2010年2月20日(土)24時30分~(約3時間)
【番組名】「朝までニコニコ生激論」
テーマ『ベーシック・インカム(キリッ』
司会・進行:東浩紀、講師:山森亮、パネラー:堀江貴文、雨宮処凛、白田秀彰、城繁幸、鈴木健、濱野智史、小飼弾
を見ながら走り書きしたメモを見て、自分の推測をまじえたままの、まとめの意味のメモ書き。
番組は、鈴木健氏の「官僚ゴールデンパラシュート論」など、BIと関係のない提言のほうが刺激的だったところもある。
しかし、この番組は何も「BI」だけがテーマではなく、司会の東浩紀氏が最後のほうに述べていた、「この国のかたち」について議論することこそが「政治」なのだ、という言葉の上にも成り立っており、「もしかしたら、このように変えられるかもしれない」という世界への意思、つまり「可能世界」への想像力が刺激される番組となっている。
出演者のほとんどがBI支持派で、その中ではただ一人、城繁幸氏だけが「私は労働の価値を信じる」と明言していた。
拙ブログでは、過去に城繁幸氏への悪口を書いたこともあったが、これを見て私はかなり見直したぜジョー。
鈴木健氏
ベーシック・インカムに基本賛成。
その理由は、
1.この200年での生産性の向上は人類を養うのに十分である。
2.コミュニケーション産業(情報産業と情動産業)が今後主要産業となる。
3.労働とゲーム(遊び)が今後100年間で次第に融合していくため基本所得の上での自由な労働(あるいはゲーム)が可能になるから。
「潜在限界税率」というものを調べると、働いてある所得を超えると、手取りの所得が下がるポイントがある。
そのグラフを見るとどのような所得補償をすればいいのかがわかる。
アメリカにはそのデータがあるのに、日本にはまだない。
BI導入のために、「官僚制の壁」と「国民世論の壁」という二つの壁がある。
「官僚制の壁」に対しては、次のような解決策がある。
民主党の公務員改革が成功すればそれでいいのだが、もしそれが失敗したら、奥の手として「官僚から国家を買い取る」という「官僚のゴールデンパラシュート」をやればよい。
「官僚のゴールデンパラシュート」とは、官僚の退職金を釣り上げることによって天下りを防ぎ、「官僚から国家を買い戻す」というアイディアである。
例えば、次のような計算になる。
・国家一種官僚退職時に本人の選択で、2億円給付し、その代わりに公職も民間も含む一切の職につかせないようにする。国家一種600人×2億円(毎年1,200億円×30年=3,6兆円)。
・効果は毎年10兆円×100年=1,000兆円。
「国民世論の壁」に対しては、「可能世界」への想像力を活性化させていくしかない。
例えば、複数の個人を利益集団ごとに分断するのではなく、個人を複数の利益集団に分断させる作戦として、次のようなものがある。
・多重職業(同時に2つ以上の職業につくこと)にインセンティブを与える。
・税率に乱数(さいころ)を入れて、他の所得の人の気分を想像できるようにする「さいころ税」の導入。
・divicracy によるビジュアルグラフ投票で限界税率のグラフを直接投票させる。
・個々人の過去、現在、未来の税金と見返りをリアルタイムで把握できる高度なシミュレーションツールを用意
これらにより、国民の他者への想像力と可能世界への想像力を活性化させる。
BIは「ナショナル・ミニマム」を達成するための一つの手段である。
また、ミーンズ・テスト(資力調査)が差別的になることがある。
たとえば夜中に突然生活保護受給者の家に入っていって、「同棲している男」がいないかどうか調べたりする。
「ガバメント2.0」を議論しようという動きがアメリカにはある。
政府は「stupid」でよい。データをいっぱい出して、それらを使って国民がテクノロジーを使って判断を下すことができるようなシステムを作ることが出来る、というものだ。
ハンガリー、スウェーデンなどは、そのような「民主主義2.0」のような直接民主主義のスタイルを実現するために、実際に候補者を擁立する動きがある。
地方政府に立候補者を出して、支持者たちの議論で「政策」ごとに反対や賛成が決まっていく仕組み。(小飼弾氏が言う。「おもしろい。党是を持たない政党、ということか。「メタ党是」しかない政党だね。」)
堀江貴文氏
コンビニなんて自動化したらよい。
