ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

ブログ始めて1年未満。KY(空気読めてない)的なテーマの混淆され具合をお楽しみください。

東京ダイナマイト-「コント」と「漫才」の形式の差?

2009年12月29日 | M-1・お笑い
M-1で負けた「東京ダイナマイト」はやっぱり面白いと思うのだが、それはコントでの話で、漫才になると途端に面白くなくなる。You tube で再生回数の多い順に3つほど見れば、「東京ダイナマイト」のコントの面白さはわかると思う。

「東京ダイナマイト」の「漫才」と「コント」を見比べると、背広着て、ピシッとした格好で喋る「漫才」というのは、思ったより「しばり」のきつい形式なのだ、ということに気づかされる。

「コント」って、あんなふうに服装を少し変え、ちょっとした小道具を使うだけで、「世界の設定」がものすごく容易になる装置なんだな、と思う。
「東京ダイナマイト」はそこでこそ発揮される笑いのセンスを持っているのに、「漫才」となるとどうも自分たちの世界への「引き込み力」が弱くなっている。

「漫才」は実は、すごく形式のしばりがきつい芸で、だからM-1の審査員も、あれだけ年齢層が高いの人たちであるにもかかわらず、若手芸人を的確に批評することができたのだな、と今になって思う。

関連記事:M-1頑張ってくれ、東京ダイナマイト 2009年12月19日
(→M-1前、私は東京ダイナマイトに期待していました。)

関連記事:M-1優勝者決定-中田カウスのコメントはいつも的確だ 2009年12月20日
(→M-1後、私は審査員の的確なコメントに感心していました。)

M-1優勝者決定-中田カウスのコメントはいつも的確だ

2009年12月20日 | M-1・お笑い
『M-1グランプリ』は『パンクブーブー』が優勝した。

私が期待していた『東京ダイナマイト』は、いきなりマニアックなプロレスネタではじまり、お客さんをつかみそこねていた。一目瞭然の失敗だ。M-1なのに、どうしてあんなネタを選んだんだろう。理解に苦しむ。You tube 映像で流れている数年前のコントのほうが、シュールで面白かったのに。残念。

審査員の判定は穏当なものだった。
毎年、審査員の判定がおかしいと言い出すものが出てくるのだが、私はM-1審査員の判定はいつも「穏当」だと感じている。
とくに、中田カウスと巨人のコメントはいつも的確だ。
お笑いというものは、たいてい若い人間の感性が基軸となる世界だと思うのだが、M-1の審査員はかなり高年齢なのに、若い漫才師の見方が「ズレて」いない。

たとえば、あそこにビートたけしや明石屋さんまがいたとしたら、もっとトンチンカンな意見を吐いてしまうと思う。

中田カウスは、以前、私が住んでいる家の近くに住んでいたことがあって、私は子どもの頃から「近所の噂」でカウスの「性格の悪さ」についてしばしば聞き及びながら育った。

カウスが犬の散歩しているとき、道端に植わってあった柿の木から勝手に柿をもぎりとって、かじりつき「うわっ、渋柿や! まっずぅ」といって吐き捨てた、いったたぐいの噂が、私が中学か高校ぐらいのときに「近所のおばさんたちの噂のネットワーク」を通って私の方に伝わってくるので、「カウス、こわっ!」と思ってた。

しかし笑いについてはやっぱりプロで、お客さんの反応までしっかり観察していて、若手芸人の「芸」に対してこちらが何となく感じていたことを「なるほど」と納得してしまうような一言コメントで言う。やっぱり芸人ってすごい。

『笑い飯』が準決勝の一回目のネタで、予想外なことに「去年より面白かった」のでびっくりした。島田紳助が「感動した」といったのに共感してしまうような感情を、私も呼び起こされた。『笑い飯』の相方のほうは般若心経の本なんか出版してその本のほうは面白かったけど、本業のお笑いのほうはずっと低空飛行でやっていくのだろうと予想していたからだ。私が笑い飯に抱いていた「あと一歩で滅茶苦茶面白くなりそうなのに、いつまでたってもそのあと一歩がない」というイメージが、今回すこしだけ覆された。

「モンスターエンジン」はいつもとパターン変えてみていたが、失敗していた。
オール巨人が、下ネタの使い方でお客さんを引かしていた、と指摘しているのはその通りだと思った。

新顔の『パンクブーブー』を優勝させるしかないという状況にいることに、あの場にいる誰もが気づいていた。

「ノンスタイル」の運動神経・反射神経が半端じゃなくて、サーカスのような芸が去年よりも洗練されていて観客にもかなり受けていたが、同じネタでひっぱって島田紳助が言っていたように最後の方でたるんでしまっていた。

やはり『パンクブーブー』優勝の判定が、もっとも適切かつ穏当である。

おめでとうございます。
『パンクブーブー』様、これからの活躍を期待しております。
って誰の立場で言ってんだよ。






M-1頑張ってくれ、東京ダイナマイト

2009年12月19日 | M-1・お笑い
明日12月20日、若手お笑い芸人のトップを決める『M-1グランプリ』の決勝戦があるということで、私も少しそわそわするところがあり、先ほど You tube 画像で出場予定の『パンクブーブー』というコンビと、『東京ダイナマイト』というコンビの漫才を見ていたところである。決勝進出の8組のうち、私が一番よく知らないコンビが、この2組だったから試しに見てみた。

このうち、私には、『東京ダイナマイト』の漫才が面白かった。

ハイテンションかつシュールなボケと、しらけたクールなツッコミの組み合わせ。
こういう雰囲気はどちらかというと「東京の笑い」なのだろう。
大阪に住んでいて、関西お笑い芸人流のハイテンション一辺倒のお笑いに、つねづね食傷気味の私には、こういう「東京ぽい、しらっとした笑い」を時々見ると、それがコントラスト効果によるのだろう、「干天の慈雨」のように感じられることがある。

そこで私は明日の『M‐1グランプリ』では『東京ダイナマイト』の健闘を期待したいと思う。
彼らには関西人のお笑いを「中和化」する役割を担ってほしい。
学校でも職場でもそうだったのだが、私の周りにいた関西人は、みんな自分のことを「笑いのレベルの高い人間=エリート」だと考えており、私はその場で「いたたまれない気分」に苦しまなければならないことが、何度もあった。
だから東京(=非大阪)の笑いよ、私を助けて欲しい。

そういえば、吉崎達彦氏の『溜池通信』2009年12月11日「笑点と景気の関係」
という記事で、「不景気になると、『笑点』の視聴率が上がる」という話があったな。

「日本テレビの『笑点』の視聴率が上がると、景気が悪くなる」という相関関係がある。なぜなら、日曜の夕方に外出しないで家でテレビを見ている人が多く、笑いで嫌な気分を忘れようとするから。

そうすると、現在の大阪の経済状況は最悪(「さっぱりワヤ」)なので、『M‐1』の視聴率も、例年より高くなるかもしれない。そこで「東京ダイナマイト」がもし優勝でもしたりしたら、「お笑い帝国」の住人を自認する大阪人への影響力も大きいものとなるだろう。

大阪という街はいまや逼塞しており(江戸から明治の御世に移って以来、ずっと逼塞しているという話もあるが)、「笑い」においても「外部の空気」を必要としている。ゆえに『東京ダイナマイト』が優勝することは、大阪人に「外部」を感じさせるという意味でとてもめでたいことだと思うのである。

ゆえにわたしは大阪人として願う。
頑張ってくれ、東京ダイナマイト。