五月のある日、熱田文化小劇場でのコンサートのチケットを、友人からもらったので出かけました。
コンサートは、名フィルトランペット奏者四人の演奏会で、久しぶりに華やかなブラスの音色を堪能。
少年時代、ブラスバンドに熱中した頃のことを思い出しました。
また、トランペット、少しずつ練習しようかなあ。
コンサートが、終わって、名鉄熱田駅前。名物「きよめ餅」を、買ってと・・・・。
駅口から、熱田神宮参道へ。途中に「信長塀」が、あります。桶狭間合戦の戦勝御礼だそうです。
熱田さん本宮・・・・。
今日はここから一礼して、本参道を南に左折します。途中に、「宮きしめん」の茶屋。
樹齢一千年以上といわれ、弘法大師、お手植えと伝えられるクスノキの大木。
本参道を出たところにある、「ひつまぶし」で有名な蓬莱軒。今日も、お客さんが並んでいます。
蓬莱軒と並んで、すぐ右、南側に、桐葉亭の跡があります。
ここは、芭蕉の有力弟子の「林桐葉」の邸宅址。
芭蕉は、この地で、貞享二年(1685年)三月に、熱田三歌仙を巻き、そこに、叩端、桐葉との三吟歌仙を納めている。
その発句として・・・。
白鳥山
何とはなしに なにやら床し 菫草 芭蕉 (皺筥物語)
土芳の三冊子には・・・。
何となく なにやら床し 菫草 芭蕉 (三冊子)
があるが、後の有名な句の「初出」とみられている。
(これは、嵐山光三郎氏説によれば、林桐葉が、先に愛娘を亡くしており、それを悼みながらの挨拶句としている。)
大津に出る道、山路をこえて
山路来て 何やらゆかし すみれ草 芭蕉 (甲子吟行)
ちなみに、同じく芭蕉の有力弟子の、鳴海の「知足」・下里(郷)知足は、この林桐葉が芭蕉に引き合わせたそうだ。
(本ブログ、東海道鳴海宿、参照)
赤陣屋址?・・・・。
七里の渡し、船着場跡。
戻って、旧東海道、熱田宿内へ・・・道標。
今回、なじみがありながら、なかなか歩けなかった熱田神宮、熱田宿、七里の渡し船着場跡、などさらっと(まだまだ熱田はディープ)歩いてみて、戦災や、その後の都市計画で、素晴らしい近代的な片側三~四車線の道路に、ずたずたになった熱田の町が、痛々しかったです。
今後、熱田をより魅力的な街にするには、この徒歩での「回遊性」の回復が鍵になると思った次第です。
*なお、6月10日、6月17日(2017年)のNHKTV・ブラタモリで、名古屋城、熱田界隈をやるそうですので、興味のある方は、そちらも参考にしてください。