昨日の新聞コラムに「かつてない危機的状況の中で憲法記念日を迎えた」とある一方、各地の高速道路は例年の黄金週間同様、観光地へ向かう車で大渋滞していました。私も含め観光地で憩うことが出来る人は例年と同じ黄金週間なのでしょう。危機的に感じるか否かは結局は自分の意識次第なのかな?と、少ない脳みそで考えました。
房総ワンデイハイク、大多喜城跡を巡ったその足で大多喜駅裏に建つ八幡神社へ向かいます。大多喜高校を出てテニス部グラウンド沿いの道を進んだ一帯はかつての三の丸跡で、八幡神社はここに建っています。弓矢の神様と云われる誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀るその流れを辿ると、718(養老2)年に鎌倉鶴ヶ丘八幡宮にたどり着くそうですから、歴史を感じる神社です。
大多喜城の鎮守として大切にされ、廃藩置県後の1877(明治10)年に現在地へ遷座して今日に至っています。現在の社殿は遷座の翌年に建てられたものですが、長い歴史の割りに質素な造りに感じられます。背後には大多喜城(総南博物館)が見えるのが心憎い演出です。
(大多喜城が見えますか? -大多喜町大多喜 2011/04/24-)
大多喜町の散策ルートから外れており行き交う人もいませんが、落ち着いた雰囲気のいい場所でした。
八幡神社はこのあたりです
2010年05月04日の一品・・・728)私的岩手通史の旅 第19回
2009年05月04日の一品・・・512)道南半日10 青函トンネル(函館側)
2008年05月04日の一品・・・お休みでした
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房総ワンデイハイク、大多喜城跡を巡ったその足で大多喜駅裏に建つ八幡神社へ向かいます。大多喜高校を出てテニス部グラウンド沿いの道を進んだ一帯はかつての三の丸跡で、八幡神社はここに建っています。弓矢の神様と云われる誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀るその流れを辿ると、718(養老2)年に鎌倉鶴ヶ丘八幡宮にたどり着くそうですから、歴史を感じる神社です。
大多喜城の鎮守として大切にされ、廃藩置県後の1877(明治10)年に現在地へ遷座して今日に至っています。現在の社殿は遷座の翌年に建てられたものですが、長い歴史の割りに質素な造りに感じられます。背後には大多喜城(総南博物館)が見えるのが心憎い演出です。
(大多喜城が見えますか? -大多喜町大多喜 2011/04/24-)
大多喜町の散策ルートから外れており行き交う人もいませんが、落ち着いた雰囲気のいい場所でした。
八幡神社はこのあたりです
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