スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

NO61 立命館大学におけるANUとの共同学士課程学部議論、誰が立命館の将来に責任を負うのか

2016-05-10 20:40:55 | 立命館の再生を願って
NO61 常任理事ならびに関係各位へ
ANUとの共同学士課程学部設置構想議論、誰が将来の立命館に責任を負うのか
2016年5月11日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
はじめにー取り返しのつかない不団結と、立命館大学が直面し解決を迫られている問題を置き去りにしたANU議論は、立命館大学に急速な自壊作用をもたらすことになる
(1)取り返しのつかない、不団結と不信感を広げてきたANU問題
1)この間、連休を挟んで常務会、常任理事会において、立命館大学とANUとの間での共同学士課程学部設置とかかわった協議再開にあたっての、市川副総長名によるANU宛てレターの内容を巡って議論が繰り返されてきた。
そこで明瞭となったことは、立命館大学の13の学部の教授会と常務会との間に極めて大きな隔たりが生じていることである。もともと常務会は常任理事会開催にあたって、その議題整理、各部門からの提案にあたって事前調整を図る組織であった。しかるに最近の状況を見ていると、長田理事長や川口前総長、森島専務らが常任理事会にも諮らずかつてに約束してきたことや、思い付き提案を、常任理事会に押し付ける場とされていることが、学園運営に深刻な状況をもたらしている。
しかも、常任理事会で多数合意が取れないと見ると、学外理事を含めた理事会において多数決で事を進めるというやり方を行い、学内の不団結を深めることになって来た。いまや常務会は長田理事長、森島常務によって「任命常務」を使った学園私物化の道具となっている感がある。総長が推薦した2人の副総長は総長を支えて、彼らの私物化を明確に批判しなければならないだろう。
2)このような深刻な学園運営の発端は、大阪茨木キャンパス(OIC)開設を巡って、長田理事長があらかじめサッポロビールならびに竹中工務店と約束してきたことにある。そして、今回のANUとの共同学士課程学部構想もそうである。立命館大学内での教学構想の中で生まれて来たものではなく、川口前総長が安倍首相のオーストラリア訪問に全国の大学人の中でただ一人同行し、安倍首相とオーストラリアの首相の立会いの下で「共同学位課程の探求」に関する覚書に署名してきたことに始まる。しかも、その直後に川口総長が常任理事会に諮ることもなく、立命館東京キャンパスにおける記者会見で「共同学士課程学部創設」を発表したことによって、既成事実化され学園に混乱をもたらした。長田理事長は自分たちの押しつけが常任理事会で通りそうにないと見ると「ANUは理事会で決めてもらう」との趣旨の発言を行い、立命館における従来の意思決定方式の慣行を全く無視して、学園の不団結を広げる役割を果たしてきた。なお常任理理事会の議論の中で明らかになったことであるが、長田理事長は川口前総長がオーストラリアで署名してきた覚書と、記者会見で発表したことがまったく質的に違うことであることさえ認識していなかった。そのため再度、覚書を配布しなおさなければならなかった。
3)グローバリゼ―ションが進む今日、一般論としてオーストラリアのトップ校といわれるANUと立命館大学の教学提携に反対する者はいない。問題は、教学提携の中身と交渉の進め方にある。また、両大学の教学提携は、両者対等の立場で進めるべきものである。立命館大学には日本で最初に創立された国際関係学部があり、同一法人下において日本で最初の本格的国際大学である立命館アジア太平洋大学がある。したがってANUと提携し、新しい課程(プログラム、学科・学部)を検討する場合、それらとどのように棲み分け、共同を行うのかの戦略的な議論の上、方向を出すべきものであつた。にもかかわらずAPUは議論の枠外におかれてきた。共同学士課程学部はOICで開設されるとされ、そのために、議論の途中では一方的に「国際関係学部をOICに移転させる」などの構想も出された。既に2年以上の経過が経っているが、国際関係学部では押し付けに反対する意見が多数を占め、「協議再開」を前にしても、今のところ国際関係学部がかかわった教学構想が具体化される目途はたっていない。
4)長田理事長や森島専務が、ANUとの共同学士課程学部構想がどのように「立派な先見性がある構想である」と考えていても、立命館大学の教学組織の同意・協力なしにことは進まないことは明確である。結局2年間、常務会の一部のメンバーによる独断専行による議論の引き回しは、学園全体の不団結を広げ、構成員の不信を強めただけである。このように構成員を無視した無意味な提案と議論は、もういいかげんに終息すべきであろう。
