★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

Spooky Hollow

2005-05-31 04:15:59 | Weblog
昨日の日曜日、5月29日はNature Club の遠足の日で、Spooky Hollowへ行きました。
去年同じ時期に言った時巧く撮れなかったFoam Flower(Tiarella cordifolia) やGoldthread(Coptis trifolia)の花を撮り直したかったのです。
カメラは去年と同じ物ですから保障はありませんが、夢よもう一度です。

天気予報は雷雨の可能性も言っていましたが、ナイアガラフォールスが雷雨にも雹にも見舞われたと言うのに私達の行程ではにわか雨が二、三度軽く通り過ぎただけでした。
朝、八時半集合場所に到着、ここからはCar poolです。参加者13人は4台の車に分乗、出発しました。目的地は、エリー湖北岸のスプーキー・ホーロー(敢えて訳すと、お化けの森)です。
この森はハミルトンの「自然愛好家クラブ」が所有する675エーカーもある広大なもので、私達が今回歩き回るのはその極々微小な一部分です。
途中シムコーという小さな町の入り口にある「ティム・ホルトン」で十分足らずのP-ストップ(お手洗い休憩)を取り、スプーキー・ホーローに到着したのは十時二十三分。一時間四十四分掛かったことになります。
私を乗せてくれたジムとジョイスがMosquito-Jacket(蚊帳ジャケット)を引っ張り出したのでビックリ。
「えっ? もうそんな季節?」「多分、と思って。備えあれば憂いなし、でしょ。」確かに、確かに。
私は彼らが持って来ていた「蚊除けのスプレー」を噴いてもらって出掛けました。
ホント、居るわ、居るわ、しかも大きい!
でも、スプレーのお陰であまり被害は受けませんでした。それに待望の花に出会うともう蚊のことなど忘れています。
「カナダ・メィフラワーだ。」
「フォーム・フラワーも満開だ」
「わっ、このスター・フラワーは三つも花をつけている、珍しいね」
これで、花の名前のことで意見が合わないと、みんながポケット図鑑を持ち寄って検討します。
葉の裂け方がどうの、茎の感触が荒いとか滑らかとか。。。
「この羊歯は何というの?」
「ひっくり返して胞子を見てご覧。。。」
「アレレ、胞子の一つが歩き出しちゃった。。。」

昨年Goldthreadの花を見つけた時誰も知らなくて図鑑を引っ張り出し、額を集めていました。
私が「それはGoldthreadよ」と言っているのに誰も気付いてくれません。何度も繰り返してやっと誰かの耳に届きました。
「セレナがGoldthreadだと言いてるよゥ」
「なんだ、もっと早く言えよ、キミィ」
そんなことが有ったのを昨年一緒だった人たちは覚えていて
「誰も知らなかったのに、セレナが知っていたのよね」
などと思い出話をしていました。この件で私の自然愛好家としての株が少し上がったようでした。
この花は、葉っぱはアルゴンキン公園でよく見ていたのですが花の季節に言ったことが無いため、何時か見たいと思っていたものなのです。だから、見慣れた葉の群生する中に立っていたのですぐ判ったのでした。

ナイアガラフォールスでは既にピンクに変色している大花の延齢草や赤い延齢草もまだ活き活きと咲いていました。
メィ・アップルが一本踏みつけられたのか倒れた成りに花をつけているのがありました。他のはまだ蕾なのでちょっと意外でした。
十二時を既に廻ったので、昼食です。
半時間ほどはなれた所に「リー・ブラウン」という水鳥のためにこの辺の農地を所有していたリー・ブラウン氏が提供した保護地があり、お手洗いもあるのでそこまで移動しました。
風が少し寒いくらいでしたが、ピクニック用のベンチを二つくっつけて各自持参のお弁当を開きます。

これが日本人だったら、持参の物を分け合ったり、ちょっとポット・ラック(持ち寄り)的になるのですが、無言の約束みたいなものがあって、それをしません。
以前、「私が焼いたお菓子だから食べない?」と廻ってくることがありましたが、こういうことは習慣ではないのです。この事についてはそれなりに良い点があると思っています。
その日自分のお腹を満たせば良いので、夕べの食事の残りをつめて持って来てもいいわけですが、他人にも分け与えようと思えば余分に作ったり、残り物では悪いかな、だったり余分な心の負担になりますし、一人暮らしの男性など、本番のポット・ラックにも市販の物を仕入れてくるような人にはもっと負担なのですから。

