ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

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平和な「ドタバタ」が永遠に続く世界-施川ユウキ『サナギさん』あとがきより

2010年01月21日 | 施川ユウキ
施川ユウキのマンガとの出会い-思春期の痛々しい「ささくれ」に

ギャグ漫画家の施川ユウキの作品では、私は『がんばれ酢めし疑獄!!』や『もずく、ウォーキング!』より、『サナギさん』が好きです。

『酢めし疑獄』は初めて読んだ時、私にはむき出しの「思春期の混乱」を突然見せ付けられたような気がして、かなり引いてしまい、むしろ「嫌い」な作品でした。読んでいると、中学2年生の男の子の混乱に付き合っているような気分になり、神経がささくれ立ってくるのです。今では、もう少し冷静に読むことができるようになり、『酢めし疑獄』も「好きな作品」になっています。

『サナギさん』は、その「中学2年生的ささくれ」がようやく鎮静化し、かなり読みやすくなっています。わたしはしかし、『もずく』のほうはあまりにも「優しく甘く」なりすぎているように感じられるので、「ささくれ方」と「ちょっといい話」の配分として、『サナギさん』くらいがちょうどいい「塩梅」なのです。

ほのぼのとした日常

私は『パタリロ!』とか『今日から俺は!!』みたいな、完結した小世界の中で、平和な、かつドタバタとしたコメディが永遠に続くような漫画が好きだったのですが、『サナギさん』にもそういう「いつまでも終わらない日常」漫画として、もう少し長く続いて欲しかったです。(全6巻で完結)

作者も、

>連載を始めた時、ネタを作っていく上でぼんやりと頭に描いていたのは「日常のなんでもない一瞬を抜き出して永遠まで引き延ばした世界」だ。
(『サナギさん』第6巻の「あとがき」より)

と書いています。

今からでも遅くないから、どこかの雑誌で『サナギさん』を書き継いで『パタリロ!』くらい長く続けて欲しいと思います。

私は1976年5月生まれで、施川ユウキ氏は1977年11月生まれで、つまり「同学年」になります。施川ユウキのマンガは、読んでいると突如、私に過去の「忘れられていた感覚」が甦ることがあり、そういう「記憶の賦活」によって脳みそや身体の細胞が活性化するという効果が少なくとも私にはあります。

子供の頃の漠然とした「神様に守られてる感」

以下、施川ユウキ『サナギさん』第2巻の「あとがき」より

>子供の頃、よく近所の神社で遊んだ。『土足厳禁』の場所も靴のまま走り回った。「『土足厳禁』は大人の決めたことで、神様はむしろ無邪気に遊ぶ我々子供達を歓迎しているに違いない」と思って狛犬に登ったりもした。神様の存在を意識した上で、自分が「特別扱いされている」という根拠の無い自信を持っていたし、「子供であるが故に、自分は神様に守られている」という誰から聞いた訳でもない、都合の良い宗教観を持っていた。宗教観という言い方は大袈裟だが、宇宙人や河童と一緒で神様も「そんなカンジで、どこかにいるんじゃないだろうか」的な認識で信じ、その感覚を背景に平和でほのぼのとした日常を謳歌していた。そんな風に漠然とあった「神様に守られてる感」を失った時自分は初めて大人になったのではないだろうか、と今となっては思う。それはもちろん、「子供でなくなったから神様に守られなくなった」のではなく、「そんな都合の良い神様はいないと確信した」という意味だ。世の中は思っていた以上に殺伐とした面を持っていて、世界の全てと信じていた日常とそれは地続きだった。いつの間にか神様は消え、それを理解していた。

>この漫画は、多少毒があったり歪んだ性格のキャラが登場したりしますが、基本的に「ほのぼとした日常」を舞台に作っています。つまり、あの頃僕が信じた神様が支配している世界の話です。

(2006年3月8日 施川ユウキ)