2007-12-22 | 映画の感想 ま行
◆京極夏彦の長編小説、京極堂シリーズの二作目にあたる「魍魎の匣」にヒントを得て作られた、猟奇犯罪ドタバタコメディ。比較的原作に忠実に作られていた前作『姑獲鳥の夏』と違い、本作は小説とは全く違う話になっているので、その点は注意されたし。もともとの小説(映画はあまりにも違うので、あえて原作とは呼ばない)を忠実に再現することも映画化の一つの手法だと思うが、これだけボリュームのある複雑な小説を映画化するのは非常に難しい。大胆な改変や、小説を知らない人のために説明的なパートを盛り込んでいく序盤の展開はなかなか良かった。ただ、途中からドタバタコメディに変わってしまったので、小説とは別物だとは思いつつも、まるで感情移入が出来なくなってしまった。


 本作のメインのキャストは前作とほぼ同じで、変わっているのは、関口巽役が体調不良で永瀬正敏から椎名桔平に変わったことぐらい。だが、それぞれのキャラクターの性格は前作とは呆れるほど違っている。慌てふためくおひゃらけキャラで、フラメンコのステップまで踏んでみせる京極堂(堤真一)。まともに話せる上に滅茶苦茶喧嘩の弱い常識人の榎木津礼次郎(阿部寛)。京極堂と榎木津相手に丁々発止と言葉を交わし、役に立つしっかり者の関口巽。兄の家で客人の前なのに女の子座りをし、食べ物のカスを庭に投げ捨てるだらしのない中善寺敦子(田中麗奈)。木場修太郎役の宮迫は、前作でもミスキャストだったが、本作でも全く同じ。木場修こそ、役者を変えるなりキャラ設定を本物に近づけるなりすべきだったと思うのだが.....。京極夏彦の小説と本作では、共通点を探す方が苦労するだろう。他のキャストは、安和寅吉に前作と同じ荒川良々。中善寺千鶴子に清水美砂、関口雪絵に篠原涼子。柚木洋子に黒木瞳、その娘の加菜子に寺島咲、友人の楠本頼子に谷村美月。久保竣公に宮藤官九郎、美馬坂幸四郎に柄本明。勘九郎の竣功は有りだと思うが、柄本明は品性・知性がカケラも感じられず、医師であり科学者である美馬坂役には完全なミスキャスト。


 映画の中には、どこから見ても中国にしか見えないシーンが多々ある。戦後の日本の雰囲気を安価に出すために中国ロケをしたらしいが、あれでは逆立ちしたって日本には見えないだろう。大谷石の採石場でロケをしたらしい筺屋敷も、雰囲気が舞台設定にあっているとは言いにくい。機械類の造形に至っては、特撮戦隊ものと大差ない。首をかしげるような展開のまま映画が終わり、エンドロールで流れるのは東京事変の「金魚の箱」。ロック調の曲に椎名林檎の蓮っ葉なボーカルと歌詞が載るわけだが、これが戦後復興期の日本を舞台にした映画の内容と、これでもかと言うぐらい合わない。この選曲は、『悲惨』以外の何ものでもない。監督は、『バウンス koGALS』『狗神』で大失敗し、『伝染歌』で、ホラーなのにちっとも怖くないコメディを撮ってしまった原田眞人。こいつにメガホンを持たせるのは、もうやめた方が良いかもしれない。公開初日、私が観たシネコンでは120席ほどの小さな筺をあてがわれていたが、観客は4割程度。上映終了後の客席の声では、小説の方を読んでいないらしいお客さんの「けっこう笑えたね」という声が印象的だった。


 小説を読んでいない人が観た場合、独立した一本の映画として面白ければそれはそれで構わないと思う。ただ、猟奇殺人とドタバタコメディの組み合わせはどうにも絵にならない。私には豪華なキャストを揃えた失敗作にしか思えなかった。私も含めて映画に期待していた小説のファンが多いだけに、こういう失敗はひどく残念。前作『姑獲鳥の夏』は小説のファンにのみお勧めできる映画だったが、本作は小説のファンにもお勧めできない。