ドアマンと自動ドアとどちらが必要か、現代の社会は、働く人を維持するために、無理矢理仕事を作っているようなところがある。
現在のテクノロジーを使えば今あるかなりの仕事がなくなるはずだ。
だからBIが必要なのだ。
前田氏の言うような直接民主主義的な仕組みは、日本だと「地方首長」の選挙でやったら面白いかもしれない。
城繁幸氏
BIについては、留保つき賛成である。
給付付き税額控除など、働いていることを前提とした給付ならよいが、私は「労働の価値」を信じる者として、すべての人が生活を保証されれば働かなくなることを懸念する。
BIは「労働の価値」を否定しているように見える。
年収300万円くらいの人たちが、一生懸命働いてきたからこそ、現在の先進国の繁栄がある。
BIを渡したらその人たちが働くことをやめてしまう。みんなの頑張りがなくなってしまう。
BI導入に反対するのは、家族もいて家のローンもあって、働いているサラリーマンだろう。
そういう人たちの負担が多くなる。
最低時給を撤廃し、時給300円の仕事も可能にするが、働いている人たちには金銭補助する、という形がよい。
そうすれば、中国よりも日本のほうが安全だから工場を作ろう、という動きも出てくるはず。
BIは、与えられたお金だけで満足してね、ということだろうが、それだけでは満足できないからこそ、旧ソ連も崩壊したのではないか。
不景気な時、貧しい時に共産主義への憧れが生じたように、今はBIへの憧れが生じている。
BIは「競争」を排除するのではないか。
そうだとしたら、旧ソ連、社会主義諸国がやったことと同じことをやることであり、結果は目に見えている。
いろいろな産業があって、IT企業のように一人の天才が生まれることで産業が成り立つような所ばかりではない。
年収300万円くらいの人たちが、仕事を辞めずに一生懸命働いたことが、今の社会の発展をもたらした。
山森亮氏の解説
ミルトン・フリードマンは、BI導入したほうが、現在の福祉国家よりも労働意欲を高め、賃金労働に従事する人も現在より増えるだろう、と論じている。BI導入は、われわれの直観に反し、「働かない人が増える」政策ではない。
BIのことを聞くと「フリーライダー」をどうするのかという話になるが、そもそも社会は現在でも無数の「アンペイド・ワーク」で回っているのではないか。フリーライダーとは誰のことなのか?
もしかすると「忙しいビジネスマン」が、障害者の補助、介護や家族のことを他の人たちに任せきりにしているのだとしたら、その人たちこそが「フリーライダー」なのだと言えるかもしれない。
現在の社会保障制度は機能不全に陥っている。
完全雇用(探せば仕事はある、仕事があれば食べられる)はもはや神話、ないし「都市伝説」と言ってもよい。
技術革新によって生活可能な賃金を取得可能な労働が減少している。
社会保険という命綱の機能不全が起こっている。
失業保険給付を受給できている失業者はたった23%だ。(2009年に公表されたILOの調査による。ドイツは87%)
生活保護というセーフティネットは穴だらけ。生活保護基準以下で生活している人のうち、実際に生活保護を受給できている人の割合(捕捉率)は2割以下である。
白田秀彰氏
BIは社会保障制度を運用していくために現在発生している膨大な「取引費用」を大幅に削減できる有効な方法だ。
現在は生活保護の資力テストにしろ、「各人がどのような生を送るか」という生の価値を評価するために多大なコストをかけている。
生の価値という「計算不可能」なものを無理矢理「計算」しようと努力しているので無駄が多い。
学生達の就職活動を見ていると、ほとんど「精神的な奴隷状態」で、雇ってもらうためにあれほど多大なコストをかけているのはクレイジーだと思う。
憲法に「就労の義務」があるからといって、国は仕事を作るために公共事業などを行い、多大な自然環境の破壊や資源の浪費を行っている。
直接、お金を配る方がよいのではないか。
また経済学については素人だが、BI給付がインフレ傾向をもたらすとしたら、今のデフレ対策にもよいことにはならないか。
企業にとってのメリットは、膨大な「企業年金」のコストがなくなることで、BIは企業側にもトクになる。
