ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

ブログ始めて1年未満。KY(空気読めてない)的なテーマの混淆され具合をお楽しみください。

『思想地図 vol.4』を読む⑤-内田樹と握手できそうな所を探す

2009年11月30日 | 思想地図vol.4
今回、私が『思想地図 vol.4』を読んで得た収穫というのは、全然「水と油」、今まで関係ないと思っていた内田樹氏や中沢新一氏の言論と、東浩紀氏らの「思想地図」周辺の言論とが、自分の中で「うっすらリンク」として結びつくところがあったことだ。

すでにtwitter上で、仲正昌樹氏の論文と、内田樹の『日本辺境論』との関連を指摘している方がいた。

「内田さんの『日本辺境論』と、「思想地図」4号の仲正さんの論文は、「建国=創設」の想像力という同じ論題を扱っていて面白い。」(@saitoshokai: 2009.11.24)「思想地図ニュース」

私は、村上隆らとの座談会での東氏の発言が、内田樹氏の『日本辺境論』と関係してくるのではないか、と想像した。

「僕は最近考えているのですが、「日本」とは独自のコンテンツの発信地というより、むしろ、ものの見方の名称として捉えるべきではないかと。…
『スーパーフラット』は、特定の作品や潮流の名称ではなく、その視線の名称であるべきなんです。そもそも日本はユーラシア大陸の東端に存在し、世界中の文物が流れ込む塵溜めのような場所なのです。世界中の文物が文脈なしに等価に見えるというのは、遣唐使以来のこの国の伝統でしょう。」(東浩紀氏)

よくある見方かもしれないけど、似たような見方では、レヴィ・ストロースも「日本はまず出会いと混和の場所」だったと指摘して、

「旧大陸の東端というその地理的位置や、何度も繰り返された孤立のために、日本はまた一種のフィルターの役割も果たしたのです。別の言い方をするなら、蒸留装置ランビキのようなもので、歴史の流れに運ばれて来た様々な物質を蒸留して、少量の貴重なエッセンスだけを取り出すことができたのです。借用と総合、シンクレティズム(混合)とオリジナリティ(独創)のこの反復交替が、世界における日本文化の位置と役割を規定するのにもっともふさわしいものと私は考えます。」(レヴィ・ストロース)

と言っているみたいだし、

岡倉天心も、似たようなことを言っているようだ。

「かくて、日本はアジアの文明の博物館である。いや、たんに博物館には止まらない。というのは、日本民族の特異な天分は、古さを失うことなく、新しきものを歓び迎える、あの生ける不二一元論の精神によって、過去の理想のあらゆる局面を余さず維持しようと努める。神道は、仏教以前の祖先崇拝の儀式を今なお守り抜き、仏教徒自身も、その自然の順序に従って日本の国土を豊かにしてきた。宗教的発展のさまざまな宗派のすべてに執着を示している。」(岡倉天心)

これらの話、とくに岡倉天心の見方は、内田樹氏が『いきなり始める浄土真宗』などの著作で語っている「シンクレティスト的な、節操の無い宗教的感性」というのと関ってくるので、私には興味深い。

内田氏の感覚では、出口王仁三郎、カトリック、ユダヤ教、仏教、西行、すべての宗教的感覚がシンクレティックに混在しており、ブリコラージュ的に組み合わさっているらしい。そういうごった煮は、私も同じ日本人として共感しやすい所だ。東浩紀方面の言葉で言うと、たしかに日本はスーパーフラットな鏡のような場所なのかもしれない。

このようにして、風が吹けば桶屋がもうかる式にだが、東浩紀の言論と内田樹の言論がわたしの中でようやく微妙にリンクを作り始めた。

宮崎哲弥氏らとの座談会で東浩紀氏が言っている「近くの他者への寛容」とか「スルー力」というのも、なんか、これと似たようなことを内田氏が何度も語っておられたような気がするな…と思ったし。

また、これはかなり強引なリンクだけど、宮台真司氏が対談で「俺は犬に好かれる、犬と同じ目線で話してしまう体質がある」と言っているのは、まるで中沢新一の「対称性の思考」ではないか。(笑)

