アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

岩国基地と沖縄基地―共通点と相違点

2018年04月12日 | 沖縄・平和・基地

     

 厚木基地(神奈川県)から岩国基地(山口県)への米軍艦載機60機の移転(写真左)が3月30日終了、岩国基地に所属する米軍機は約120機に膨らみ、同基地は極東最大級の米軍基地になりました。

 移転は現地・岩国や周辺自治体の住民に多大な犠牲・不安を与え、基地の害悪が改めて浮き彫りになっています。

 ①    秘密主義・対米従属…「移転計画を巡っては、国と米側の説明の食い違いが相次いだ。…なぜ食い違うのか。…国の説明も『米軍の運用次第』に終始しがちだ。…移転を通じ、米軍の事情が優先される現実と、厚い軍事機密の壁が浮き彫りになった」(3日付中国新聞)

 ②    被害とりわけ騒音…「岩国市へ2017年度、市民から寄せられた米軍岩国基地に絡む苦情件数は3543件に上り、過去最多となったことが市のまとめで分かった。前年度(2071件)の1・7倍と大幅に増えた。…苦情件数の内訳は、『航空機騒音』が3077件と全体の9割近くを占め、前年度(1710件)から急増した」(7日付同)

 ③    犯罪増加不安…「『米兵の犯罪を許さない岩国市民の会』の大川清代表(59)は『激しい訓練で重圧にさらされた米兵が増える。基地と犯罪は、簡単に切り離せない』と危機感を強めた」(1日付同)。
 今回の移転で岩国市には今年後半までに約3800人の軍人・軍属、家族が移り住み、米軍関係者は1万人を超え、市の人口の1割弱になります。

 ④    懐柔策…「軍民共用の岩国錦帯橋空港…愛宕山地区にオープンした野球場『絆スタジアム』…。基地のまちは、移転に絡む施設整備で大きく姿を変えた。…市は今月、基地を活用した英語教育の推進室し…防衛省の交付金を使って公立小中学校の給食費を無償化し、防犯灯の電気代全額助成などの事業も展開する」(4日付同)(写真中は岩国基地で行われた「市民公開」)

 ⑤    環境破壊…「本州唯一のナベヅルの越冬地、周南市八代地区の上空で米軍岩国基地に関連するとみられる機体が相次いで目撃されている。…『ツルが来なくなるのでは』と心配する声が上がっている」(7日付同)

 これら犠牲・不安・住民無視は沖縄の人々にとっては日常茶飯事。元凶は日米軍事同盟=日米安保条約であり、その運用のための日米地位協定ですから、住民の犠牲・不安が共通しているのは当然です。

 同時にしかし、岩国とくらべても、沖縄の実態はさらにいっそう過酷で差別的であることを銘記する必要があります。それは「0・6%の国土の沖縄に約70%の米軍専用施設が集中している」「構造的差別」(故新崎盛暉氏)ですが、たんに量・規模だけではありません。例えば、「クリアゾーン」です。

 7日付の沖縄タイムス(平安名純代・米国特約記者)によると、米軍の「指針」では安全対策のため、飛行場滑走路の両端に「クリアゾーン」(利用禁止区域)が設定され土地利用が禁止されることになっています。ところが、米海兵隊基地の中で唯一、この「クリアゾーン」がない飛行場があります。それが沖縄の普天間飛行場(写真右)です。

 「元米兵らで組織する県内の平和団体『ベテランズ・フォー・ピース・ロック(VFP-ROCK)』は先月、普天間や岩国を含む国内外の海兵隊基地15カ所のうち、クリアゾーン内に学校や住宅などの建造物があるのは普天間のみと指摘。マティス国防長官らに書簡を送付し、米国の安全基準に反する普天間の即時閉鎖を要求した」(7日付沖縄タイムス)

 また、米軍の「臨時訓練空域」の危険については先に書きましたが(3日のブログ参照)、沖縄上空の「訓練空域」新設について日米両政府は沖縄県に一言も知らせませんでした。一方、「空母艦載機移転に伴い2016年に米軍も使える臨時訓練空域『ITRA』を岩国周辺で新設した際には、山口県にこの計画を説明しており、対応は二重基準だとも言える」(3月26日付琉球新報)という実態があります。