保守の立場からBIを支持することができる。たとえば地域の祭りや寺社の維持・管理を行う人たちは、BI導入により存続が可能になる。近代においては、曲がりなりにも地域に貢献してきた博徒のような人たちが、お金が入らないために暴力団化していった、という歴史がある。
家族のほころび、たとえばドメスティック・バイオレンスの問題も、経済的な理由で家族から「逃げられない」という構図があり、BIによりその経済的条件をクリアすれば、ふたたび「愛情によって結合する家族」を再構築することができる。
国際労働力の移動や、搾取の問題は、もっとも複雑な問題なので、これはもうちょっと考えなければいけない。
とりあえず、「国籍要件」とBIの話は切り離しておこう。
濱野智史氏
「クリエイティブ・ニート」を増やすことを提唱する。
ニコニコ動画でちょっと面白いものを見れた、というささやかな幸福のためだけにも、ヒマなニート諸君の生活を保障することが有効だと思う。
私もたしかに、日本人だけBI導入という形でよいのか? と思うことはある。
小飼弾氏
労働は尊い、という価値について。
人間は、「ブドウ糖」を作るといった、「負のエントロピー」を増やすという本来の労働を行うことはできない。「本当の労働」というのは、人間以外のものが行っている。人ができるのは労働ではなく、「再分配」のみである。
BIの財源は、死んだ人から配ればよい。たとえば相続税100%にすれば十分まかなえる。
毎年、日本で遺産承継されている額は84兆円。それを配ればよい。
BIは、「他人の足を引っ張るインセンティブ」を完全になくす制度なのだ。
BIは温情主義ではなく、「自助」は必要で、お金を渡してそれで「救ったということにする」という制度。
IT分野だけではなく、今ではたとえば農業でも「天才一人」が残りの人たちを養うような構図がある。
「アイダホポテト」を作っている人は600人くらいしかいない。それで全世界の「アイダホポテト」をまかなっている。
雨宮処凛氏
BIは、「明日が見えない」現在の底辺労働者たちの悲惨な状況を救うために有効だろう。
格差が拡大すること、金持ちが好きなようにお金を使うことは、私は全然反対ではない。
したがってBI導入により、もっと過酷な競争が行われ、格差が拡大するとしても、「貧しくて死んでしまう」ような人を救えるならそれでよい。
それだけが私の目的である。
BIによって貧困による犯罪が減るなら、それはいいことだ。
私が関わっている厚生労働省の「ナショナルミニマム研究会」で論じられいてる「ナショナル・ミニマム」というのは、BIよりも広い範囲のことを扱っており、たとえば「保育所の面積をどうするか」という問題も含まれる。
東浩紀氏
BIはまったくの無条件ではなく、トレーサブルな電子マネーとして発行したらどうか。
政府はその運営のために、BIをもらう人のライフログの情報を集めることが出来る。
もらったBIをたとえばパチンコで全部すったときに、それだけで罰則を与えるわけではないが、ライフログの履歴として残す。
ライフログといった「ただ生きていることの情報」がこれから政治的にも経済的にも重要になってくるのだから、そのようなプライバシー情報と交換でBIを給付するような仕組みを作る。(小飼弾氏が言う。「「匿名のお金」と「顕名のお金」の二層化だね、素っ裸にはされるが、石は投げられない仕組み?」)
時々介入されることはある。
生活の保証はされないが、まったく自由な空間と、生活の保証はされるがプライバシーが捕捉され、介入される可能性があるという空間に、二層化される。
「国民が納得しやすい土壌」を作るためにもそういうBIの「条件性」は必要になってくる。
つまり国がBIを給付するということは、ライフログ、「生きていることのデータ」を国民から買うことに等しい。
BIは格差を解消するのではなく、最底辺を保証することで、今よりも格差が拡大する、苛酷な競争社会になる。
BIは「強い人の論理」であるという批判があるだろう。
お金を渡せばそれで終わり、というのは「判断能力」のない人、お金をもらうだけでは満足できない、という人たちを救うことにはならない、という批判がありうる。
BIは温情主義ではない。
最近小沢問題など、政治とカネの問題ばかりが「政治論議」だと思われている。
この番組のように「国のかたち」を考えることこそが政治なのである、ということが言いたくて、今回の番組を企画した。