そういえば、宮台氏の過去の著作でわたしが一番傑作だと思ったのは、『サイファ覚醒せよ』だった。桜を見て脱魂状態になってしまうという宮台氏のトランス体質には大いに共感したものだ。『日本の難点』は小説や随筆でも読むような気持ちで読んだが、いちばん印象に残ったのは娘の話とシュタイナー教育の話を語っているところで、ほかの政治的な話についてはほとんど記憶に残っていないのだ。

関連記事:『下流志向』を読む⑤-「等価交換モデル」とペラギウス主義 2009年11月23日
関連記事:『悲しき熱帯』を読む-カドゥヴェオ族と馬頭観音と子ども 2009年11月15日
関連記事:『思想地図 vol.3』の特集名と装丁について 2009年06月13日


『思想地図 vol.4』を読む④-目がチクチクする

2009年11月30日 | 思想地図vol.4
『思想地図 vol.4』は、私の知らない作品名や固有名詞・専門用語がわんさか出てくるので、目がチクチクする。

それでも何か、自分にも参考になる言葉はないかなぁと探しながら読んだ。

この人たちの議論で、私が「ひとごとではない」と思えるテーマのひとつが、「近景と遠景の短絡」というものだ。

社会であるとか、言葉であるとかいう「中景」がスッポリと抜け落ちてしまい、「近景」と「遠景」が一挙に直結してしまうという現象。「セカイ系」の感覚。

ここらあたりが私にも食いついていけそうな観点。
アニメについての座談会で、東浩紀氏が語っている「ファンタジーのように見えるものが現代人にとってリアルに感じられている」という話も、私には入り口となりそうな、共感できるところだった。

「なぜループ的な物語がこれほど流行っているのか」

「きわめてざっくばらんに答えれば、おそらくそれは、僕たちの生そのものがゲームのように構築されているからです。…今では長い人生のなか、ちょっとづつ異なる選択肢が多数用意されていて、毎回毎回選択肢を選びながら人生設計をするようになってきていて、したがってみなが常に「ほかの人生」の可能性を考えるようになっている。そういう状況全体を描くのに、ループものは適している。というわけで、僕の考えでは、ループものは決して単なるファンタジーではない。それはむしろ、リアルに体感されている。」(東浩紀氏)

読み終わって、収録されている図版・写真を眺めているのも楽しかった。

黒瀬氏の論文にある、藤田嗣治「アッツ島玉砕」を見ていると、中沢新一氏がインタビューで語っていた「ゴジラ」「日本的想像力」の話と何か関係があるような気がしてくるし、Chim↑Pom というアーティストの「ヒロシマの空をピカッとさせる」の写真を見ていると、「やっぱりこれじゃ、日本は駄目だろう」といういささか暗い気持ちに陥り、篠山紀信撮影の東浩紀父娘の素晴らしい写真を見直して、「うん、やっぱり、正しい方向があるとしたらこっちだろう」というやや朗らかな気分が回復する。


関連記事:ウィンストン・チャーチルは帰還せり 2009年06月20日


『思想地図 vol.4』を読む③-エスパーニャの神

2009年11月30日 | 思想地図vol.4
『思想地図 vol.4』の小説では、鹿島田真希氏の「エスパーニャの神」が断然面白かった。

この作品は、戦国武将とボーイズ・ラブのアマルガム、というのだろうか。
そういうのが最近あるとはウワサでは聞いていたけど、このような完成度高い作品だったら私も読んでいいなと思った。

この作品の「暗い孤独感」や、底流する「纏綿たる情緒」は、橋本治の青春小説『サイモン&ガーファンクルグレーテスト・ヒッツ+1』の世界と似ていると思った。





『思想地図 vol.4』を読む②-クワガタ虫・テレビ・ファスト風土

2009年11月30日 | 思想地図vol.4
『思想地図 vol.4』を順番に読んでいると、私の中で「うっすらリンク」がいろいろな所に伸びていく。

たとえば、宇野常寛氏の論文を読んでいると、村上春樹の小説が「ビッグ・ブラザーの壊死」からエネルギーを得ていたという話が出てくる。

「対して村上春樹が背景にしていた「政治」性とは、いわば大きな物語が解体してゆく過程そのものであり、ビッグ・ブラザーが緩慢な壊死を遂げていく過程そのものだった。村上はこうした変化のもつ運動エネルギーを取り出して小説の強度を得ていたと言える。」(宇野氏)

