昨日は二時にちょうどマザーハウスに行くと、ジョンとジェニィに会った。
MCシスターに頼まれ、女性患者一人AJC bose roadからシャンティダンに運ぶと言うので一緒に行った。
シャンティダンに着くと、シスターたちのいる場所のベルを鳴らしても誰も出て来なかった。
三年前は自分の良く知っているシスターデェミッツアが施設長だったが、今は誰が施設長かを知らなかった。
ジョンが通りかかった一人のシスターに声を掛け、マザーハウスのシスターに頼まれ、患者を運んできたと伝えると、素っ気無い素振りで連れてきた患者も見もせず、今違うシスターを呼ぶと言って離れていった。
それから、一向に誰も来なかった。
そのシスターの態度にマザーの心を持っていないとみんな呆れていた。
次に来たシスターは身体の大きなシスターだった。
インド人の来客者に施設内を案内しているようだった。
声を掛けると、患者の様態を確かめ、すぐにシスターたちのいる場所に向かい走り出した。
みんなその姿に安心した。
そして、また違うシスターが来て、メンタルではない患者だったがシャンティダンでは受け入れてくれた。
それから、シャンティダンの施設内にあるマザーの写真を見た。
マザーハウスに飾りきれないのでシャンティダンに飾ってるそうだ。
それは美しかった。
まだボランティアディーにボランティアは集まっていないので、ジョンとジェニィたちとシャンティダンの庭にあるブランコに乗って遊んでいた。
ボランティアディーでは「なぜここにきたのか?」「何をここで感じるのか?」について国ごとにわかれ、シェアリングした。
そこに来た日本人は五人だけだったのでゆっくりと話し合うことが出来た。
それからアドレーションがあり、そのあと夕食だった。
自分とジョンたちはとても疲れていたので夕食を取らず帰ってきた。
今朝の病院では患者が二人退院するので一緒に喜んだりした。
オペを終えた若い子の痛みが少しだけ良くなっていたり、両足のない患者も今日はベッドの上で座っていた。
そうしたことが嬉しくてたまらなかった。
今日からポルトガルの若い男性ドゥワットが駅に参加し始めた。
だから、スイス人女性のイングリットには一人で駅を回るように伝えると、まだ出来ないという返事があったが、もう大丈夫と伝え、しぶしぶ駅に向かった。
駅を回り終え、ディスペンサリーに戻るとイングリットが何か膝のあたりを触っていた。
「だから、言ったでしょう・・・!」と彼女は言う。
何を言っているのかと思えば、どうも彼女は駅で転んだらしい。
自分が一人で行くように行ったことを少し責めていたらしい。
ズボンが破けていたが、大きな怪我でなくて良かった。
駅ではほんとうに注意して歩かなくては何か引かれたりしてしまう。
もう少し慣れてからの方が良かったかなとも少し思った。
イングリットには子供が4人居て、そのなかの一人の娘には87年にシュシュババンから養子として授かった子がいて、95年にはマザーに会いに来ていた。
もう一人の娘はベトナム人であるとも話してくれた。
こうしたことがとても自然なのであろう。
ほんとうに素晴らしいことである。
この言葉では到底足りるはずがない、彼女は神さまに美しいことをただしているだけなのであろう。
そして、それが喜びに違いない。