昼食後は近くのLong pointと言う、エリー湖に突き出た細長い半島へバード・ワッチングです。
この半島の先には小鳥のBanding station があります。早春半島の湿地帯に集まる白鳥を観察がてら訪れる所で何度が来ていますが、私にとってこの時期は初めてでした。蔦漆が多いのに驚きました。まだ新しい柔らかい葉が出たばかりで無害のように見えますが油断は禁物です。
日曜日なので職員は居らず、小鳥を捕まえる霞網も巻き上げてありましたが、お手洗いは開いており、
訪問者達が発見した小鳥の名を書き込む掲示板には隙間が無いほど前日の記録が残っていました。
まだ日が高いので時間を有効に使いたかったのでしょう、当番の責任者が連れて行ったのはもう一つの森です。「South Walsingham Natural Heritage Woodland」という長い名前の森で、生えている野草はスプーキー・ホーローと同じような物ですが、珍しい色の蝶々が飛んで来て、ちょっと興奮です。
今回は誰も蝶の図鑑を持ってきておらず名前を調べることは出来ませんでした。私達が蝶にかまけている間に先へ行っていた二人が引き返してきました。
その一人ジゼルは小柄な人で私より背が低いのですが、「先へ行けば行くほど蚊が多くなるようよ。それに大きくて、私は連れ去られそうになったから引き換えして来たの、あっはっは」
そんな訳でこの森もここで終わり帰路につきました。
写真の収穫は保証の限りにあらずですが、いずれ、巧く行ったものやどうにか巧く行ったものはこのブログでも紹介していきます。
疲れたけど良い一日でした。

今日の画像は昨日通った行程です、赤で標しました。

クサノオウ

2005-05-29 07:53:50 | 野の花 - 春から夏へ
黄色い花が咲いていました。Celandine(セランダイン)クサノオウです。「草の黄」と書く人もいるし、「瘡の王」と書く人も居て、どちらが正しいのかは判りませんが、どちらも正しいとも言えます。
千切るとその破損した部分から黄色の液がにじみ出てきますし、皮膚病、つまり瘡に良く効く薬として古くから使われていたようですから。
原産はヨーロッパ、アジアですが栽培されていたのが野生に逃れ野の花になりました。ケシ科の植物で、薬用になるくらいですから毒があります。この黄色の液は染料としても使われていたとどこかで読んだことがあります。
クサノオウと聞いて、草の王様と判断し、どんな立派な草なのかしらと思っていたのですが、極ありふれた花でした。
学名は【Chelidonium】、エスペラント名は【Kelidonio】です。