これを読むと私は、村上隆氏が座談会で言及していた、腐っていく朽ち木や菌糸を養分にして巨大化していくという「クワガタの話」を思い出した。日本は何でも「腐っていく」けど、その腐敗スピードを利用して文化が生まれてくるかもしれない、というような話だった。

また、宇野氏が語る「批判的市場主義」の話。

「海外-具体的には西洋-のそれを模倣するのではなく、日本的な想像力をもってして強い表現を獲得しようと考えたとき、現代において必要とされるのは、データベース消費化の進む現代日本の市場に積極的かつ批判的にアプローチする批判的市場主義によるハイブリッド化以外にあり得ない。そしてそれは文体の快楽、アニメートの快楽ではなく、むしろN次創作をも巻き込んだ、キャラクターが代表する「強い断片」と、現代性の高い物語などが体現する「各断片の混在によるコラボレーション」の快楽という形式を取らざるを得ない。」(宇野氏)


これを読んだ後に、テレビの世界で活躍している「宮崎哲弥氏」が召還・招待されている座談会を読む、というこの順番が面白い。「強い断片」じゃないとテレビの世界では生き残れないもの。だったら宮崎氏に「批判的市場主義」のヒントを伺ってみるのもよいだろう。


「まさにそこが、今日お話ししたいと思っていたところです。「お茶の間」という独特の抽象的な空間と結びついた、あのテレビという暴力的なメディアでこの10年間耐えることができた若手言論人は、じつは宮崎哲弥しかいなかった。このことの意味をうかがいたい。」(東浩紀氏)

<ファスト風土について>

ほかに興味深かったのは、この座談会で、宮崎氏がファスト風土も悪くない、という話をしていた。

「私なんか、ショッピングモールの高い吹抜けの下、ゆったりとしたベンチで本を読んだり、地元の高校生とかお婆ちゃんとかとお喋りしたりしてると、次第に「郷愁」すら感じるようになるもの。それは「ファスト風土」にすぎず、アイデンティティの寄る辺にはならないとする三浦展氏の評価は一面的と言わざるを得ないですね。」(宮崎氏)

そういえば、私の住んでいる町にある「カルフール」ショッピング街も、訪れてみるとなかなか和やかな雰囲気である。立体的なショッピングモールのはざまに、なぜか「小川」が流れていて、休日になるとそこでは親子が「ザリガニ釣り」を楽しんでいるのを見ることができる。
ショッピング・センターで「ザリガニ釣り」を見たときは、ちょっとびっくりした。。
たしかに擬似自然だけど、悪くはない風景だった。
子どもや親にとっては「かけがえのない時間」だからだ。

私は最近、桃知利男氏と江弘毅氏の『浅草・岸和田往復書簡』などを読んで感動したところなので、やっぱりファスト風土はまずいんじゃないか、とも別のところでは思っている。

しかし、必要なのは宮台氏との対談「父として考える」で東浩紀氏が言及していた「視点の複眼化」ということなのだろう。

関連記事:「阪急沿線的」ということー北摂から考える(ちょっとだけ)2009年11月16日
ほり先生のブログへのコメント: 学校より自分が生きてく「街」とか「地面」2009年11月14日
団地ノ記憶 2009年06月27日


『思想地図 vol.4』を読む①-内部リンクの多様さ

2009年11月30日 | 思想地図vol.4
『思想地図 vol.4』を読む。

頭から順に読んでみると、中川大地氏のブログで見かけた、内部リンクがどんどん張り巡らされていく感じ、というのを私も味わいました。

「頭から順番に全部読んで、各記事の並びが予想以上に緊密な連関性を醸し出していて、慄然とする。まさに全体を通じて、断片同士がかけ合わさって、全体で一遍のハイブリッドな物語になっているかのよう。こりゃすごいや。バトンの受け渡し感・視点の複線化感が、これまでの号以上に強い気がします。」(中川大地氏のブログ2009年11月27日

