スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

NO86 移転とかかわっての理事長の研究センタ発言、学術会議問題の総長声明について

2020-11-02 16:25:10 | 立命館の再生を願って
NO86 立命館常任理事並びに関係各位へ
2020年11月2日 ジャーナリスト・元立命館総長理事長室室長 鈴木元
 森島朋三理事長、三日月滋賀県知事等との懇談において、学内で決まりもしていない「社会起業家拠点」センター構想をぶちあげる。
 学術会議会員問題に関する仲谷善雄学長声明、全学的取り組みで社会的世論化し、撤回と任命の実現を図る必要があるだろう。

※この文章は、インターネット上で、スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます。直近の10月26日から11月2日の週の1401件をはじめ、毎週ほぼ1000件単位のアクセスがあります。
(1)森島朋三理事長、三日月知事等との懇談において、学内で決まりもしていない「社会起業家拠点」センター構想をぶちあげる。
1)私は、このシリーズのNO85ならびにその補足において、既存学部である情報理工学部と映像学部のOIC移転について、意見を述べてきた。
その要旨は①現況のコロナ禍にあって、不要不急の既存学部の移転のために110億円も使う必要はない。それよりもコロナ禍で困っている学生並びに保護者のために学費値下げ、無利子奨学金の拡充を実現する必要がある。また教育水準の維持・拡充のために、対面授業拡充に向けて教室の改造、教員のスキルアップ支援体制の強化、ならびにそれを支える職員体制の補強等、教育・研究・事務体制の充実など、緊急課題に集中して人材と資金を入れるべきであると述べてきた。
②また映像学部や情報理工学部設置のために協力していただいた松竹、京都府、滋賀県、草津市にたいして事前の説明もなく信頼関係を壊した森島理事長の責任が問われる。80haものBKC開設のために135億円の資金を支出してくれた滋賀県や草津市をないがしろにして、9haのサッポロビールの工場跡地を160億円で買わされた茨木キャンパス優先の学園運営は、あまりも不自然であり、改めて解明が求められている。
2)ところで遅きに失したが10月22日、滋賀県の三日月知事、草津市の橋本市長、立命館の森島理事長、仲谷総長の話し合いがもたれた。
①「京都新聞23日付け5面」・滋賀県のホームページなどによると、この懇談において森島理事長は「社会起業家を養成する最先端の研究センターを設け、滋賀県や草津市と協力して地域振興に努めたい」と述べたとされている。その内容について質問を受け「文系・理系の分野を超えた教育研究組織をつくる。SDGs(持続可能な開発目標)といった地域・世界の社会的課題を解決する社会起業家を輩出していきたい」と説明した。
②彼はいつもそうであるが、自分の失策をごまかすために、学内のどこの機関ても議論したことのない問題をあたかも決まっているように語り、混乱させてきた。例えば、立命館中高等校を長岡京に移転するにあたって、彼は、その土地購入費用捻出は「跡地を龍谷大学が買ってれるので、それで賄う」ような作り話を行った(そんな話はなかった)。「持続可能な社会を作るための社会起業家拠点研究センター、それを地域連携で行いたい」との彼の話、一般論として反対する物ではないだろう。滋賀県の三日月知事も後の新聞記者の質問にたいして「協力して進めたい」と述べている。
3)問題は、情報理工学部の移転と研究センターの設置とは関係のないことである。移転問題が浮上していなくても時代の要請に応えて研究対象となる課題である。その程度はキャンパスにも余裕はある。①しかし学部の存続や設置と違って、支出増になることは明確であるが収入は不明確な課題である。どのようなテーマで、どのような規模で、どのような財政規模・つまりどのような財源で等、きちんとした議論による学内合意がなくてはできない課題である。少なくとも数年の論議検討が必要である。②ところで情報理工学部のBKCからOICへの移転は立命館にとっては少なくとも50億円以上の経費がかるが、地元にとっては、少なくとも1200名の下宿生が居なくなり家主、そして草津市や滋賀県に、経済的に大きな損失が生ずるのだから、森島理事長はそれにたいして誠実に答えるべきであった。それには答えず学内で議論もしていず見込も不確かな新しい研究センター設置展望を語るべきではなかった。
