司馬万太郎の残日録

司馬遼太郎の小説を読むことが好きな建築士の日常雑想録
  (競輪)・(中日ドラゴンズ)・(晴耕雨読)そして建築のこと

日本シリーズ 第3戦

2007年10月31日 | 野球、中日ドラゴンズ:藤井淳志
 よし!よーし! よっしゃ~!。完勝だ。
ドラゴンズが第3戦を制した。ここにきて打線の好不調がはっきりとしてきた。札幌にいる間に本来の打線を形成できなかったハムと敵地で打線が奮起したドラとの差がはっきりと現れた試合だった。こうなると舞台はドラのホームであるだけにドラ打線はあと2試合好調をキープしてナゴドでの胴上げの可能性が高くなった。問題は第5戦のダルビッシュ戦となるだろう。いかに好調なドラ打線もてこずるだろう。ダル攻略の鍵はやはりアライバだろう。いかにして1アウト3塁の形で森野・ウッズに廻すかにかかるだろう。おそらくチャンスは初回と中盤の2度程しかないだろう。
1番:荒木が出塁(安打・四球・死球なんでもいい)、すかさず盗塁。
2番:井端が送りバンドか進塁打 (1アウト3塁の完成)
3番:森野、第1球スクイズ敢行なんてのも有りだが、リスクが大きすぎるので高めの直球のみに絞った犠打狙い。決まれば勝負あり。
中3日でダルが来てもこの作戦がいいと思うがどうだろう。

       夢は膨らみ、今日はここまで。


強運:松阪・岡島

2007年10月30日 | 野球、中日ドラゴンズ:藤井淳志
 大リーグはレッドソックスがシリーズを制した。
松阪・岡島はチームの一員として充分に優勝に貢献した。今更に二人の強運に驚かされる。大リーグ移籍1年目でワールドシリーズ優勝なんてすごい強運を持っているとしかいいようがない。栄光をてにするものはいとも簡単に手にしてしまう。
我ドラゴンズは52年間も日本一からト遠ざかっているとと言うのに。

 何としても日本一をものにして欲しいものだ。と改めて想った。

      念を込めて、今日はここまで。

日本シリーズ 第2戦

2007年10月28日 | 野球、中日ドラゴンズ:藤井淳志
 第2戦はドラの圧勝になった。ドラナインはよく打ち、中田はよく投げ全てにおいてドラがハムを凌駕した試合だった。昨日の心配は全て水泡に消えた。
1勝1敗の対ではあるが、今日の勝利で勢いは完全にドラのものとなった。何よりもハムの打者はセギノールを除いて全くドラの投手を打てていない。対するドラは谷繁と藤井にヒットこそ出ていないもの多くの選手が安打を放った。安打のない二人もファールで粘り四球をものにしている。つまりハムの投手相手に自分の打席が創れていることが見て取れる。
アウェイの球場で1勝1敗という最低条件をクリアした中日にとって、ナゴドでの試合は多くの声援を背に受けますますのびのびとプレイできるものと思う。

悲願の日本一まであと3勝! 頑張れドラゴンズ!!

            今日は、ここまで。

突然のプレゼント

2007年10月28日 | 雑想 
 ドラの日本シリーズが気になってしまっていたので、昨日書き忘れてしまった。
土曜日の4時半頃だったと思ったが、小ぶりだった雨が上がり日がさし始めたときふと空に目をやったら、でかい虹が出ていた。一号線を赤坂から御油に抜ける辺りだった。きれいな半円で両足がしっかりと地面に着いていて色も濃く、欠けているところも無かった。十年以上こんな見事な虹は見たことが無いように思った。思わぬプレゼントをもらった心持になった。自足100㌔の台風の落とし物だろうか?気持ちも嬉しくなってしまうのが不思議だ。幸先良しと思ったのにドラは・・・やはり地域の会合が7時~9時まであったのがいかんかったと思う。今日は試合開始から終了までテレビの前を離れんようにする。

   勝ったらまた書く。とりあえず、ここまで。

               

日本シリーズ

2007年10月27日 | 野球、中日ドラゴンズ:藤井淳志
 3:1得点で判断すれば、ドラの完敗だが内容は5分5分の試合だったと思う。
四球・四球・ホームランの3点、この本塁打を含めて日本ハムの安打はわずか2本、一方のドラは4安打、連打もあった。だが勝負はセギノールの一発で決まった。
ダルビッシュVS川上、球界を代表する投手の投げあいは勝利投手はダルビッシュという結果になった。が、内容ではむしろ川上のほうが勝っていたように想う。与えた四球はダルビッシュが2、川上が3である。双方立派な投球内容としかいいようがない。・・・女神はハムが好きだった。としか言いようがない。