たとえば『思想地図 vol.4』の中川大地氏の論文で、「大正生命主義」について説明しているところで、「契約」より「生命」に引っ張られちゃうという話を読んで、

「少なくとも、この時代の日本人にとって、抽象的な「人間」としての権利と義務を規定する社会契約よりも、自然力のダイナミズムに立脚した「生命」の普遍性の方が、公共性を基礎づける原理として説得力を持ちえていたという実態を明らかにしたのが、鈴木の研究の意義だと言える。」(中川氏)

私は仲正昌樹論文の「始まりに基づいて国家を構成することができない日本」というテーマとつながっているような気がしました。「スピリット」や「生命」にたいする感覚に鋭いものがあるようなのだが、日本ではアメリカみたいな建国神話が作りにくいんですよね。

「…自民党や民主党など既成政党の保守系政治家が、「建国=創設」の瞬間を、国民動員のために再現前化するような語り方をすることは極めて稀である。そういう瞬間を再現前化しようにも、どこにその瞬間を設定すべきかはっきりしない。日本国憲法の制定時か、敗戦(終戦)時か、明治憲法制定時か、明治維新か、十七条の憲法か、神武天皇が朝廷を開いた時か…」(仲正氏)

古事記にあった「くらげなす漂へる国」でしたっけ、日本の国家の成り立ちには「けじめのなさ」「だらしなさ」がいつまでもつきまとってきます…。

こうなると、今号で宇野常寛氏が紹介している東浩紀氏の「民主主義2.0」の構想が、日本だったら「ありなのかも」という期待を抱かせるアイディアに見えてくるから不思議です。

「民主主義2.0」というのは、この日本列島にふわふわと浮遊している断片的な意思を、ウェブ・テクノロジーによってかき集めて淘汰し、それを政治的意思決定に結びつける、というような構想だそうです。私のとりあえずの理解によると。

なんだかものすごく「だらしなーい個人」を想定している話だけど、「くらげなす漂へる国」「言霊のさきはふ国」であるこの日本では、アリなのかもしれない。

古事記も万葉集も、木簡に書いた「一言コメント」の集合体に見えてきた。
日本中に浮遊する葉っぱたち、を集めた万葉集のセカイと、ツウィッターの一言コメントをかき集めて「意思」にしてしまうという「民主主義2.0」のイメージが、ほとんどダブって見えてきてしまう。中沢新一氏がインタビューで語る「日本的想像力」というのはこういうことをいうのでしょうか。

ところで中川大地氏の論文は、中沢新一氏の発言と響きあう部分が多いように思います。東浩紀氏には「ニューエイジ」だなんて言われています。

たとえば、熱帯雨林が人間の脳にとって「本来の環境」だったのだから、未来の社会でもそれに合わせて環境を設計したほうが人間に優しいはずだ、という話など、中沢新一氏が巻頭インタビューで語っている「宮崎駿のアニメと森に住む精霊」の話を思い出させます。

「こうした普遍的なモデルに基づき、大橋は現生人類にとっての〈本来の環境〉の最有力候補を、ミトコンドリアDNA解析の結果、現在の自然人類学上の定説となっている「アフリカ単一起源説」の支持により、アフリカの熱帯雨林地帯であると仮定した。すなわち、人類の遺伝子と情報処理中枢である脳は、地球の自然生態系の中でも物質・エネルギー・情報的に最も豊穣で複雑な熱帯雨林の環境において、最もストレスフリーに活動できるよう、大型類人猿の時代から二千万年の長きにわたって最適化されている。」(中川氏)

たぶん、養老孟司氏や内田樹氏が事あるごとに言っている人間の中の自然と、現代文明とのズレとの話ともつながっている話だと思います。

自分なりにいろいろと頭の中でリンク張りながら、読ませていただいたので、とても面白かった。

関連記事:『思想地図 vol.4』を読む②-クワガタ虫・テレビ・ファスト風土
『思想地図 vol.4』を読む③-エスパーニャの神
『思想地図 vol.4』を読む④-目がチクチクする
『思想地図 vol.4』を読む⑤-内田樹と握手できそうな所を探す


