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大江健三郎の『水死』を読んでいます

2013年11月24日 22時57分48秒 | 文学
今日は娘を公園で遊ばせていて、滑り台を滑らせたら前からこけてしまって顎をすりむいてしまった。すぐに水飲み場で顔を洗ったが、驚いた。子どもを怪我させる気持ちを初めて味わった。これからたくさん味わうんだろうなと思った。

大江健三郎の『水死』を読んでいるが、笑えるほどおもしろくない。
この本を最後まで読めるのは読み始めた人の何割くらいだろうか。がんばって最後まで読もう。
最初のほうは大江健三郎を思わせる語り手(長江古義人)が、父親の死んだときの物語を書こうとしているという話で進むのだが、これが全く興味が持てない。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』を読んでいたらもうちょっと興味が持てたかもしれないが、読んでいないのでさらに興味が薄い。大江健三郎の小説は、大江健三郎のこれまでの作家生活に興味を持てれば読めるのだが、興味を持てなければ全く読めなくなってしまう。「いろいろ書いてるけど、全部嘘なんでしょ」という気持ちになってどうでもよくなる。
やっと息子のアカリの話になり、語り手が息子に向かって「きみは、バカだ」と言ってしまったという話に少し興味が持てる。普通、父親が息子に向かってバカ呼ばわりしても問題にはならないと冷静に考えると思うのだが、この親子の、というか大江親子の関係性を、息子を肩車しているときに息子が「クイナです」と言ったという話から始まってずっと聞かされているので、「バカ」という言葉にぎょっとする。これは本当にあった話なんだろうか、と興味がわく。こういう興味がわくかどうかが大江健三郎の本が読めるかどうかの分かれ目だと思う。(ところで、肩車をするのは父なのだろうか、息子なのだろうか。≪私に肩車したアカリが……≫(268頁)と書いてあり、肩車をするのは乗っているほうなんだ! と驚いた。)
で、このバカ発言と、夏目漱石の『こころ』についての議論をする演劇「死んだ犬を投げる」の話に少し興味を持たされて読んでいる。この演劇「死んだ犬を投げる」はとっても馬鹿馬鹿しいのだが、松山では大成功をおさめたということになっている。
同じようなことを何度も言うが、大江健三郎の小説は、ほんとうかどうだかわかんないことが書かれてあり、ほんとうじゃないにしてもそこまで現実から遊離していなければ大江健三郎はこんなふうにして考えて生きてきたのだなというのがわかってそこにリアリティがあるように思うのだが、あまりにも現実離れした話が入ってくると、「どうせ全部嘘なんでしょ」という気持ちになってしまう。演劇「死んだ犬を投げる」が大成功するはずがない。
これから語り手と息子のアカリがふたりで四国の森へ行く。語り手の妻千樫が癌で入院することになり、娘の真木も、さらにご丁寧なことにいつもは四国の森に住んでいる語り手の妹アサもその看病をするということになっている。四国の森には語り手周辺の、リアリティのある人物(千樫、真木、アサ)がいなくなってしまうので、結末に向けてさらに嘘くさい話が続くのだろうなと思い、気持ちが萎える。
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