明治5年3月10日、東京の湯島聖堂(=昌平坂学問所)において文部省博物局による博覧会が開かれました。これが「国」による初の博覧会。
この博覧会は、翌年のウィーン万国博覧会への出展準備の意味もあり、全国から、文化財、剥製、標本など600点以上を集めました。
その様子を伝えるのが
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元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図
昇斎一景 明治5年1872年
もとしょうへいざかせいどうにおいてはくらんかいず しょうさいいっけい
絵の中央にあるのは、名古屋城の金のしゃちほこ。
きちんとガラスケースにいれられています。
(ちなみにこの金のしゃちほこは、ウィーン万国博覧会にも出品され大人気になったとか)
一番手前の水鉢には生きたオオサンショウウオが。(大和国(奈良県)からの出品)
(絵だけ見ると、どうも甲羅のないカメのようにしか見えないのですが・・・)
このふたつが博覧会の二大人気展示だったといいます。
また左右の回廊にはおびただしい数の展示品と、それを見る人の頭、頭、あたま、あたま!
展示品をざっとみると、鉱物らしきもの、鎧兜(よろいかぶと)に鞍(くら)、陶器、木製品、胸像、盆栽(珍しい植物?)、
そして、イノシシ、タヌキ、鷹、カメなどなどの剥製、剥製、剥製。
一番右には巨大な生き物の頭蓋骨まで!(なんでしょう。マウマンゾウとか? 恐竜かも)
この絵には描かれていませんが、正面の聖堂内では絵画や書なども展示されたそうです。
緑色と青色を主色とした落ち着いた画面ですが、中央へ集まる透視画法の技法によって会場の奥行が強調され、
大勢の人々がいるうきうきした雰囲気と、手前に描かれた庶民の表情によって、その驚きが伝わってきます。
博覧会は大盛況となり大混雑となったため、入場制限をもうけ、会期も1か月延長したそうです。
入場料は2銭。入場者総数は15万人!(1日平均3千人)
現在の東京国立博物館はこのときをもって誕生したとされています。
またこの博覧会から5年後の明治10年8月21日には、東京上野で
第1回内国勧業博覧会が開催されます。
これは見世物ではなく、殖産興業を目的としたもので、日本各地からすぐれた技術や作品を集め審査し、優秀なものには褒状などが与えられました。
美術本館、農業館、機械館、園芸館、動物館が建てられ、寛永寺の門上には大時計が、また公園入口には巨大な風車が(地下水汲み上げ用)つくられました。
さらに、上野東照宮から公園には数千個の提灯がともされたといいます。
その様子を絵にしたのが
東京名所之内 上野山内一覧之図
河鍋暁斎 明治10年1877年
とうきょうめいしょのうち うえのさんないいちらんのず かわなべきょうさい
上空から見下ろした緑の山中に立ち並ぶのは、数々の洋館、お寺、巨大な鳥居、大仏、そして風車。
なんだかめちゃくちゃで、にぎやかな雰囲気です。その周囲を大勢の人々が歩いています。
中央に描かれた2台の馬車は、明治帝と皇后陛下が開会式のために臨御あそばされたもの。左右には大勢の人々が立ち並び、両陛下をお迎えしています。
緑の中に、ところどころ(館名を表す札、旗、寺院の壁など)強烈な赤がはいっているからか、かの有名画家、暁斎の作品と思うからか、
絵からは奔放なエネルギーのほとばしりが感じられます。
この熱狂を持って日本は富国強兵をおしすすめ、見事世界の大国へと成長していきます。
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幕末明治の浮世絵・探訪展
~幕末の歴史絵から明治の開化絵まで~
期 間 平成26年 3月1日(土)~3月30日(日)
時 間 9時~17時30分(入館は17時まで)
休館日 毎週火曜日
入館料 一般800円 高校・大学生700円 中学生以下無料
会 場 黒部市宇奈月国際会館・セレネ美術館 3階展示ホール
富山県黒部市宇奈月温泉6-3 TEL 0765-62-2000