読売新聞2009年11月30日朝刊-酒井哲哉氏のワールドスコープ

2009年11月30日 | 日記
<保守思想家・左翼の「懐の深さ」>

酒井哲哉氏のワールドスコープ(読売新聞2009年11月30日朝刊)という記事が面白かった。

政治にはなかなか熱心な関心を持てないのだが、私でも、時々気にならないこともない「保守主義者の懐の深さ」について、この記事は書いていたので。

昔の保守思想家のほうが、今よりもずっと懐が深かったのではないか、という話だ。

例として挙げられているのは、70年代、80年代に影響力を持った村上泰亮氏の言論である。同時代の「新左翼」の問題提起を最も深いところで受け止めたのが「保守側」の村上氏だったという。

「同時代の日本で新左翼の問題提起を最も深いところで受け止めたのは、「革新」ではなく「保守」の論客である。一九七五年に刊行された村上泰亮『産業社会の病理』(中央公論社)は、こうした観点から再読すべき書である。」

「この議論は「脱産業社会の到来」という名の新たな発展段階論の楽観主義とは無縁である。また資本主義を批判した「管理社会」論が、結局は生産者が消費者の欲望を人為的に操作できるという裏返しの万能の資本主義像を描いたのとも異なる。そこには『産業社会の病理』という標題が象徴するようなペシミズムが色濃く漂っている。」

…たしかに、産業社会が「病理」だなんて、最近の保守的な言論にはないトーンである。

「70年代から80年代にかけての日本の保守主義者は、論敵の思考の内側に踏み込む力量と、自分が帰属する党派に対してさえも向けられる懐疑心を兼ね備えていた。現代日本の保守主義にその懐の深さはあるだろうか。」

…と結ばれていたが、私は、この文章の脇に掲載されていた写真「1968年の全学共闘会議の学生によるデモ」に目が止まった。その写真には「止めてくれるなおっかさん」の橋本治の駒場祭ポスターが映っている。橋本治は当時、どちらかというと「運動している側の学生」に近い人間だったはずだが、このポスターには日本の「古い因習」というか、当時の人たちが共有できた「保守的」な感覚の痕跡のようなものが示されていると思う。
当時は、運動している側の学生=橋本治のほうにも「懐の深さ」があったのだと思う。その後橋本治は日本語の古典の翻訳をしていくわけだし。現代の「左翼」に橋本治のような懐の深さはあるのだろうか、と逆に問うてみたくなる。結局、社会全体から「包摂性」(宮台真司)が失われた、ということに過ぎないのではないか。

読売新聞2009年11月30日朝刊-池内恵氏のワシントン報告

2009年11月30日 | 日記
今日の新聞で、池内恵氏のワシントン報告(読売新聞2009年11月30日朝刊)が面白かった。

アメリカの政策上、日本は無視されている、というか政策面で日本が「薄い」感じするのはなぜか、という疑問に答えてくれる記事だった。

「ワシントンで感じるのは、日米の政治的なコミュニケーションの経路が、「ジャパン・ハンド」と呼ばれる、米国の少数の日米関係専門家に過度に頼っている点である。」

「少数の「ジャパン・ハンド」が過度に発言力を持つ原因は、米側で日米関係への関心が薄く、日本語メディアから日本の世論や政策決定と実施の過程を読みこなせる人材が米側に多く育っていないことだろう。米国では、英語での限られた情報に依拠して、気の利いたコンセプトを立てて議論することが、専門家の対外政策論として通用する。」

…ふーん。日本のことを知らないアメリカ人が「気の利いたコンセプト」を立てることが政策として通ってしまうのか。ありそうなことだ。

「日本はエリートが主導する社会ではなく、分厚い中間層の世論が政治を根底で規定する。」

…日本は「気の利いたコンセプト」で回る社会ではない、と。

「米国では非西洋の諸地域を対象とする政治研究は、多くがその地域の出身者か、移民の子孫によって担われている。この趨勢と異なるのが日本政治研究で、日本出身者や日系米国人は中心ではない。」