"DE"の位置

2005-05-28 06:41:36 | エスペラント


「ともかく来なさい。その後はどうにかなる。。。」
というデサッシ夫妻の励ましの言葉を頼りに、私はわずかな所持金と片道切符で参加したブダペシュトでの世界大会後ヨーロッパを大回りしてスイスに到着しました。夫妻はアルバイト先を世話してくれるつもりでしたが、ドイツ語も出来ない、見るからに貧弱で少女にしか見えない私を雇ってくれる所などそう簡単に見つかるわけがありません。しかも夫妻は職種の内容によっては好ましくないと言う理由で断っていたのです。
チューリッヒに集まるエスペランチストの集いが定期的にあって、そこに顔を出すケシュリ氏が後見人を買って出てくれました。彼の勤めるヴィルと言う街のクリニックでは看護人たちの手伝いをする所謂下働きが必要でした。十七歳になるまで下働きをして、その後併設の看護学校へ入る若い子達や、スペイン、ギリシャなどから出稼ぎに来る、いわば流れ者的な少女達など、移動が激しいのでしょう。
ケシュリ氏の通訳で面接も済ませました。「日本人は勤勉だから。。」と人事課長さんが言いました。
この言葉ゆえに、私は否応なしに勤勉を心掛けなければならなくなりましたが、勤勉な先人達のお陰で職を得たとも言えます。
ケシュリ氏はここでエスペラント・クラブを作っていたので、私の存在は格好な「呼び物」になりました。クラブは勉強の時間として集まると言うより友好懇談が目的のような集まりでしたから、レストランの片隅に陣取ってラム・コークを飲みながらおしゃべりするのです。初心者ばかりの集まりなので、このおしゃべりが「勉強」でもありました。
その頃の私はアルコールにはあまり強くなく、コークは嫌いなので、他の若い子達がラム・コークを注文するのを物珍しく見ていた記憶はあるのですが私自身が何を飲んだのかは全く記憶がありません。
この集まりのメンバーで、クリニックの音楽隊でフレンチ・ホルンを吹いている青年が居ました。おとなしくてほとんど口を利かないような人でしたが、日本の女性と文通を始めた所でした。双方初心者で勉強のための文通ですから、はがきを使った短い文章です。
ある日、ケシュリ氏が「彼の貰ったはがきの内容は全く意味が通じない、見てあげて!」と言いました。フレンチ・ホルンの彼はハニカミながらそのはがきを差し出しました。四、五行しか書いていない短いものなのに、何がそんなに難しいのかしらと読んでみて私はがっくりしてしまいました。
deの前後の単語が逆なのです。これでは初心者以前ではないですか。
「鼻の穴」を「穴の鼻」と言われたら全く意味が判りません。フレンチ・ホルン氏にとってはそれと同じことだったのです。はがきの内容は覚えていませんが、見本を幾つかここに上げて見ますね。

Folioj de arbo《フォリーオィ・デ・アルボ》 を Arbo de folioj《アルボ・デ・フォリーオィ》
「木の葉」を「葉の木」
Ovo de kokino《オヴォ・デ・コキーノ》 を Kokino de ovo《コキーノ・デ・オーヴォ》
「鶏の卵」を「卵の鶏」
Piedoj de tablo《ピエードィ・デ・ターブロ》 Tablo de piedoj《ターブロ・デ・ピエードィ》
「机の脚」を「脚の机」

エスペラントは日本語と同じ並べ方で良いと確かに教えられましたが、Tablo(机) de(の) piedoj(脚)
ですかァ。私が日本人だからこの間違いの根源が直ぐ理解できたのですが、そして彼女に代わって言訳もしました。
このことを時々思い出します。その彼女は立派にエスペラントを使えるようになったのかしら、それとも、挫折してしまったのかしら等々。何故か挫折説が有力な気がしています。

デビット・カード

2005-05-27 06:21:49 | Weblog
このところずうっと涼しい10℃前後が続いていましたが、今日は27℃で陽射しは暑いくらい。空もからりと晴れ気持ちの良い日でした。少しばかり買い物の必要があり、店に行きました。
デビット・カードを使う段になって、どうしたことか「間違い」とか「パスワードの入れ直し」とかの表示が出るのです。一昨日使った時は何の問題も無かったのに、とやり直すこと数回、やっぱりダメ。この店の器具がオカシイのかも。
「じゃ、初めからやり直して。。」とキャシヤーが言います。そこで、もう一度スワイプ、とフト手にした銀行カードを見ると色が少しばかり違いました。私がいつも持ち歩く銀行カードが3枚ありますが、2枚は多少差があるとは言え青です。A銀行のカードを使っているつもりでB銀行のカードを使っていたのでした。パスワードが合わない訳です。暇な時間で幸い私の後には客が列を作っていませんでしたので、笑って終わりでしたが、迂闊。

夫はデビット・カードが嫌いです。パスワードを覚えられないのも一つの理由らしいですが、使った後にいくら残っているのか判らないのも嫌なのでしょう。必ず現金を下ろして来ます、ATM(Automatic Teller Machine)ではなく窓口で。銀行口座はすべて二人の共有ですが一応私の、あなたの、と分けてあります。で、私は彼が現金を下ろしてきたら、そこから貰って、出来るだけ自分の口座からは下ろさないようにしています。こちらは「for rainy days(万一に備えて)」と言う名目で。
でも、偶には現金不足で、今日のようなことが起ります。

