風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

945) 房総ワンデイハイク(大多喜町3 大多喜城跡)

2011年05月03日 | 千葉彷徨
 5月第2日曜日は母の日、その定番といえばカーネーションですが、先日のニュース番組では震災に耐えて咲いたカーネーションを洗浄して出荷すると報じていました。「カーネーションは強い花なのだなぁ」と感心したのですが、翌日の新聞では「とても売り物にならない」と嘆く農家を報じていました。どちらもその通りなのでしょうが、同じ事柄でもひとつの報道を過信してはいけないのかなと思う出来事でした。


 房総ワンデイハイクの続きです。メキシコ通りの上り坂を登っていくと大多喜城本丸跡への道が分かれます。この道は約30年前の中坊時代に同級生と訪れた記憶があります。記憶はおぼろげですが、城跡への坂道と、大晦日だったので城の中は休館していたことだけは覚えています。

 大多喜城は16世紀前半に上総武田氏が築城したもので、その後の経緯を記すと長くなるので省略しますが、メインは徳川家康の家臣である本多忠勝(ほんだただかつ)が入城した1590(天正18)年からで、25年間本多氏が治めた後、小刻みに主を変えて明治維新を迎えました。


(新緑の季節を迎えた大多喜城跡 -大多喜町大多喜 2011/04/24-)

 現在建っているのは復元天守閣ではなく1975(昭和50)年に建てられた「城郭様式の千葉県立総南博物館(パンフレットより)」です。現在の名は千葉県立中央博物館大多喜城分館です。館内には様々な展示物がありますが、やはり一番は最上階からの眺めでした。往時の殿様はここから毎日庶民を見下ろしていたのでしょうか。


(高層ビルもなく広々した視界 -大多喜町大多喜 2011/04/24-)

 復元天守閣の建つ本丸跡から「大井戸」「御薬門」へ向かいます。愛用の観光本等によると大井戸は「本多忠勝が掘らせた周囲17メートルもある井戸」で、薬医門は「1842(天保13)年に建てられた大多喜城建造物唯一の遺構」とありました。これらに続く二の丸跡への坂を下りていくと、県立大多喜高校の敷地内に入ってしまいちょっとびっくり。両者は高校の敷地内にあったのですね。落ち着かない気分で両者をカメラに収めました。


(コンクリートの校舎とのギャップが・・ -大多喜町大多喜 2011/04/24-)

 さわやかにクラブ活動で汗を流す高校生を横目に、おじさんは大多喜彷徨を続けます。

 大多喜城跡はこのあたりです。



2010年05月03日の一品・・・712)岩手桜の間 一関市(堤内排水路脇の桜)
2009年05月03日の一品・・・496)岩手散歩 桜だけじゃないよ♪
2008年05月03日の一品・・・249)栃木散歩 宇都宮市(田川)

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