桃知利男氏によると、中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』は田邊元の哲学を扱っているらしい。
→浅草・岸和田往復書簡 2007年12月21日「街的という野蛮人。」
私は『フィロソフィア・ヤポニカ』はまだ読んだことがないのだが、いつか読むための準備として、近くの図書館で『田辺元・野上弥生子往復書簡』(岩波書店)というのを見つけたのでこのたび目を通してみた。
この本を読むと、子どものようなワガママ振りを発揮している哲学者・田邊元より、田邊への尊敬をずっと失わず、軽井沢の田邊の元へカステラや魚などを贈り続ける作家・野上弥生子の方が、ずっと偉いんじゃないか、と思われてくる。
『先生はえらい』(内田樹氏)などの師弟論で言われる「仰角の共有」がここには確かにあって、「老いらくの恋」という言葉では表現しきれない繊細な、美しい感情が文面に満ちている。先生よりも、それを仰ぐ弟子の姿のほうが美しく見えることがある。星を仰ぐ人の美しさである。
野上弥生子の手紙に、田邊元を「星」と仰ぐ賛美の詩が付けられていて、68歳くらいの女性とは思えないほどの瑞々しさ、また気恥ずかしさである。これにはちょっと感動した。
あたらしい星図
あなたをなにと呼びましょう
師よ
友よ
親しいひとよ。
いっそ一度に呼びませう
わたしの
あたらしい
三つの星と。
みんなあなたのかづけものです。
救ひと
花と
幸福の胸の星図
(田辺宛1953.11.11)
「私は死ぬまで女学生でゐるつもりでございます。おわらひにならないで下さいまし。」(田辺宛1954.11.10)
「先生の生活を例にとつて見ましても、知らないものゝよそ目には、いかにも寂寞としづかに生きてゐなさるごとく見えませうが、いつも火焔のやうに燃えたぎつてゐられるではございませんか。いつも申あげてをります通り、私は先生によつてはじめて学ぶことに憑れた人といふものを知つたわけでございます。また私にほんとうに考へるといふ事を教へ導き下さるのも先生でございます。いまの私は先生なしには精神的に生きえないものになつてをります事は、改めて申あげますまでもなく御分かり下さつてゐられますかと存じます。ただ私の無知識と非才が折角の賜物を無にいたし過ぎますことが多々であるのが嘆かれます。しかし学ぶことは死ぬまでの事業と存じてをりますから、絶望いたさずいつまでも先生のあとに従つて参り度く存じます。」(田辺宛1955.10.8)
「先生はクリストに倣ふことをつねに申されます。私はせめて先生に御倣ひ申すことを忘れず生き度いと存じます。これは大それた望みと申すべきである事は存じてをります。しかしそこに達することはとても不可能にせよ、空の一つの星を遠く仰いで生きるのは牧人の幼童にも許されてよろしいのではございますまいか。」(田辺宛1956.1.18)
田邊元という「学ぶことに憑れた人」に出会い、「遠方への憧れ」に感染する野上弥生子。「空の一つの星を遠く仰いで生きるのは牧人の幼童にも許されてよろしいのではございますまいか。」という言葉は、こっちの胸までフルフルと震えさせる。
関連記事:『田辺元・野上弥生子往復書簡』-死の哲学の構想 2009年11月30日
関連記事:岡潔の伝記を読む-「天上の歌 岡潔の生涯」 2009年11月15日
→浅草・岸和田往復書簡 2007年12月21日「街的という野蛮人。」
私は『フィロソフィア・ヤポニカ』はまだ読んだことがないのだが、いつか読むための準備として、近くの図書館で『田辺元・野上弥生子往復書簡』(岩波書店)というのを見つけたのでこのたび目を通してみた。
この本を読むと、子どものようなワガママ振りを発揮している哲学者・田邊元より、田邊への尊敬をずっと失わず、軽井沢の田邊の元へカステラや魚などを贈り続ける作家・野上弥生子の方が、ずっと偉いんじゃないか、と思われてくる。
『先生はえらい』(内田樹氏)などの師弟論で言われる「仰角の共有」がここには確かにあって、「老いらくの恋」という言葉では表現しきれない繊細な、美しい感情が文面に満ちている。先生よりも、それを仰ぐ弟子の姿のほうが美しく見えることがある。星を仰ぐ人の美しさである。
野上弥生子の手紙に、田邊元を「星」と仰ぐ賛美の詩が付けられていて、68歳くらいの女性とは思えないほどの瑞々しさ、また気恥ずかしさである。これにはちょっと感動した。
あたらしい星図
あなたをなにと呼びましょう
師よ
友よ
親しいひとよ。
いっそ一度に呼びませう
わたしの
あたらしい
三つの星と。
みんなあなたのかづけものです。
救ひと
花と
幸福の胸の星図
(田辺宛1953.11.11)
「私は死ぬまで女学生でゐるつもりでございます。おわらひにならないで下さいまし。」(田辺宛1954.11.10)
「先生の生活を例にとつて見ましても、知らないものゝよそ目には、いかにも寂寞としづかに生きてゐなさるごとく見えませうが、いつも火焔のやうに燃えたぎつてゐられるではございませんか。いつも申あげてをります通り、私は先生によつてはじめて学ぶことに憑れた人といふものを知つたわけでございます。また私にほんとうに考へるといふ事を教へ導き下さるのも先生でございます。いまの私は先生なしには精神的に生きえないものになつてをります事は、改めて申あげますまでもなく御分かり下さつてゐられますかと存じます。ただ私の無知識と非才が折角の賜物を無にいたし過ぎますことが多々であるのが嘆かれます。しかし学ぶことは死ぬまでの事業と存じてをりますから、絶望いたさずいつまでも先生のあとに従つて参り度く存じます。」(田辺宛1955.10.8)
「先生はクリストに倣ふことをつねに申されます。私はせめて先生に御倣ひ申すことを忘れず生き度いと存じます。これは大それた望みと申すべきである事は存じてをります。しかしそこに達することはとても不可能にせよ、空の一つの星を遠く仰いで生きるのは牧人の幼童にも許されてよろしいのではございますまいか。」(田辺宛1956.1.18)
田邊元という「学ぶことに憑れた人」に出会い、「遠方への憧れ」に感染する野上弥生子。「空の一つの星を遠く仰いで生きるのは牧人の幼童にも許されてよろしいのではございますまいか。」という言葉は、こっちの胸までフルフルと震えさせる。
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