わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

アイルランドで同性婚合法可

2015-05-26 | 映画・ドラマ・本
 予告で見た景色とチャーミングなジュディ・デンチに惹かれ、内容は「50年前に幼い頃に養子に出した息子を探す母親と、ジャーナリストがアイルランドからアメリカに息子を探すたびに出る」という程度の前知識だけで、「あなたを抱きしめるまで(原題:Philomena)」を借りて観ました。内容はWikipediaで詳しく紹介されているので割愛することとして、流石のDame Denchの魅力再発見。どうしても、「恋に落ちたシェークスピア」のエリザベス一世やジェームズ・ボンドの上司、Mみたいな威厳があって近寄りがたいイメージが浮かんでしまうのですが、この映画では、ロマンス小説大好きなカワイイおばあちゃん全開!でも、締めるところでは、しっかり威厳を示して、伊達に演技で「Dame」の称号をもらったんじゃないって感じ。何を今更って?おみそれいたしました m(__)m

 未婚の母には、今のところマリアさんでもない限り、自分だけの努力じゃなれないので、必ず相手の男がいるのですが、そんなにも教義や戒律の厳しい国なのに、フィロミーナがナンパされて妊娠することになっちゃった相手のように、いい加減な男の存在に腹が立ちます。レイプされても女性のせい、男は遊んでもチャラで何の責任も問われない。なんたる不公平。そして、悪意の塊のような収容所のシスターたちが、自分の信じる「神の教律」に従って、収容された若い女性を虐待し、それが間違っていない、むしろ神の言葉に従って彼女たちを助けているのだとと信じている怖ろしさ。子どもたちを親から引き離し、裕福なアメリカの里親に「売渡す」ことのどこが、汝の隣人を愛せよなキリスト教の教義に結びつくのか?そして、それを頑なに自分は間違ってはいないとと言い切る修道女と、嘘をついて最期まで母と子の再会を阻止した教会を赦しますと言うフィロミーナ。「赦し」って一体何だろう?と、考えさせられました。答えは出ないけど。

 映画のお話(とはいえ実話が元になっているのですが)はホロ苦で、キリスト教の信条に馴染みのない(っていうか理解し難い)私には腑に落ちない事がありますが、主人公のフィロミーナが未婚の母となったために修道院に収容され、強制労働を課せられた上に、無理矢理に幼い息子は母親の意思とは全く関係なくアメリカに養子に出されたという事実について、もっと知りたくなりました。

 そこで、以前から名前を聞いたことのあった、まさに、そのようなシステムを主題とした「マグダレンの祈り(The Magdalene Sisters)」を次に借りてきた。つい1996年まで(!)運営されていたマグダレン洗濯所を舞台として、4人の女性を追った映画と共に、その実体験が映画の素材となった女性たちのドキュメンタリーが収録されています。未婚の母だけではなく、レイプされたり、ただ男の子の気を引く美人だからってだけで収容された女性も出てきます(←これは自己申請だから、ホントですかぁ?って気がしないでもないけど)。

 そんな、ごく最近までカトリックの名の下にそんな理不尽が国家全体でまかりとっていた国で、いきなり同性間結婚が合法化されたのは青天の霹靂。基本的にキリスト教国のアメリカでも、聖書の「結婚は男と女の愛で」という定義を縦に反対派が多いのに、国民投票の結果で同性愛と同性婚に平等な権利が認められるなんて、ホンの20年ほどで大きな変化です。アイルランドでは、約20年前までは同性愛は処罰対象だったのですから。ローマ法王ですら、同性愛者だからといって信仰を否定出来ないとの意見を公表しています。

 結婚を定義する、その意義とは何なのでしょう。互いを支えあい、子孫繁栄して次世代の育成に励むこと?昔はそうだったのかもしれないけど、今や性別による職業の分担は薄れ、自分たちの意志でも子供を持たないカップルが多い現代においては、そんあ定義は通用しません。同性婚を頑なに反対する人々に、聖書にそう書いてあるからっていう他人任せな理由ではなく、自分の言葉で反対の理由を、納得できるように説明してみてほしい。アメリカ人って、インディペンデントとか自己主張、俺のせいじゃなくて他の誰かが悪いってのが根っこにあるのに、自分の信念が2000年以上前の外国のおっさんが言ったから、ってのは矛盾してない?アメリカ時代遅れ過ぎ!

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