地下鉄(メトロ)に乗って

2007-11-11 | 映画の感想 ま行
◆戦後の闇を暗躍しながら一代で大企業を立ち上げた小沼佐吉(大沢たかお)。横暴で強欲で冷酷、そんな父に反発して高校卒業と同時に家を飛び出し、籍も抜いて母方の姓を名乗る次男、長谷部真次(堤真一)。小さな衣料品メーカーで営業を務める真次は、平凡な家庭を持つ、平凡な男だった。父の会社で役員を務める三男の圭三から父の入院を知らされても、二十年以上前に縁を切った以上、今更見舞いに行くつもりはなかった。
 ある夜、真次は地下鉄永田町のホームで中学時代の恩師、野平先生(田中泯)と再会する。その日はたまたま、若くして事故で亡くなった長男、昭一の命日だった。永田町のホームから階段を上がって表に出ると、そこは昭和39年、兄が亡くなったまさにその日の新中野駅だった。何とか兄を助けようとする真次だったが、過去を変えることは叶わなかった。


 夢か現実か、自分でも分からないでいる真次は、同じ会社に勤める軽部みち子(岡本綾)の部屋にいた。いわゆる不倫関係の二人は、一緒に過去の世界にタイムスリップを始めるようになる。若き日の父、懸命になって厳しい時代を生き抜こうとするその姿に触れて、真次の父への思いは少しずつ変わっていく。そして、真次と共にみち子がタイムスリップするわけも、野平と再会した必然性も、少しずつ明かされていく。


◆いい映画だった。


 私がこの映画のことを知ったのは、『ALWAYS 三丁目の夕日』の大ヒット後に作られた昭和へのタイムスリップものとしてで、しかも主演は堤真一。柳の下の二匹目のドジョウを狙った二番煎じだと頭から決めつけていて、興味を持たなかった。先日、知人からの薦めで、しかもDVDまで用意してもらってようやく見たのだが、これはとってもいい映画だった。妙な偏見など持たず、劇場で観たかった作品。浅田次郎の原作を映画化するに当たっては、時期的に「昭和」というキーワードがピックアップされていたことも無関係ではないと思うが、これは決して二番煎じの映画ではない。DVDのレンタルなら、さしてコストはかからない。私のような思いこみでこの映画を避けていた方、ニュートラルな気持ちで観るかどうかを再検討していただきたいと思う。
 堤真一・大沢たかおの二人は共に良い演技をしている。特に大沢たかおは、個人的にはあまり好きな俳優ではなかったが、本作で見直した。他に、若き日の佐吉の愛人、お時の役に常盤貴子、離婚して真次の家族と一緒に住んでいる母、長谷部民枝の役に吉行和子。監督は、『月とキャベツ』『はつ恋』『死者の学園祭』の篠原哲雄。


 人が自らの思いを伝え、そして理解してもらうことは、たとえどれほど努力しても簡単ではない。ましてそこに戦争という、経験しなければ決して分からない歴史の激変や、なりふり構わず生きるためには何でもするという時代を挟んでいれば、後の世代の子供達と親たちの間では、絵に描いたように美しく分かり合うことなど不可能だ。この平和な平成の世ですら、簡単には叶わないことなのだから。タイムスリップという荒唐無稽な設定を挟みながらも、これは家族の物語。物語の結末は切ないが、それも一つの選択肢かなと、私は納得して観ていた。

未来予想図

2007-10-07 | 映画の感想 ま行
◆学生時代、自主映画の撮影で偶然知り合ったさやか(松下奈緒)と慶太(竹財輝之助)。建築の道を目指し、いつかはガウディのような建築家になるんだという夢を抱く慶太。設計事務所で日々忙しく働く慶太と、学生時代の夢を叶えて雑誌の編集に転職したさやか。それぞれが自分の夢に向かって歩き出した二人。二人の未来予想図は明るく、そこには「結婚」も描かれていた。


 そんなとき、慶太に降って湧いたチャンス。スペインでの大きな仕事を任されることになったのだ。ただし、一度行ったらいつ戻れるかは分からない。悩み抜いた末、慶太は学生時代からの夢を諦めることにした。「さやかと一緒にいたい」から。それを告げられたさやかは、慶太の夢を叶えさせるために、心にもない嘘をつく。胸に大きな傷を抱いたまま、二人は自分たちの夢を叶えようと歩き始める。でも、一番大切な人が足りない.....。