…日本研究の分野での優秀な日系米国人というのがいない、それはなぜかというと、

「背景には、第二次世界大戦で敵国であったことが今でも響いている。」

…日系米国人は、戦時中、アメリカへの忠誠を表明するのに必死だったので、悠長に母国のことを研究する余裕がなかった。

「不幸な過去だけではなく、戦後日本の経済成長により米国への移民の波が止まったことも、日系人の政治的影響力を弱めている。」

…日本で快適な生活ができるから、わざわざアメリカへ行って自分の能力を発揮しようと考える日本人が少なくなった。

「しかしこれは国民国家としては本来の姿である。」

…日本が平和で豊かだったということだ。

「もし日本の生活環境が快適でなく、治安が崩壊し、教育制度が脆弱で、就職先がなければ、日本から米国に優秀な学生が押し寄せ、日本語能力や日本研究を足掛かりに米国社会での永住と階層上昇を目指すだろう。対日政策を動かして故国に影響力を及ぼそうとするかもしれない。」

「同様に、米国の対外政策で日本が軽視されるのも、日本が脅威とならない国だからである。もし日本で核武装論が高まり、紛争やテロリズムが続発すれば、対日政策は米国の主要課題となり、日本の言語や社会や政治を徹底的に理解しようとするだろう。もちろんこれは日米関係の望ましい姿ではない。」

…うーん。アメリカが日本を軽視しているように見えるのは、日本が「まあまあいい国」だから、という結論になる。たとえば中国がアメリカの政策上、最近重きをなしているように見えても、それは中国が「あまりよくない国」「危なっかしい国」だからということで日本がむやみに「アメリカの関心を奪った」といって中国に「嫉妬」する必要はない。けれども、アメリカでの日本研究の水準がだんだん低くなっているようなので、そこはやはり心配。

『田辺元・野上弥生子往復書簡』-死の哲学の構想

2009年11月30日 | 中沢新一
『田辺元・野上弥生子往復書簡』(岩波書店)には、「死の哲学」を作ろうとしていた田邊元が、キリスト教神学や禅について探求を深めている様子が伺える箇所がある。

「小生自身はこの点を究明するつもりで、久方振に禅の偈頌を読み、華厳経の事々無礙の芸術的世界観に接することを試みて居ります。生(命)哲学に対し死(人)哲学を追究しようといふのが、小生の死の用意に外なりませぬ。ご承認下さいませ。クリストにまなびて死を行じ、死人となり切つて生きる、と申すのが、今の狙でございます。クリストも稀有な詩魂であつたことを思ひますと、彼に学び似ることはできませぬでも、目標としては誤ないかと信ずるのでございます。御笑ひ下さいませ。」(野上宛1955.10.7)

「今小生ブルトマン、シュワイツァー等の神学者のパウロ解釈に没頭して居ります。彼のイエスに対する関係如何といふ、十余年来のクリスト教の根本問題にぶつかつて居るわけです。一通りわかつたと思つて居ります中に復わからなくなりますので、苦しむしだいです。しかしこの難関を突破しなくては、死復活の問題を見透すことができないわけです。」(野上宛1958.1.7)

とくに、野上宛1956年(昭和31年)2月12日の手紙には、田邊元の「死の哲学」の構想について長めに語られている箇所があったので、自分もいつか参考にするかもしれない資料の一つとして、ここに打ち込んでおく。

(以下、田邊元→野上宛1956.2.12)
「キェルケゴールの『反復』御読みに因み、小著をも御参照下さいました趣、恐縮に存じます。当時の解説は今から憶返しますと物足りませぬ。あきたらず思召されたことでせう。御慚づかしいしだいです。今なら次の如く申上げませう。キェルケゴールの「反復」は、いはゆる反復、すなはち同一性俗流見の「反復」、の否定に外なりませぬ。神意に服従しながら却てそれを自由に肯ふ自己否定は、つまり我性私慾に死することですから、一度所有は無に帰するわけです。それが回復せられれば、ただ同一物Aが戻されるのでなく、A-O-A(=2A)といふ循環倍加があるわけです。これキリスト教の核心たる「死即復活」の霊的体験に外なりませぬ。このいはゆる反復ならぬ復活創造がキェルケゴールの『反復』です。

敢て失礼を顧みず申すことが許されますならば、『迷路』の主人公の終末も、かかる死復活の永遠獲得、「迷路」の本道発見回復であることが、小生の願でございます。それを生かさうか殺さうかといふ、御自身の探求を抜きにした計量分別に止まり委ねて御いでになる御様子なのが、小生には情無かつたのです。命懸けのキリスト模倣が哲学にも文学にも必要だと申上げるゆゑんです。ここまで主体の実存に徹せられないでは、哲学も画餅に過ぎませぬ。