4)今後、県や市から「研究センターの話はどうなりましたか、何時、どのような形で我々と話し合い具体化を図られますか」「1200名の下宿性が居なくなることに対する対応はどうなりますか」との追及を受けることになるだろう。そして学内的には研究センターの設置をめぐって様々な分野からテーマ、資金についての提案(要求)が出てくるだろう。それに森島理事長は責任をもって対応しなければならないが、彼は、なんの具体的な構想を持っているわけではないし、そのような構想にかかわる知識も財政展望も持っていない。どのようにするのか学園関係者は森島理事長の責任を追及しなければならないだろう。
結局のところ立命館は森島理事長等が学内反対意見を踏みにじって買ってしまったOIC問題に何時まで振り回されるのか。情報理工学部・映像学部の移転問題はいったん凍結し、コロナ対応を中心に、それぞれのキャンパスにおいて教学的必要性に基づいた改革を進めるべきだろう。
5)なお報道を見る限り、三日月知事等との懇談会において「先端研究センター」について語っているのは仲谷総長ではなく森島理事長となっている。彼は学内のすべてを取り仕切っているようにふるまいたいのであろう。しかし教育・研究機関である大学における新しい研究センターについて対外的に発表するのが、教学の責任者である総長ではなく、理事長が行っていることが社会的にいかに奇異であるかを自覚できていないところに現在の立命館の悲劇がある。
(2)学術会議会員問題に関する仲谷善雄学長声明、全学的取り組みで社会的世論化し、任命拒否の撤回と任命の実現を図る必要があるだろう。

1)菅首相は9月28日、日本学術会議会員の任命に当たって学術会議が推薦した105名の内、6名の学者を任命しないということを決め、29日に学術会議に通告した(10月1日、マスコミ各紙で報道)。これは1949年に日本学術会議が創設されて以来初めての暴挙である。これに対して法政大学田中総長をはじめ多くの著名な学者、700を超える学会から抗議声明が出されている。6名の内、1名は立命館大学法学部の松宮孝明教授である。既に法学部教授会が抗議と撤回、任命を求める決議を上げている。そして多くの学園関係者は何時、立命館としての声明が出されるかと心待ちしていた。そんな中、事件発覚以来1カ月たった10月28日付けで、立命館総長仲谷学長名で声明が出された。ただ奇異なのは総長名ではなく学長名で出されたことである。APU(立命館アジア太平洋大学)や付属校は関係ないとの認識なのか、また常任理事会での議論・承認を得ないで立命館大学の学長としての権限で行ったのか。それではAPUの出口学長の見解はどうなのか明確にする必要があるだろう。問題は、これを全学構成員の力でいかに社会的世論化し、今回の任命拒否を撤回させ6名の任命を実現するかである。
2)第二次世界大戦において軍事優先態勢が横行するなかで、東京の理化学研究所は海軍と、京都大学は陸軍と提携し、原子爆弾の開発を行うなど国と軍と大学が一体となって研究を進めていた。その反省の上に立ち、日本学術会議は1949年、時の政府から独立して学術振興に関する意見を述べる特別機関として位置づけられて設置された。すなわち一般行政組織のように政府の下にあり統括される組織ではなく、人事委員会や公正取引委員会と同様に内閣府が所轄する特別機関であり学術会議会員は特別職で国家公務員法の適用はない。
 同会議は210名の会員で構成されているが各学術分野から推挙された人を政府が追認し任命してきた。政府の任命に関して1983年の中曽根首相時代、選挙から推薦制に変更された時、学術会議側からの推薦と政府による任命にかかわって、「政府の任命は形式的なもので推薦に基づいて行われる」との見解が国会において答弁された。続いて2004年、推薦が各学術組織からではなく個人から行われるように変更されるにあたっても、1983年の見解が踏襲され、総務省の改定案説明文書に「首相が任命を拒否することは想定されていない」と明記されていた。そして実際にもそのように行われ、創立以来推薦者が任命されないという事はなかった。
