Wind Quest 風の旅

風になり自然や村や街、今や、昔を、不易流行のヒントを求め探訪します。風雅、風土、風韻、風格、風流、風光、風景、風狂・・・

モザイクタイルミュージアム

2022-05-13 14:47:59 | まち・むら・さと探訪

多治見モザイクタイルミュージアム

 コロナも収束を見ていないので、混雑を避けて、ゴールデンウイークも終わったウィークデーに、以前から行きたかった建築史家にして路上観察学会の活動をしてきた藤森照信氏デザインの、多治見モザイクタイルミュージアムに出かけました。場所は美濃焼で有名な岐阜県東濃地方・多治見市の旧笠原町地区で、戦後、モザイクタイルの生産が盛んな地区です。

建物周辺のマウンドからエントランスへのアプローチです。

 エントランスホールに入ると、モザイクを全身にまとった車が・・・スズキのカルタスだそうですが、どんな車だったか、ちょっと思い出せません。

 エントランスホールから一気に四階まで、登り窯を模したと言われるメイン階段が続きます。パースペクティブの効果を利用して先端を細くしていき、より高く遠く感じさせています。

 四階(屋上?)は、モザイクタイルや絵タイルなどが展示されています。

この後、展示順路は三階、二階、一階と段々下っていきます。それぞれ興味深い展示でした。

 笠原にモザイクタイルの生産が始まったきっかけは、戦前の山内逸三氏のチャレンジにあったようです。

 

この建物の建築模型

周囲からのショット。

 藤森照信氏の作品は、これまでのコルビジェやミース・ファン・デル・ローエやバウハウスなどの近代建築の系譜からは離れていて、バナキュラー(土着性)、エコロジー(生態系)、ナチュラル(自然性)・景観親和性、多様性、手作り性など、多くの示唆に富むものだと感じました。

 


濃尾の秋

2021-12-10 10:17:39 | まち・むら・さと探訪

 コロナ禍が小康状態の中、秋の一日、感染拡大に気を付けながら、濃尾平野のあちこちを訪ねました。

 まずは、名神大垣インターから北上、岐阜県の揖斐郡大野町の「川の駅 旬の味 おか多」で早い昼食です。このあたり揖斐郡から本巣郡にかけて、日本一の柿と言われる「富有柿」の産地です。途中、沿道の柿畑の脇で農家直販の富有柿をゲット!大きいおいしそうな富有柿四個一袋で二百円!三袋を買いました。川の駅 おか多では、この柿の葉と、前を流れる揖斐川支流の根尾川で獲れる鮎で「鮎の柿の葉寿司」を作っているそうなので来たかったのですが、鮎のシーズンは終わっていて、冷凍の「焼き鮎の柿の葉寿司」をテイクアウトにしました。

 昼食は私は「川魚定食」、相棒は「イノシシ肉のしゃぶしゃぶ」です。

 昼食ランチメニューだったので、豪華ではありませんでしたが量も丁度よく満足しました。アユの季節は過ぎていたので、生の鮎は有りませんでしたが、川魚、ジビエ、など旬の地元の素材にこだわっているのが伝わってきます。別注で沢蟹のボイルも食べられるようでした。

 次に向かったのは、根尾川、長良川を渡り、木曽川に架かる濃尾大橋から一宮市の尾西地区にある三岸節子記念美術館経由で、銀杏の黄葉が今盛り祖父江の街です。

 イチョウは、最初、伊吹おろしを防ぐために植えられたんですね。伊吹おろしを利用しているもう一つ!切り干し大根も干してありました。

 町中がイチョウ・銀杏の黄葉で埋めつかされています。あたりにはかすかに、そこはかとなく銀杏の実の香りが・・・・散策中の農家の庭先で、銀杏を売っていたので買いました。

 名鉄の赤い電車がよく似合います・・・

駅の近くには祖父江ぎんなんパークもあります・・・黄葉時の土日には、マルシェも開催されているようです。

 