◆美貌の才媛・松下奈緒を主役に迎え、Dreams come trueの"未来予想図"・"未来予想図Ⅱ"をテーマに組み立てられた恋愛映画の小品。「泣ける映画」を期待する向きもあるとは思うが、これはささやかなエピソードをいくつか繋げた物語で、大きく盛り上がるシーンはないし、よほど涙腺の緩い人でもない限り泣けるような場面はない。「思いっきり泣いて感動したい」という方は、避けておいた方が良いと思う。


 『クローズド・ノート』が、全編に渡って計算された美しい絵作りで、かわいいエピソードを丁寧に積み上げていたのに対して、この『未来予想図』は作りが下手なのだ。スペインでのロケも絵作りが下手だし、映像に美しさがない。もっとも、これは予算の関係でどうしようもないのかもしれないが.....。


 174cmの長身で、どちらかといえばクール系の松下奈緒。映画の中では良い表情もたくさんしているのだが、同じくらい、硬い表情も見せている。松下が演じる宮本さやかという女の子は、優しくてかわいくて一生懸命で、辛いことがあってもすねたり人を恨んだりしないという、ほぼ奇跡のような性格で、しかもモデル顔負けの美貌とスタイルを併せ持つ。普通の女の子から見たら、後ろから刺されかねないほど魅力的な女の子のはずなのだが.....。良い表情を引き出せるような脚本、設定になっていないのだ。女優・モデル業もこなしている松下奈緒、きちんとした設定さえ与えられればいい表情が出来るはずだと思う。「このエピソードはもっとこういう風にしたらいいのに」とか、「こんなセリフを入れたらいいのに」と、観ていてもどかしい場面が多い。脚本がとにかく下手でいい加減なのだ。良い表情を引き出す云々以前の問題として、そもそも物語の説明がきちんと出来ていないのが致命的。観客に対して登場人物の心情を説明する場面が全然足りず、登場人物達の誤解を解くセリフや場面もない。本作が長編デビューとなる監督の蝶野博には、もう少し他の人の映画を見て勉強して欲しいものだ。ついでに言うと、映画の中で何度か変わる松下の髪の処理が重い。ヘアメイク、プロならもうちょっと考えてあげないとダメだろう。


 さやかの恋人の福島慶太役に竹財輝之助。やや線の細いキャラクターだが、純粋に夢を語る役柄には合っていると思う。さやかの母役に松坂慶子。飛び抜けて演技が良いのはさすが。さやかの妹役に藤井美奈。さやかが取材する花火師の夫婦に原田泰造と西田尚美。他に、石黒賢・加藤雅也・弓削智久、ほんのちょい役で関めぐみ。


 Dreams come trueの"未来予想図Ⅱ"といえば、一定の世代にとっては、定番中のど定番。それをタイトルに冠し、曲と重なるストーリーで映画を作るとなれば、すべてをゼロから立ち上げるよりは遙かに楽だったはず。そのチャンスを生かすことには、見事に失敗している。なんだか、松下奈緒がかわいそうに思えてしまった。ここまで読んでもまだこの映画を見たいという方、エンドロールが始まっても席をお立ちになりませんよう。

蟲師

2007-03-24 | 映画の感想 ま行
◆漆原友紀の人気コミックスの映画化。原作か、原作に極めて忠実に作れられたアニメを知らない人の場合、おそらくこの映画を観る意味はゼロだと思うので、粗筋は割愛。


 監督・脚本は大友克洋。ギンコ役にオダギリジョー、狩房淡幽役に蒼井優、薬袋たま役に李麗仙、ヌイ役は江角マキコ。ギンコの旅の道連れとなった虹を追う男、虹郎役に大森南朋(おおもりなお)。


