スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

NO79 立命館の常任理事ならびに関係各位

2018-09-30 09:29:36 | 立命館の再生を願って
NO79 立命館の常任理事ならびに関係各位へ
2018年9月30日 元立命館総長理事長室室長、ジャーナリスト 鈴木元
 
(注)本記事は、インターネットで スズキ ゲンさんのブログと検索すればてでき、毎週平均1000件のアクセスがあるなど広く学内外で読まれている。

目次
(1)森島朋三理事長の無責任な学費値上提起、それを止めた全学の意思と吉田美喜夫総長の決済。
(2)学園正常化の一歩を切り開きつつある吉田総長体制、その総長を再選するのが常識ではないか。
(3)森島理事長、中上晶代次長体制下の異常な広報活動

(1) 森島朋三理事長の無責任な学費値上提起、それを止めた全学の意思と吉田美喜夫総長の決済。
7月31日の常任理事会において、森島理事長、志方弘樹財務担常務理事提案の「2019年度からの学費値上げ」は見送られることになり、2019年度に再度全学協議会を開催し2020年度以降の学費について検討することになった。
1) まず「学費値上げありき」の提案が破綻。
①「教学改革のため」に学費値上げ
森島理事長、志方財務担当常務理事は、当初「教学改革のために学費値上げをせざるを得ない」として、衣笠、BKC担当の教学部長を呼びだし、その合意を取ろうとした。
現在の立命館大学において次期教学改革の指針となっているのは、吉田総長が提起したアジェンダ2とR2020後半期計画である。教学部、国際部、学生部の合同検討会が開催され検討した結果、アジェンダ2とR2020後半期計画の教学改革の実行にあたっては学費を値上げしなくても済むということが明らかになり「教学改革のために学費値上げが必要」との論拠だては崩れた。
今回の森島理事長と志方財務担当常務による学費値上げ提起は、教学・経営特別委員会の審議を飛ばして提案するなど学内手続きによる合意を無視する物であった。その上で、
そもそも「教学改革のために学費値上げが必要」と言う論自体が乱暴である。例え教学改革案が策定されたとしても、それを実行するために学費値上げをしなければならないとは限らない。「その程度の改革なら学費値上げしなくても今の教学でいいではないか」「いい改革だが、学生や父母の負担を考えればあえて学費値上げしてまで行う必要はない」と言う意見が多数となる場合もある。
立命館大学を含めて私立大学の学費は文系学部でも軽く年間100万円を越え、薬学部にいたっては200万円台となっている。立命館大学の入学者の半分以上が関西以外から進学し下宿代を含めて4年間で文系学部でも1000万円を越えている。私立大学に比べて、1/2程度である国立大学の学費でも国際的には高く、今日、無償化さえもが国民的議論となっている。学費問題は総合的に慎重に扱うべき問題なのである。
② 「定員管理強化に対応するため」に学費を値上げ
二つ目に出された主張である。政府文部科学省は大学教育の質の確保、合わせて都市部への学生の集中をさけるために定員管理の厳格化を図り、8000名以上の大規模大学については学則定員を1.10以上越えた場合は、補助金カットしたり、新学部設置申請を認めないなどの厳しい措置を取り始めている。森島理事長らは定員管理強化を理由にして「入学者数が定員を下回ることを想定した財政見通しのもとでの財政運営が必要」として学費値上げを提起した。しかし立命館は良いか悪いかは別にして既に「学則定員を越えていた実員の定員化」を行っている。また第一次合格発表で定員が割りそうなときには、追加合格者の措置を取り、よほどのことがない限り定員を割り込むことはない。したがつて定員管理が強まっても収入減にはならない。この論も破たんした。
(注)別途の問題として18歳人口の減と都市部への若者の集中を防ぐために、9月26日付の「読売新聞」が報じているように、今後、大都市部の大学の定員抑制がさらに強められることは間違いない。そのため従来のように新しい学問分野の開拓を定員増による新学部・新学科設置というやり方は難しくなることは間違いなく、大学の在り方、運営について新しい発想が必要になっていることは間違いない。