かういふ偏見(?)を固執する小生は、現在「死の哲学」といふものを構想して居ります。もう大体の腹案は出来、覚書も随分書きました。しかし筆を執らうと致しますと、まだ透徹せぬ所があるやうに感じられ、書始められずに居ります。先頃はエックハルトと対決するため、古語の翻訳のある英、独テキスト所有全部を、二三遍繰返しました。それと同時にキェルケゴールとエックハルトとの対立と一致とに想到り、最近キェルケゴールに集中致しました。もう書始められ相でございます。若し奥様が御いでになつて御話致すことができますならば、執筆のきつかけも与へられますのかも知れませぬ。

とにかく「死の哲学」はたとひ遺稿になつても、書上げなければ死ねないつもりでございますから、思残す所がないまで徹底的に練るつもりで居ります。「死の哲学」は小生一人の哲学ではなく、「死の世紀」たる現代の哲学として万人の哲学でなければならぬ筈です。さういふ事を妄想してキリストに倣はんとする小生は、ムイシキン公爵の亜流として「白痴」なのでございませうか。

ここで敷衍致さなければなりませぬのは、「復活」といふ概念でございます。キリスト教徒でもない小生が復活を口に致すのは、全く空語に止まりはしないかといふ御疑は必定と存じます。今日はキリスト教の内部に於てさえ、神話排除の主張が起つて居ります。況や科学を尊重致す小生が、復活の如き神話的伝説を信ずるなどとは、言語道断とも申せませう。小生自身も今日まで此点を突破できなかつたのでございます。しかし妻の死は之を可能に致しました。もはや復活は、客観的自然現象としてでなく、愛に依つて結ばれた人格の主体性に於て現れる霊的体験すなはち実存的内容として証されます。

キリストの復活も、マグダラのマリヤが復活せる主の肉体に手を触れるつもりでそれを禁止せられ、ただ二人の天使を見たばかりでその言付けを聞いたに過ぎなかったと伝へらるる如く、全くマリヤにとつての霊的体験に外なりませぬ。この主体的実存内容としては、それは疑を容れない事実であります。小生にとつても、死せる妻は復活して常に小生の内に生きて居ります。同様にキリストを始め多くの聖者人師は、小生の実存内容として復活し、主体的に小生の存在原理となつて居るのでございます。その意味でいはゆる「聖徒の交はり」に、小生も参し得るわけです。

これは神話でもなく、比喩でもなくして、厳然たる霊の秘密です。之を神秘的と申すならば、「時」そのものが、「歴史」そのものが、神秘的でなければなりませぬ。かかる主体的統一に於てある復活のキリストと共に生きることが、すなはちキリスト模倣ですから、それはコッピイでもなく理想観念でもありませぬ。エックハルトやトマス・ア・ケンピスや、またキェルケゴールに於けるキリスト模倣は、さういふものだと存じます。妻の死を通して小生もこれに目を開かれました。

ムイシキンの「白痴」と異なる実存の道が、科学と歴史とを通じて、各瞬間に開けて居ると信ぜざるを得ませぬ。「死の哲学」は、ドストエフスキイのいはゆる「死の国」の描写でも診断書でもなくして、正に「復活の哲学」であり「実存の哲学」であります。負ふ気なきことながら、小生が之を書かなければ死ねないと思ふわけでございます。

もとよりこのやうな小生の考を御肯定下さいませうと、また御否定になりませうと、それは奥様の御決断に任されたことでございます。白痴狂者の道と異なる理性賢知の道を御選びになりますことは、御自由でございます。しかしその限り、小生の意味する哲学とは御縁の無いことを御観念頂きたいと存じます。」(以上、田邊元→野上宛1956.2.12)

関連記事:『田辺元・野上弥生子往復書簡-幸福の胸の星図 2009-11-30


『田辺元・野上弥生子往復書簡』-幸福の胸の星図

2009年11月30日 | 内田樹
桃知利男氏によると、中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』は田邊元の哲学を扱っているらしい。