◆蟲師の世界観、その雰囲気を実写にすることはかなり難しいと思う。画作りに関しては、「おかしくない程度」、「それなり」には成功していると思う。ギンコ役のオダギリジョーも、最初に危ぶんでいたほどには浮いていない。李麗仙のたまはぴったりの適役。江角マキコのヌイも、それなりに形になっていた。『蟲師』の実写化としては、それなりに許せる範囲の出来だと思う。だが、それだけだ。いくつかのエピソードを抜き出して繋ぎ直したような構成は、『蟲師』のファンにとっては物足りないだろうし、原作の世界を全く知らない人にとっては、全くピンと来ないだろう。アニメ版の『蟲師』は大変に出来が良いので、この映画よりもアニメの方を見ることを強く強くお薦めする。

水霊

2006-06-03 | 映画の感想 ま行
◆あらすじを書くと「面白そうな映画」だと誤解されてしまいそうなので、今回はあらすじを省く。


◆う~ん。怖くないのかと言われれば、それなりに怖い。ただ、それは目を傷つけるというグロテスクな怖さや、いきなり何かが出てきてびっくりする怖さであって、「ホラー」としての怖さとはちょっと違う。
 ごちゃごちゃしている割には説明不足で、物語にきちんとした筋が通っておらず、かなり出来が悪い。音楽の使い方、カットの繋ぎ方など、あまりにもベタで失笑を買う部分もある。どこかの映画で観たような設定と場面のつなぎ合わせはチープで、映像としての面白さもない。これなら、深夜枠のホラー系TVドラマの方が遙かに面白いだろう。


 監督・脚本は山本清史という無能な男。井川遥・渡部篤郎、笑顔が可愛い星井七瀬・山崎真実、演技が徐々に上達してきた『回路』の松尾政寿、矢沢心、ホラークイーンの三輪ひとみ、柳ユーレイという、うまく使えばいくらでも観客を引きつけられる出演者を使いながら、それが全く生かせていない。ほんと、出演者が気の毒になるような内容だ。面白いアイデアと使いでのあるキャストでも、無能な人間が扱えば台無しにしてしまうという悪い見本の様な作品だと思う。


 「水霊(蛟)」とはこの映画の創作ではなく、水にひそみ毒を持つ、四肢を持つ蛇のごとき存在なのだとか。おおざっぱな言い方をすれば、日本古来のあやかしの類だ。映画自体が説明不足なので細部は想像するしかないのだが、封印となっていた古の神社が地震によって崩れたことで水霊が解き放たれ、地下の水脈を伝って広がっていくという設定らしい。それが水道水を媒介に広がるという設定自体は、きちんと作られていれば面白いと思う。この神社は、土砂崩れによって地中から姿を現した遺跡ということになっている。「水霊とは何か」をイメージさせるためには、その遺跡や、水霊を封じたことを記した過去の文献などを登場させることが必要だ。それを研究している学者まで出てくるのだし、登場人物の一人はその助手だ。普通は何らかの形で遺跡や文献に関わる描写を入れるだろう。水霊の説明にもなるし、雰囲気を盛り上げる一因にもなる。だが、この映画にはそういう肝心な描写は一切無い。かつて一度封じたものであるならば、同じ方法でもう一度封じられるはずで、主人公の響子が遺跡や、水霊を避けたり封じたりする方法を調べようともしないのは明らかにおかしい。この映画に『リング』のような謎解きの面白さはない。


 これまた描き方が不十分なせいで想像するしかないのだが、水霊によって一度に大勢の人間が死んだり被害が広がったりという点から見ると、その数は決して少なくないようだ。だが、一度は封じられていたとするなら、その数は無限ではないだろう。封印を解かれて増殖なり分散なりをしたという設定なら、それを描かなければ観客には伝わらない。被害がどんどん広がっていく、『回路』の様な終末型のホラーに話を転がして行くのかとも思ったのだが、それにしてはあまりにもスケールが小さい。遺跡のシーンを意図的に端折ったとしか思えないことからも、よっぽど予算が無くて、出来るだけ金のかからないシーンだけを繋いだとしか思えない。ホラーの善し悪しは、何も予算だけで決まるものではない。別に、CGを使ったり大がかりなセットを組んだりしなくても、物語がしっかりしていればホラー映画は成立する。だが、物語そのものがはなはだ中途半端で、いったい何をやりたいのか、観ていてさっぱり分からない。