5)4月30日付でRU学部長有志の名において11学部長連名の文書が長田理事長ならびに吉田総長宛てに提出された。
そこでは4月27日の常任理事会において「財政試算の内実と信憑性が問題となりました。改めて精査すると、仮に定員確保ができたとしても新学部財政自立は成り立たないのではないかという問題提起です」と述べている。そして「財政は共同学士課程=新学部設置を判断する際の前提条件であり、それが崩れてしまえば、今次協議再開に向けた基本フレーム自体、その財政的根拠を失うことになります」「資料に基づく正確な説明を次回滋常任理事会(11日)で行うことになりました。私たちはその説明に注視したいと思います」と記されている。その上で11名の学部長有志は①協議再開に際しては、両大学における対等平等の視点から、常任理事会での議論を踏まえた交渉とすること ②財政自立が困難であることが判明した場合、およびANU側からの学生確保に関する具体的取り組みについて言及がない場合は、協議を中断し・・」と、そこには常識的判断が示されている。11日に提出されると予想される新たな財政試算において、これまでとは異なった数値が出されるとしても、根拠ある計算方法が示されないならば、それこそ東芝などと同様の粉飾決算に等しい背信行為となる。
6)今日まで財務部が提出してきた試算の致命的欠陥は、奨学金、寮にかかる費用を対象として含んでいないことである。1学年90名のうち60名を日本人以外の「留学生」としており、奨学金や寮なしに成り立たないことは自明のことである。にも関わらず、その経費を試算の中に入れていないことは財政試算としては、およそ成り立たないものである。このような意図的に杜撰な試算を基に、何が何でも共同学士課程学部(グローバル教養学部)を押し付けようとする行為は、長田理事長や森島専務と全学の教学機関との溝を決定的に深めることになる。なぜそこまでするのか、「外務省ならびに文部科学省を含めた安倍政権との抜き差しならない関係があるのではないか」との疑いが生じても不思議では無い状況である。
7)本日5月11日の常任理事会に、ANUとの共同学士課程学部創設にかかわって、両大学間の協議再開について市川副総長名で相手側に送付する文書が改めて審議されることになっている。
しかし、そこでは3月30日の常任理事会で吉田総長が議論のまとめとして提案され確認された「協議再開にあたって確認事項」が変更されている。
 すなわち3月30日文書では「学費収入は実員に基づいて折半する」されていたのを新しい文書では「定員90名分の学費を折半とし」、合わせて定員を90名+オートラリア国内学生10名=100名とし、プラスした10名については実員で折半するとされている。これは、3月30日文書の内容を本質的に変質させる重大な変更であり、両大学の対等平等の立場が保証されたものでない。
変更した理由説明では「3月30日の確認は、ANUとの協議を再開するためのものであったが、定員90名の実員学費を折半するというRU側の提起は、協議再開を入り口で閉ざしてしまう危険がある」としている。そして今頃になって「ANUでは海外の大学と提携する場合、プログラムが安定するために、学生数×学費=収入が安定していることが条件であることが分かったので、こういう判断をせざるを得ない」との趣旨を記している。子供の交渉ではあるまい。今頃になって何を言っているのか、そのようなことは最初から書いてあったはずである。交渉者失格である。いずれにしても提案者たちは、何時から対等平等の教学提携の大義を捨ててANUの代弁者になったのか。
そして「既に学生交流や研究交流を進んでいる今、共同学位課程学部設置の協議をつぶすべきでない」としている。立命館は世界の多くの大学と共同学位課程学部設置構想などが無くても学生交流や研究交流は進めてきた。ANUも同様であるべきである。逆に言えば共同学位課程学部設置を条件に学生交流や研究交流を進めてきたわけではない。
国際化=ANUとの共同学位課程学部設置ではないし、このような共同学位課程学部課程構想以外で、より重要な国際化の課題は学園内には沢山ある。川口前総長がかつてに約束してきて記者発表したことに、いつまでも振り回される必要は無い。以前に書いたことであるが、この件は川口前総長が責任を持ってANUに謝罪し、止める旨を伝えに行き立命館顧問を辞任することこそが、学園全体にとって最善の選択であろう。