本の旅 大津・膳所小説二題

2020-02-08 16:39:24 | 芭蕉ゆかりの地を訪ねて

諸田玲子著 「ともえ」

 膳所の義仲寺、義仲、巴、芭蕉、智月尼、四つ巴の魂の邂逅の物語。諸田玲子氏の小説的想像力が、芭蕉が近江を終焉・永眠の地に選んだ謎に挑む。

 有ると無き 二本さしけり けしの花

 わが年の よるともしらず 花さかり    智月

 

 旅の果て しばし近江の 小春かな     佐亭(管理者)

和野和夫著 「風狂の人 菅沼曲水」

 芭蕉が「幻住庵記」で、「勇者菅沼曲水子」と呼んだ近江蕉門の重鎮にして膳所藩の重臣・菅沼外記定常の激烈な最期を描く。

三河以来の誉の家の断絶を覚悟してまで、俳諧の筆ではなく、鎗で描いたこととは・・・。

 おもふこと だまっているか ひきがえる    曲水

 蕉門とは、思えぬ句だが、よほど武家勤めで、鬱屈したものが有ったのか・・・。

この事件の余波がなければ、膳所は、今の松山のように蕉門以降の俳句が栄えた俳句の聖地になっていたかもしれないと悔やむ説がある。

しかし、それは、今からでも遅くはないのではないか。

この事件は、芭蕉が亡くなってから二十年近く後のことだが、芭蕉も生きていたら、世俗の争闘から身を引いた彼も、惜しみ悲しむことはすれども、「勇者曲水、武士道、やむにやまれず」と、曲水(曲翠)を非難することは、なかったかもしれない。

 しかし、それにしても膳所藩では、菅沼家および菅沼翠事件は、抹殺されたのか・・・膳所での菅沼曲翠の名誉回復いや、存在痕跡承認?は、昭和後半になるまで実に約二百五十年間、なされることはなかった。

昭和四十四年(1969)

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 七月、膳所不動寺筋(現・中庄一丁目)の旧址に「菅沼曲翠邸址」の碑建立。

 

 

昭和四十八年(1973)

Dsc_0447k  義仲寺境内に「曲翠墓」建立。没後、実に二百五十七年、初めての建墓である。

 

 

 

 

 

 

 

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師走 鹿児島の旅Ⅲ その二

2019-12-17 16:14:26 | まち・むら・さと探訪

師走 鹿児島の旅 三日目 その二

 鹿児島空港に行く途中、時間に余裕があったので、

加治木、蒲生に寄って「日本一の大楠」を、見ていくことに、しました。

 

確かに巨樹です。樹齢1500年!目通り24メートル。何か精気をもらえる気がします。

*蒲生に地名の由来:近江蒲生氏(蒲生氏郷で有名)とは、別系統で、藤原教清を祖とする藤原北家の一族で、大隅国蒲生院の発祥とされる。

 この後、鹿児島空港で、かるかんなど若干のお土産と、

自家用の「原酒36小松帯刀」を買って、帰名フライト機に搭乗しました。

 中部国際空港・セントレアでは、クリスマスイルミネーションと、

クリスマスソングのライブが、迎えてくれました。

     そうか、もう、クリスマスかあ・・・・

                    師走 鹿児島の旅  完

 

追記 Ⅰ:薩摩藩・鹿児島と庄内藩・山形との交流のもととなった両地域の因縁は、

     佐藤賢一著「新徴組」「遺訓」に詳しく描かれています。

追記Ⅱ:薩摩義士の宝暦治水については、杉本苑子著「孤愁の岸」で小説化され、

             森繁久彌氏、竹脇無我氏などが、平田靱負役で主演、劇場化もされております。

 

 