3)ところが今回、菅首相の下で6名が任命拒否されたのである。各界からの抗議・質問に対して菅首相は「総合的・俯瞰的に判断した」と回答した。総合的・俯瞰的に判断した結果、99名は任命し、6名は任命しなかったと言うなら、その区分けの理由を説明しなければならないが説明を拒否している。これでは菅首相が恣意的に6名を任命拒否したと批判されて当然である。このようなやり方は時の政府が気にくわないと思えば排除できることになり、学問の自由に対する重大な侵害と危惧されて当然である。ところがこの間のマスコミの調査によると安倍政権下の2018年11月に、密かに内閣府の内閣法制局が「(首相)が推薦の通り任命すべき義務があるとまで言えないと考えられる」との新たな内部文書をつくり任命を拒否できるようにしていたことが判明した。しかし国会で答弁したり、見解文書を公表してきた物と異なり、秘密裏に書き換えられていた文書である。10月29日のNHKインタービューにおいて山極前会長は「そのような文章があることは聞かされていない」と答えている。このような内容が変更された秘密文書を根拠に任命拒否をすることはできない。
排除された6名の内の1人は立命館大学法学部の松宮孝明教授(前ロースクール科長)である。立命館の関係者は、立命館の総長・理事長が菅首相の取った対応に抗議・批判すると同時に、撤回と任命を求めるべきと考えていたが、ようやく一カ月を経過した10月28日に仲谷学長声明が出された。問題は学園関係者が団結して広く社会に訴え、任命拒否撤回と任命を実現することである。この点で立命館自体も経験した歴史的教訓を改めて踏まえる必要がある。
4)戦前において日本社会の反動化・軍国主義化の第一歩となったのが「京都大学瀧川事件」である。①京都大学法学部の瀧川春辰教授の刑法学説が時の政府の意にそぐわないということで、瀧川教授の「刑法読本」が発禁処分になると同時に休職処分にされた。これに対して法学部の専任教員29名は宮本学部長を先頭に全員、抗議の意志を表明するとともに辞表を提出した。その後、政府の圧力もあり11名が辞表を撤回したが宮本学部長ら18名は京大を去った。この時、立命館大学の創設者であり理事長・総長であった中川小十郎(京都大学創設時の事務局長でもあった)は、これらの辞任した18名の教員の内、希望する17名全員を立命館大学法学部に迎え入れた。中川小十郎の見識・勇気ある言動は当時、学問の自由を求める多くの人々に共感を呼んだ。しかし全国的な政治の反動化の流れの中で京大瀧川事件を契機に我が国の学問の自由は破壊されて行き、国と軍と大学が一体となった体制が作られて行った。こうした事態の反省に立って、戦後の日本国憲法において「学問の自由」が明記され、「大学の自治」が制度的に確立し、日本学術会議が創設されたのである。
②瀧川事件の時に立命館に迎えられた一人が、日本の民法学会の重鎮となる末川博氏である。立命館のあと大阪市立大学の教員になるが、戦後この時の教訓もあり京都大学への復帰を断り立命館大学の総長を引き受けた。
 末川総長は瀧川事件の教訓としてa,学問の自由・大学の自治が否定されたとき、それは大学の問題にとどまらず日本国民全体の自由が脅かされるときであり、その阻止のために闘わなければならない。b,大学の自治は教授会だけでは守れず学生を含めた全構成員自治が必要である。c,社会に自由のない時、大学においても学問の自由、それを保障する大学の自治も否定される。大学は国民と共に自由の擁護のために闘わなければならなと繰り返しべていた。そして立命館の改革として教学理念を憲法に基づき「平和と民主主義」と定めるとともに、「学部長理事制度による学内優先の原則」「学生も参加した全構成員自治」など戦後の立命館の改革をけん引した。
 ※これらの諸点について、詳しくは拙著『像とともに未来を守れ、天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)を参照してください。
