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湾岸戦争の戦車戦。1991年73イ―スティングで米軍のM1戦車とイラク軍のT72戦車が対戦。

2014-04-21 12:36:04 | Weblog
 1991年にイラクのフセイン大統領の軍隊がクウェートに侵攻し36時間で占領した。クウェートを奪還するために米国を中心とする62万人の連合軍が反撃に向かった。この湾岸戦争での20世紀最後の戦車戦をDVDで見た。1991年2月24日、米軍はイラクが予想していた南からではなく西方に迂回して侵攻を始めた。西部は砂漠地帯で戦車の移動は不可能だとイラクは思っていたが、米軍は位置測定衛星GPSを使って、砂漠地帯を慎重に進軍していった。米軍の動きは遅かったのでイラクは対応して精鋭部隊をイラクとクウェートの国境地帯に配備した。米軍はスピーカーで投降を促しながら前進し、最前線のイラク兵はシーア派で戦意がなかったので次々に投降した。25日は米軍は砂嵐で視界が良くない状態で赤外線のサーマルサイトで見ながら慎重に進行した。73イ―スティングという位置でイラク軍の前哨歩兵部隊と遭遇した。米軍のM1戦車は砲撃してイラク前哨部隊を破壊した。米軍の最新型のM1戦車は120ミリ砲を装備し、重量は70トンで高速で走行できた。米軍は1000両のM1戦車と300両の25ミリ砲を持つ装甲車を装備していた。イラク軍の主力の旧式なT72戦車は125ミリ砲で、重量は41トンだった。イラク軍の装甲車は76ミリ砲を装備していた。26日も前進し、丘に登ると視界が開けて、イラク軍戦車隊が展開していた。反斜面防御という配置だったが、米軍の砲撃でイラク戦車は破壊されていった。イラク軍は空襲に対応して砂の中に戦車を埋めていたので、地上から米軍戦車が現れたので驚いたようだ。黒煙を抜けると10数台のイラク戦車が横一列に並んで迎え撃つ場面もあった。円陣を組んでいる部隊もあったが次々と破壊された。連絡に派遣された米軍の装甲車が丘のそばで休んだらすぐ下にイラク軍の戦車がいて機関砲を撃ち対戦車ミサイルで撃破した。他の戦車に狙われたので次のミサイルを撃つと途中で落ちてしまった。同僚の装甲車がミサイルを撃ってイラク戦車を撃破した。米軍の装甲車も撃破され死亡者が1名負傷者が12名出た。イラク側は数千人が死亡し、200両の戦車のうち20両が脱出しただけだった。73イ―スティングの戦車戦は90分で終了し、米軍の一方的な勝利だった。しかし、数年後にイラクに侵攻してからは長い戦いが続き米軍の死傷者も増えていった。


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