師走 鹿児島の旅 Ⅲ その一

2019-12-17 12:25:50 | まち・むら・さと探訪

師走 鹿児島の旅 三日目

 朝、ホテルの朝食をしっかりとって、維新の元勲を輩出したすぐ近くの加治屋町へ。

 西郷生誕の地、維新ふるさと館へ・・・。

 維新ふるさと館では、小松帯刀や、旧庄内藩との交流などにも、興味を惹かれる。

 その後、城山を一周してから、鶴丸城郭内の黎明館・鹿児島県歴史資料センターを見学。

この建物の建築デザインの作風が、愛知県瀬戸市の愛知県陶磁資料館と、

似ていたため、受付で確かめたら、やはり同じ設計者・谷口吉郎氏でした。)

 

黎明館の北東すぐの、「薩摩義士碑」に参拝。木曽三川分流・宝暦治水の殉難者の碑です。

木曽三川の水の恩恵を受けている人には、はずせないところです。

幕府に命じられたこの工事で、薩摩藩は約90名の自死を出し、約40万両もの負債が膨らみ、

その後の、財政再建の過程で、奄美群島や、琉球への砂糖などの苛烈な課税や、

密貿易の拡大など、歴史に大きな影響を与えました。

 真ん中に、担当・差配した家老・平田靱負の慰霊碑があります・・・拝。

ちなみに、木曽三川公園近くでは、治水神社がつくられ、この薩摩義士の御魂が祀られ、神になっています。

 

この後、島津斉彬公ゆかりの、尚古集成館・名勝仙厳園に向かいます。

途中の、海岸沿いの道。「じゃんぼ餅」の平田屋さんを見つけ入りました。

「じゃんぼ餅」の語源は「両棒(二本の棒)」ということらしいです。

 いよいよ世界産業遺産、尚古集成館へ・・・。

 反射炉などの遺跡もありました。幕末の短時間に是だけの近代化の技術を、

デベロップしたというのは、ほんとにすごいです!

仙厳園の島津斉彬公が作らせたガス灯の石灯篭。

 名勝・仙厳園から桜島の眺望。

 ここから、鹿児島最後の行程、鹿児島空港に帰ります。                  その二に  つづく

 

 

 

 

 

 


師走 鹿児島の旅 Ⅱ

2019-12-17 10:16:52 | まち・むら・さと探訪

師走 鹿児島の旅 二日目 

昨夜の百年杉(宿の創業者が百数十年前に植林)の森を、朝、散策しました。

枝打ちもきれいにされており、しっかり手入れされた見事な杉林でした。

 散策道沿いにある 霧島を訪れた歌人たちの歌。

 今日は、この霧島から一気に、薩摩半島の先端部、知覧・枕崎を目指します。

途中の南九州スカイラインからの風景。

ナポリの景色に似てますね。ナポリには行ったことありませんが・・・。

鹿児島市は、ナポリ市と姉妹都市だと聞いたことあります。

日本も、イタリアも火山国ですし、風景も似るんですね。

 知覧の武家屋敷の街並み探訪。薩摩藩では、こうした土着の郷士の屋敷街を「麓」と言うのだそうです。

 日本の道100選にも選ばれています。

    

   

 知覧周辺の見どころ・・・。

 この後、車で十分ほどの知覧特攻平和会館を訪ねましたが、レポートしきれないので、断念します。

出来れば、読者の皆さんが自分自身で訪れていただきたい場所でした。

 知覧の広々とした茶畑。戦時中、飛行訓練の若者たちは、あの、開聞岳を目印にしたのでしょうか。

 枕崎お魚センター二階デッキからの枕崎港。師走だというのに、南イタリアを思わす明るさ。

同、展望レストラン「ぶえん」での昼食。ぶえん鰹の刺身や、腹皮の塩焼き・・・

ちなみに、ビールはノンアル。

 さてと、お腹が出来たことだし、海岸沿いをゆっくり鹿児島までドライブ。

途中、池田湖から開聞岳の眺望。名の花が咲いてて、びっくり!

