盆休みの初日、朝の8時半 指令を受けて宮崎市内の住宅地に向かいました。乗り込んで来たのは40代の男性。行き先は空港なので2,000円ほどの距離。服装はカジュアルですが福岡まで日帰りの出張のようです。行き先を告げると「ちょっと電話掛けさせてください」と言って、携帯電話を取り出し・・・「しゅうじ」「どりる」「おやつのばしょ」のような会話が聞こえてきました。どうやら電話の相手はお子さんのようです。
電話が終わるのを待って「お子さんは小学生ですか?」と話し掛けました。「(私)ご自分が子供の頃は、どうでした?」「(客)宿題はいつもぎりぎりで・・・」というやりとりで空気がなごみ、いろいろ話を聞くことができました。
小学生のお子さんが3人だそうです。奥さんはまだ寝てるらしいので、もしかしたら夫婦共働き。昨年の夏休みでは 子供たちの宿題がはかどらず終盤は大騒ぎ、最終日は深夜3時まで付き合ったそうです。奥さんから “宿題の監督” を任命された、そんなところじゃないでしょうか。口うるさい父親、という感じではない。膨大な宿題に一緒に立ち向かうパートナーという印象を受けました。
※私の父の場合、子供の教育は学校と奥さんに任せっきり。仕事に専念と言えば聞こえがいいけど、父親としての責任放棄とも言える。その結果、思春期における親父とのコミュニケーションは空っぽです。私の天邪鬼(あまのじゃく)な性格形成にたぶん影響してる。
他の乗客にも「夏休みの宿題」の話を振ってみました。中学生のお孫さんの世話で、夏休みなのに部活(バトミントン)があるから毎日 “お弁当” を作らされているとグチるお客さん。部の顧問をしてる先生が、定期的に宿題の進捗度をチェックしてくれるそうです。いまどきの「読書感想文」は、お金を出せばネットから入手できるという話も。
自由研究だとか工作、縫製の宿題を親に手伝ってもらったという人も。私もその1人ですが。子供がそれを要求するというより、見るに見かねて親が手を出してしまうということ。子供のクオリティーを考えて制作してくれる親ならいいけど、完成度が高すぎて “明らかに大人の作品” という失敗、昔も今もありますよね。担任の先生もクラスメイトも気が付かないふり、するしかないでしょ。