昨夜TVを見ていたら、CBC(カナダ国営放送)で杉原千畝のドキュメンタリーをやっていました。
リトアニアの日本領事館領事代理だった彼が自国の意図に逆らってユダヤ人に命のヴィザを発行したことは良く知られた事実ですが、もっと多くの人に知って欲しいとここにURLを張ります。
人道的な立場から自分の身の危険などは顧みずヴィザ発行を実行した彼は英雄だと思うからです。
大変な苦労の後帰国した時祖国日本は彼を路傍に放り出しました。共に苦労を重ねた夫人にも賛意を表したいし、お子さんやお孫さん達にも、この人の子孫であることを誇りに思って欲しいです。
平和を願う日本人は皆、彼を同国人として誇りに思うべきでしょう。
杉原千畝誕生100年
今日は写真はありません。上記のホームページで杉原千畝という人について学んでください。
リトアニアの日本領事館領事代理だった彼が自国の意図に逆らってユダヤ人に命のヴィザを発行したことは良く知られた事実ですが、もっと多くの人に知って欲しいとここにURLを張ります。
人道的な立場から自分の身の危険などは顧みずヴィザ発行を実行した彼は英雄だと思うからです。
大変な苦労の後帰国した時祖国日本は彼を路傍に放り出しました。共に苦労を重ねた夫人にも賛意を表したいし、お子さんやお孫さん達にも、この人の子孫であることを誇りに思って欲しいです。
平和を願う日本人は皆、彼を同国人として誇りに思うべきでしょう。
杉原千畝誕生100年
今日は写真はありません。上記のホームページで杉原千畝という人について学んでください。
杉原千畝の生家が私の隣の町にあります。「人道の丘」や記念館があり、日本大会では遠足の目的地に選びました。私のブログの5月3日の写真は「人道の丘」のモニュメントです。全体が大きなパイプオルガン風のオルゴールになっていて、1時間毎に音楽を奏でます。
また、日本大会実行委員会は、杉原千畝の業績を紹介するパンフレットをエスペラント訳して出版しました。
千畝がユダヤ人に日本通過ビザを発行した舞台が、今年のエスペラント世界大会が行われるリトアニアです。日本大会にはリトアニアの在日大使の講演も行いました。
このドキュメンタリーで、その記念碑も映し出していたと思います。
彼に助けられたあるユダヤ人が言っていました。私が助けられた時は私一人だったけど、その後結婚し子供や孫が増えたから、同時に子供や孫達も数えると50人が助けられたことになる、と。この勘定でいけば無限ですね。
正しいと思ったことを実行し、報酬を期待するな、と杉原千畝は言いました。もちろんこの報酬とは金銭のことではありません。感謝されること、高く評価されることなどです。
長く語り継がれるべき人です。
最後まで自分の信念に生きた人だったことを再確認しました。
杉原氏が収容所から帰ってきたのが戦後の民主国家になっていたはずの日本だったのに、日本の外務省は戦前の命令に背いた杉原氏を許さなかった。やりきれなさを感じます。
このことは杉原氏を取り上げた当時の新聞にも載っていなかったように思います。
家族も杉原氏を信じて最後まで行動を共にしたのでしょうね。
「人間にとっていちばん大切なのは、愛と人道だ」
と上のサイトにもありましたが、この信念があったればこそでしょうね。
紹介していただきありがとうございました。