数年前ある友人がATMで現金を下ろそうとしたけどパスワードが違うと下ろせないことがありました。迂闊な彼女は数日前に新しい口座を作った時、パスワードをメモしておかなかったのです。子供達の誕生日の組み合わせにしたのだそうですが、順番を間違えたら意味がありません。すっかり憶えるまではメモしておくのが良いと思いました。或いは日本語では数字を言葉にして読むことが出来るのでそういう数字を使うのも良いでしょうね。例えば「291」なら、「憎い」、「1564」なら「人殺し」など。

写真は今が盛りのライラックの花。ナイアガラ公園のライラック・ガーデンにて。

ナルコユリとその一族

2005-05-26 06:00:46 | 野の花 - 春から夏へ
ダッファリン島に今頃咲く花の一つにFalse solomon’s seal『偽鳴子百合(私の勝手命名)』があります。
それとは少し違うStar-flowered solomon’s seal『星花偽鳴子百合(同じく勝手命名)』に気付いてそのことを言ったら、「違うでしょう、それはただの偽鳴子百合じゃないの?」
とリックが応えました。彼は自然愛好家としての先輩で知識も豊富です。「そうかァ」とその時は素直に信じたのですが、今年も同じ花を見つけ、しかもこの花は偽鳴子百合より二週間も早く花を開いたのです。日当たりの違いかしらとも思ったのですが、花の付き方にしろ形にしろやはり違いました。
そして、リックはこの近くに住んでいるのではないので、私のように頻繁にこの島を訪れているわけではないし、星花・・・が咲くことを知らないだけなのだろうと言う結論に達しました。
似たような草の似たような名前が幾つかあります。
Smooth solomon’s seal(Polygonatum biflorum) はいわゆる鳴子百合で、弓形にたわんだ茎の葉の付け根に対の花をぶら下げた形が鳴子に見えます。
Hairly solomon’s seal(Polygonatum pubescens)は同じような草で葉の裏の筋に沿って繊細な毛が生えているのだそうですが見たことがありません。と言うより気が付いていないだけなのかもしれません。
False solomon’s seal(Smilacina racemosa)(写真の実)はよく似ていますが「鳴子」を形成しないで、花はたわんだ茎の先に房になって付きます。肉眼では判別しがたいほど小さな花は粉っぽい白で、房は葡萄の房のように枝分かれしており、その重みでたわんでいるように見えます。
Star-flowered splomon’s seal(Smilacina stellata)(写真の花)はこの偽鳴子百合と良く似ていますが、やはり良く見ると葉の柔らかそうなところや、葉の付き具合など随分違いますし、特に花は全く別物です。茎はほとんど真っ直ぐに立ち、その先に付く花の房は枝分かれしていません。花そのものもずっと大きく星の形と言うより雪の結晶のように見えます。偽鳴子百合の花が小粒なのに比べ直径は1センチ以上で派手な感じだし、一本の軸に並んで付く花を良く見ると中央の雌蕊は小さな壷のような形をしています。
これだけ同じような名前の草が有るとやはり混同してしまい初期のころは見分けも付かなかったものでした。
「ソロモンの印鑑 」という名前の由来は葉柄を取ると残る傷跡がソロモン王の実印(六星型)に似ているからなのだそうです。原住民も開拓者も澱粉の豊かなこの草の根を食用にしていたとか。
新しいカシノ(カシノ・フォールスヴュー)の滝を見下ろすテラスの外側に、星花…が群生していました。あれだけ生えていたら食用に利用できるかもと思うくらいに。