【番組名】「朝までニコニコ生激論」
テーマ『ベーシック・インカム(キリッ』
司会・進行:東浩紀、講師:山森亮、パネラー:堀江貴文、雨宮処凛、白田秀彰、城繁幸、鈴木健、濱野智史、小飼弾
を見ながら走り書きしたメモを見て、自分の推測をまじえたままの、まとめの意味のメモ書き。
番組は、鈴木健氏の「官僚ゴールデンパラシュート論」など、BIと関係のない提言のほうが刺激的だったところもある。
しかし、この番組は何も「BI」だけがテーマではなく、司会の東浩紀氏が最後のほうに述べていた、「この国のかたち」について議論することこそが「政治」なのだ、という言葉の上にも成り立っており、「もしかしたら、このように変えられるかもしれない」という世界への意思、つまり「可能世界」への想像力が刺激される番組となっている。
出演者のほとんどがBI支持派で、その中ではただ一人、城繁幸氏だけが「私は労働の価値を信じる」と明言していた。
拙ブログでは、過去に城繁幸氏への悪口を書いたこともあったが、これを見て私はかなり見直したぜジョー。
鈴木健氏
ベーシック・インカムに基本賛成。
その理由は、
1.この200年での生産性の向上は人類を養うのに十分である。
2.コミュニケーション産業(情報産業と情動産業)が今後主要産業となる。
3.労働とゲーム(遊び)が今後100年間で次第に融合していくため基本所得の上での自由な労働(あるいはゲーム)が可能になるから。
「潜在限界税率」というものを調べると、働いてある所得を超えると、手取りの所得が下がるポイントがある。
そのグラフを見るとどのような所得補償をすればいいのかがわかる。
アメリカにはそのデータがあるのに、日本にはまだない。
BI導入のために、「官僚制の壁」と「国民世論の壁」という二つの壁がある。
「官僚制の壁」に対しては、次のような解決策がある。
民主党の公務員改革が成功すればそれでいいのだが、もしそれが失敗したら、奥の手として「官僚から国家を買い取る」という「官僚のゴールデンパラシュート」をやればよい。
「官僚のゴールデンパラシュート」とは、官僚の退職金を釣り上げることによって天下りを防ぎ、「官僚から国家を買い戻す」というアイディアである。
例えば、次のような計算になる。
・国家一種官僚退職時に本人の選択で、2億円給付し、その代わりに公職も民間も含む一切の職につかせないようにする。国家一種600人×2億円(毎年1,200億円×30年=3,6兆円)。
・効果は毎年10兆円×100年=1,000兆円。
「国民世論の壁」に対しては、「可能世界」への想像力を活性化させていくしかない。
例えば、複数の個人を利益集団ごとに分断するのではなく、個人を複数の利益集団に分断させる作戦として、次のようなものがある。
・多重職業(同時に2つ以上の職業につくこと)にインセンティブを与える。
・税率に乱数(さいころ)を入れて、他の所得の人の気分を想像できるようにする「さいころ税」の導入。
・divicracy によるビジュアルグラフ投票で限界税率のグラフを直接投票させる。
・個々人の過去、現在、未来の税金と見返りをリアルタイムで把握できる高度なシミュレーションツールを用意
これらにより、国民の他者への想像力と可能世界への想像力を活性化させる。
BIは「ナショナル・ミニマム」を達成するための一つの手段である。
また、ミーンズ・テスト(資力調査)が差別的になることがある。
たとえば夜中に突然生活保護受給者の家に入っていって、「同棲している男」がいないかどうか調べたりする。
「ガバメント2.0」を議論しようという動きがアメリカにはある。
政府は「stupid」でよい。データをいっぱい出して、それらを使って国民がテクノロジーを使って判断を下すことができるようなシステムを作ることが出来る、というものだ。
ハンガリー、スウェーデンなどは、そのような「民主主義2.0」のような直接民主主義のスタイルを実現するために、実際に候補者を擁立する動きがある。
地方政府に立候補者を出して、支持者たちの議論で「政策」ごとに反対や賛成が決まっていく仕組み。(小飼弾氏が言う。「おもしろい。党是を持たない政党、ということか。「メタ党是」しかない政党だね。」)
堀江貴文氏
コンビニなんて自動化したらよい。
