飴チョコひとつぶ

ちょこちょこっと書いていきます。

4週目の「山のたより」は

2005年10月31日 22時20分07秒 | 作文指導
 受験コースの生徒さんは除きますが、これから清書の週の「山のたより」には
俳句をひとつ、お知らせしようかな、と思っています。もちろん自作!ではなくて、やさしい一茶のもの。10月は

 猫の子の ちょいと押(おさ)える 木の葉かな

ひびきあうブログ

2005年10月30日 22時54分12秒 | 雑感
トイレにかける来年用日めくりカレンダーを買いに、家族みんなで本屋さんへ行きました。すると平積みになった「きいちのぬりえ」が目に飛び込んできました!
「大人気 大人のぬりえ」コーナーが開設されてます。

お仕事の先輩、チョムプーさんが恐れ多くも、先日このブログ内の「夢の跡類聚」こんぴらさんについて言及してくださいました。この方、本当に多くの「知識の引き出し」「好奇心の複眼レンズ」を持っておられて尊敬しています。

そのチョムプーさんのブログ「ココナツ・カフェ」」で、ぬりえのことが紹介されていました。ぬりえの風が吹いてきてるんですねえ。

かけまくもかしこき~こんぴらさん大詰

2005年10月29日 22時28分14秒 | 夢の跡類聚
 子どもの幼稚園バスのピックアップ場所、こんぴらさんについて長々と書いてきました。月の満ち欠けを思わせるような常夜燈が素敵だなあ、珍しいなあ、と子どもの手を引きながらぼんやり眺めていただけですが、いろんなことが分かりました。

 *なぜ内陸部に海にかかわる金毘羅さんがあるのか?
 
この問いのおかげで郷土誌などにあたる機会を得ました。

 *面白い!と見ていた常夜燈はほんとに面白いのか?

この確証は同時代に生きる人からではなく、むかしむかしの唄によって得られました。

 *天狗の顔の石がなぜこんぴらさんにあったのか?

この問いを求めるうちに、何故か歌舞伎に向かい、香川県金刀比羅宮にまで飛び、再びこの地のこんぴらさん「羽うちわ」に着地しました。なによりの収穫は・・・四国金刀比羅宮の宮司さんからメールをいただいたことです!!

こんぴらさんと天狗信仰についてお答えいたします。
安藤広重の描いたこんぴら詣りの道者の背中には、天狗の面が背負われて
いることは、こんぴらさんと天狗信仰が深い関連があったことを示してい
ると考えられます。貞享3年(1686)の田中玄須著の「本朝列伝」の
中には48天狗の名前が記されています。その内の讃岐関係の天狗は、
黒眷属金比羅坊・白峰相模坊・象頭山金剛坊の3つがあります。
黒眷属金比羅坊は、金毘羅大権現自体を天狗化したものと考えられます。
白峰相模坊は、崇徳上皇が天狗になったと考えられています。
象頭山金剛坊は、金毘羅大権現の中興の祖と仰がれる金剛坊宥盛が天狗に
なったと伝えられています。
このように近世のこんぴら信仰には、明らかに天狗信仰と結びついて全国的に
信仰されたと考えられます。
御地にございます「こんぴらさん」も天狗信仰と結びついて天狗の葉うちわの
ような図案が彫られた考えられます。   金刀比羅宮禰宜 安藤義之


こんなただの主婦の質問にていねいに答えていただき、恐縮します。承諾をいただいて、掲載させていただきました。ご教示いただきありがとうございました。思いがけず本宮の金刀比羅社に接近できたことは望外の喜び。居ながらにして参拝した気分です。

 その他、崇徳院にいきあたったついでに、脱線して「雨月物語」を読み返し「崇徳院怨霊の研究」なんていうおもしろそうな本にも行き当たりました。

 こんぴらさん、市では公園にする計画があるそうです。梅雨の時期、しめった石を好むだんごむしが、石のこま犬にいくつもついて、うじゃうじゃと這い回るんです。しかも「あ」「ん」の口のところはくぼんでいて、だんごむしが休憩しやすいのか、集まるんです!歯と歯の間にびっしりと!だんごむしのおはぐろ・・・グロいでしょ?公園になると常夜燈やこま犬などはどうなるのかなあ。

 にのたろうの送迎もあと半年でおしまい。幼稚園を出れば、私の生活ルートも変わります。そうなれば確実にこんぴらさんには近づかなくなるでしょう。

 石の烏天狗のありかは分かりません。讃岐の空へ飛んでいったのですね。
 にのたろう、次は君の番だ。空高く飛べ!!