ヴィクトリア・ディ

2005-05-24 08:30:26 | Weblog
今日は五月の第三月曜日で休日です。
ヴィクトリア女王の誕生日を祝い、尤も当日に近い月曜日としてこの日が決められたようですが、土日が休みの人間だけに与えられた特権とも言える連休です。外出してみて如何に土日が休みの人間が多いかを実感しました。居るわ、居るわ、何処もかしこも人間だらけで、犬まで連れての滝見物、きっと犬が「滝を見たいよう」と言ったんだと私達は解釈しています。この人出でも日本の行楽地には及ばないんだそうですが。
毎日のように成長を確認している雁の子供達も大きくなりました。現在五家族居ます。6パックが三組、3羽づつのが二組です。それぞれ多少ずれて生まれたので大きさに差がありますから見分けは今のところ簡単です。一人前の大きさになるまでの楽しみと言えるでしょう。
カメラを持って追い駆ける馬鹿も居たりして、自然と言うものに慣れていない人間は本当に困ります。子供がそのようなことをしたら親は注意するかと思いきや、嬉しそうに見ている。
子供が自然を堪能していると思って喜んでいるのかもしれませんが雁の親としては堪ったものではありません。クァークァー怒り続けていました。
今日は11℃がやっとのサムイ日で、雁の雛たちも寒かったのか寄り集まって一休みしていました。先日紹介した一族より十日くらい晩く生まれた子達です。

バター・アンド・エッグス

2005-05-23 09:07:41 | 野の花 - 夏から秋へ
Butter-and-eggsは乾いた路傍に何気なく咲いている可愛らしい花です。初めてその名を知った時、面白いなァと思ったものでした。目玉焼きを連想します。
始末に終えない雑草とみなされているほど執拗に繁茂するようです。原産はヨーロッパでいつの間にか北米に定住してしまいました。またの名をトード・フラックス。トードはヒキガエルですが、花の形がヒキガエルの口に似ていることと、葉が亜麻(フラックス)の葉に似ていると言うことでこの名が付いたのだそうです。私は何故か目玉焼きの方に軍配を上げたいです。
学名はLinaria vulgaris 、エスペラントではLinarioの一種ということになるでしょう。日本名はホソバウンラン『細葉海蘭』です。カラカラに乾いた場所に咲いていても海の蘭とはこれ如何に。。。なのですが。日本では観賞用に栽培もされているとか。
夏の間中咲き続けているという点でも強靭な草と見ました。夏が来ると昨年咲いていた場所を訪ね、再会を喜びます。花の方はちっとも嬉しくないかもしれませんが。


マロニエの花が咲きました

2005-05-22 07:12:48 | 樹 木 ・ 灌 木
緑の濃淡が美しい季節です。間違いなしに夏。裸に近い短パン、タンクトップも見掛けます。
気温は暑めで23℃でした。
連翹や水仙は終わりチューリップもあと少し、ライラックやクラブ・アップル(姫リンゴ)も華やかに咲き誇りマロニエも花を見せ始めています。
マロニエは栃で、ピンクと白の花があります。巨木があちこちに見られ、三番叟の鈴を連想させる花は一つ一つを見るととても繊細です。
子供の頃裏に栃の木があって、実を二つに切ってもらいハンコを作った記憶があります。
大人になってから思ったのは、栃の実は結構固くて切るのが楽ではないし、ハンコつくりにはジャガイモが一番楽かなと。。。
だから自分の子供達にはジャガイモをあてがった様な気がします。
栃は英語ではHorse chestnutエスペラントではHipokas^tano, C^evalkas^tanoですが、馬が好むのでしょうか、それとも人間は食べられないので馬にでもと言うことなのでしょうか。作り方が面倒らしいけど栃餅って結構美味しいものらしいですけどね。
栃木県人以外の日本人で栃を知らない人が意外に多いのに驚いたことがありますが、減っているのでしょうか。
栃の花も咲いたし、この週末は連休(ヴィクトリア女王の誕生日を祝う)で、この日が過ぎたら安心して花や野菜を植えられるのです。つまりもう雪も降らないだろうと言うわけですが、園芸のお店も繁盛していますし、滝の周辺は「ナントカ銀座」と言えるほどの人出でした。
そして、そうです。ガラージュ・セールの季節でもあります。我が家の通りで軒並みにガラージュ・セールがあり、へーッと驚いたら、行く先々みんな同じようにガラージュ・セールやヤード(庭)・セールが一杯でした。これも夏の兆しです。
写真は白い栃の花