 私が観に行ったシネコンでは、公開8日目にしてレイトショーのみとなっていた。まぁ、こんな内容では仕方がないだろう。土曜の夜でも15人ほどという観客席の反応は、観ている最中も見終わった後も、ほとんどゼロ。フィルモグラフィを見ると、山本清史はおバカ系のホラーやOVMなどは撮った経験があるようだが、この映画を観る限り、とてもじゃないがホラー畑の人間の仕事だとは思えない。せめてもう少し、他の映画を観て勉強してから脚本を練って欲しかった。無能な男の未熟な自己満足につきあう趣味のない方は、観に行かないことをお勧めする。

メダリオン

2004-12-29 | 映画の感想 ま行
◆これは、私がずっと観てきたジャッキー・チェンのアクションじゃぁない。スピード感や重量感のない、フラフラした宙づりワイヤーアクションだ。往年の素晴らしいアクションを見ているだけに、途中から違和感が膨らんでくる。映画そのものも、『ゴールデン・チャイルド』そっくりなシーンなどは芸がない。この映画、そもそもジャッキー・チェンが主役である必要がない。
共演のクレア・フォラーニは綺麗だったし、アーサー・ワトソン役のリー・エバンスは大熱演。コミカルな部分もアクション部分も見事。リー・エバンスを主演に据えたほうが良かったんじゃないかと思うぐらい。


 メダリオンの力で死者を生き返らせるのは、映画の展開として問題ないと思う。生き返らせて残りの寿命を全うさせてあげるのは、親切な行為だと言える。だが、不老不死の超人として再生させるのは、親切といえるかどうか.....。『インタビュー・ウィズ・バンパイア』のレスタトや『ハイランダー』のコナー・マクラウドのように、不死は一種の呪いだ。いくらファンタジー&コメディーの映画でも、あそこまで脳天気なエンディングで良いものか.....。


マイ・ボディガード

2004-12-26 | 映画の感想 ま行
◆米軍の対テロ部隊で、16年間テロリストの掃討戦を続けた兵士、クリーシー(デンゼル・ワシントン)。テロリスト相手の不正規戦、強襲・暗殺の繰り返しに神経をすり減らして引退してから、彼は酒浸りの毎日を送っていた。そんなある日、家族のいないクリーシーは、一足先に対テロ部隊を引退し、メキシコで暮らしているレイバーン(クリストファー・ウォーケン)のもとを訪ねる。資産家の子女を狙った組織的な誘拐事件の多発を背景に、メキシコでの要人警護は有望なビジネスになっていた。この地で結婚し、警護のビジネスで成功したレイバーンは、家族と共に幸せな毎日を送っていた。酒浸りのクリーシーの身を案じたレイバーンは、比較的簡単な仕事として、クリーシーに9才の少女ピタ(ダコタ・ファニング)の警護の仕事を紹介する。
 クリーシーの雇い主、ピタの父親である実業家のサムエルは、妻のリサ(ラダ・ミッチェル)には隠していたものの、会社の業績不振で社会的な体面を維持することにも苦労していた。ボディガードを雇うことが誘拐保険の更新条件になっているのに、高額なプロを雇う余裕のないサムエル。酒浸りで判断力と反射神経が鈍り、万全の警護を行う自信のないクリーシー。二人の、いわば妥協の産物として始まった少女の警護。だが、無垢な少女と過ごすうちにクリーシーは変わっていく。生きる意味を得て、笑顔を取り戻していく。そんな時、クリーシーの目の前でピタが誘拐される。二発被弾して病院に担ぎ込まれた彼が目を覚ました時、ピタの死が告げられた。


◆観応えがある。
ずいぶん前の話だが、ケビン・コスナー主演の三流ラブ・コメディで『ボディガード』という映画があった。トラウマになるほどひどい駄作だったので、タイトルに「ボディガード」という単語が入っているだけでいささか腰が引けていたのだが、この映画は正統派。ズッシリと中身のある本物だ。