 と冷静に感想を書いたが、本音は別だ。だから最初からダルとは勝負するなと言ったじゃないか。川上・中田で必ず勝つにはダルに二人をぶつけちゃ損損、日本シリーズはドラが挑戦者なんだから、変化球から入っていいんです。投手力で勝っているドラはそれを最大の武器にした戦いをしなきゃ、これで憲信を中3日か4日で登板させないとまたダルとぶつかる。勿論勝負は5分だが、有利ではない。女神に気に入られる事も大事だが、有利に戦う方がもっと大事。勝負は天知る、地知る、人知るである。
明日は、中田VSグリーンだと想うがこれもがっぷりだが、安定感ではグリーンに一日の長があるましてやスタンドはハムの味方である若い中田が一敗というハンデを背負って自分の投球が出来るだろうか。パターンとしてはハンデ戦に突入といったところだ。明日ドラが勝てば勝負は最終戦にもつれ込む可能性が大となるが、負ければドラの日本一は無いだろう。そんな大事な試合になることが簡単に予想できるのに、監督は川上・中田と送り出したのだろうか?CS戦で少し慢心してしまったのかも知れない。今更になるので、中田に頑張ってもらうしかない。

              今日は、ここまで。

 追伸:うるぐすでの日本シリーズの扱い短すぎ!読め売るのアホ!

ポアンカレ予想と数学者

2007年10月25日 | 雑想 
 Nスペを観た。ペレリマン博士のポアンカレ予想の特集だった。
数学の奥深さを少し味あわせてもらった。全てをなげうっての研究であるという事のいったんを知る思いだった。ポアンカレという学者の名前は知っていたがポアンカレ予想なる言葉は知らなかった。ボンカレーの味の予想なら出来るが、トコロジーなどという分野は全く解らない。しかしその分野の証明を微分数学や物理方程式を駆使して証明したペレリマン博士は何を得何を失ってしまったのだろうか。この番組を観て凡人に産んでくれた母に改めて感謝せねばと思った。フィールズ賞を辞退する状況とは一体何なのだろう。天才の脳内サプリはいったいどのようなものだろうか。世界の頭脳であるペレリマン博士には是非とも復帰していただきたい。
 100年かかって証明されたポアンカレ予想。だが数学の奥深さは証明されたとされている。と記述しているところにある。つまり現在の段階ではペレリマンの理論の間違いを指摘できないという事で、100年かかって誰かが指摘する可能性は否定できないという事になるといいたいようだ。恐るべし数学者共だ。

         今日は、ここまで。

ワールドシリーズ

2007年10月24日 | 雑想 
 いよいよ明日から大リーグのワールドシリーズが始まる。三十数年前まだ日米野球といって親善交流の意味合いが強い形ではあったが、日本の代表(あそこ球団中心)と大リーガーとの試合をテレビで観てその圧倒的パワーに驚かされ日米の野球レベルの違いを見せ付けられたものだ。時を経て今その頂点を極める試合の両チームに日本人がいる時代になった。グローバルな時代とはいえ、松井・松阪・岡島に心から賞賛を送りたい。
ワールドシリーズは衛星放送開始以来毎年テレビで観ているが、今年が一番楽しみな年になった。3人の活躍を期待したい。