マーシュ・マリーゴールド

2005-05-21 09:31:46 | 野の花 - 春から夏へ
湿地帯にザゼンソウが花を見せ始める頃、同じく活動を開始するのがこのマーシュ・マリーゴールド(湿地のマリーゴールド)です。ザゼンソウが花から始めるのに比べるとおっとりゆっくり葉から育ってくる草で、ザゼンソウの葉が一面に茂る頃ようやく艶のある黄色い花を咲かせます。湿地帯と言ってもほとんど水の中に生えている事も多い草です。葉も艶があり、腎臓形と言われる蕗の葉の形をしていますが、過去にはこれを食用にしたようです。
一般に日本語では「リュウキンカ(竜金花)」だと言われていますが、リュウキンカを調べると全く違った花が現れました。私の小さな英和辞典には「カルサパルストリス」と舌をかみそうな名前も出ています。一体これは何じゃ?と検索。どうやらこれは学名のCaltha palustris の事のようです。ラテン語を勉強したことはありませんが、私の聞きかじった程度の知識では、thの発音はtになるので、英語読みのラテン名をカタカナで置き換えたものなのでしょう。
バターカップ(キンポウゲ科)に属し、花が大きいからか、キング・カップという別名もあるとか。マリーゴールドとは関係ない花のようです。
毒性だけれど食べる時は熱湯にお湯を何度も取り替えながら浸して、と注意があります。また、煮てはいけないとも。毒があるといわれているのにそんな面倒なことをしてまで食べる人が居るのでしょうか?
それでも食べたいほど美味しいものだとは図鑑にもインターネットの各サイトにも書いてはありません。
エスペラント名はKaltoです。エス和辞典を引くとやはりリュウキンカの類と出ていました。

写真は違った場所で光の加減も異なった状態で撮ったもの、色がまるで違って見えます。

アメリカミヤオソウ

2005-05-19 03:50:04 | 野の花 - 春から夏へ
メイアップルは五月にリンゴの花のような花をつける多年草で、過去にこの実はジャムなどにつかわれたそうです。早春に芽生えた頃はすぼめた傘のような葉が目立ちます。
高さは45センチにもなり、茎の途中から葉柄が二本に別れ、この分かれ目に一つの花をつけます。花はちょうど日傘を二本両手で掲げたような格好でうつむき加減に咲いているので、群生する葉だけを見ていた頃は全く気付かずにいたのでした。
葉は一枚のものと二枚のものがありますが、葉が二枚になったものだけが花を咲かせます。花の大きさは直径5センチくらいで、色はちょっとクリーム色を帯びた白です。花びらは普通6枚ですが、たまには9枚になるものもあるとか。肥沃な森の日の射す空間や路傍に良く茂っています。この茂みは良く目立つのですが花は隠れて見えないので、花を見るためには近づいて下から覗かなければなりません。
良く熟れた実以外は有毒です。原住民はこの根を粉にしたものを除虫剤としたり、蒔く前に種をその溶液に浸けて置くことで害虫から守ったりしていたようです。
この毒性は薬用にも使われます。根や茎から抽出されたポドフィリンは数百年前からいぼの薬や虫下し,下剤として利用され、抗がん剤VP-16の基本になっています。VP-16は現在最もよく使用される抗がん剤の一つです。
英語ではMayappleと呼ばれていて、日本名はアメリカミヤオソウ。
学名はPodophyllum peltatum、別名はMandrake(マンダラゲ)ですが、この名は正式にはEuropean Mandrake (Mandragora officinarum) に所属するもので、全く別な植物です。
エスペラントでMandragoro と名付けているのはこのEuropean Mandrakeのことでしょう。このMandrake は「ハリー・ポッター」に出てきます。ミセス・スプラゥトの温室での授業で掘り出されると人間の形をしたその根がギャーギャー泣き喚く草です。
メイアップルのエスペラント名を探すべく、Podofilo など当たってみましたが。。。英エス辞典にも、PIV にも出ていませんでした。
育てるのには楽な多年草で、弱い草を淘汰してしまうそうです。手に負えなくなった我が庭に移植も考えています。路傍に生えているものなら掘っても苦情は言われないでしょうし、秋に移植するのが良いとか、秋に忘れなかったら試してみましょう。