(2)この一年間、R2020後期計画財政展望とANU問題の議論に明け暮れ、立命館の存亡にかかわる重要問題について、全学の英知を結集して議論し方策を立てることが放置され、重大な事態に陥っている。
1)京都法政学校として出発した立命館大学において法科大学院が定員を削減したにもかかわらず、定員割れを起こし司法試験合格率が大幅に低下し、その存亡が問われる事態となっている。中教審作業部会報告として司法試験における適正試験廃止の方針を出すとの報道(8日付「読売」9日付「京都」)も受けて,早急の検討が迫られている。
長田理事長が総長時代に「自分が作った、新しい大学院」と大見えを切って発足させた先端科学研究科は、今や入学者、在学者が数名という事態となっている。
学部教学においても、全国最大規模の中途退学者が生まれ、学則定員を増やしながら実員では減少するという他の大手私学では考えられない教学危機が抜き差しならない事態になっている。
2)にもかかわらず常任理事会では、この数年、長田理事長や森島専務によって持ち込まれたOIC、財政危機、ANUの議論に明け暮れ、学生・院生の実態分析に基づいた建設的対策が打ちたてられないままに時を過ごし、取り返しのつかない事態が進行している。このような深刻な事態を認識できない長田理事長、森島専務は経営者として失格である。なお両名は「川本前理事長を上回る」と虚勢をはり、新しい学部や研究科、国際プログラムを提起し「実現」することが自分たちの存在意義だと思い込み、学園に混乱と自壊を持ち込んでいる。
不団結の広がりの中で、立命館の存亡にかかわる問題がまともに議論され対策が立てられてこなかったことが最大の問題であつた。今こそ既存学部・研究科の教学再生のために、公開全学協議会に向けて、教学機関における2011年以降の教学総括と合わせ、学友会や院生協議会、そして教職員組合などと協議し、全学の知恵と力を結集し、一刻も早く手立てを打つために行動することが何よりも重要であろう。
かつてトップメーカーと言われていた、シャープ、東芝、三菱自動車が、経営者の誤った判断と、その失敗を覆い隠す粉飾によって、あっという間に自壊し、台湾や中国の会社に身売りしなければならない事態に陥った。現在の法科大学院の実態を直視すれば、補助金減額・停止、解散・閉鎖の危険が待ち受けていることは「時間の問題ではないか」と言う状況にあることは誰の目から見ても明らかである。学部教学を含めて、立命館大学の教学の立て直しに知恵と力とお金を集中しなければならない時に、これ以上、ANUとの共同学士課程学部課程議論などにうつつを抜かしている状況ではない。長田理事長や森島専務が固執している限り解任を求めざるを得なくなるだろう。
以上
鈴木元。元立命館総長理事長室室長、現在・日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト協会会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事。
著書に『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『大学の国際協力』(文理閣)、『像とともに未来を守れ』(かもがわ出版)など多数。

立命館大学、前代未聞の入学手続き者数、教学危機と財政不安定に拍車

2016-05-09 19:52:00 | 立命館の再生を願って
NO60 常任理事ならびに関係各位へ
前代未聞の入学手続き者数にぬか喜びは危険、教学危機と財政不安定に拍車
2016年5月10日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
目次
 はじめにー「学費値上げ」提起を巡って
(1)「学費値上げ断念」を容認した長田理事長、森島専務
 (2)前代未聞の入学手続き者数による臨時収入
(3)教学危機のさらなる進行と、財政不安定をもたらす危険。
 (4)なぜこのような事が起こったのか、学内不団結の下で、激変する入試状況に対する分析の遅が生じ、過去の経験主義に基づく判断にとどまった。

はじめにー「学費値上げ」提起を巡って
昨年来、長田理事長や森島専務は学費値上げの提案を模索してきた。しかしその裏付けとなる財政実態について全学に説明できないままにずるずると延ばし、昨年10月に予定されていた公開全学協議会を12月に延期したが、それも開催できずに来た。その後、3月のスプリングレビューにおいてもまともな財政実態を報告できず、結局2016年どころか2017年度の募集要項の印刷にも間に合わず、2017年度の学費についても変更を提起できずに終わった。