 米軍艦載機移転に伴い岩国市の福田良彦市長は「基地との共存」(4日付中国新聞)を強調し、メディアも「市民が納得できる『共存』をどう実現していくのか」(同)が課題だとしています。しかし、軍事基地と市民の間に「納得できる『共存』」などありえません。それは沖縄の歴史と現実が明確に証明しています。

  基地被害・不安をなくするためには、米軍を全面撤去する以外にありません。
 日本全土に基地の被害と不安をまき散らし、とりわけ沖縄を「軍事植民地」化し、東アジアの平和を脅かしている元凶である日米軍事同盟=安保条約を廃棄することは、喫緊の今日的課題です。


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「オール沖縄会議」が今すべきことは何か

2018年04月10日 | 沖縄・翁長・辺野古・...

     

 「米軍普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念」を求める「建白書」(2013年1月28日)の実現をめざす「オール沖縄会議」(以下「会議」)は、いま重大な岐路に立っています。

 「会議」が結成されたのは2015年12月14日(写真左。琉球新報より)。その目的は何だったでしょうか。

 「オール沖縄会議を結成する目的は、三つだ。現地辺野古での抗議行動を強化する、県と国の法廷闘争で翁長知事を支援する、国内・国際世論を喚起する―ことである」(2015年12月16日付沖縄タイムス社説)

 2番目の「翁長知事支援」について、「会議」の「設立趣意書」はこう明記しています。

 「県政が政府との全面的な法廷闘争に入った現在、県民挙げての支援体制を構築していくなど『あらゆる手段を駆使して新基地建設を阻止する』という翁長知事を全面的に支えていく」(2015年12月15日付琉球新報「趣意書全文」より)

 「会議」が翁長氏を「支援」するとしたのは、「あらゆる手段を駆使して新基地建設を阻止する」という翁長氏の言明を信じ、それを期待したからです。

 実際はどうだったでしょうか。

 「あらゆる手段」の中でも最も根源的な「手段」が「埋立承認撤回」であることは言うまでもありません。「撤回」は翁長氏の知事選公約でもありました。

 ところが翁長氏は、知事に就任して3年4カ月になる今も「撤回」していません。辺野古埋立工事は安倍政権(沖縄防衛局)が土砂投入のための「新たな護岸工事に着手」(10日付琉球新報)する段階にきているにもかかわらず、いつ「撤回」するかも明らかにしていません。

 それでも「会議」は、翁長氏を「支援」し続けています。そればかりか、翁長氏に「撤回すべきだ」と直接進言(申し入れ)することすらしていません。

 「撤回」だけではありません。

  政府は工事用の土石を海上から搬入するため、奥港(国頭村)などの港を使うことを切望していました。許認可権は知事にあり、「あらゆる手段」を行使するなら当然「不許可」とすべきでした。ところが、翁長氏は県民の見えないところで「許可」していたのです(2017年9月上旬)。沖縄タイムスの報道で判明しました(同11月3日付)。

 これには辺野古の現場で阻止行動の先頭に立っている山城博治・沖縄平和運動センター議長も、「これまで知事を正面から批判したことはないが、今回の件(奥港の使用許可ー引用者)を受け、覚悟を決めて翁長県政と向き合う必要が出てくる」「あらゆる手法で建設を阻止すると知事はこれまで主張してきた。それは一体何だったのか」(同11月11日付琉球新報)と怒りをあらわにしました。
 しかし、翁長氏はその後も、本部港、中城湾の使用を相次いで許可しました(写真右)。

 「会議」はこの問題についても何も発言せず、翁長氏の見解をただすことすらしていません。

 翁長氏が「高江ヘリパッド建設」を容認(2016年11月28日の記者会見。写真中)したことについても、辺野古や高江で反対市民を機動隊が暴力的に排除していることについて、翁長氏が県公安委員会の任命権を持っていながらだんまりを決め込んでいることについても、「会議」(あるいは会議に入っている与党県議)は翁長氏に一言の苦言を呈することもなく、「支援」し続けています。