菜の花マラソンと言うのも開催されるそうです。

 その後、ゆっくり錦江湾沿いをドライブして北上。夕方、天文館にあるホテルに投宿。

すこし、休んでから、夜の街に繰り出しました・・・・。

まずは、地味だけど居心地の良さそうな居酒屋で、「三種刺し盛」と「きびなご」を、酢味噌で・・・

その後も、芋焼酎のお湯割りで、随時、居酒屋のおやじさんの得意そうな料理を頂く。

〆は、少し歩いて、「白くまくん」を買って、ホテルで・・・・。

                 師走 鹿児島の旅 二日目 おわり

 

 

 

 

 


師走 鹿児島の旅 Ⅰ

2019-12-16 10:16:03 | まち・むら・さと探訪

師走 鹿児島の旅 一日目

 朝早く中部国際空港・セントレアから鹿児島空港に飛びます。

機窓から見える朝の霧島連山。

 鹿児島空港から、霧島アートの森に向かいました。アプローチにある草間彌生氏の作品。

 本館アプローチと全景。設計した建築家は、早川邦彦氏。

 園内周回プロムナード沿いに配置された作品群。

    

 本館中庭内の草間彌生氏の作品。室内は撮影禁止です。

男子トイレの便器は、スケルトンでした。

                

 ここから、霧島連峰の南麓を迂回して、霧島神宮へ。

途中から見える姶良カルデラと錦江湾、桜島の遠望。

 高千穂の峰が見えてきます。龍馬とおりょうが新婚旅行の折り、登ったそうです。

天孫降臨の神話の世界です。

 霧島神宮へ。

 さざれ石がありました。

 斎藤茂吉の歌碑。

 宿に行く途中の、丸尾滝。温泉水が混じっているのか、濁っていて、硫黄の香りがします。

滝の岸壁は、おそらく玄武岩で、柱状節理になっていますね。

 

 宿・老舗霧島ホテルに投宿。「天下の名泉」と宿が自慢する泉種、泉質、泉量を誇ります。

入浴できる泉種は、塩類泉、明礬泉、硫黄泉、鉄泉でした。肩こりが一発で解消しました。

 

 夕暮れの霧島温泉の風景。

 夕食の広間、100年杉の森のライトアップが、圧巻でした。

                         師走 鹿児島の旅 一日目おわり

 

 

 

 


蚕の旅

2019-11-11 10:54:46 | NPOマルベリークラブ中部関連

本の旅

 高杜一榮著「『蚕の道』ナポレオン三世と家茂」読了。

幕末の蚕・絹のフランスへの輸出と、その後の日本の近代化・・・。

薩長、英米中心の明治からの近代史に、今までと違った視点。

ファッションの国・フランス、技術立国日本の遠源の裏面史?

 


志段味古墳群

2019-05-25 10:11:42 | 愛知・名古屋の地域探索

 まだ五月と言うのに真夏日。しかし大気は乾燥して、日陰ならさわやかな日に、開館なった名古屋市守山区にあるしだみ古墳群ミュージアムを訪ねました。

上志段味は、名古屋市の東北部の東谷山の南麓、庄内川の左岸に広がる丘陵地で、古代、地勢を生かして豪族たちが拠点としていたようです。

この地区には、古墳時代を通じて、古墳が作られ続けたらしく、名古屋市全体の三分の一にあたる66基が確認されているそうです。

 今回、ここの志段味大塚古墳が、築造当時の石葺?の輝く姿で復元されていると聞いて、ぜひ見たくなったのが一番の来訪の動機です。

ミュージアムの背後に広がるサイトミュージアムが、大塚・大久手古墳群地区です。

遠景に東谷山が、見えますね。近くに見えるのが志段味大塚古墳です。東谷山はなにか神奈備山の風情がありますね。

註:神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とは、神道において、神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁した領域のこと。または、神代(かみしろ) として自然環境を神体(しんたい)とすること。

 近くに寄ってみました。

かなり、迫力あります。登ってみます。右のかどの造り出しが、あります。

やはり東谷山がよく見えます。

 

 帰りに、愛知県立大学の近くにある、この地区最大の白鳥塚古墳にも、寄ってみました。白鳥・・・これも、日本武尊になにか、ゆかりがありそうです。

 どうやら、この古墳(群)を造った豪族は、大和王権そのものではなく、それと縁のあった豪族のようです。名古屋市には熱田や鶴舞・味鋺など、古墳のある地区が、いくつかありますが、それとの関連など、調べていくと、面白そうで、興味は尽きません・