 原題は『MAN ON FIRE』、原作はA.J.クィネルの『燃える男』。監督は『スパイ・ゲーム』のトニー・スコット。本作の前半は、神にすら許されないだろう自分の過去に苦しむ男が、神の啓示とも思える偶然に出会い、無垢な少女とふれあうことで人間性を取り戻していくパート。ダコタ・ファニングの天才的な演技と笑顔に引き込まれて、観ている側まで小さな幸せを見つけたような気持ちになる。それに対して後半は、少女を奪われた男が、かつての殺戮者に戻って犯人を追いつめていく復讐譚。後半はかなりヘヴィな展開になる。今回、クリストファー・ウォーケンは珍しく良い側の役を演じる。最近DVDで観たザ・ロック主演の『ランダウン』では、ありふれたつまらない悪役を演じていてずいぶんガッカリしたのだが、今回のレイバーン役は味があって良かった。ほんのちょい役のミッキー・ロークは、誰がやっても同じような顧問弁護士役で登場。最近のミッキー・ロークは精彩を欠いているようだ。


 この映画の後半、クリーシーが誘拐犯の組織を追う展開では、彼が犯人達と同じやり方で情報を聞き出していくのだが、いさかかやり方が甘い。観客の心がクリーシーから離れないギリギリの線までデンゼル・ワシントンに殺戮者を演じさせているのだろうが、「自分の家族は大事だが、他人の子供を誘拐して指を切断するのはオーケー」な連中、追いつめられると「自分の仕事をしただけだ」と弁解する連中を相手に、あれではまだ手ぬるい。誘拐犯たちが処刑されていく度に、その家族が嘆き悲しむ場面があっても良かったのでは.....。今まで自分たちが無辜の家族に味わわせてきた嘆きを、今度は自分たちの家族が経験するという見せ方でも良かったと思う。それと、ラストはポケベル型の起爆装置とプラスチック爆弾の組み合わせを使って、タイマーで自爆する展開なのだとばかり思っていた。どうせなら犯人たちを丸ごと地獄に叩き込む方が、この映画のエンディングにはふさわしいように思う。


 以前、イタリアの誘拐組織に関する報道を見たことがある。通常の営利誘拐ではなく、大規模な組織がビジネスとして日常的に誘拐を行い、それによって多額の利益を得ているというものだ。その犯人が、誘拐された人質の両親に送りつけてきたビデオ(再現ではなく実物の一部)も流された。誘拐された少女が一枚ずつナイフで服を裂かれていき、犯人にレイプされるというものだ。もちろん、ビデオでは少女の顔は分からないようになっているし、流されるのはほんの一部分で直接的な映像はないのだが、吐き気がするほどショックだったのを覚えている。生きて帰ってきたのなら、両親は娘のこんな姿を公開しないはずだからだ。当時のTV報道では具体的な記述は避けられていたが、この映画の冒頭にあるように、誘拐犯が人質の指や耳を切断して送りつけるというのは常套的な手口と化している。組織的な誘拐ビジネスは、実は単なる犯罪ではない。麻薬カルテルやビル爆破と同様、人間社会に対する凶悪なテロなのだ。テロリスト相手に通常の法律で出来ることは少ない。イラクの人質事件を見ても、通常の法律でどうにかなる範囲でないことは明らかだろう。テロリストは、根絶するしか対処法のない病原菌なのだ。私が監督なら、もっと徹底的にゴキブリ掃除をする映画にするだろう。


マッハ!!!!!!!!

2004-08-22 | 映画の感想 ま行
◆貧しいながらも平和な村、ノンプラドゥ。この村の出身で、今は美術品の故買もやっている組織の下っ端として働くドンが久しぶりに戻ってきたのは、村人から仏像のメダリオンを買い取るためだった。目的のメダリオンを買い損ねたドンは、村を災害から守り続けてきた仏像"オンバク"の首を盗み出してしまう。オンバクを取り戻す役目を与えられたのは、24年前、オンバクが作られたのと同じ日に寺院の前に捨てられていた孤児、ティン(トニー・ジャー)。ムエタイを極め強靱な若者に育った彼が、自分を育ててくれた寺院と村人のために、ドンを追ってバンコクへ向かう。ドンを探すためにティンが協力を求めたのは、同じノンプラドゥ村出身のハムレイ(ペットターイ・ウォンカムラオ)。だが、ハムレイはジョージと名前を変え、ムエ(プマワーリー・ヨートガモン)という少女と組んで詐欺を繰り返す、ケチなチンピラになっていた。村人から預かったなけなしの金をハムレイに盗まれたティンは、ハムレイを追って賭け試合の会場へ。ひょんなことから賭け試合に巻き込まれたティンはチャンピオンを倒してしまい、試合を仕切っていたボス、コム・タンに大損をさせてしまう。このコム・タンこそが、オンバクを盗んだ組織のボスだった。


