スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

立命館の大阪成蹊学園に対する訴訟について

2016-08-08 10:10:47 | 立命館の再生を願って
No63 常任理事ならびに関係各位へ
無理に無理を重ねた長岡京キャンパス購入、そして訴訟に
2016年8月8日  鈴木元・元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト

はじめに
マスコミ報道によると、学校法人立命館は大阪成蹊学園に対して、購入した、土地にかかわって「値を超えた鉛、ヒ素等の廃棄物がでてきたので、除去にかかった費用や、開校が一年遅れたことに対する損害賠償として11億2800万円を求めた」とのことである(7月14日に第一回口頭弁論が行われた)。
しかし学校法人同士が訴訟で争うという事態、しかも11億円を超えるという巨額な損害賠償請求であるにもかかわらず、常任理事会ではまともな審議もなく事実上事後報告事項的に扱われ、教授会でもほとんど報告されることさえなかった。大半の教職員は教授会や業務会議を通じてではなく、マスコミ報道を通じて知ったというのが実態であると思われる。学校運営として異常である。
断っておくが、私は立命館が裁判に訴えた限りは、一般論としては勝利するのが望ましいと思っている。しかし、そのこととは別に、こうした事態を作り出した要因、経緯を明らかにする必要と、その責任をあいまいにしてはならないと考える。
(1) 購入してはならない土地、あえて購入するのであればケジメを付けておくべき土地であった。
立命館中高等学校の移転問題全体については、後記する。汚染問題を根拠に裁判に訴へたのであるから、順序は逆さまであるが、まずその問題から論じる。
立命館が大阪成蹊学園から購入した土地は、予てから不動産業界や建築業界では「高濃度の汚染物質があるであろう」と推察されていたのが常識であった。そのような土地は購入すべきではなかったし、どうしても購入するなら、事前調査を行い、相手側の責任で除染させてから購入すべきであった。そして「疑い」を持ちながらも購入したのであれば、立命館の責任で処理すべきものであった。報道によると立命館の訴訟文書や第一回口頭弁論において「『基準値以上の汚染物質が出てきた場合は、売り手であった大阪成蹊学園の責任で除去する』との約束であったにも関わらず行われず、立命館が除去し、開校も一年遅れた」としている。したがつて購入時点で立命館側も汚染物質がありうるとの予測をしていたのである。当然、購入前にきちんとした調査が必要であったのである。同時に「契約書に書いてあった」という内容は、正確にはどのように記載されていたのか、また契約前に常任理事会に契約書の案分が、配布され説明されていたのかを明らかにしなければならない。
なぜ私が、「汚染は業界の常識であつた」と言うのか。それはこの土地を巡る経緯を調べればすぐに推察できるからである。立命館は大阪成蹊学園から購入したが、大阪成蹊学園は成安短期大学から購入した、その成安短期大学は日本フィルコンから工場跡地を購入した。日本フィルコンは特殊金属の会社であり、京都と大阪の特殊金属の会社を合併し1964年(昭和39年)に長岡京市に京都工場を設置した。当時はまだ産業廃棄物に対する厳格な規制は行われておらず、工場の敷地内地中にコンクリートによる遮断施設を作り、そこに廃棄物を埋めて放置するということがしばしば行われていたからである。成安短期大学1986(昭和61年)に、その工場跡地を購入した。従って特殊金属の工場として約22年間稼働していたのであるから、その廃棄物は相当な量であったと推察されたのである。私は予てから「高濃度の汚染が疑われる土地である」と聞いていたが、今回、立命館による訴訟が明らかになった段階で、土地所有の登記を調べた。すると上記の所有移転の経緯が明らかになった。土地売買などの業務に長く携わってきた志方弘樹財務部付管財部長(当時)などは、当然調べて知っていたであろう。にもかかわらず問題提起もせずに、森島朋三総務担当常務理事(当時‣現専務理事)と共に購入に動いたのである。調べていなかった、知らなかったとすれば任務怠慢のそしり受けるだけでは済まされない。まさに引責辞任ものである。