写真はメイアップルの草全体と花です。

金谷さんの著書

2005-05-18 12:01:51 | Weblog
先日、五日付けの私のブログに引用した金谷安夫氏のホームページ「慟哭の島その真実」を紹介してくれた友人が彼の著書「戦塵の日々- 原爆の基地テニアン島の戦闘と遺骨収集」を貸してくれました。読み始めてまだ数ページのところですが、「戦史 サイパン島玉砕」の項を読んでいたら突然涙がこみ上げてきました。

『戦史 サイパン島玉砕
七月六日 斉藤中将は万歳を三唱して割腹、副官に頭部を撃たせた。同じ日、南雲中将もピストルで自決し部下の総攻撃のはなむけとした。』
玉砕を前に指揮者である筈の彼らは勝手に自決。何がはなむけですか。何故部下と共に死の突撃をしなかったのか。自決の方がより高尚という考えからなのか。。。等々の疑問が湧きました。そして部下達は、
『七月七日の未明約3,000名の日本軍が、アメリカ軍前線の間隙を突いてなだれこんだ。ある者は竹の先端に銃剣を結び付けたものを武器とし、ある者は竹槍で、また武器のない者は素手で、口々に万歳を叫び七生報国を唱和しながら突っ込んだ。その武器や装備は哀れなものであったが、死地につこうとする気迫、一人でも敵を倒して玉砕しようとする激しい闘志に燃えていた。』
と言う状況で散っていったのです。
武器もない戦闘にもちろん勝てるわけがありませんが、負け戦の最後の最後まで「お国のため」に尽くしたのです。彼ら兵士達だけではありません。民間人も捕虜になることを恥じ、米兵たちが手の施しようも無く見守る中で自爆したということですし、子供を抱いて崖から海に飛び込む母親などもいたそうです。

漢字がずらずらっと並んだりすると読むのもタジタジの私ですが、頑張って読み続けています。
どんなに「焼け石に水」かもしれなくても、戦争を繰り返すな!と叫び続けなければならないのだと思いました。

この著書は非売品なので、書店では入手出来ないでしょうが、機会があったらお読み下さい。

写真はその表紙です。

杉原千畝という人

2005-05-16 21:20:50 | Weblog
昨夜TVを見ていたら、CBC(カナダ国営放送)で杉原千畝のドキュメンタリーをやっていました。
リトアニアの日本領事館領事代理だった彼が自国の意図に逆らってユダヤ人に命のヴィザを発行したことは良く知られた事実ですが、もっと多くの人に知って欲しいとここにURLを張ります。
人道的な立場から自分の身の危険などは顧みずヴィザ発行を実行した彼は英雄だと思うからです。
大変な苦労の後帰国した時祖国日本は彼を路傍に放り出しました。共に苦労を重ねた夫人にも賛意を表したいし、お子さんやお孫さん達にも、この人の子孫であることを誇りに思って欲しいです。
平和を願う日本人は皆、彼を同国人として誇りに思うべきでしょう。
杉原千畝誕生100年

今日は写真はありません。上記のホームページで杉原千畝という人について学んでください。

カナダ・チューリップ祭

2005-05-16 06:07:15 | Weblog
今オタワはチューリップ祭の真っ只中、あらゆる色のチューリップがいたるところに咲き乱れ、その美しさは壮観です。市自体が公園のような緑の多い街ですが、その緑地帯、公園や路傍のほとんどを美しい色とりどりのチューリップが埋め尽くす様子を想像して下さい。長い冬から開放された喜びが特に強調される風景です。その数3百万本以上、実に見事です。
これらのチューリップの多くはオランダのユリアナ女王からの贈り物です。第二次世界大戦中、ナチに占領されていたオランダに住むのは危険と言うのでカナダが安全な生活の場所を提供しました。昨日オタワを訪れ感謝の意を表していたマーガレット王女はオタワで生まれたのですが、この時は女王一家が住んでいた家を一時的にオランダ領とし、生まれてくる王女がオランダ国籍を持てるようにとの配慮も為されたということです。カナダの法律ではカナダ国内で生まれた者はみなカナダ人なのです。
1945年オランダに帰ったユリアナ女王はカナダへの感謝の印として10万個のチューリップの球根をオタワに送りました。そして毎年1万5千個のチューリップ球根を送り続けています。この美しいチューリップが動機となって毎年オタワでカナダ・チューリップ祭が開かれているのです。