           今日は、ここまで。

改悪基準法による建築不況

2007年10月23日 | 建築
 今日NHKのニュースで建築着工件数の大幅な低下が報道された。7月25%・8月45%との事だが、9月は発表されていないがおそらく50%程度だろう。耐耐震偽装の内多くの物件にかかわりのあった〇〇学会。創価学会出身の国交大臣は制度的な運用に慣れればあと1・2ヶ月で元に戻るのでせっかく厳しくした制度を元に戻すような事はしない。などととぼけた事を公言していたが、いい制度であれば多くの建築士が口をそろえて文句は言わない。制度も運用も最悪だから文句を言うのだ。ニュースにしても着工件数だけを取り上げて報道しているが、建築確認が降りているのはほとんどが小規模住宅物件で、RC・鉄骨の適判物件はほとんど降りていない。建設費で比較すれば前年の2~3割程度の着工額だと想像してもおかしくは無いだろう。とてもあと1・2ヶ月で元に戻るといった状況ではない。あと2・3ヶ月で中堅以下の地元大手が潰れる状況だというのが正しい予想だろう。
やっとニュース事項の報道としてNHKが取り上げたが、本質的な解決は改正(改悪)建築基準法では全くと言っていいほど役に立っていない。
偽装やミスが重大であれば壊す事も念頭に入れてつくりなおしを義務付けしてもいい。審査している側はなんの責任も取らないというシステムは少しも変わっていないのだから、集団規定だけ審査して、個別規定や構造強度尊守義務でいいだろう。とにかく行政はスムースに受理をして、後はどうぞ御勝手に時間をかけて審査をして設計図書なり工事現場に口出ししてもらえばいい事だ。その際その指摘事項が重大であれば撤去(取り壊し)もやむなしの権限を持てばいいだろう。
どんな仕事でも受注から納品までの期間をいかに短縮するかが最大の問題であるのに、勝手に時間を掛けられてはたまった物ではない。
設計図書は多数の図面があり膨大な項目が記入されている。だから優先図面がある。なのに描いたもの全てに少しでも食い違いがあったら出しなおしで、さらに確認手数料を払えとは馬鹿も休み休み言えという状態だ。役人というのはつまらんことでも見つけたら直させる事が自分の仕事だと思っているのがほとんどだ。自分のてを離れて上司に指摘されたら無能扱いをされるのを最も恐れる生き物なのだ。いくら時間を掛けても担当者の手は離れない、上司がいいからまわせというまで出さないだろう。今の状況ではまわされた無能な上司が今度は自分の責任を恐れてまわせとは言わない。先の見えない審査をだらだらと続けているだけだ。
この制度を本気(狂気だと思うが)で続けるつもりなら、”設計者が意匠設計だけして提出するので構造に関しては地業・基礎・躯体の希望工法が記入してありますので、行政がそれを決定してください。尚、部材断面や配筋については通知された結論に従います。安全で経済的な工法ならびに使用部材の迅速なる通知をお願いいたします。”とでも書いた建築確認申請を受理するべきだ。そして申請は建築主と設計者が同行で申請しなければならない。としたらどうだ。制度的矛盾から生じる混乱を設計者に押し付けるような制度はいい加減に辞めてもらいたい。
違反をしたものは罰すればいいだけの話だ。どこの世界に法で許されていることを専門家が判断し決定し実行しようとするとき行政がその内容について判断しなおししてからでないと実行できないなどという資格があるだろうか。ならば資格など無用だ全て行政が計画実行すればいい。手術する医者がいちいち監督官庁の了解をもらってからでないと、手術はおろか薬も渡さないというのといっしょだ。
 設計者(建築士)は基本的に依頼者の利益を守る事を生業としている。勿論法に従ってその職務を全うしなければならない。このスタンスは不変のものだ。おのずと何処を厳しく審査しなければならないかはすぐわかるはずだ。依頼者の利益が法遵守と相反する場合だ。当然依頼者はほぼ限定できるはずである。その審査をとりあえず重点的に実行してみることから始めて欲しい。

                 今日は、ここまで。

深夜の特番

2007年10月21日 | 野球、中日ドラゴンズ:藤井淳志
 CBC経由東海TVで深夜の特番を見た。
日付は21(日)になっているので、まるでサンドラを見ている感覚になってしまう。
試合終了直後の選手や監督の表情を見ることができてとても嬉しい。だが負けたGのことを思うと少し複雑な気持ちになる。D党としては嬉しい限りだが、G党としてはどうにも納得できない気持ちだと思う。シーズン開始前からのルールだからそういうものとして割り切らなければいけないことだが、できれば早く元にに戻して欲しいものだと想った。
 こんなこともある。ドラが3連勝したことでシーズンとCSシリーズの勝ち星を全部合わせるとドラの勝ちとなる。ということで今年もドラがセでは一番と自分では納得している。