(2) そもそも「長岡京移転計画」自体に無理があった。
伏見区深草にあつた立命館中高等学校の移転計画が浮上した背景には①深草キャンパスが住宅街の奥にあることや、立命館宇治高等学校と同じ沿線にあり進学者の地域重複を避けたかった。②立命館小学校の進学先として4年:4年:4年の教育体制を作りたいなどがあつた(私も4:4:4の考え方には賛成である)。しかしそれにしては長岡京は立命館小学校と距離が離れすぎているし、深草に比べて校地面積も狭く野球の練習時には他の運動クラブ活動に制約が生まれるなど、移転先として適地ではなかった。
この話が出た2009年秋、私は中等教育担当者に「深草よりも面積が狭いではないか」と指摘したところ、「深草は山の部分も面積に入っており、有効面積ではこちらの方が広いです」と答えた。それに対し私は「キャンパスデザインを見ると野球の練習をすると他の運動部が危険ではないか」と質問すると同時に、「学部長理事が入れ替わった段階で、野球部の練習のために、○○の土地を購入ないしは、借りたいと言い出すのではないか」と指摘した。それに対して「そんなことはありません」と答えた。しかしその後、森島常務と四方部長が野球の練習に適した土地を探しているとの情報が不動産業社から私の耳に入った。しかしその後、土壌汚染問題が表面化し野球部の練習場の確保どころではなくなった。
なお立命館の提携校である大阪初芝学園では、私が副理事長の時に高等学校を小学校・中学校の敷地に移転させることにより同一敷地内に小・中・高等学校を統一し、一貫教育を進めやすいようにした。その費用は高等学校校地の売却費用で賄い、銀行からの新たな借入も、ましてや立命館からの支援も受けなかった。長岡京の場合は、後に書くように法人から100億円を超える資金を投入し、その上に土壌汚染の疑いが濃厚な場所であった、拙速に購入すべきものではなかったのである。
当時から京都市の山之内上水場跡(現在、京都学園大が京都市から借入)、JRの桂川駅と阪急の洛西口の駅に間にあり、大阪からも通学が容易なキリンビール跡地(現在洛南小学校の敷地となっている)や、京都駅近隣の崇仁地域(今回、京都市立芸大移転予定地となった)、さらに三菱自動車工場跡地などがあったが、森島総務担当常務(当時)・四方管財部長によって大阪成蹊学園長岡京キャンパス跡地が持ち込まれ、私の退職後に強行された。
(3) 財政原則を無視した移転推進
ところでこの移転計画については、私は予てから財政上、極めて疑念のあるやり方が行
われてきたと述べてきた(『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』)。
① これまで立命館では各附属校は独立採算での運営に務め、移転を含めて新校舎の建設
が積立金では足りない場合、部門間融資の財政原則をもとに、法人から借入した上で計画的に返済してきた。長岡京キャンパス建設の資金をどうするかと言う根本問題があった。
② 私の質問・追及の前に森島常務らは校地獲得費用は「深草を龍谷大学に35億円で購
入してもらうことになっている」述べた。しかし私が龍谷大学の知人に聞いたところ「学内でそのような話は無い」ということであった。いつもその場限りの作り話のウソを平気でいうこの森島朋三という人間の本性が改めて明らかになっていた。結局、京都市立工業高校の合併に伴って21億円で売却され、予算上、差し引きマイナス14億円の差額が生まれた。なお今回の裁判を巡るマスコミ報道によると立命館は長岡京キャンパスを購入するために38億円支払ったとの事である。森島常務の「龍谷大学に35億円で購入してもらうことになっている」との話と金額的には符合する。
③ 校舎の建設は110億円とされたが、「これは法人(大学を含む学園全体)が負担する」と
された。これは立命館の財政原則違反である。それなら宇治、守山、慶祥の「借入金残金」約200億円を法人が負担しなければならなかったが、そうはしなかった。立命館中高等学校の長岡京移転だけの措置として行われた。その理由が明らかにされていない
④ そして財政原則の変更(違反)を伴うだけに慎重な審議を要する校舎建設費110億円は