 

追記:しだみ古墳ミュージアムの近くにあったアート作品「トリノメ」。松岡徹さんの作品だそうです。

ほかにも、何点か、古墳にちなんだアート作品があります。「古墳をめぐるアートをめぐる」散策などもいかがでしょうか。

 

 上志段味の訪問の後、同じく庄内川下流3~4kmの右岸、春日井市松川戸にある道風記念館に、寄りました。平安時代の書道家で有名な小野道風は、十歳頃まで、ここで育ったと言われます。展示資料によりますと、道風は小野小町といとこであったようです。一族には、あの冥界を行き来したという小野篁もいたということです。

 正面入り口は、平安時代の文人の邸宅に特徴的な穴門が、デザインされてますね。

 書道に関心のある方は、一度、寄ってみてください。

 

 

 


平成最後の歳旦

2019-01-07 11:03:38 | 日記・エッセイ・コラム

 あけましておめでとうございます

 平成最後のお正月、静かに味わいます。

 去年の秋、近所の方からいただいた渋柿を、干し柿にしてみました。いろいろネットなどで調べて、皮をむいたあと、クエン酸を入れた熱湯で消毒してから干しました。そのせいか、カビなどの発生もなく、10日ほど(途中でモミモミしたりしながら)でほぼ出来上がりました。途中、少し天候がすぐれなかったからなのか、都会の真ん中だからなのか、できばえはいまいち出したが、まあ、甘かったです。で、愚句一句。

 歳旦に 抜けぬ渋味も 愛でにけり   佐亭

 

 


なにげなく「ひつまぶし」

2018-09-14 16:35:49 | 食文化

名古屋城の東

 名古屋城の東、地下鉄名城線・市役所から、名古屋市役所北側を歩いて外堀(かってここには、名鉄瀬戸線が走っていた。)の上を抜け、南に曲がって2~3分で名古屋市市政資料館が、あります。

 ここは、旧名古屋控訴地方裁判所区裁判所庁舎(1922年建設、設計は司法省営繕部)を修理・改修して市政資料館として利用・保存されているものです。重要文化財に指定されていて、ネオバロック様式、日本の近代における大正期の建築物の特徴を備えているとされています。見たとおり、なかなか、クオリティ高いです。名古屋城は戦災で焼け落ちましたが、ここは辛くも残ったようです。

 市政資料館で、用事を済ませ、早めの昼食。すぐ西隣のうなぎの「木屋」に行きます。裏はすぐ外堀です。

 店の焼き場から、もうもうと美味しい煙が立っています。

 幸い、早いせいか(11時15分)、並んでいる人も少なく、すぐ入れましたが、店内はほぼ満員。11時の開店を待って入った人が多いようです。うなぎ、それも名古屋と言えば、最近「名古屋めし」で全国的に有名になった「ひつまぶし」ですが、この木屋さんは、知る人も知る創業150年以上、江戸時代からの老舗だと言われています。かくいう小生も、何十年も前から、熱田の「蓬莱軒」、錦三の「いば昇」は、よく通った口ですが、木屋さんは、初めてでした。

 うなぎ屋さん特有の、待ち時間はキッチリありましたが、ひつまぶしの並、おいしそうです。

 定石通り、一杯目は、そのまま。二杯目は薬味を乗せて。三杯目は、薬味を乗せて出汁かけて、うな茶漬けでいただきました。焼きもキッチリ、甘めのたれで、名古屋の味の本道でした。熱田の蓬莱軒や、錦三のいば昇さんほど、まだ全国区のスペシャル感はなく、近所の士職業(なぜか、近所は弁護士、税理士、司法書士などの個人事務所が多い)の人が、何気に早めし食べてる感じで、名古屋の気取らぬ普段めしの雰囲気が色濃く残っていて、これはこれで、貴重な店だと思いました。