浅草・岸和田往復書簡 2007年12月21日「街的という野蛮人。」

私は『フィロソフィア・ヤポニカ』はまだ読んだことがないのだが、いつか読むための準備として、近くの図書館で『田辺元・野上弥生子往復書簡』(岩波書店)というのを見つけたのでこのたび目を通してみた。

この本を読むと、子どものようなワガママ振りを発揮している哲学者・田邊元より、田邊への尊敬をずっと失わず、軽井沢の田邊の元へカステラや魚などを贈り続ける作家・野上弥生子の方が、ずっと偉いんじゃないか、と思われてくる。

『先生はえらい』(内田樹氏)などの師弟論で言われる「仰角の共有」がここには確かにあって、「老いらくの恋」という言葉では表現しきれない繊細な、美しい感情が文面に満ちている。先生よりも、それを仰ぐ弟子の姿のほうが美しく見えることがある。星を仰ぐ人の美しさである。

野上弥生子の手紙に、田邊元を「星」と仰ぐ賛美の詩が付けられていて、68歳くらいの女性とは思えないほどの瑞々しさ、また気恥ずかしさである。これにはちょっと感動した。



あたらしい星図

あなたをなにと呼びましょう
師よ
友よ
親しいひとよ。
いっそ一度に呼びませう
わたしの
あたらしい
三つの星と。

みんなあなたのかづけものです。
救ひと
花と
幸福の胸の星図 

(田辺宛1953.11.11) 


「私は死ぬまで女学生でゐるつもりでございます。おわらひにならないで下さいまし。」(田辺宛1954.11.10)


「先生の生活を例にとつて見ましても、知らないものゝよそ目には、いかにも寂寞としづかに生きてゐなさるごとく見えませうが、いつも火焔のやうに燃えたぎつてゐられるではございませんか。いつも申あげてをります通り、私は先生によつてはじめて学ぶことに憑れた人といふものを知つたわけでございます。また私にほんとうに考へるといふ事を教へ導き下さるのも先生でございます。いまの私は先生なしには精神的に生きえないものになつてをります事は、改めて申あげますまでもなく御分かり下さつてゐられますかと存じます。ただ私の無知識と非才が折角の賜物を無にいたし過ぎますことが多々であるのが嘆かれます。しかし学ぶことは死ぬまでの事業と存じてをりますから、絶望いたさずいつまでも先生のあとに従つて参り度く存じます。」(田辺宛1955.10.8)

「先生はクリストに倣ふことをつねに申されます。私はせめて先生に御倣ひ申すことを忘れず生き度いと存じます。これは大それた望みと申すべきである事は存じてをります。しかしそこに達することはとても不可能にせよ、空の一つの星を遠く仰いで生きるのは牧人の幼童にも許されてよろしいのではございますまいか。」(田辺宛1956.1.18)


田邊元という「学ぶことに憑れた人」に出会い、「遠方への憧れ」に感染する野上弥生子。「空の一つの星を遠く仰いで生きるのは牧人の幼童にも許されてよろしいのではございますまいか。」という言葉は、こっちの胸までフルフルと震えさせる。

関連記事:『田辺元・野上弥生子往復書簡』-死の哲学の構想 2009年11月30日
関連記事:岡潔の伝記を読む-「天上の歌 岡潔の生涯」 2009年11月15日


『思想地図 vol.4』は買ったほうがいいのかなあ

2009年11月28日 | 思想地図vol.4
偶然、東浩紀の『思想地図 vol.4』が発売されているのを知った。

2009年の5月頃、東浩紀氏周辺の若い人たちの文章を読んだことがきっかけで、このブログを書き始めたものの、その後自分の興味は別のところにあるような気がしてきて、だんだんと興味は薄れてきていた。

むしろ今の私には、内田樹や中沢新一を読んでいた方が面白い、と思っていた。
しかし、今回はなんと『思想地図』に中沢新一のインタビューが掲載されているらしいのだ。

東浩紀氏の周辺で起こることとして、これは私には予想できないことだった。

これはちゃんと買って読んでみたほうがいいのかもしれない。

「違う」なら「違う」で、やはり刺激をもらえるのではないかと思う。

関連記事:このブログを始めたきっかけ 2009-05-26