学費を変更するには、その政策的判断の根拠、すなわち①他大学比較、②教育の質の保障、③ぎりぎりの努力をしているか、④家計所得の動向、等について検討しなければならない。しかしその前提として財政困難があること、その原因、ある場合にはその責任も明確にしなければ、学生や父母に負担の転嫁を負わせることはできない。
立命館の財政困難の理由は明確である。長田理事長、川口前総長、森島専務が①力量を超えた過剰投資、すなわち収入増を生まない既存学部である政策科学部や経営学部の茨木移転のために400億円を超える過剰な投資を行い、合わせて毎年30億円を超える維持管理・営繕・積立金が必要となった。立命館中高等学校の移転に際して財政自立を無視して、校舎建設費120億円を負担した。②一時金カット、慰労金支給基準倍加、足羽問題、茨木キャンパス問題等で、学内不団結を作り出し、今日における教育の質の維持・向上を困難にし、学部も大学院も定員を増やしながら実員では減少し、大手私学の中で最大の規模の中退者を生み学費収入が、R2020前半期だけで87億円も減った。実質100億円から200億円の赤字をだしながら2014年度の決算で2億円の黒字としたが、当初予定していなかった銀行から130億円も借り入れた等により赤字の先送りをしている。そのこともあいまって、いまだに2015年度の決算予測が提出されていない。
これらの事態を生み出した長田理事長や森島専務が責任も取らず、学生と父母には学費値上げ、教学条件を悪化させる教職員への合理化など認められるわけはない。私は、例え二人が責任を取って辞任したとしても、1年後にはさらに赤字が累積されたとしても、その原因について詳細に分析・総括し今後の教訓を引き出した上でなければ、学費値上げや合理化はできないと考えてきた。
(1)「学費値上げ断念」を容認した長田理事長、森島専務
1)財政実態と学費についての激しい議論を通じて、常任理事会において「総長まとめ」が確認決定された。
① 大学院修士課程の学費については引き下げる(一覧表は省略)。②学部生の学費は、2016年度に続き2017年度も現状を維持する。ただし物価が上がった場合は、従来、物価上昇率の0.5とされていたものを1.0とするとされた。③そして①と②の財源確保のために全学で2%の合理化を進める。
この判断・決定は極めて重いものである。学部生の学費は据え置いておいて、大学院生の学費は大幅に引き下げるのであるから、教学改善(研究費の増額を含めて)の資源の確保は難しく、2018年度には相当な大幅な値上げを実行しなければならないと推察された。
ところが吉田総長から提起された方針について、長田理事長や森島専務はあえて異を唱えず容認した。これには財務部メンバーも驚いた様子であった。
2)何故、長田理事長、森島専務は、値上げ回避を容認したのか
値上げを提起すれば、その根拠、そうした財政実態を作った責任問題が議論となり追及される危険があるので吉田総長提案に乗り、問題を引き延ばしたというのが第一の理由として考えられる。
しかし、その方法だと引き延ばしになる代わりに、後年度により大きな赤字が露呈し、より大きな学費値上げをせざるを得ないことなる。先の短い長田理事長はともかくとして、長く立命館に居直りたい森島専務としては、それも避けたい。そこに「まったく都合の良いこと」が起こった。
(2)前代未聞の入学者数による臨時収入
本年度の入学手続者が、驚くべきことに全学的に入学定員に対して10%近く多く入学させてしまった。すなわち入学定員7.114名に対して、入学手続者7896名(110.99%)とした。その後71名の辞退者が出たので最終手続き者は7825名(109.99%)となった(711名オーバー)。しかもたまたま1学部で間違ったのではない、文部科学省が定員管理を厳しくし打ち出した今の時期に、補助金全面停止基準(学則定員の1.07倍)を入学定員でオーバーした学部が文学部(112.38%)、経営学部(112.37%)、政策科学部(107.65%)、総合心理学部(113.57%)、経済学部(115.24%)、スポーツ健康学部(111.82%)理工学部(118.00%)、情報理工学部(108.41%)と14学部中、過半数を超える8学部が基準をオーバーしたのである。立命館だけではなく全国的にいくつもの大学で生じたならまだしも、大手10私大の中では前代未聞の事であり、文部科学省、他大学から「立命館の統治能力はいよいよここまできたか」と驚かれる事態となった。
 教学や、将来の立命館のことなど考えない長田理事長や森島専務にとって、これは「まさに天祐」であった。その結果を知ってホクホクであった。711名の定員オーバーと言うことは、社系の大規模学部の入学者数に相当する数である。仮に平均110万円の学費としても年間8億円、4年間で32億円を超える臨時増収となった。彼らは「これで学費値上げをしなくてもすみ、かつ財政危機を逃れる」と思った。自分の事しか考えない彼らにとっては、これが立命館にとってどれほど重大なことであるかを思考することさえできない。