 これでは「現地行動を支援強化していく」(「設立趣意書」)どころか、逆に現地闘争の足を引っ張っていると言わねばなりません。

 「辺野古」「高江」をめぐる一連の経過は、翁長氏の背信・公約違反を示すと同時に、その翁長氏を無条件に「支援」し続けてきた「会議」の責任も問うているのではないでしょうか。

 知事選挙まであと半年余。
 「会議」がいますべきことは、翁長氏の知事就任以降の言動を検証するとともに、それに対して「会議」が何をしてきた(してこなかった)のかを自己点検することではないでしょうか。

 その検証・反省なしに、無条件に「翁長再選支持」を決めることは、市民・民主運動の自殺行為と言えるのではないでしょうか。


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沖縄経済人が主張する「県民投票」の狙いは何か

2018年04月09日 | 沖縄・翁長・辺野古・...

     


 翁長雄志知事を支援する「オール沖縄会議」(以下「会議」)から、経済人(界)が相次いで離脱しました。「会議」共同代表の呉屋守将・金秀グループ会長(写真左の左端)と、かりゆしグループ(沖縄観光コンベンションビューロー・平良朝敬会長)です。

  呉屋氏が「会議」を離脱したのは、「オール沖縄会議の中で新基地建設を巡る県民投票を実施するための運動を始めることを提案したが、自身を交えた議論を経ずにこの案が却下された」(3月1日付琉球新報)ことが大きな理由だとされています。

  かりゆしグループも、「同グループが実施を求めた辺野古新基地建設を巡る県民投票について同会議が消極的姿勢だとして会からの脱退を決めた」(4月3日付琉球新報)と言われています。

 自分たちが主張する「県民投票」が受け入れられなかったから離脱するというのはなんとも無責任な話ですが(呉屋氏は共同代表)、それだけ彼らが主張する「県民投票」には深い思惑があるようです。

 「県民投票」についてはこれまで、①辺野古新基地反対の県民の意思は繰り返し示されてきており改めて県民投票するまでもなく明白②県民投票を準備・実施するまでに埋立工事は取り返しがつかない状態に進行する―などを指摘し、「県民投票ではなく直ちに埋立承認撤回」すべきだと述べてきました。

 ここでは「県民投票」自体の是非ではなく、呉屋氏ら翁長氏を支持する沖縄経済人(界)が主張する「県民投票」にはどういう狙いがあるのかをみます。

  呉屋氏は8日付の琉球新報(「県民投票で終止符打とう」)と沖縄タイムス(「県民投票で意思を示そう」)の「論壇」に同時投稿し、あらためて「県民投票」を主張しました。その内容には、4つの特徴があります。

  第1に、「承認撤回」について一言も触れていないことです。

 呉屋氏は「会議」離脱直後にはまだ「知事が埋め立て承認を撤回するにも…住民投票を根拠にした方がいいと思う」(3月1日付琉球新報)と述べていました。ところが今回の「論壇」には両紙とも「撤回」の言葉は皆無です。キーワード中のキーワードだけに、たんなる書き忘れでは済まされないでしょう。呉屋氏の主張する「県民投票」は「撤回」とは切り離されている、「撤回」のためのものではないと言わざるをえません。

  第2に、「県民投票」を行った場合の結果について、「その結果、辺野古新基地建設について、容認であれ、反対であれ受け入れられる」(新報)、「容認であれ反対であれ、いずれにせよ投票の結果は尊重されるべき」(タイムス)と述べ、「県民投票」で仮に「容認」という結果が出れば、辺野古新基地は受け入れる、としていることです。

  第3に、「県民投票」の目的について、「県民投票の結果をもって一つの大きな区切りをつけることができる」「次なるステージに向けて新たなスタートを切ろう」(新報)、「『県民投票』をひとつの大きな区切りとし、次のステージに向けて新しいスタートを切ろう」(タイムス)と、”新たなステージ・スタート“を強調していることです。