◆面白い。アクション映画としては、リディックなんかよりずっとずっと面白いので、どちらを見ようか迷っている方には迷わず"マッハ!!!!!!!!"をお薦めしたい。


 この映画の見どころは、なんといっても本物のアクション。ワイヤー無し・CG無し・主役のスタント無し(早回しや主役以外のスタントはあったような・・・)で繰り広げるアクションは、本物だけにしか出せない迫力と躍動感があって、若き日のジャッキー・チェンの映画を観ているような爽快感がある。アクションの見せ場見せ場にスローのリプレイが入る親切な構成なので、『ヲイ、それ当たってるってば』と心配してしまうほどリアルなアクションなのがよく分かる。
 アクションももちろんなのだが、私が気に入ったのは、主人公ティンの性格。自分への挑発には乗らないが、女の子を殴る男は絶対に許さないという、そのキャラクターが気に入った。この映画、主演のトニー・ジャーだけでは、単調で平坦なアクションものになっていただろう。ハムレイを演じたペットターイ・ウォンカムラオの存在がすごく生きていると思う。この人、タイでは人気のコメディアン(というかマルチタレント)だとか。[情けないけれどなぜか憎みきれない小悪党]からラストの善人に変わっていく様子も面白いし、ムエとの兄弟げんかのような掛け合いも良かった。決してスポーティな体型ではないが、かなりのアクションをこなしている。ヒロインのムエを演じるプマワーリー・ヨートガモンは、役の設定は17才ぐらいだが、実際は82年生まれで21か22才らしい。本業はモデルさんで、今回が女優デビューだとか。私の好きな石橋けいのような雰囲気で、なかなか可愛かった。


魔界転生

2004-04-03 | 映画の感想 ま行
◆麻生久美子が観たくて借りた作品。窪塚洋介が天草四郎を演じるという悲惨な配役なので、そこだけ早送りするつもりで観ていたのだが、その心配は杞憂だった。窪塚が出る時間は短いし、セリフも少ない。火花をヘタクソに合成したラストの立ち回りシーンも短く抑えられ、窪塚による被害は最小限に抑えられている。

 本作では魔界の者としてキツイ感じのメイクをしている麻生久美子だが、もともと可愛らしいウサギ顔なので、ダークな雰囲気は出ない。長塚京三の宮本武蔵・中村嘉葎雄の柳生但馬守・加藤雅也の荒木又右衛門、他にも吹石一恵や黒谷友香といったミスキャストがずらりと並んでいるが、まぁこんなものだろうと思う。槍の使い手宝蔵院胤舜を演じる古田新太はなかなか良かった。麻生久美子ファンなら、見ても良いかも。


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ミニミニ大作戦

2004-04-03 | 映画の感想 ま行
◆仮出所中の金庫破り、ジョン・ブリジャー。保護観察中の身でありながら、国を離れベニスへ。最後の大仕事として、5人の仲間と3500万ドル分の金塊を盗み出そうと計画する。計画は成功し、全員が足を洗って引退できるはずだった。だが、仲間の一人の裏切りでジョンは殺され、金塊は奪われてしまう。一年後、生き残った四人は裏切り者を見つけ、金塊を取り戻そうとする。チームのプランナーであるチャーリーは、ジョンの娘で腕利きの錠前師でもあるステラを、金庫破りとしてチームに誘う。堅気のステラは犯罪に手を染めること嫌い、一度は誘いを断る。だが、父を殺した男への復讐から、チームに加わることを決める。


◆プランナーのチャーリーにマーク・ウォールバーグ、金庫破りのジョンにドナルド・サザーランド、ジョンの娘ステラにシャーリーズ・セロン。ドライバー担当にジェイソン・ステイサム。シャーリーズ・セロンは、なんとなくエイス・ワンダーのパッツィ・ケンジットみたいな雰囲気。カーチェイスは迫力があるし、二時間弱を楽しく過ごすには良いと思うが、特別なものが残る作品ではなかった。