(3)教学危機のさらなる進行と財政不安定をもたらす危険。
1)教学危機のさらなる進行
定員をこれほどオーバーすれば、たださえ中退者が全国最大規模となっている立命館の教学危機が一層進行することは誰の目にも明らかである。教職員の増員を図らずクラス数の増加を行わなければならないだけではなく、実験実習が不可避である理工系では、その対応をどうするのか、「1年限りのために施設・設備の増加は難しい」という対応をするのか。
② 財政の不安定をもたらす危険
定員をオーバーすれば、その分だけ学費収入が増えるように見えるは近視眼的見方である。政府文部省は定員管理を厳しく行うことを決めており、1.0倍を超え、1.07倍までは増えた分の学生数に相当する補助金は出さないとしている。1人当たりの補助金は現在では約13万円程度になっている。それを貰わなくても110万円の学費収入は入る。しかしかつて非民主的で理事長独裁の多くの私学が、そのような定員オーバーを意図的に行っていた。それは定員をオーバーした学生数に比例して1人当たり13万円補助金を恒常的に支給されない教育しかできないのである。
さらに文部科学省は、1.07を超えた場合は、在学生全員に対して打ち切ることを決めている。また新学部、新学科の認可もしないとしている。そのため今回、1.07を超えた学部は、来年以降、よほどの厳しい定員管理をしなければならない。既にいくつかの教授会では定員割れの入学者にせざるを得ないのではないかとの議論も始まっている。いずれにしても1.18倍の理工学部や1.15倍の経済学部などは、遅くとも2020年度には「定員割れの入学者数とする」という措置を採らざるを得ない危険がある。「定員割れ」を起こせば「いよいよ立命館も定員割れか」と、その社会的評価を一気に下げる「危険」があるだろう。
なおここでは経常補助金だけについて記しているが、それ以外に各種特別補助金がある。立命館では経常補助金が60億円前後、特別補助金が30億円前後ある。多くの場合、経常補助金の減額措置やカットは特別補助金の減額やカットに連動している。そのことは生命科学部の特別転籍問題の時に実証されている
(4)なぜこのような事が起こったのか、学内不団結の下で、激変する入試状況に対する分析の遅が生じ、過去の経験主義に基づく判断にとどまった。
1)近年進行していた教学危機
定員に対して「何倍もの受験者」が居るだけであれば、定員通り合格発表をすればよい。しかし複数大学に合格した場合に他大学へ逃げていく者が多いほど、歩留まり率が悪くなるために定員に対して大幅増の合格者数を出さなければならない。①近年の立命館の教学危機の進行、②国民の実質賃金が低下している時に、他大学に比べて相対的に高くなっている学費の下で、近年急速に歩留まり率が低下し、かつ中退者が大幅に増えているために合格者発表を定員に対して大幅に増やさざるを得なかった。
2)学内不団結の進行の下、入試を巡る新しい状況に対する分析が遅れてきた。
文部科学省が定員管理を厳しくしようとするのに対して、実員の定員化という対応で臨もうとした。とりあえずの緊急措置として、やむをえずそのような措置を採ることによって従来の財政規模を維持しようとすることはありうる。しかし以前に私が指摘したように。それは「悪魔のささやきになる危険がある」ので本質的な議論の上で、今後の大学の在り方の検討開始を急がなければならないと指摘した。
すなわち全入時代の今日において、教育の質を守ろうとすれば、よほどの丁寧な教学的努力を学費値上げせず、さらには値下げしてでも行わなければならないし、定員削減も検討しなければならなくなっている。そうしたことも考慮し文部科学省は、まずは定員管理を厳格にするとしたのである。従って定員をオーバーしている実員を定員化することは、本来は一時しのぎのやむを得ない措置なのであり、より根本的には新しい大学運営について痛みを伴った改革が求められている。そうした改革を進めるためには、立命館を含めて日本の大学が直面している新しい困難に立ち向かう覚悟・努力が必要である。しかしこの間、身勝手な一時金カット、慰労金支給基準の倍加、収入増を伴わず新たな出費を作り出した茨木キャンパス建設による財政危機をもたらした長田理事長や森島専務にとっては、事態を直視することはできなかった。そして自らが責任を取ることを抜きに痛みを伴う改革など提起できない。私が既に指摘したように、無能で無責任な私学経営者が最も安易に行える方法は、学生数を水増しすることと、学費値上げである。そこで私は「実員を定員化した」後には、新定員をさらに水増ししようとする誘惑が起こる。それでも厳しい場合は値上げをするだろうと書いてきた。彼らにとっては定員の縮小や学費引き下げなど思いも及ばないことなのである。