 

 



  



こんぴらさんと宙乗り~こんぴらさんその10

2005年10月28日 13時42分46秒 | 夢の跡類聚
 「なんで天狗なの?」

「石の烏天狗」の写真のおかげで、またしても私は「こんぴらなぜなぜの森」にひきずりこまれました。神社といえば、こまいぬ、きつね、ねずみも見たことある!天狗って・・・神様と関係あるのかあ?なんとなく修験者のいでたちだから、お寺と関係しているような。

 こんぴらさんと天狗・・・天狗といえば鞍馬。山深いですよね。でもこんぴらさんは
海にかかわる神様。いや小高い丘にたっているから、江戸時代ならちょっとした深山・・・でも鞍馬のイメージを幕張にもってくる必然性がない。このこんぴらさんではなく、こんぴらさんの親分、四国の金刀比羅さんは、確か階段がたくさんあって、鞍馬と似ている??なんて思い巡らしていると

「もしや!!」

あわてて今月観た国立劇場のパンフを見直す・・・

「やっぱり!!」

10月国立劇場の南北の芝居「貞操塚鳥羽恋塚」で、崇徳院が魔道に入って空に飛び去るシーン。暗転した舞台が明るくなると、松緑が客席中央上にすでに宙乗りになってあらわれたあの場面。

 筋書きには、院が生きながら天狗の相になって天狗風を起こすと、怪しく笑い虚空を飛び去っていった、と説明しています。

そうだ、崇徳院は天狗になったのよ。でも舞台は金刀比羅宮じゃなかったのよね・・・
とにかく崇徳院は、四国に配流されていた!ならば崇徳院と金刀比羅さんは関係があるはず、あってちょうだい!と祈りつつ・・・

 金刀比羅さんのホームページを見ると、崇徳院をやはり祀っている事実が確認できました。崇徳院を祀ってからは神威がますます栄え、特に江戸時代に入ると庶民には「なんでも聞き入れてくれる神様」として信仰をあつめたそうです。やったあ!

10月国立劇場の「鳥羽恋塚」パンフ、「ゆかりの地探訪」を見直すと安井金毘羅宮(京都市東山区)の写真がのっていて、そこには

 「讃岐の金刀比羅宮に崇徳院が祀られているように、院と金毘羅大権現は同一体とされ・・・」

とも書かれています。

 この地のこんぴらさんに石でつくった天狗があったのは、必然だったのです。そしてやっと結びつきました。この記事に貼り付けた写真、クリックすると大きく見えるので分かると思いますが、天狗のはうちわでしょう?「だるまちゃんとてんぐちゃん」の羽うちわです。

 これは寛政二年に建てられた御神燈のとなりに置いてある二つの手水鉢のうちの一つ、明治期の方に見られる絵柄です。
 今まで無視してきたのですが、このこんぴらさんには結局3組の石どうろうがあるのです。一つは私のお気に入りの寛政期のもの、もう一つは参道を上がって上にある文久年間のもの、欄間のような火袋の、ですね。
そしてもうひとつ、参道の入り口にあったのです。はっきり言って、この灯ろうは道に面しているから、いわばこのこんぴらさんの表札みたいなもの。でも寄進した人、建てられた年代、何一つ読めなくて考慮にいれていませんでした。でも気にはしていました。なぜならこの第三の石灯籠の火袋にも「天狗のはうちわ」が彫られてあったからです。このこんぴらさんには羽うちわの絵が、手水鉢、二台の灯ろう、あわせて三つ見られます。

 「石の烏天狗」が写真集にあらわれたおかげで、このこんぴらさんの手水鉢などに見られる「はうちわ」の必然性が分かりました。ジグソーパズルが完成した瞬間みたい!

 烏天狗(写真でしか見られない、所在不明)から始まって、やっと手水鉢の羽うちわにたどり着きました。10月国立劇場南北の歌舞伎経由ですね。

 天狗と鞍馬山で止まっていたら、道に迷うところでした。鞍馬山、義経、軍記物、「保元物語」、崇徳院の烏、といけたかもしれませんが、ちょっと回り道ですね。

里見八犬伝!