canadian tulip festival今日の挿画は今年のツーリップ祭りのポスターです。

カナダメーフラワー

2005-05-15 02:19:17 | 野の花 - 春から夏へ
Canada Mayflowerの学名は(Maianthemum canadense)です。ラテン語は良く判りませんが、名前の最初のMaiはMajoを意味するものと勝手に判断しています。
それはそれは小さくて目立たない花、知らずに踏みつけてしまうことも多いのです。花自体もその形を確認するのに虫眼鏡が必要なほど。
ユリ科に属し、しばしばカーペット状にコロニーを作ります。でも、私が毎日のように散歩しているダッファリン島では道端に辛うじて芽を出し、花は咲かせても秋までには踏みにじられてしまうのか実を結んだのを見たことがありません。コロニーどころか三々五々散らばって生えているだけです。ありがたいことにこの花は根茎によって繁殖するそうで、兎に角生き延びています。
この花にまつわる有名な話は「赤毛のアン」を訳した村岡花子がカナダメーフラワーという花を知らず(当然でしょう、彼女はカナダを訪れたことは無く、英和辞典だってMayflowerを載せていてもCanada Mayflowerなど全く無視しているですから)、サンザシと訳したことです。
英国ではサンザシ(米国ではアメリカイワナシ)のことをメーフラワーと呼ぶので、同じ花と解釈したのでしょう。
分布はユコン、ブリティッシュコロンビアから東はニューファンドランド、南はジョージア、北西はテネシー、アイオワを経てネブラスカからモンタナまでと広く、実際何処にでも生えている花と思って間違いないようです。
私自身は花に気付いたのはずっと後のことで、最初はアルゴンキン公園で、実に気付きました。なんて可愛い実なんだろう、何の実なのかしらと撮ったのがこの写真です。直径は5ミリくらいしかなく輝くような赤です。
今年もCanada Mayflowerの咲く季節が来ました。
日本名は判りません。もし日本でこの花を知っている人、または見たことがある人はご一報下さい。


写真はダッファリン島に咲いた花とアルゴンキン公園で見つけた実。

カナダの天気

2005-05-13 08:57:25 | Weblog
快晴。昨日は29℃、今日は最高で10℃です。昨日と同じくT-シャツの上に夏のジャケットを羽織った格好では寒い日でした。街を歩いている人の中には冬外套の毛の縁取りの付いたフードを被っていた人も。五月なのに、と笑えない気温です。
カナダ人ほど天気を話題にする国民はいないと言われるほど天気の話題は尽きない国で、
一日の気温差が30℃あることだって珍しくありません。
風が南から吹くときはメキシコ湾の暖かい空気が届けられ、北風の日は北極の氷の洗礼を受けた冷たい風が訪れるというのが基本的パターンと言っていいでしょう。日本のように狭い国だって南北に細長いために北海道と沖縄では大きな違いがあるのですから、カナダのようにこうだっだっ広いと当然のことと言えます。加えて、今いる位置がジェット気流の南か北かでも大きな違いがあります。
だから「北だから寒い」という考えは通用しないこともしばしば。
先だってもここが14℃くらいで、イエローナイフが29℃もありました。
この極端な気温の変化に驚きもせず木々は日々緑の色を濃くしています。花々も順調に咲いては散っています。八重桜も満開、木蓮は散り終えるところです。
カナダ雁の家族が6羽の雛を連れて散歩しているのに会いました。父鳥は心配して歯なんか無いくせに、私に歯をむいていました。クァーっと声を荒げて向かってくる様は、四足の動物と変りません。そのフワフワの柔らかい綿の塊のような子供たちは無心に草を啄ばんで、実にのどかな光景です。ああ、もうそんな季節なんだ、夏が来るんだ、と改めて考えたのですが、この寒さで、夏ですよ。もちろん、東京と変らぬ30℃を越す日もあります。ただ、その差が大きく、しかも短期間の現象なのです。
二十四時間天気予報を放送している専門のTVチャンネルがあるのも頷けるでしょう。
写真は6羽のうちの3羽の雛たち