③ 「働き方改革推進ために」学費値上げ
政府は国内外の世論に押されて「働き方改革」を言いだしている。その中には正当なものがある一方で、「高度プロフェショナル人材」を理由にした残業代ゼロなど、労働者を過労死に追い込むような改悪も提起されていることは多くの人々が指摘している通りである。問題は立命館の教職員組合などが2年越しに「働き方改革課題検討委員会」設置を求めているにもかかわらず、いまだに「立命館における働き方改革」の具体案が森島理事長等によって提起されていないことである。
改革の具体案が提起されていないにもかかわらず「働き方改革のために学費値上げが必要」は到底、全学構成員を納得させることはできなかった。要するに森島理事長らの今回の学費提起そのものが杜撰だったのである。
④ すなわち最大の問題は「学費値上げありき」で事を進めようとしたことである。
これは2005年に、当時の川本八郎理事長が「一時金の一カ月カット」を提起した時と同じやり方である。あの時も一時金を含めた立命館の年俸の在り方について十分な検討もなく、一時金の一カ月カットだけが提起された。理由を問いただされて「社会的平均に比べて高すぎる」と答弁し「社会的平均とは何をさすのか」「立命館と同様の10私大と比較すべきであって、日本全体の労働者の平均にはならない」などとの反論の前に破たんし、裁判において和解に応ぜざるを得なかった。
当時「財政困難に直面していた訳でもないのに」川本理事長が「一カ月カット」を行おうとしたのは、APU創設とかかわって財界人との接触を強めた川本理事長が「一時金を1カ月カット出来た理事長」との実績を誇示したかったからである。
今回も一緒である。具体的で切実な財政問題に直面して学費値上げを提起したわけではなかった。社会的に通用する改革案を提起し、それが学費値上げに値する政策であるとの説得力ある説明をしたわけでない。理事長に就任した森島氏が、「経営に責任がある理事長の責任と権限に基づいて学費値上げを提起して実行できた」と言う「実績」が欲しかったのである。
そうした個人的野望が通用するほど立命館の教職員は甘くなかった。教育・研究に直接責任を負う教授会での議論を通じて7学部長が「根拠薄弱、夏休みまでに学生に提起し説明できる内容ではないし、時間も無い、審議未了で廃案にすべきである」との意見を表明した。総長・理事長体制で運営している立命館において、経営に責任を負う理事長が学費値上げを提起した場合,総長は理事長が提案すること自体を止めるのは難しい。しかし常任理事会の議長を務める総長は3カ月に及ぶ真剣な議論を踏まえて「これは多数決で決めるべきではない」「7学部長が反対している下では止めざるを得ない」との決断を提起し、森島理事長らの「2019年度からの学費値上げ」提案を廃案にし、再度2019年度に向けて議論することにした。
今、問われているのは提案者である森島理事長の責任である。全学生とその保護者たちの生活に関わる学費値上げを提起出来るのは経営に責任を負う理事長だけである。その理事長が、十分な根拠も示さず値上げを提起し3カ月に渡る議論の末、全学の批判の前に決定できなかったのである。森島理事長はこの一点だけでも理事長を辞任しなければならない。立命館の歴代の理事長で学費値上げを提起しておいて決定できなかった理事長は居ない。(注)なお付言すれば、1970年度、学友会・院生協議会の反対運動で提起した学費値上げ額を減額したことがある。その時、その責任を感じて当時の教学部長が辞表を提出した。学費値上げはそれほど重い問題なのである。
学費値上げ論議が大詰めに来ていた6月27日に定例の常任理事会が開催された。しかし提案者である森島理事長は途中退席して読売新聞大阪本社主催のシンポジウムに出席した。そのため常任理事会は一旦中断し、森島理事長が戻ってくるのを待つことにした。このシンポジウムにおいて森島理事長は「私立の基盤的収入である学費のみに依存しない、新しい大学の経営モデルづくりを目指したい」と大見えを切っていたのである。新聞の見出しも森島発言に関して「新しい経営モデルに」としている。ところが、その発言の後の戻ってきた常任理事会で森島理事長は学費値上げを再度主張したのである。無責任なその場限りの発言を繰り返してきた彼の本性を改めて露呈した。