2005年10月28日 02時45分11秒 | マイブーム
里見八犬伝

来年の正月番組でTBSが二夜連続で放送するんですって!もうひとつのブログ、
「いちのひめとにのたろう」には書いていたのですが、11月に人形劇で「里見八犬伝」を子どもたちと観にいきます。それで一号ちゃん、今図書館で「八犬伝」を借りて読んでます。そこへもってきて今度のTVドラマ!ありがたい!
 しかもキャストは、「義経」ですっかり家族にはおなじみの顔になった滝澤くんが、おやりになる!感激です!

 あら、お正月、大河ドラマ「新撰組」土方編と放映時間、重なってないかな?どうしよう・・・

それと、一号ちゃんいちのひめ
    二号くんにのたろう

と名前を本日、統一します。よろしくお願いします。

海に烏天狗?~こんぴらさんその9

2005年10月28日 02時24分45秒 | 夢の跡類聚
 「漁業史」には漁業とこんぴらさん信仰と祭りと、という具合に漁民の生活も書かれているのでは?と期待しましたが空振り。こんぴらさんに言及してあるのはほんの数行だけでした。
「参拝記念」として昭和43年に石碑を建立しておきながら、そして長年こんぴらさんを信仰しておきながらこの扱いはどうしたこと??と義憤にかられるところ。
でもこの「漁業史」を我慢して読んでいると、海が埋め立てられるのは残念だが、時代の要請によりどうしようもない、もはやこんぴらさんだの神仏にすがったとて時代の流れには抗しがたいものがあったことがうかがえます。

 漁から養殖へと漁業形態は変化してきましたが、昭和30年以降は異常気象によるヒトデの大量発生、赤潮、カドミウムやら不穏な言葉が並びます。海の汚染と異常な環境との戦いになっていたのですね。海の安全、航海の安全を約束していたこんぴらさんの力ももはや「想定外」の問題にはなすすべがなかったのでしょう。代々崇敬してきた人だって、こんぴらさんの前に立っていったい何を祈れば良いのか言葉が見つからない、鳥居の前で立ち尽くす姿が想像されました。

 「メッセの町は海だった」という写真集があって、それを見てみるとこんぴらさんの写真も載っていました。ここに載せたのは「石の烏天狗」と紹介されているもの。
こんなのないよ!なんだこれ??

 よく見ると木でできた壁に持たせかけられている様子。写真集を見ると、今はない木造の建物が境内にあったのが分かります。社務所か寄り合い所みたいなものでしょうか。壁の様子からみて、その建物に寄りかかっていたようです。建物の撤去でどこかに持ち去られたのでしょうか?見てみたい!ほんと、ここの人たちって石で凝ったものつくるの好きですね。

 それにしてもこんぴらさんに、この烏天狗ってどういうご関係??

守り人~こんぴらさんその8

2005年10月27日 02時01分23秒 | 夢の跡類聚
 「郷土誌」の聞き書きの項には、もう一つ教えてくれるものがありました。それがこの丸い石。参道脇に置かれていてなにかのおまじないかしら、と思っていました。やけに丸くて、しかもデカイ!小学校の社会か理科の授業で、下流の石は、小さくて丸いんだって教えられたけど、これはいったい何でしょうか?

 これは農家の人が、18日、26日のお休みに石を持ち上げて力比べをした娯楽の道具なんですって!やけに石の表面がつやつやしているのは、力自慢の男たちが石を抱きかかえて、着物ですったからなのでしょうか?

 勧進相撲もあった、縁日も開かれていた、参道には若い男が力を競っていた、
そして一刀彫の社殿があって、村ご自慢の石灯籠があった。

 こんぴらさんは、海の安全を約束し、人々に娯楽の場を提供していたんですね。
今はない社殿跡の脇に「参拝記念」と彫られた石碑があります。腰高くらいの大きさです。「昭和43年 漁業組合617名」とあります。この地域の「漁業史」を見るともうこの時期は、海の埋め立て、漁業の廃業が決定的になっていたそうです。最後の参拝の意味もあって、石碑が建てられたのでしょうか。

 昭和47年に漁業権放棄を決定、翌年には漁業事業からの全面撤退。昭和53年組合は解散。海の安全を約束するこんぴらさんはその役割を終え、地域の産業構造が急速に変化する中で、廃れ、忘れられていったのでしょう。
 道が整備され、住宅が立ち並び、町はぐんぐんと発展し、若々しい様子ですが、こんぴらさんのところは、まるで今の社殿跡やとうろうの無残な姿を隠そうとするかのように木々が生い茂っています。老いを隠そうとしているけれど、どうにもならない!
好き放題に伸びているように見えるけれど、木は精一杯枝を伸ばし、葉を茂らせ、互いにからまりあってこんぴらさんを守っているんですね。
 

食欲の秋(やけぐいじゃ!)

