旋律はいつもドリン系

高校時代のマンドリンクラブの話です。
若干、ほんとのことをベースのフィクションです。

(31)アイ・ラブ・マイギター。なのじゃ。

2008年06月27日 08時28分20秒 | 1章-はじまりは、こんなもん

目次 〈1章-はじまりは、こんなもん〉の最初から
   〈2章-D線の切れる音〉の最初から
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福田先輩が師匠となって6日後の土曜日に、1年生が注文していた楽器がきた。
みんな、大喜びだ。ハードケース代込みで、ギターもマンドリンも2万円。
それと、教則本600円だ。ギターは『カルカッシ』。ドリン系は『オデル』。

さすがに、この日は福田先輩も「さっさと練習しろ!」とは言わなかった。
自分の楽器がきた日のことでも思いだすのか、他の先輩達も嬉しそうだ。

楽器が少ないため、下級生を指導している先輩達は、時々自分の楽器を貸す。
福田先輩だって時折、ワシの為に自分の楽器を貸していた。
先輩は、ワシに自分の楽器を貸さなくてすむの喜んでいるに違いない。
絶対に!そうなのじゃ。

でもワシは正直すごく嬉しい。
初めてのマイ楽器。嬉しくないはずない!

藤本とふたりで、お互いの楽器を見て木目がどうとかネックがどうとか、
自分の楽器の方が弾きやすいとか言い合った。まだ、弾いてないのに…。

藤本宣言。「これを、ユーコ3号と名付けよう!」

(アウ?1号は棗田先輩として…2号は?)

3年生の会計係が楽器代は早めに持ってくるようにと、ワシらに告げた。

「あー。金がいるなあ。バイトせんといかん」藤本が、嘆いた。

「マーくん。親が出してくれないのか?」

「親には言えん。日曜日にバイトする」

「大変じゃのう。」とワシは同情したように言ったが。
自分で2万円も用意できるのを、感心したと同時に。
そんなの、当たり前じゃ。とも思った。

だって、藤本は楽器を決める時、自分で大丈夫だと太鼓判を押していたのだ。
ワシの方こそ、親に言いにくかった。
最初はベースをするつもりだったから、お金の心配をしていなかったのだ。

親にギターに決めたので、2万円くらいかかる事を言ったら、
すんなり出してくれたので、ほっとしたのものじゃ。

宮島部長がクラブ終了を伝えにきた。
いつもなら、この後もう少し福田先輩と一緒に練習をする(させられる)。

ところが、先輩がめずらしく、今日は帰っていいと言う。
土曜日のせいだろうか。先輩自身の用事でもあるのだろうか。

そして悪魔は、にこやかに、こう告げた。

「明日(日曜日)は、普通の登校時間(8時半)でいいよ」
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初めて、自分の楽器を手にした時の事は忘れられません。ケースから出したり、しまったり。教則本はカルカッシ。今でも時々見ます。10年くらい掛けて、自分で発見したと思っていたテクニックが、教則本の中にサラリと書いてある事がありました。大笑い。でも、自分がそのレベルに達したから、その事が理解できたのかな、とも思います。先生に習っていれば、そんなこともないのでしょうが。それも、またよしアマチュアギタリスト。
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