(2)学園正常化の一歩を切り開きつつある吉田総長体制、その総長を再選するのが常識ではないか。
1)11月4日に総長選挙が実施される。今回の総長選挙の課題は、何であろうか。一言で言えば「吉田総長体制で、一歩踏み出した学園正常化を軌道に乗せることである」。
2005年、一時金の一カ月カットが強行され立命館の混乱が始まった。2007年、川本理事長退任・相談役就任、長田豊臣総長退任・理事長就任に伴い、すでに渡されている退職金とは別に、役員退任慰労金として川本氏に1億2000万円、長田氏に4000万円、計1億6000万円が支払われた。2010年足羽慶保立命館慶祥中高等学校校長の学歴詐称に立命館がかかわっていたことが明らかなった。これら一連の問題の発端は、川本元理事長が直接責任を負う問題であつたが、当時、総務担当常務理事であつた森島氏が直接手を染めて執行に当たった。なお当時、私が総長理事長室室長であったことから、これら一連の問題について私がかかわっていたような憶測がなされたり意図的なデマが流されたりしたし、いまだにそのように思っている人もいる。しかし私は、これら一連の事について事前相談にあずかっていないし、決定にも執行にも関わっていない。詳しくは拙著『立命館の再生を願って』(風涛社)で記述しているので読んでいただきたい。
2)2010年、長田理事長、川口清史総長、森島専務、志方財務部付け管財部長、建山和由企画部長の5人によって突然、サッポロビール茨木工場跡地購入が強行され、混乱と分裂に拍車をかけた。ここではそれらを繰り返さない。
こうした事態にたいして2010年の総長選挙において、立命館の歴史上、初めて学園の正常化を掲げて坂根政男元理工学長が現職の川口総長にたいして闘いを挑んだ。この選挙では立命館大学内では坂根氏が多数を獲得したと推察されるが学園全体では惜敗した。その重大な要因が、直前に行われた総長選挙規程の改悪であった。すなわち立命館大学構成員から選出される選挙人比率を下げたり、学外理事・評議員から選出される選挙人を増やしたりしたこと等である。
なお2009年当時、複雑な状況の下で、2010年以降の事を考慮し、総長選挙規程の改定と学園憲章と言う二つの重要文書の策定が行われた。「理事長任命方式」と揶揄された総長選挙規程改悪案を起草した事務局長は現専務理事の上田寛氏である。学園憲章起草の事務局長を務めたのは当時総長理事長室室長であった私・鈴木元である。
3)その後、学園正常化を目指す人々はあきらめることなく総長選挙規程改正の取り組みを実現させ、2014年の総長選挙において、長田理事長、森島専務が擁立する故・渡辺公三副総長を押さえて吉田氏が総長に選ばれた。
ところが長田理事長は、吉田総長が推薦する副総長候補二人を拒否し、事もあろうか総長が推薦する副総長候補を理事会で否決するという、立命館の歴史上初めての暴挙を行った。その制度上の根拠として、直前に多数の議案の中に、それまで「副総長は、総長が理事会に推薦する」との規定を「副総長は、総長が理事長と協議の上、理事会に推薦する」と改悪していた。その上に長田理事長ならびに森島専務は「協議とは同意である」と言い張り「同意できない者は拒否する」として否決したのである。この時、長田理事長らに同調し「協議とは同意である」と言ったのが、当時監事の任にあった上田氏である。いずれにしても吉田総長は出発にあたって長田理事長ならびに森島専務の合意の範囲でしか、人事が組めない状態におかれた。従って全学が吉田総長に託した学園正常化はちちと進まない状況に置かれた。しかし学園の正常化を願う人々の粘り強い取り組みもあって、漸く森島理事長が個人的野望で実行しようとした学費値上げを断念させ、長く拒否してきた慶祥中高等学校の賃金体系も是正させることになった。吉田総長体制の一期目の後半になってよくやく正常化の一歩が切り開かれたのである。