ドアマンと自動ドアとどちらが必要か、現代の社会は、働く人を維持するために、無理矢理仕事を作っているようなところがある。
現在のテクノロジーを使えば今あるかなりの仕事がなくなるはずだ。
だからBIが必要なのだ。
前田氏の言うような直接民主主義的な仕組みは、日本だと「地方首長」の選挙でやったら面白いかもしれない。
城繁幸氏
BIについては、留保つき賛成である。
給付付き税額控除など、働いていることを前提とした給付ならよいが、私は「労働の価値」を信じる者として、すべての人が生活を保証されれば働かなくなることを懸念する。
BIは「労働の価値」を否定しているように見える。
年収300万円くらいの人たちが、一生懸命働いてきたからこそ、現在の先進国の繁栄がある。
BIを渡したらその人たちが働くことをやめてしまう。みんなの頑張りがなくなってしまう。
BI導入に反対するのは、家族もいて家のローンもあって、働いているサラリーマンだろう。
そういう人たちの負担が多くなる。
最低時給を撤廃し、時給300円の仕事も可能にするが、働いている人たちには金銭補助する、という形がよい。
そうすれば、中国よりも日本のほうが安全だから工場を作ろう、という動きも出てくるはず。
BIは、与えられたお金だけで満足してね、ということだろうが、それだけでは満足できないからこそ、旧ソ連も崩壊したのではないか。
不景気な時、貧しい時に共産主義への憧れが生じたように、今はBIへの憧れが生じている。
BIは「競争」を排除するのではないか。
そうだとしたら、旧ソ連、社会主義諸国がやったことと同じことをやることであり、結果は目に見えている。
いろいろな産業があって、IT企業のように一人の天才が生まれることで産業が成り立つような所ばかりではない。
年収300万円くらいの人たちが、仕事を辞めずに一生懸命働いたことが、今の社会の発展をもたらした。
山森亮氏の解説
ミルトン・フリードマンは、BI導入したほうが、現在の福祉国家よりも労働意欲を高め、賃金労働に従事する人も現在より増えるだろう、と論じている。BI導入は、われわれの直観に反し、「働かない人が増える」政策ではない。
BIのことを聞くと「フリーライダー」をどうするのかという話になるが、そもそも社会は現在でも無数の「アンペイド・ワーク」で回っているのではないか。フリーライダーとは誰のことなのか?
もしかすると「忙しいビジネスマン」が、障害者の補助、介護や家族のことを他の人たちに任せきりにしているのだとしたら、その人たちこそが「フリーライダー」なのだと言えるかもしれない。
現在の社会保障制度は機能不全に陥っている。
完全雇用(探せば仕事はある、仕事があれば食べられる)はもはや神話、ないし「都市伝説」と言ってもよい。
技術革新によって生活可能な賃金を取得可能な労働が減少している。
社会保険という命綱の機能不全が起こっている。
失業保険給付を受給できている失業者はたった23%だ。(2009年に公表されたILOの調査による。ドイツは87%)
生活保護というセーフティネットは穴だらけ。生活保護基準以下で生活している人のうち、実際に生活保護を受給できている人の割合(捕捉率)は2割以下である。
白田秀彰氏
BIは社会保障制度を運用していくために現在発生している膨大な「取引費用」を大幅に削減できる有効な方法だ。
現在は生活保護の資力テストにしろ、「各人がどのような生を送るか」という生の価値を評価するために多大なコストをかけている。
生の価値という「計算不可能」なものを無理矢理「計算」しようと努力しているので無駄が多い。
学生達の就職活動を見ていると、ほとんど「精神的な奴隷状態」で、雇ってもらうためにあれほど多大なコストをかけているのはクレイジーだと思う。
憲法に「就労の義務」があるからといって、国は仕事を作るために公共事業などを行い、多大な自然環境の破壊や資源の浪費を行っている。
直接、お金を配る方がよいのではないか。
また経済学については素人だが、BI給付がインフレ傾向をもたらすとしたら、今のデフレ対策にもよいことにはならないか。
企業にとってのメリットは、膨大な「企業年金」のコストがなくなることで、BIは企業側にもトクになる。