 

 


八重山諸島に初めて その二

2018-02-18 10:11:30 | まち・むら・さと探訪

石垣島

 竹富島から石垣島に戻り、レンタカーを借りて、まずは、川平湾へ。

冬でも、この海の明るさ・・・・

 グラスボートに乗ります。

 この冬の季節でも、サンゴ、魚が観察できます。

 海岸から少し上った高台にある川平公園茶屋で、八重山そばを堪能。かまぼこが石垣島の形をしています。

 市街地に戻る途中、唐人墓。池上永一氏の小説「テンペスト」にも出てきますね。

 中国の人達でしょうか?

 石垣市中心部にある八重山博物館へ・・・。

 明和の大津波の記録が、目につきました。

白保地区の死者・行方不明者の比率が半端じゃないですね。98%!!!・・・・南海トラフ側が被害が大きく、島影、サンゴ礁に守られている島は、比較的被害は軽かったようです。竹富島は、死者・行方不明者2%です。

 津波遡上高の平均分布。・・・・最高高75メートル!!!という説もあるようです。

 江戸時代・明和年間と言うのは、清国では乾隆帝の頃か・・・。

 今日は、石垣市街地にあるホテルに投宿。夕食は夜の街に繰り出して、ユーグレナモール?ユーグレナって?ミドリムシ???・・・・なんか関係あるのかな?

料理居酒屋で、石垣島の地酒泡盛で八重山の料理を堪能しました。

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 朝、眺望のいいバンナ公園に登って、八重山の眺望を楽しみました。

 

 この石垣島と西表島の間の珊瑚礁帯を「石西礁湖」といい、国内最大級の珊瑚礁だそうです。

 昨日行ってきた竹富島の遠望。

 その後、白保地区にある「しらほサンゴ村」へ。昔ながらの集落のなかをたどるとありました。

WWF(World Wide Fund for Nature:世界自然保護基金)が運営しているようです。

 施設の中庭・・・・風通しがよさそうです。台風時には、中庭沿いにテント生地で雨風を防ぐようです。

 今年は「国際サンゴ礁年」、サンゴ礁のことを学んで帰ります。

 しばし、ゆったりとした時間を過ごす・・・。

 白保の海岸。明和大津波では、ここに平均遡上高、約30メートルの津波が?

白保地区に近い街道の並木・・・・気持ちいいです。沿道の食堂のお母さんに、樹種を聞いたら「ヤラブ」の木という事でした。

 この後、石垣空港に・・・・帰宅の途に就きました。

 

 


八重山諸島に初めて その一

2018-02-17 15:35:51 | 伝統的エコロジー建築デザインボキャブラリ

まずは、竹富島

以前から、ぜひ訪ねたかった念願の八重山諸島に、年末行くことができました。最近は、日本各地から直行便が飛ぶようになり、便利になりました。石垣空港から石垣市中心部に近い離島ターミナルに直行。今夜の宿泊地の竹富島に渡ります。たった、15分の船旅です。

 竹富島では、港まで今夜の宿の高那旅館の方が、迎えに来てくれました。高那旅館は、司馬遼太郎氏も「街道をゆく」の取材で宿泊したそうです。

 今夜は、伝統的様式の民家を復元した離れで泊まります。

 このコンドミニアム?は、中で二戸に分かれていて、簡単な調理もでき、長期の滞在にも快適そうです。夕食まで、集落の中を逍遥します。

 西桟橋からの夕景・・・・。西の方角に、小浜島、西表島などが遠望できます。竹富島随一のサンセットスポットだといわれています。

 八重山諸島の中でも、住みやすい竹富島では、昔からここから西の方向の西表島に出かけて、稲作などしたようです。ちなみにこの桟橋そのものが、国の有形文化財に登録されています。