2005年10月26日 02時32分29秒 | 雑感
 親戚の方からいただいた古代米。お米二合におさじ一杯の古代米をいれて炊きます。教えられたとおりにさつまいもも小さく切っておくと、さてさておいしいごはん。紫色のごはんになるので、子どもは喜びます。
 おいおい、タイガース。10点、10点、10点って「ものまね歌合戦」じゃないんだから、勘弁して~!もう飲めません。食べるしかない!!

邂逅~こんぴらさんその7

2005年10月24日 23時42分23秒 | 夢の跡類聚
 「郷土誌」を見つけました。その最後のほうに「聞き書き」が載せられて、どのあたりは狐が多くて化かされた人もいたらしい、とか池があって水をもらってきては雨降り祈願をしたとか、いろいろと書いてありました。その中のある項目に目がとまり、興奮のあまり思わず本をいったん閉じてしまいました。こんな記述・・・

金毘羅様 きぜむのおばあさん
金毘羅講 じんたのおばあさん

「金毘羅さまの石灯ろうはどなたがあげたか良くできた。金なら300両、銭なら
 一長持ちもかかったろ」とうたに唄い、おどりに踊ったそうです。

私が魅入って、このブログで散々ほめまくった金比羅さんの石どうろうは、やはり素敵だ!ということが証明されました。いつの時代から唄われて、唄われたとうろうは寛政のほうか、文久のほうかは分かりません。でもとにかくかつての住人はこのとうろうを自慢に思い、そして唄にして心をひとつに楽しんだことがあったのです。

またこの聞き書きは、今はもうないお宮さんの建物は一刀彫であったことも教えてくれました。美しい石灯篭、一刀彫の社殿、これらを寄進した人たちがいかに景気がよかったかがしのばれます。

今は草深い荒地に立っていると、そのうち石灯籠をうたった講中の踊りの輪がみえてきます。着物を着て参道を行き過ぎる女性の肩にぽんぽんと手をのせて
「ほんとうにたいした石灯篭ですね。」とジーンズをはいた私が声をかけます。
「ええ、なかなかのもんでしょう。」と女性は答えます。

往古の人と邂逅した瞬間でした。




飲ませてくださいもう少し~

2005年10月23日 21時58分06秒 | 雑感
 日本シリーズで相手に二ケタ得点を連日くらうなんて・・・

おうおう、阪神の選手たち!こちらでの定宿はプリンスと聞いている!今日はあなたたち、エレベーター使わないで階段で部屋に行きなさい!ったくもう二日連続嫌な酒を飲ませよって・・・
 うん、まあ甲子園では頑張ってね!千葉でお帰りを待っているわ

 ところで最近のテレビ解説に言いたいことがある!よく「流れがぐっと・・・」とか
「勢いがありますから・・・」ほんとによく頻出する言葉。よくも恥ずかしげもなく何回も使うなあ!

「勢い」とか「流れ」とかそんな感覚的、情緒的な言葉を使って解説するなよ。
解説者たるもの、もうちっと根拠あることを言えないの?説得力ないよ!ヒットが続けば、「こらいける!」と思う。エラーがひとつあれば「やっぱりあかんかも」って思う。でもそれはこちらの気まぐれなファンの感想でしょ!あなたたちが使っていい言葉じゃない!
 それだから、「いやあ、流れは完全に・・・」と否定的なことを言っておきながら、その直後にヒットを打ったりすると、完全黙秘を決め込む・・・
 解説者でお金もらってるんだったら、意地でも「流れ」とか「勢い」とか雰囲気で試合を語るまい、とする気概をもってよ!「流れ」「勢い」ってなあ、水洗トイレのこと話してるんじゃあないんだよう!おうっ!!

 就活で聞く「ご縁があった、なかった」とおんなじくらいあいまいな単語だよね。