保守の立場からBIを支持することができる。たとえば地域の祭りや寺社の維持・管理を行う人たちは、BI導入により存続が可能になる。近代においては、曲がりなりにも地域に貢献してきた博徒のような人たちが、お金が入らないために暴力団化していった、という歴史がある。
家族のほころび、たとえばドメスティック・バイオレンスの問題も、経済的な理由で家族から「逃げられない」という構図があり、BIによりその経済的条件をクリアすれば、ふたたび「愛情によって結合する家族」を再構築することができる。
国際労働力の移動や、搾取の問題は、もっとも複雑な問題なので、これはもうちょっと考えなければいけない。
とりあえず、「国籍要件」とBIの話は切り離しておこう。
濱野智史氏
「クリエイティブ・ニート」を増やすことを提唱する。
ニコニコ動画でちょっと面白いものを見れた、というささやかな幸福のためだけにも、ヒマなニート諸君の生活を保障することが有効だと思う。
私もたしかに、日本人だけBI導入という形でよいのか? と思うことはある。
小飼弾氏
労働は尊い、という価値について。
人間は、「ブドウ糖」を作るといった、「負のエントロピー」を増やすという本来の労働を行うことはできない。「本当の労働」というのは、人間以外のものが行っている。人ができるのは労働ではなく、「再分配」のみである。
BIの財源は、死んだ人から配ればよい。たとえば相続税100%にすれば十分まかなえる。
毎年、日本で遺産承継されている額は84兆円。それを配ればよい。
BIは、「他人の足を引っ張るインセンティブ」を完全になくす制度なのだ。
BIは温情主義ではなく、「自助」は必要で、お金を渡してそれで「救ったということにする」という制度。
IT分野だけではなく、今ではたとえば農業でも「天才一人」が残りの人たちを養うような構図がある。
「アイダホポテト」を作っている人は600人くらいしかいない。それで全世界の「アイダホポテト」をまかなっている。
雨宮処凛氏
BIは、「明日が見えない」現在の底辺労働者たちの悲惨な状況を救うために有効だろう。
格差が拡大すること、金持ちが好きなようにお金を使うことは、私は全然反対ではない。
したがってBI導入により、もっと過酷な競争が行われ、格差が拡大するとしても、「貧しくて死んでしまう」ような人を救えるならそれでよい。
それだけが私の目的である。
BIによって貧困による犯罪が減るなら、それはいいことだ。
私が関わっている厚生労働省の「ナショナルミニマム研究会」で論じられいてる「ナショナル・ミニマム」というのは、BIよりも広い範囲のことを扱っており、たとえば「保育所の面積をどうするか」という問題も含まれる。
東浩紀氏
BIはまったくの無条件ではなく、トレーサブルな電子マネーとして発行したらどうか。
政府はその運営のために、BIをもらう人のライフログの情報を集めることが出来る。
もらったBIをたとえばパチンコで全部すったときに、それだけで罰則を与えるわけではないが、ライフログの履歴として残す。
ライフログといった「ただ生きていることの情報」がこれから政治的にも経済的にも重要になってくるのだから、そのようなプライバシー情報と交換でBIを給付するような仕組みを作る。(小飼弾氏が言う。「「匿名のお金」と「顕名のお金」の二層化だね、素っ裸にはされるが、石は投げられない仕組み?」)
時々介入されることはある。
生活の保証はされないが、まったく自由な空間と、生活の保証はされるがプライバシーが捕捉され、介入される可能性があるという空間に、二層化される。
「国民が納得しやすい土壌」を作るためにもそういうBIの「条件性」は必要になってくる。
つまり国がBIを給付するということは、ライフログ、「生きていることのデータ」を国民から買うことに等しい。
BIは格差を解消するのではなく、最底辺を保証することで、今よりも格差が拡大する、苛酷な競争社会になる。
BIは「強い人の論理」であるという批判があるだろう。
お金を渡せばそれで終わり、というのは「判断能力」のない人、お金をもらうだけでは満足できない、という人たちを救うことにはならない、という批判がありうる。
BIは温情主義ではない。
最近小沢問題など、政治とカネの問題ばかりが「政治論議」だと思われている。
この番組のように「国のかたち」を考えることこそが政治なのである、ということが言いたくて、今回の番組を企画した。