立命館の総長選挙は二期(8年)を限度としている。どのような経緯で新総長に就任しても一期目の前半は前任者から引き継いだ課題の遂行で精一杯であり一期目後半でようやく独自性を発揮できる。したがつて現行の総長選挙制度が出来て以来、歴代の総長は二期努めてきた。吉田総長の場合、前任者が起こしたオーストラリア国立大学との提携問題など、その解決すなわち正常化事態が重たい課題である。今年の11月4日に行われる総長選挙は、吉田総長の再選を実現し、この動きを加速させ正常化を実現することである。このような時に対立選挙を行い学内に再び無用な対立と混乱をもたらすべきではないだろう。
4)森島理事長は就任直後の一般理事会において「学園が一致して進めるように努力する」と吉田総長と握手までしていた。その舌の根も乾かない内に、今次総長選挙を機会に吉田総長を落とし、教学の最高責任者である総長も自らのイニシアチブの下に置きたいと考え、推薦委員、選挙人の多数を獲得出来るように行動してきた。しかし2019年度からの学費値上げ実施を断念せざる得ない状況に追い込まれた森島理事長は、予てから擁立しようとしていた企画担当常務である建山氏の擁立も断念せざるを得なくなったようである。
5)改めて総長選挙実施の意義を踏まえ、全構成員参加で盛り上げよう。
第二次世界大戦の敗戦に伴い日本社会が民主化されたのに連動して、立命館は戦前に京都大学において滝川教授が追放されたのに対して抗議して辞職した著名な民法学者であった末川博氏を1945年12月6日、総長(学長)として学園に迎えることによって学園の存続を図った。しかし末川氏の思いは学園運営に生かされず、末川氏は1948年2月「その任に耐えず」と辞任した。
これにたいして学生の学友会が先頭となり、学生・高校生を含めた全学構成員参加による総長選挙規程を1949年1月理事会に認めさせ、その規定に基づき同年2月に総長選挙を実施し、末川氏の当選を実現し改めて総長(学長)として迎えた。これを契機に末川総長は、学園の教学理念を「平和と民主主義」と定め、学部長理事制度を発足させ、教学優先の学園運営を確立した。合わせて大学の自治を「教授会の自治」から、学生も参加した「全構成員自治」へと発展させ、それを制度的に保障するために全学協議会を確立した。しかし総長選挙は末川氏の総長在任が続く中で形骸化する傾向が生まれた。そこで末川氏の定年退職を前にした1968年、真に全構成員選挙となるように選挙制度の改革が図られた(当時、私は学生代表としてこの改革案作成に参加していた)。その時に大学紛争が起こり、教授会自治では大学の自治は守れず、学生参加の全構成員自治こそが大学自治を守り発展させる道であることが改めて明らかになり、1969年新しい選挙規程で選挙が実施された。しかし今日、学友会運動や教職員組合運動が後退する中で、総長選挙が盛り上がりに欠ける事態が生まれ始めている。大学を巡る事態は国内にとどまらず国際的にも大激変が生じている。この総長選挙を通じて、今日における大学の在り方と改革方向、それを推進する全構成員参加と取り組みについて大いに論議する機会とする必要があるだろう。
(3)森島理事長、中上晶代次長体制下の異常な広報活動
 上記してきた立命館の異常な状況を正常化していく上で重大な障害の一つが、現在の立命館の広報体制である。以前の立命館では広報の責任者は副総長の1人であった。しかし現在は実質上、森島理事長、中上晶代総務部付け秘書課担当次長、五坪智彰広報課長のラインとなっている。その下で
1) 森島理事長持ち上げ・私物化の報道が行われている(これは既にNO78で記載しているので項目としてのみ記述しておく)。
① 2月24日日付「朝日新聞」において森島理事長が「読書人・知識人」として広告費の全額を大学負担で全面広告記事が掲載された。
②ユニタス15で森島理事長による鈴木寛氏へのお伺い記事が掲載された
2)吉田総長を消し、貶める報道
①7月に入って来年の入試に向けて各大学の全面広告記事が掲載されたが、いずれの大学も総長(学長)が紹介者として登場しているが、立命館だけは吉田総長は登場せず、グルーバル教養学部長予定者が登場した。