理事会に諮られることなく、長田理事長の決済で支払われていた。このことは大阪茨木キャンパスの建設(220億円)を竹中工務店へ発注するにあたって、常任理事会のみならず理事会にも諮ることなく、長田理事長の決済で行おうとすることが発覚した中で明らかになった。2010年3月末の理事会において、膨大な議決事項が提出された中に「経理規定」の改正が提出されたが、森島常務から「実務的な事です」され、まともに審議されることなく「議決」されたが、その中に理事長の決裁権限は「1億円以上  」と上限なき規定とされていた。これを使って長岡京キャンパスの工事の110億円の鹿島建設との契約・支払いが理事会にも諮られず長田理事長の手によって行われていたことが判明した。
⑤ ところで大阪茨木キャンパス建設工事が竹中工務店に発注された当時(この問題の詳
しい経緯は「立命館の再生を願って」に詳述)、学内的にはどこでも議論していなかったにもかかわらず、関西の建設業界では「長岡京の建設は鹿島建設が受注した」との情報が流れていた。そこで私は、常任理事宛ての文書で「それが事実なのかどうか、森島常務はYESかNOで答える義務がある」としたが回答はなかった。ところが間もなく長岡京の立命館中高等学校の建設工事は鹿島建設に発注された。私の指摘が正しかったことが証明された。
 森島専務ならびに長田理事長は、なぜそこまで無理に無理を重ねて長岡京キャンパスの購入、そして鹿島建設との契約・支払いを行ったのか明らかにする義務がある。
そして今回明らかになったように、当初予算と比較して除染費用などで11億円余分にかかった説明している。深草の売却費マイナス14億円と足して25億円もの予算違いの増加支出が必要となったのである。
11億2800万円の根拠もマスコミ報道だけではわからない。汚染物質があったとしても、原発事故の放射能汚染のように地域一体が汚染されている可能性は少ないと思われる。常識的には土中にコンクリートで遮蔽された構造物を作り、そこに埋めたと考えられる。そうであれば、その除去費用は大目に見ても数億円の額であると推察される。なぜ11億2800万円なのかと言う根拠を明らかにする必要があるだろう。
たとえ裁判に勝利し立命館が11億円を「取り戻す」ことが出来たとしても、森島専務、志方財務部長、長田理事長の責任は消えない。ましてやこの訴訟に敗たり、和解交渉に追い込まれ11億円が回収ができない場合、3名は最低辞任、懲戒解雇の対象とせざるを得ないであろう。
最後に
ところでマスコミ報道だけでは、立命館は何を論拠に大阪成蹊学園に対して裁判を起こしたのかよくわからない。土壌汚染の除去を根拠にするのであれば、なぜ立命館は購入時にきちんと調査しなかったのかと言う疑問がわく。なお大阪成蹊学園は裁判所に対して請求棄却を求めている。そこで、次回は、この問題の「続」で、両者の言い分を、訴状そのものを吟味することによって解明することを予告しておく。
なおこの裁判への最大の疑問は、2010年3月末に購入し、2012年に引き渡しを受け、工事を開始した時点で「汚染が判明していた」のに、それから4年もたった「今頃になって、なぜ大阪成蹊学園相手に裁判を起こしたのか」と言うことである。この点も長田理事長や森島専務は明らかにする必要がある。
教職員組合を含めて学園の正常な運営を望む人々は改めて、長岡京問題の真相の解明を求め、責任を追及しなければならないだろう。

鈴木元。立命館総長理事長室室長、大阪初芝学園副理事長、私立学校連盟アドミニストレーター研修アドバイザリー、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授などを歴任。
現在、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、国際環境整備機構理事長、かもがわ出版取締役。
主な著書、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)『正・続 立命館の再生を願って』(風涛社)最新、最新刊『もう一の 大学紛争 全共闘・「解同」と対峙した青春』(かもがわ出版)他多数。



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