 西から集落の入り口に、大木が・・・・。「スンマシャー」:集落を、守る木だそうです。呪術的な?ファンタジックな?気分になります。

 水牛車に出会いました。明日午前中、乗ります。ちなみに、集落の道の白い砂は、サンゴ礁の砂で秋の集落の祭りの前に、新しい砂を毎年敷き詰め直すそうです。夏の日差しの強い時には、とても目を開けておられないくらい眩しいそうです。また、集落の塀は、琉球石灰岩でできており、これも永い時間をかけたサンゴ礁の賜物ですね。

 たけとみ民芸館です。ミンサー織や八重山上布などを展示。作業風景の見学もできました。

 御嶽・・・・。この世持御嶽は、旧暦の9・10月に行われる竹富島最大の行事・種子取(たなどぅい)祭りの舞台。

 風情のある小径・・・・キジムナーと会えそうな・・・。

 西塘御嶽。西塘は首里王府に25年間仕えた技師。竹富島の偉人として祀られている。

 琉球王朝の八重山統治の重要な役割を担った「蔵元」跡。

 竹富島の、あれこれ・・・。

 この皆治浜は、星砂(星の形をした砂粒。サンゴの死骸)でも有名です。

 ブーゲン通り・・・冬でも、ブーゲンビリアは、咲いていました。

 

 竹富小学校・中学校・・・・素晴らしいガーデン・スクール!

門柱の後ろには、数々の受賞歴が、ありました。・・・・スゴイ!!

 

 

 よく保存された、古民家。・・・旧与那国家住宅。国の重要文化財に指定されている。入口を入ったドン付きにある目隠し塀・マイヤシ(沖縄本島ではヒンプン)の様式がよくわかる。

 マイヤシには、呪術的な意味や、風水的な役割がありそうですが、実際、沖縄を毎年襲う猛烈な暴風に対して、「風の道」を遮断する合理的な機能があると感じました。

 宿に戻って、夕食と朝食です。夕食には、これにステーキが付きました。

 そんなに奇をてらった豪華さはないですが、素朴で、おいしかった。

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 朝、一番で水牛車に乗りました。水牛さんは、とても頭がよく、十字路で向こうから気配があると自分で停止したり、「もよおす」と御者に知らせ、オマルで処理し、道に脱糞したり放尿したりしませんでした。また、曲がるとき内輪差を計算に入れて、自分は大回りしたりします。

水牛車での周遊の最後に、御者のお兄さんが「安里屋ユンタ」(安里屋節?)を三線の弾き語りで歌ってくれ、心に沁みました。ユンタとは、そもそもは労働歌で、男女の掛け合い歌だったそうですが、竹富島の生んだ絶世の美女・クヤマが赴任の首里王府の役人の求婚を拒んだ心意気を唄ったものとなり、近年になって、またいろんなバージョンが生まれて来たようです。琉球王朝時代、あの悪名高い人頭税に苦しんだ八重山地方では、王府の役人の求婚を拒み、結婚するなら竹富島の男と言ったというクヤマは、島の郷土愛を鼓舞するものとなっているようです。

 島で唯一の金融機関・竹富島郵便局。マイヤシ(入口、ドン付き壁)がありますね。

 島のシーサー・コレクション。

    

 次は、石垣島に渡ります。

 

 

 

 


真宗高田派総本山専修寺 国宝に

2017-11-02 12:36:56 | まち・むら・さと探訪

国宝指定

 以前、芭蕉・蕉門ゆかりの地でブログアップした津の一身田、真宗高田派総本山専修寺の御影堂・如来堂が国宝に指定されました。

御影堂

如来堂


奈良美智展

2017-09-22 09:37:15 | アート・文化・地域

 秋らしくなってきたので、出かけました。豊田市美術館で開催されている奈良美智展です。なかなか、盛況でした。奈良美智氏は、この豊田市に近い長久手市にある愛知県立芸大卒です。出身は青森だそうで、作風の中にシュールでメルヘンチックさの中に、原始的な不気味さを感じさせるものが有るのは、「東北」的なDNAがあるのかもしれないと、思いました。

 美術館内部・作品は、撮影禁止の為、画像は撮れませんでした。