② IRを認めたかの貶める報道
立命館は大阪茨木にOICを設置したが、政策科学部が中心となり大阪府との提携が進められOICにおいて吉田総長と大阪府の松井知事によって協定が締結された。ところがその後、その協定において吉田総長がIR構想を支持したかの「情報」が学内でふりまかれている。その真偽を調べた。A.この協定は立命館だけではなく大阪大学や関西大学とも結ばれており同じ文書であるが、IRなどの文言は立命館を含めていずれにもない。B.当日の吉田総長の会見にもIRと言う言葉は無い。C立命館のホームページに、この会見についての吉田総長の談話が掲載されているが、そこにもIRという言葉ない。それではどこにIRと言う言葉あるのか。総長会見が終わった後にマスコミと対応したのは五坪広報課長であるが、そこで政策科学部の1回生講義において大阪府の職員がIR構想などについて講義する予定であるとのコメント行ったようである。それが一部のマスコミにおいて報じられた。それを根拠に吉田総長がIRを容認したかのような意図的情報が流されたようである。吉田総長はIRなどの言葉自体を使っていないことは立命館のホームページでの吉田総長談話でも明白な事である。
3)外務大臣表彰について
立命館のホームページ(7月31日付け)の教職員向けコーナーのトップに荒木穂積立命館大学人間科学研究科教授が外務大臣表彰を授与されたことが河野太郎外務大臣と並んだ写真と共に報じられている。立命館大学関係者がこの表彰を受けたのは初めての事である。外務大臣表彰は世界各国・地域に置いて永年にわたって日本との交流に功績があった個人・団体を外務大臣の名において表彰するもので、2018年度は日本国内で活動している者としては35名の個人と7団体が表彰された。
荒木穂積氏が表彰対象となったのは私・鈴木元ととともに①長きにわたってベトナムの障害児教育とかかわってきたこと②近年、ベトナムの枯葉剤被害者救援に取り組んでいることの二つを主たる理由にして表彰された。①については私が立命館在職時代、荒木氏と私がコンビで、産業社会学部のK教授などの協力を得て行っていたことは当時から立命館に在職していた人であれば広く知られていたことである。②ついてはオレンジ村支援日本委員会(私・鈴木元が事務局長、荒木穂積氏ならびに立命館のH氏、K氏が委員)として取り組み、マスコミにおいても大きく報道されてきたことである(毎日新聞5月18日付夕刊 京都新聞6月13日付朝刊)。私たちからすれば、私たちの長年の取り組みが、ようやく社会的に認知され立命館の名誉を高めることになったと考えている。これらの事については事前に広報課に知らせてある。しかし私は消され、荒木氏だけが表彰を受けたかの報じ方をしている。荒木穂積教授は広報課から受賞にあたってのコメントは求められたが、記事の内容について知らされていず、私が掲載されないことについても知らされなかった。私の事が掲載されなかったことについて指摘すれば「鈴木氏は立命館の現職者ではない」と言うだろう。立命館の卒業生で立命館の元学園役職者を務めていた者が現職教員とコンビを組んで行ったことが表彰されたのを抹殺する筋合いはないだろう。
なおこの表彰とかかわって荒木・鈴木両名にたいして北岡伸一日本国際協力機構(JICA)理事長から立命館大学などに祝電が寄せられている。北岡伸一氏と私は歴史認識とかかわって意見は異なるがJICAの理事長として、私ならびに荒木氏が、長きにわたって国際協力を進めてきた人間として対応したのである。森島理事長にはその程度の度量も無いようである。
③ 『貞観政要』について
先の「朝日新聞」(2月24日付)の「読書人」全面広告において森島理事長は座右の書として「信長、家康、明治天皇も読んでいた」と紹介しながら『貞観政要』を挙げている。日本では「帝王学の本」「組織のリーターが読むべき本」として知られ、時のリーターたちが、その文言を取り上げたりしている。この本ではリーダーたるものは謹言に耳を傾ける謙虚さがなければならない、自分を殺そうとした者でも有能であれば登用したなど多様な人材登用を行ったこと等を取り上げたりしている。森島理事長がこれらの点を学び生かそうとしているのだろうか、この間の彼の言動を見る限り、学ぼうと努力しているようには見えない。
