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東京の歴史。氷河期、縄文海進、国府、江戸、大火、震災、空襲、オリンピック。

2018-06-01 12:56:31 | Weblog
 現代の東京は世界最大級の都市になり、1000万人以上の人口を抱えているが、江戸時代や石器時代はどうだったのだろうか。日本列島に人類が来たのは約4万年まえのことだという。当時は氷河期で地球は寒冷化し氷河におおわれていた。海岸線は現在より後退していた。約2万年前の日本列島は本州、九州、四国がつながり、北海道はユーラシア大陸とつながっていた。東京湾は陸地で、神奈川寄りに古東京河という大河が流れていた。地球が温暖化して、氷河がとけて海水面が現在より5mぐらい上昇した。海岸線は陸地に進出し、東京湾ができて、埼玉県や栃木県まで海が入ってきた。人間が住みつき、海の貝を食べた後の貝塚が埼玉県のような現在の内陸部でも発見されている。これを縄文海進という。
 縄文時代の終わりから弥生時代には東京湾は縮小し、埼玉県は陸地化した。稲作農耕が広まり、5世紀後半には武蔵国はヤマト王権の支配下になった。房総半島には相模から海路で渡っていたので、房総半島の南東側が京都に近かった。平安時代の関東の交通路は駅制があり、16kmごとに馬を配備し、駅ごとに馬を乗り換えて移動した。三浦半島から千葉に海路で渡る人が多かった。江戸は草深い原野のようだった。武蔵国の中心は国府がおかれた現在の府中市で、下総の国の国府は現在の市川だった。武蔵国は10世紀以降平氏の秩父氏の流れをくむ江戸氏などの武士によって開発されていった。1456年太田道灌が江戸に築城し、1475年ごろに完成したが、1486年に暗殺された。北条氏が江戸に侵攻し拠点として活用した。秀吉が北条家を倒し、関東を家康に与えたが、家康は京都に住み、関東の開発は進めなかった。1590年に家康が江戸に入場し、江戸の開発が始まった。神田山を削り、日比谷入江を埋めたてて{江戸の地面ができた。有楽町は湿地帯で、現在日本銀行がある場所は幕府の貨幣鋳造を行う金座だった。青山は青山家の屋敷があった地区で、タカ狩りで家康に同行し、赤坂の丘から馬に乗って一回りした土地を与えるといわれ、馬で走って回り広大な土地をもらったという。隅田川は物資の運搬で繁栄した。加賀藩の屋敷は現在は東京大学になっている。江戸の水は赤坂の溜池と、井の頭池からだった。江戸の町は大火が多く、大震災や、米軍による東京大空襲で焼け野原になったが、復興している。東京オリンピックを2020年に開催するので建設工事が進んでいる。人口も増えて東京一極化が進んでいるようだ。

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