① 厳格な入学手続き者数予測の弛緩
そうした安易な態度と、学内の不団結のために、かつて行われていた厳しい合格者発表の審査が安易に流れ、今回のような事態になった。さらに入学試験実施前後に、長田理事長や森島専務、川口前総長によって持ち込まれたANUとの新学部設置を巡って延々と非生産的な議論に明け暮れざるを得ず、近年の新しい入試環境と、立命館の教学危機も反映した歩留まり率などについて、突っ込んだ議論・検討が十分に行われず「過去の経験法則」に依存した実務的取組を進めたために起こった。
近年の10年間を取ってみても立命館で入学者数の読み違えで定員を大幅に超えてしまったのは生命科学部の創設の時だけである。新設学部であっただけではなく、関西で最初の生命科学部であったために併願者がどの程度歩留まりするかの判断が難しかったために起こった。しかし今回は、新設された総合心理学部だけではなく、既存学部も軒並み(8/14学部)に大幅超過した。
財政危機の進行の下、志願者が多少他大学より多かったことを長田理事長や森島専務等は「立命館の一人勝ち」と自画自賛していた。志願者が増えたことは必ずしも評価が上がった結果とは言えない、立命館のレベルが下がり合格者しやすい大学になったことも含まれており、また入試方法により受験者実数を反映していない場合もあり、志願者増については厳格な分析が必要であつた。いずれにして手続き者数の読み違えは「財政危機の進行」から「実員の学則定員化」も図った直後、「少々の定員オーバーもありうる」との雰囲気も起っていて、厳格な定員管理に対する弛緩状態も反映している側面もある。
合格者判定ならびに手続き者数判断は最終的には、それぞれの学部教授会に属することである。しかし変貌する入試状況のもと、立命館においては従来から、副総長を責任者、入学センターを事務局として、各学部の代表も参加して最新の状況を踏まえた総合的な判断を集団的に行ってきた。今回の事態、長田理事長や森島専務が意図的に指示して起こったことではないだろう。しかし彼らが作り出した学内状況が、入試を巡る新しい状況にたいして厳格に研究分析する遅れを生じさせたことによって起こったことである。担当副総長を含めて厳しい総括が求められている。担当事務局の首の据替だけで済ませる問題ではないだろう。
しかし長田理事長や森島専務は、その結果による財政余裕に喜び,今回の結果が生み出す、教学危機、財政的不安定に対して、学園の経営に責任を持つ者として、厳しい問題提起と方策を提起する真摯な態度を示さないという点で、失格である。ところで今回の事態、全学の教職員には事態の重大性のみならず、事実そのものが共有されていない。せいぜい当該学部教授会で自分の学部のことが報告され来年の対応について検討されている範囲であり、全学的な事実が共有されていない場合が大半である。部次長会議においても全学的な結果データーは配布されたが、事の重大性に対する真剣な論議・検討がされたとは言い難く、職場においてまともな討議が行われたところは例外である。そこに今回事態の重大性が認識されていない反映がある。
これらの推定並びに評価が「違う」というなら全学的に納得できる説明を行わなければならないだろう。今年取り過ぎたことから、来年も取り過ぎれば危ないという自己規制によって、来年度は大幅に減る危険もある。要するにこうしたやり方は財政に不安定をもたらす危険があるのである。原則は「定員通り取る」ということを厳格に貫く努力である。なお文部科学省は、定員を厳格に守ろうとしたために定員を割ってしまった大学(例えば97%)に対しては、定員と実員との差に相当する補助金を出すという方向を打ち出している。時代は変わっているのである。
今回のNO60は、取りあえず、今回の前代未聞の入学者数についての検討にとどめ、大学の在り方については、別途問題提起を行うことにする。          
以上
 鈴木元。元立命館総長理事長室室長、現在・日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト協会会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事。
著書に『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『大学の国際協力』(文理閣)、『像とともに未来を守れ』(かもがわ出版)など多数。