森島理事長は、総務担当常務理事就任以来、今日までこれらの精神・原則を無視ないしは否定してきた。今回、仲谷学長の名において菅首相が取った学術会議に対する理不尽な任命拒否への遺憾と任命を求める声明は学術機関である大学の学長声明としては当然のものである。問題は末川総長が述べたように、単に学長が声明を出すだけではなく、社会的世論化し撤回・任命を実現することである。そのために教授会をはじめ学友会や教職員組合とも協力して社会的世論の喚起のために行動することである。
5)今回の任命拒否に対する抗議、任命を求める世論に対して菅政権は「これを機会に学術会議の在り方を検討したい」と表明し、政府ならびに自民党内に検討会員会を立ち上げ、学術会議に圧力をかけようとしている。今日11月2日の国会質疑においても、したり顔で学術会議りあれこれの問題点を挙げて6名の任命拒否が政党であるかの詭弁を弄していた。創立以来70年を超える組織であるから多くの問題点を抱えていて当たり前である。そのことは学術会議においても認識されていて改革案がまとめられ本格的な議論を開始しようとしていた矢先であった。それと6名の会員の任命拒否とは何の関係もない。それらの人が改革に反対していたわけでもない。要するに政府と異なる意見を述べてきた人々を排除を排除しようとしたがあまりにも杜撰で強引なやり方で行おうとしてボロが出たのである。  にも拘らず学術会議のあれこれの問題点を取り上げ、いわく「年間予算10億円は妥当か」「事務局50名は妥当か」「人件費が50%を占めているのはいかがなものか」「会員は特別公務員であり、法的に言って政府が任命するのが妥当であり、推薦はあくまでも参考意見ではないか」などの意見を一方的に発している。そしてインターネット上では排除された6名に対して、あることないことの誹謗中傷が飛びかっている。さらに10月後半になって社会的影響力ある複数の雑誌が「特集号」を編集し、学術会議ならびに6名の研究者に対する見過ごすことができない誹謗中傷攻撃を大々的に展開している。あまりに手際よく、前安倍首相時代から仕組まれていたと推察される。
6)2004年に国立大学が独立行政法人化された。その時、政府は経常費を毎年1%カットする措置を取り今日では当時と比較して15%以上の予算カットとなり各大学は予算の削減、学費値上げに追い込まれてきた。同時に、研究資金不足に困っている研究者に「競争的資金」の名において産業界が求める即物的研究に駆り立てた。併せて近年「国立大学に文系学部はいるのか、貴重な税金を使って趣味的な無駄な学部は廃止しては」などの論調が振りまかれている。そして防衛庁の研究予算に大学が応募するように働きかけている。その上、従来、学内構成員によって選ばれていた学長・総長を理事会(構成員の半分を財界人など学外者とした)による任命制に切り替えた。これに対して全国的な抗議運動の高まりの中で理事会任命制は撤回しなかつたものの、従来の学長選挙を「意向投票」という名で慣行的に残した。しかしそれはあくまで理事会が学長を任命するにあたっての参考意見とされた。三重大学では「意向投票」で2位となった人を理事会は学長とした。青森大学では「意向投票」では名も挙がっていなかった、文部科学省次官を学長とした。そして今、東京大学をはじめいくつかの大学で総長・学長選挙をめぐって「学内の意向が正しく反映されていない」との抗議行動が起こっている。
 今回の菅首相による学術会議が推薦した会員6名の任命拒否、「学術会議の在り方検討」の言動は、戦前戦後のこうした政府による一連の学問の自由に対する重大な攻撃の一環としてとらえる必要がある。仲谷総長をはじめとする立命館人は、こうしたことを踏まえ、撤回・任命まで粘りづよく、幅広く闘う必要があるだろう。
鈴木元。立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版取締役など。
主な著書『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)など多数。
 なお私・鈴木元は7月中旬に『コロナ後の世界』(かもがわ出版)を出版しています。関心のある方は手に入れてお読みください。