勧進元として大垣市の古川宗助とありますから、この人がお寺に寄進したものでしょう。番付上位に西の横綱は若乃花、東の横綱は大鵬と柏戸と懐かしい名前がありました。
本堂横の回廊におみくじが結び付けられています。その上の額に目が行きました。どうやら相撲番付の高札のようです。昭和37年4月吉日とあり、於彦根場所とも書いてあります。
本堂の階段を下りたところにある左右の柱に青銅製の「精進落としの鯉」が張り付けてあります。満願の参拝を済ませた人が触れることにより精進生活から解放されるとされています。一般の参拝者が触れることによるご利益は・・・・・・不明です。
本堂正面の古色蒼然たる山号の額は1200余年の歴史を物語っています。山号と寺号は醍醐天皇より賜り、以降鎮護国家の道場として勅願寺に定められ、歴代皇室、朝廷の帰依厚い寺院となっています。
観音様を安置したお堂の近くの岩穴から油が滾々と絶えることなく湧き出るようになり、それを汲み取ってお燈明に使いました。谷汲の名前はこの故事にちなんだとの説もあるようです。
開祖は豊年上人でご本尊は十一面観世音菩薩様です。観音様の尊像を奥州へ運んで行こうとしていたところ観音像が自ら歩きだし、谷汲の地にたどり着いて動かなくなったのでこの地にお堂を建て御奉りました。
お寺の草創は桓武天皇の御世延暦十七年(798年)といいますから今から1200年以上前です。苔むした石塔やお地蔵さんのお姿からも歴史の深さを感じさせます。
岐阜県揖斐郡揖斐川町の山間にあるこのお寺を地元では「たにぐみさん」と呼んで親しんでいます。もちろん西国第三十三番満願霊場としてお遍路さんの最終目的地にもなっています。
今年の厄除けを願い恐る恐るまたくぐりをしました。背後から見る鬼さんの足腰の逞しさはほんとに半端ない感じで様々な厄災から守ってくれそうな頼もしさを感じました。
太い金棒を持ちヒョウ柄のパンツを纏い、目をむいてにらんでいます。股の間をくぐると今年一年の厄災を避けることができる、と傍らの看板に書いてありました。
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