わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

ブルマー30年の謎を解く本

2017-03-25 | 映画・ドラマ・本
Yahoo!Japan見てたら、面白い記事があったので、食いついてしまいました。

 横山由紀子さんによる、『ブルマーの謎』(青弓社)を出版した関西大学社会学部の山本雄二教授経のインタビュー記事です。そのサイトへは、こちらから

 ぴったりフィット型のブルマーは、1960年代半ばから90年代半ば頃まで、約30年にわたって、女子体操着として採用されてきました。私なぞは、この時期にぴったりはまるので、幼稚園から高校卒業まで、ずーっとブルマー着用でしたが、回り中、自分の学校だけではなく他校でも女子は皆ブルマーでしたし、特に疑問に思ったことも、意識したこともありませんでした。

 この記事によると、『「体形が丸見え」「下着同然」…。恥ずかしさと不満がよみがえる方も多いだろう』、『しゃがんで立ち上がればお尻のほっぺたが顔を出す。……そもそもそれ自体が下着同然であり、しばしば『はみパン』と呼ばれていやがられたように、パンツがブルマーからはみ出して女子に恥ずかしい思いをさせてきた』なのだそうで、この記事に対しては、実に3千以上のコメントが寄せられており、私は最初の10個くらいしかコメントは読んでないけど、嫌だった、恥ずかしかったという意見が続いています。そうなのか~


実は、それほど密着フィットはしてないんじゃない?
LLで150(身長よね?)ってことは、小学生低学年向け?


 確かに紺のブルマーからの「はみパン」は恥ずかしいと位置づけられていて、女の子達は気にはしてたのは、私の時代でも同じでした。高校時代の体操服のブルマーは、派手な青色でサイドにオレンジ色のラインという謎なカラリング(しかも、指定のウィンドブレーカーが蛍光黄色)が恥ずかしく、いやいや着用してたけど、ブルマーそのものを恥ずかしいとは感じていませんでした。当時は、ブルマーを「性的」と見ることが普通に無かったからだと思います。むしろ、スカートが捲れ5た時に、下着が見えないようにブルマーを履いてたってのは、性的の逆でガッカリだった。

 『その密着型ブルマーも90年代半ばに消滅する。俗説では、使用済みのセーラー服やブルマーを販売する「ブルセラショップ」の出現で性的まなざしの対象になったことが原因といわれるが、山本教授は「89年に新語・流行語大賞になったセクハラの概念が日本社会に急速に浸透したことが大きい」とみる。』のだそうで、それまでは得意な目で見られていたわけではないブルマーが、一部(?)のマニアさんはエッチ(←死語。今時の子は意味判るのかなぁ?)に愛でていた(??)ことが世間に知られたしまったことにより、『以降、女子体操着はショートパンツやハーフパンツが主流になった』んだって。

 「ブルセラ」時代には、私は既に高校を卒業し、ブルマーにもセーラー服にも縁はなかったけど、なんか流行って、その後問題視されたのは覚えてます。でも、ブルマーやセーラー服というより、女子高生が持て囃され始めたんだと思ってました。

 山本教授位の著書は、ぴったりブルマーが、なぜ日本中の学校で採用されたのかの経緯と、そして、なぜ30年にも渡って継続されたのかを、『学生服メーカーなどへの取材や文献の調査を行い、教育学的、社会風俗的な見地からその謎に迫っている』そうです。

 実は、山本教授への、この著作に関するインタビューを読むのは、これが初めてではありません。前の記事では、教授の実家が学校指定の制服を取り扱うお店で、30年分の体操服が家の倉庫に眠っていたのが助けになったと仰ってました。

 今回のインタビューでは、『校内に性的な要素を持ち込むことに強い警戒感を抱いてきた学校が、密着型ブルマーを採用したことは、不思議な出来事』だそうですが、果たして、1960年代の採用時に、ブルマーは『性的な要素』として認識されていたのかしらん?と、私は思ったのです。当時、小・中・高校生は、性的対象とは一般に見られてなかったと思うのね。

 ともあれ、ぴったりブルマーを真面目に、歴史的、文化学的視点から検証した、この本、何かを間違えて買う人が多くて、ベストセラーかも??

と、いうのも、この記事は最初「ぴったりブルマーの謎」ってタイトルで投稿したら、えっらい閲覧数が跳ね上がったんで、何か別のことを期待してサイトを開いて、ムカついた人が多そうだから、タイトルと内容を少し変えて再投稿なんです。勘違いされた皆様、二度と訪問は無いとは思うけど、ごめんなさいでした m(__)m

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