まずは、竹富島
以前から、ぜひ訪ねたかった念願の八重山諸島に、年末行くことができました。最近は、日本各地から直行便が飛ぶようになり、便利になりました。石垣空港から石垣市中心部に近い離島ターミナルに直行。今夜の宿泊地の竹富島に渡ります。たった、15分の船旅です。
竹富島では、港まで今夜の宿の高那旅館の方が、迎えに来てくれました。高那旅館は、司馬遼太郎氏も「街道をゆく」の取材で宿泊したそうです。
今夜は、伝統的様式の民家を復元した離れで泊まります。
このコンドミニアム?は、中で二戸に分かれていて、簡単な調理もでき、長期の滞在にも快適そうです。夕食まで、集落の中を逍遥します。
西桟橋からの夕景・・・・。西の方角に、小浜島、西表島などが遠望できます。竹富島随一のサンセットスポットだといわれています。
八重山諸島の中でも、住みやすい竹富島では、昔からここから西の方向の西表島に出かけて、稲作などしたようです。ちなみにこの桟橋そのものが、国の有形文化財に登録されています。
西から集落の入り口に、大木が・・・・。「スンマシャー」:集落を、守る木だそうです。呪術的な?ファンタジックな?気分になります。
水牛車に出会いました。明日午前中、乗ります。ちなみに、集落の道の白い砂は、サンゴ礁の砂で秋の集落の祭りの前に、新しい砂を毎年敷き詰め直すそうです。夏の日差しの強い時には、とても目を開けておられないくらい眩しいそうです。また、集落の塀は、琉球石灰岩でできており、これも永い時間をかけたサンゴ礁の賜物ですね。
たけとみ民芸館です。ミンサー織や八重山上布などを展示。作業風景の見学もできました。
御嶽・・・・。この世持御嶽は、旧暦の9・10月に行われる竹富島最大の行事・種子取(たなどぅい)祭りの舞台。
風情のある小径・・・・キジムナーと会えそうな・・・。
西塘御嶽。西塘は首里王府に25年間仕えた技師。竹富島の偉人として祀られている。
琉球王朝の八重山統治の重要な役割を担った「蔵元」跡。
竹富島の、あれこれ・・・。
この皆治浜は、星砂(星の形をした砂粒。サンゴの死骸)でも有名です。
ブーゲン通り・・・冬でも、ブーゲンビリアは、咲いていました。
竹富小学校・中学校・・・・素晴らしいガーデン・スクール!
門柱の後ろには、数々の受賞歴が、ありました。・・・・スゴイ!!
よく保存された、古民家。・・・旧与那国家住宅。国の重要文化財に指定されている。入口を入ったドン付きにある目隠し塀・マイヤシ(沖縄本島ではヒンプン)の様式がよくわかる。
マイヤシには、呪術的な意味や、風水的な役割がありそうですが、実際、沖縄を毎年襲う猛烈な暴風に対して、「風の道」を遮断する合理的な機能があると感じました。
宿に戻って、夕食と朝食です。夕食には、これにステーキが付きました。
そんなに奇をてらった豪華さはないですが、素朴で、おいしかった。
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朝、一番で水牛車に乗りました。水牛さんは、とても頭がよく、十字路で向こうから気配があると自分で停止したり、「もよおす」と御者に知らせ、オマルで処理し、道に脱糞したり放尿したりしませんでした。また、曲がるとき内輪差を計算に入れて、自分は大回りしたりします。
水牛車での周遊の最後に、御者のお兄さんが「安里屋ユンタ」(安里屋節?)を三線の弾き語りで歌ってくれ、心に沁みました。ユンタとは、そもそもは労働歌で、男女の掛け合い歌だったそうですが、竹富島の生んだ絶世の美女・クヤマが赴任の首里王府の役人の求婚を拒んだ心意気を唄ったものとなり、近年になって、またいろんなバージョンが生まれて来たようです。琉球王朝時代、あの悪名高い人頭税に苦しんだ八重山地方では、王府の役人の求婚を拒み、結婚するなら竹富島の男と言ったというクヤマは、島の郷土愛を鼓舞するものとなっているようです。
島で唯一の金融機関・竹富島郵便局。マイヤシ(入口、ドン付き壁)がありますね。
島のシーサー・コレクション。
次は、石垣島に渡ります。