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「よくわからん」→「やっぱり、信じられん」と変化しただけかも1(笑。

70才を過ぎたら取り組むことになっていた
各宗教の書物を、前倒しで読むことになってしまったw

理由のないことではない。
村上春樹の批評を書き直していたら、

これは浄土教でしょ、ということになり
親鸞のものを読んでいたら

これはキリスト教でしょ、となってきた。
親鸞の「悪人」の意識をキリスト教の「原罪」の意識に、

親鸞の無根拠な「阿弥陀による救済」を
キリスト教のパウロによる体験という、他者からは無根拠な「よみがえるキリストによる救済」と

置き換えれば、
両者とも

最底辺からの信による救済となっていく。
しかし、それは

苦難に苛まれた無力な立場にいつづけることを
要請するのではないだろうか。

それが、無信心、
つまり

楽になってきたから
もうわざわざ神や仏に助けてもらわなくても

もう救われとるわ、という態度になるのではないだろうか。
ということで、楽しげに貨幣のプールで水泳を楽しみ

近親者を亡くしたときだけ泣くのである。
泣いてさっぱりしたら、また水泳、というわけで

自分の死についても
保険にはいっとるから、あとは葬式だけ頼むわーという

態度になっていくのだろう。
それはそれでいい気はする。

人類を存続させる機械の歯車としての人生というのも
それはそれでありだろう。

あ、なに書きたかったんだっけ。
これじゃないんだよな(笑。

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