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マイノリティ・リポート

2004-04-02 | 映画の感想 ま行
◆P.K.ディックの短編をもとに、スティーブン・スピルバーグ監督、トムクルーズ主演で映画化。三人の能力者の未来視(プリコグニション)によって殺人事件を予知し、実行前に犯人を逮捕・収監してしまう社会。犯罪予防局の主任捜査官であるアンダートンは、自らが殺人を犯すと予知され、一転して逃亡者に。


◆上映時間は2時間20分ほどだったと思うが、長く感じることはなかった。映画の中に出てくる2054年の技術がいささかチグハグだったり、いかにもSF的で嘘くさかったりもするが、物語の骨格がしっかりしているのでそれほど気にならない。「予知能力」という部分は省けないが、後はSF的な要素を全部省いても十分に成立する。物語は追いつめられた主人公がなんとか真相を解き明かそうとするサスペンスだし、あえてSFにする必要があったのかな、とも思える。スタローン主演の三流コメディ「ジャッジ・ドレッド」にも出ていた老優マックス・フォン・シドーが重要な役どころで出ている。「ジャッジ~」と違ってこちらはまともな映画だが、マックス・フォン・シドーの役どころはよく似ている。こういう役しか来なくなったのか.....。


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抹殺者

2004-04-02 | 映画の感想 ま行
 毎度毎度のことながら、なぜ映画の主題をそのものズバリ指している"THE BODY"という原題を、こんな訳の分からない邦題にしてしまうのか理解に苦しむ。本作以前にアントニオ・バンデラスとスタローンの「暗殺者」という映画があったが、それを意識してのことか。
 「暗殺者」はまさに暗殺者たちを描いた映画だったが、本作での「抹殺者」は主人公のバンデラスではなく、ほとんど出てこないテロリストのアル・ハミドを指すことになってしまい、意味がとれない。ま、馬鹿は放っておくとして.....。


◆アントニオ・バンデラスが従軍経験(軍情報部も)のあるカトリックの神父を演じるサスペンス。復活したはずのキリストのものと思われる遺骸"BODY"の発掘をめぐり、イスラエル・パレスチナ・バチカンが影で綱引きを演じるという展開。結局、遺骸はキリストになぞらえて埋葬された富豪の息子であることが最後に分かるが、物語の終盤では「キリストであるかもしれない」という情報だけで人々が勝手に行動を起こすので、あまり謎解きの意味が無くなってしまっている。じっさい、キリストではないことを証明して見せた方が、関係する政治・宗教の三勢力にとっては好都合なのだが、自らの地位を危うくされると思いこんだそれぞれの勢力が遺骸を闇に葬ろうとする。


◆この映画、キリスト教の教条主義やエルサレムの事情をある程度知っているつもりの自分が見ても、サスペンスとしての部分が乏しい。頭で知っているだけのキリスト教(あるいは他の宗教)の教条的な部分や神性を理論的に証明しようとする精神性は、仏教徒、その中でも非常におおらかで感覚的な宗教観しか持たない日本人には伝わらない。日本人である自分としては、復活したキリストに遺骸があっても全く問題ないように思える。一般市民は遺体が復活するわけだから、復活後に遺体が残っていることはないはずだ。そんなものがあれば復活そのものが嘘だと証明してしまうことになる。しかし、キリストは処女懐胎で生まれた特別な神の子なわけで、一般市民といくら違っていても、問題になるとは感じられない。いくらでも説明を思いついてしまうのは、宗教観のないアバウトな日本人だからだろうか。
 一方、聖典を法として積み上げた教条主義的宗教文化圏であるキリスト教・イスラム・ユダヤ教では、進化論を否定してでも教条主義を貫くし、自爆テロを起こしてでも原理主義に走る。かつてエクソシストがそうであったように、宗教的な精神背景に根ざした恐怖というものは、異なる文化圏、世界でも相当外様な日本の文化圏では、頭では分かっても感覚的に恐怖になり得ない。そのせいもあるとは思うが、この映画は退屈な映画だと思った。


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