司馬万太郎の残日録

司馬遼太郎の小説を読むことが好きな建築士の日常雑想録
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敷地境界線をなぞる人たち。 7

2007年10月05日 | 二級建築士設計製図試験
 なぞの行為を推理する  ・・・・推理4・・・-第3話ー

 躍進を続ける資格学校ではあったが、多くの受験生が受講に抵抗がなくなったのは平成に入ってからの事だろう。当初は二級受講生が多い時代が続いた、しかも全受験生に対する比率はそれほどのものでもなかっただろう。一級に関しては受講生はなかなか増えなかったと考えられる。やはり少しでも「腕に覚えあり」の現役技術者にとっては学校に通うことに一抹の恥ずかしさがあったのだろう。
しかし平成になると事態は急速に変化し始めた。資格学校に通った建設会社の社員が合格し、社内で優秀(出身校のレッテル)とされていた社員が合格しないという例が続出しだした。合格しない者の論理は至って単純である、自分の能力や努力足らずを棚に上げ学校までいけば受かって当然と結論づけるのである。

 しかし資格を保有する者とそうでない者に対する社会の評価はそんなことは通用しない。遅ればせながらも背水の陣を布く為に資格への入校となるわけである。建設会社勤務の人たちに比べて設計事務所勤務の所員達の資格学校利用はやや遅れて常用化した。かくして今では利用する受験者の方が多い時代になってしまった。
果たして資格学校にはそれなりのシステムとノウハウが存在していたわけだが、利用する受験者がほとんどという事になるとまた別の意味で存在意義が問われる時代になりそうな気もするし、試験突破のハードルを受験者自ら上げてしまう結果になるだろう。現在でもその傾向は現れており、合格率の向上は並大抵の事では維持できない。
 資格学校では合格のためのノウハウが多数ある。それぞれの学校でよく似たものもあれば、全くその学校独自のものもある。敷地境界線をなぞるというノウハウはN独自のもので、謀反を起こしたSには存在していないようだ。つまり昭和55年以降のある年からNに伝わる世間が周知に至っている秘技?ということになる。

複数の採点者による図面チェックは、いったいどのような方法でチェックされるのであろうか?各都道府県で処理されていた時代は原図審査という方法であっただろう。勿論大元の管轄は建設省だから、審査に入る前の図面はお得意のマイクロフィルムに納められ、採点後審査途中で改ざんがなされないようにフィルム図面と照合をおこなうという事で不正の防止をしたであろうと考えられる。ただし一つの図面を同時に複数の採点者が視たのか、一人づつが別々の時間に視たのかははっきりしない。ただこの時代は多くのマンパワーを比較的結集しやすい時代であり、休日も少なく残業などは平気な時代であった事や各県単位の枚数はそれほど時間的にもタイトな状態にはならなかったのでないかと考えられる。勿論一級も全国共通の課題ではあったが、審査は都道府県単位で委託されていたと考えるのが妥当だろう。

 問題は試験運用がJAEICに委託された昭和62年以降である。膨大な図面審査を期限内に厳正?に審査しなければならないのである。
役人というのは自分達が作業の当事者になると責任の回避のための方策はいろいろ逃げ道を残しておくが、その仕事を委託するようになるととてつもなく厳しいものを要求してくる。その仕事の経緯だけをチェックするだけで自分達の仕事量が担保でるからだ。とはいえJAEICは天下り機関なわけだから、その辺はアウンの呼吸というものだろう。
問題はいかにして沢山の図面を効率よく厳正に短時間で審査できるかだ。しかも複数の採点者の目を通して。
おそらく昭和62年から採点の方法は激的変化をしたと考えられる。そしてそれを可能にしたのはやはり文明だったという事だろう。

 一つの図面を複数の人間が同時に審査するというのは一見厳正のように思えるがそれは合議制というもので独立した恒久的公正性は確保できない。力のあるものの意向がまかりとおることになりやすいからだ。そしてそれは採点者一人一人の責任感が希薄になっていくし、意見調整に時間がかかりすぎることの弊害もある。
 設計製図の審査に一番なじみやすい審査方法は何であろうか?広い意味では勝負なのだが勝ち負けの判定は瞬間では決っする事はないので判定に委ねることになる。
思い浮かぶのはオリンピックの体操やフィギヤスケートの競技だ。まさにその審査方法を導入するしか方法は無いだろう、
もう一つ問題なのはどうやってその方法を所轄官庁に証拠提示できるかという点だ。同一の図面をマニュアルに沿って複数の採点者が個別に採点し、内規に従って最終得点を決定する。しかも限られた時間に。鉛筆仕上げの図面では採点途中に書き足す事も出来れば消す事も出来る。出来れば図面に減点箇所の明示と得点も記入する必要があるだろう。しかし採点者は独自の採点を常に心がけなければ公正性は担保出来ない。他人が採点しチェックし終えた図面ではそれは難しい。採点者一人一人が真剣に採点したかどうか証拠が残らなくなるからだ。

 このブログを読んでいる非常に少ない読者はもうわかったはずである。A2版のコピーの利用がこの問題を解決する事になるのだ。勿論受験番号や名前は伏せられ、一連の通し番号が明示されたものを採点することになるだろう。
この文明の利器は複数採点者による同時審査を可能にし、しかも一同に会する必要もなく、ある一定の会場を個別に確保さえすれば、公正なる判定を可能にしたわけである。

かくして受験者の描いた図面はそのコピーが審査されている可能性が高いという結論になりそうだ。
だとすればコピー写りのいい図面が有利になるというわけだ。どこの資格学校も鉛筆の薄い図面はダメと言っているはずである。実務経験のある講師は経験側でのみ薄いのはダメと言っているようであるが、講師のうちでコピーのことまで考えてアドバイスしている者はいるだろうか?
果たして資格学校自体がこの事を予想し念頭においているだろうか甚だ疑問だ。

 長くなったがいよいよ推理4の核心に入る。敷地境界線・方位・GLは薄緑の線で印刷してある、コピーするとどうであろう、ますます薄くなるのは明白である。そのコピー図面が採点されるのである。図面の見栄え・メリハリ(線の強弱)・見づらさなどといった微妙なものが減点の対象になってしまうのである。
敷地境界線等を鉛筆でしっかりなぞった図面は、そうでない図面に比べて見栄え・メリハリといった要素では勝っているといえそうだ。

  推理4:コピーされた図面の見栄えをよくするため。

以上、だいぶ長くなってしまったが、推理4をやっと書きおえた。案の定途中脱線をしてしまった。勘弁勘弁といったところです。お詫びに今日は推理5と推理6を書く事にする。しかも極めて簡潔に。

 なぞの行為を推理する。 ・・・・推理5、推理6

推理5:作図の最初にある一定の作業をさせる事により少しでも精神的に冷静な状態を取り戻すため。

推理6:敷地境界線・方位・GLを最初になぞる事により作図欄(枠)を確認でき平面枠・立面枠(断面)を確認でき指定された作図枠に別の図面を描いてしまうというミスを防ぐ事ができる。(パニクッテいる人は犯してしまうミスです。)

以上推理6までで全てが終了となった。次回はこの推理とその是非についてかいてみることにする。

               今日は、ここまで。