ところで『貞観政要』は唐の二代目皇帝であつた李世民の臣下であつた魏徴が李世民との対話をまとめて作成した書物であるとされている。李世民は没後、大宗と名図けられ名君として扱われてきた。
李世民は次男であった。皇位継承者でもある長男を殺害し、初代唐皇帝である父を幽閉して二代目皇帝に着いた人物である。したがつて皇帝としての正当性について皇族・臣下を納得させる長い時間をかけた取り組みが必要であった。皇帝に着くまでの彼は武力に物を言わせて権力を掌握した。権力掌握後はその正当性を示すために国の運営に力を入れるとともに名君であることを示すために魏徴に『貞観政要』の編纂にあたらせたというのが大きな流れだろう。森島理事長がそのあたりの事を知っているかどうかは私にはわからないし関心もない。しかし少なくとも理事長となった今、太宗のように謙虚に事に当たる努力をしているとは見えない。太宗を模範として学んでいるなら、吉田総長を抹殺したリ貶めたり、私の名前を消したりはしないであろう。人間はどのように取り繕い、格好づけようとしても本性は隠せない。
森島理事長は2005年以来の学園混乱の責任に遡らなくても、理事長に就任した以降に理事長責任として2019年度からの学費値上げを提起したが決定できなかった。そして2018年11月4日に実施される総長選挙において、予てから準備してきた建山氏を擁立できなかった。この二つの大きな問題だけでも理事長をとして学園関係者を掌握できておらず、信頼もされていないことは明白である。
2010年に川口総長、長田理事長、森島専務によって突如として「オーストラリア国立大学と共同学位学部を設置する」が持ち込まれた。学内では多くの反対批判意見が出されたが「川口総長が国際的に約束してきたこと」の論を前に、8年越しで議論してきたが2019年度からグローバル養学部としての開設するとされた。ところがこの間、明らかになったこととして、オーストラリア国立大学との協定において「7年後に見直す」つまり財政展望などが明確にならない場合は7年後に閉鎖することもありうるとの契約書を交わしていた。新学部設置にあたってこのような契約書を交わすことは前代未聞である。オーストラリア国立大学にとって契約解除は痛手にはならない。しかし立命館大学にとっては、一度立ち上げた学部を、わずか7年で廃止することもありうるなどは社会的責任が問われる問題である。合わせて確保した建物や設備、人材についても、どうするのかという問題が生ずることになる。しかしそれ以上に「上手く行かない場合にズルズルと引き延ばすわけには行かない」という判断を教学サイドが中心にせざるを得なくなったのでああろう。強行してきた森島理事長はどう責任を取るのか。
森島理事長はどこにも選出基盤はない。前回は長田理事長、その前は川口総長による推薦で理事に就任したのである。今、二人はその任にない。従って吉田総長が推薦しない限り理事にも成れないのである。彼はそのこともあって総長を自分のイニシアチブの下に置きたかったのであるが、その目論見は崩れつつある。学園の正常化を願う人は。これらの諸点を踏まえて追及していく必要があるだろう。
                               以上
鈴木元。立命館総長理事長室室長、大阪初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、JICA中国人材アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレ―タ研修アドバイザリーなどを歴任。
 現在、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表。如月社(映画館 京都シネマ運営会社代表取締役代理)>
 『像とともに 未来を守れ』(かもがわ出版)『立命館の再生を願って 正・続』(風涛社)『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)『大学の国際協力』(文理閣)など著書多数。