           気分よく・・・・今日は、完

CS Ⅱステージ 決着

2007年10月20日 | 野球、中日ドラゴンズ:藤井淳志
 完璧な勝利で日本シリーズへの進出を決めた。全員で勝ち取った勝利というにふさわしい戦い方だった。3連勝は出木杉君のようであと一つくらいは巨人とのCSシリーズを観たい気もしたがとにかく我らの中日ドラゴンズに万歳である。
ヒーローは全員だが、特に先発投手3人(川上・小笠原・中田)と森野・ウッズ・谷繁そして抑えの岩瀬といったところがCSの働き頭だと思うが、監督落合の第一線での投手起用も連戦の流れを決定的なものへ誘導する大きな要素になったと思う。それでも敢えて一人選ぶとすると・・・谷繁というところだろう。でも荒木・井端も光っていたなども思うとやはり全員でつかんだ大勝利ということになる。
何を言っているのか嬉しくて自分でもよくわからなくなってしまっているが、とにかく嬉しい嬉しい大勝利だった。是非日本シリーズも勝ち取って欲しい。そして今年こそ悲願の日本一をものにして欲しい。

                とても気分がいいが、今日はここまで。

CS Ⅱステージ

2007年10月19日 | 野球、中日ドラゴンズ:藤井淳志
 今日もドラがいい形で勝利した。7:4危なげない勝ち方だが、3塁審判も味方してくれたお陰だ。それに抗議しない原監督も立派だ。でも勝敗の分かれ目は誤審にあることは間違いない。でもそれが勝負というもの。運も味方につけなければ勝てない。
ナゴドでの日本シリーズ開催の可能性が俄然現実味をおびてきた。
一気に決めて欲しい。
どさくさにまぎれて藤井選手がクリーンヒット、天晴れであった。

             明日も、頑張れドラゴンズ!!!!!!!

新聞記事から

2007年10月18日 | 司馬遼太郎からの贈り物
 新聞記事には読者発言を掲載するコーナーがある。その中の記事で81歳になる税理士の発言が目に止まった。’希望見えぬ介護 家族も限界’と題されていた。
・・・・・いくつもの苦労はしてきたが、その後には必ず喜びと希望があるからだ。老い病にある妻の介護の先に希望が見えないこと。家族の協力にも限界が見えること。妻の意思に反して老人ホームへの入所を考えている自分を、妻への背信ではないかと悩んでいること。そして自分と妻の境遇に老人の哀れさと寂しさを感じてならないこと。・・・・などが書かれていた。なんとなく気持ちが重くなってしまう記事だ。
よく「子供しかるな、自分の来た道。年寄り嫌うな、自分の行く道」などと聞かされて育ったものだが、こういう記事を見ると他人事とは思えない。介護の厳しさを思い知らされるわけだが、介護する相手への想いが強ければ強いほど全てがジレンマに陥ってしまうように想う。やりきれない思いが感情を支配してしまうだろう。使える制度を全て使うには経済的基盤も必要になるし、精神的な健全さを保つには確たる人生観も必要になるだろう。達観などという心境に達するのは一部の人間で常人には無理というものだろう。しかし人として余命ある限り生きるに値する人生にしたいものだと思うと、何か準備しておく必要があるように思う。
それは哲学とか宗教(信仰)とかに代表されるのではと思ったりする。
日本の教育は宗教をタブー視しているが、少なくとも宗教とはどのようなもので、世界の代表的な宗教を紹介し、日本における仏教なり宗教とは少し趣きを変えてはいるが神道についても教育の現場で取り上げていく必要があるように思う。哲学などは大学教育でも多くの大学生が取得していない現状では、希望の見えない余生に対していかにして精神の健全を保っていけばよいのか自分で答えを出す事は難しいだろう。せめて歴史に学ぶ方法でもあればと思うが、努力しなくとも生きてしまえる現代では、生きていく事に忙しく動かなければならなかった昔は参考にならないのかもしれない。せめて歴史の先人達はどのように身内の死を捉えていたのかという本でも見つけることが出来ればと思う。
司馬さんが江戸・明治期の人間の死というものについて多少触れていたものがあったような気がしたが、今は記憶に無い。老いではなく病についてなら、坂の上の雲の正岡子規ということになるのだが、正面から介護を取り上げている小説ではない。
30年以上前の有吉佐和子氏が書いた’恍惚の人’くらいが介護問題を正面から扱って介護の大変さを書いてはいたが、認知症に対する認識はまだ無い時代の小説だった。

 話がまた横道にそれたが、少し思ったことは、介護という問題がこれほどの社会問題になってきたのは昭和末期から平成に入ってからのように思える、中世・近世にもあった現象がなぜ現代が社会問題化するのか、人口構成や長寿化が背景のように思い込ませれているようには思えないだろうか、生の消失とはかくあるべきなどと思いこまされてはいないだろうか?いたずらな延命医療が多くの不幸を招いているなどという事は無いだろうか?もしある業界に意向が反映されて延命産業とも言うべきものが確立されそれが多くの国民の日常を圧迫しているとしたら、平成に生きる日本人として人間の生と死その捉え方、いき方そして死というもの迎え方と送り方を歴史・哲学・信仰なども踏まえて考えておかなければならないのではと介護の投稿記事を読んでなんとなく想ってしまった。

亀田問題で想う

2007年10月17日 | 雑想 
 亀田家族にJBCから正式に処分が下された。極めて当然の処分でむしろ甘いくらいに思った。とにかく昨日のTVやスポーツ新聞はこの話題がおおかった。亀田大と親父のことは前回のブログで汚物処理したが、今日過去の兄亀の世界戦(KOで兄亀が勝った試合)をYTで観たが完全にローブロウ(金的打ち)であることが解かった。親父が玉打て!というアドバイスも既にこの頃から実行されていたように思える。まさかそこまでとは思わなかった善人たちは本当にこの家族に裏切られていたことになる。後になってわかっても仕方が無いことかも知れないが、亀兄のタイトルも剥奪に値する代物だったことになる。

 亀田問題で少し思ったことがある。それは”一芸に秀でる”ということだ。
このことに対してどうも我々の目は少し曇ってしまていたようだ。障害を抱えながらも才能を開花させた人たちや若き日の蛮行を反省し技術や芸術で大成した人たちとか、そうゆうことを必要以上に尊いものとして扱うことを暗黙のルールにしすぎた背景が、亀田や朝青龍の問題を産んだ土壌になってしまったような気がする。
ハンデキャップを持ちながらも一芸に秀でる人たちを賛美するあまり、一芸に秀でていればそれでいいのだ。としすぎたようだ。勿論、亀田や朝青龍がハンデキャップを保持しているという辛口な見方もBJとしては無くも無いが、通常である健常な体と知能をもっているものには、先ず社会人として備えるべき常識(礼儀等)を身につけることは欠くべからずのことだと思った。
一芸に秀でる者であっても社会人としての資質を欠いているものは、その才能は残念ながら社会のルールが葬り去るのはいたし方あるまいし、積極的にそうするべきだろう。ましてやその才能が観た者を感動させる部門に属する場合はなおさらである。   感動に疑惑や嫌悪はあってはならない。

            今日は、ここまで。

                 

一級建築士設計製図試験終了

2007年10月15日 | 建築
 昨日一級建築士の設計製図試験が行われた。国家試験としては難関となっている試験だが、学科試験よりは合格率は高い。例年では30%程度ではあるが、決まっているわけではないので受験者にとっては、12月の発表が大変気になるところだろう。今年の製図試験の特徴は構造及び設備計画の設計趣旨といったところだろう。
構造及び設備が自由となれば選択の正当性が問われるわけだから、趣旨に沿ったプランの提出が求められることになる。つまり素人は炙り出される可能性が高くなり、本来の設計製図能力が比べやすい試験となるわけだが、審査する側は少々大変な作業となる。試験課題はまだ手に入ってないが比較的簡単な課題であったような雰囲気である。おそらくは製図能力が合否の鍵を握りそうである。過去3年少し難しい課題が続いていたので、製図完成度での能力比ができていない状態であったので、本年度はかなり厳しい完成度が要求される気がする。製図について一級受験者は勘違いをしている部分がある。それは基本的な表現での約束は2級製図試験より厳密に審査されるという事だ。いまさらそんな基本的なことをと思うかも知れないが、現実には審査されていると考えなくてはならない。なぜなら受験者全員が二級製図試験の洗礼受けてはいないからだ。建築士試験は一級試験が初めてという受験社が多数存在している以上、二級製図試験以上の厳密なチェックが行われるのが当然となる。でなければ試験の整合性が保持できない。
エスキス完成ばかりに重点をおいて図面精度が低かったりすると、思わぬ結果を招くことになると覚悟したほうがよさそうだ。特に今年はその可能性が高まった試験であったようだ。
難関を突破して多くの建築士が誕生することを願ってはいるのだが・・・・・
掲示板などの書き込みを見るとどうも、ここ二三年の難しかったエスキスの試験結果にあまりにも影響されすぎているように思った。


             今日は、ここまで。