  第4に、「翁長雄志知事を支援する立場はいささかも揺るがない」(新報)、「翁長雄志知事を支援する立場に変わりはありません」(タイムス)と、「翁長支持」を繰り返し明言していることです。

  以上を要約すれば、呉屋氏らが主張する「県民投票」の狙いはこうだと言えるでしょう。

 「県民投票は承認撤回のためではなく、辺野古問題に終止符を打ち、知事選での翁長再選に向けて、新たなステージへのスタートを切るためである」

  県民投票を主張する人たちの中には、「県民投票による民意に基づいて撤回する」(「辺野古県民投票を考える会」元山仁士郎氏、9日付沖縄タイムス)と、あくまでも「撤回」のための「県民投票」だとする意見がありますが、呉屋氏らの「県民投票」はそれとはかけはなれたものだと言わねばなりません。

 では呉屋氏らが目指す「新たなステージ」とは何でしょうか。

 呉屋氏は「会議」離脱時のインタビューでこう述べています。
 「私は保守・リベラルの立場から、知事を支持するウイングを広げ、自立経済を発展させたい。…根源的な目的は時間をかけて日本の政治、特に保守政治を変えていくことだ」(3月1日付琉球新報)

  かりゆしグループの幹部もこう言っています。
 「オール沖縄は設立時に比べて革新色が強くなり、知事がしがらみで政治的なリーダーシップを発揮できていない。ウイングを広げなければならない」(4月3日付琉球新報。この言い分がいかに事実に反しているかは別途検証します)

  呉屋氏の「新たなステージ」構想はすでに具体化されています。
 「5月に沖縄の立場を理解する自民党政治家の後援会を立ち上げる予定だ。山崎拓元自民党副総裁に紹介してもらった」(3月1日付琉球新報)

  翁長与党県議からはこんな声も出ています。
 「中道・保守の組織をつくって両輪で走ればいい。原点に戻ればいいだけだ」(4月4日付琉球新報)

  以上を要約すれば、呉屋氏ら「会議」を離脱した経済人、さらにそれに同調する「会議」内の一部勢力が目指す「新たなステージ・スタート」とは、「中道・保守(自民・公明)」に「ウイング」を広げて翁長再選を図るための、「自民党政治家の後援会」はじめ新たな「組織」づくりである、ということです。

 「県民投票」はそのために、“重荷”になっている「辺野古」問題に「終止符」を打つためのものです。
 自民党県連や県内「保守首長グループ」(「チーム沖縄」)が、仮に「県民投票」条例が成立しても協力しないと明言している中、「県民投票」は行われたとしても投票率は低くなり「新基地反対」は明確に示されない可能性が小さくありません。
 それを百も承知の呉屋氏らの「県民投票」論は、「新基地阻止」よりとにかく辺野古問題に「終止符」を打ちたい、というものだと言えるでしょう。

 「オール沖縄(会議)」はまさに重大な岐路に立っています。(明日に続く)


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大相撲「女人禁制」と皇室典範

2018年04月07日 | 天皇制と日本社会

     

 「人命が第一」「伝統より人命」は誰でもわかることです。にもかかわらず日本相撲協会の「若手行司」が「女性は土俵から下りてください」と繰り返し放送した(4日、舞鶴市の春巡業)のはなぜか。個人の問題ではありません。

 それは、女性が大相撲の土俵に上がれないという「伝統」はたんなる「伝統」や「風習」ではなく、神道、そして天皇制と深く結びついたものだからです。大相撲・日本相撲協会は歴史的にも今日的にも天皇制と深く関係しています(写真右は大相撲を観戦する天皇・皇后)。

 なぜ「女性は土俵に上がれない」のか。

 「古くからの風習と観念に基づいて土俵は神聖な場所と見なされ、月ごとに生理がある女性を固く禁じてきました」(根間弘海専修大教授『ここまで知って大相撲通』グラフ社)
 「不浄な存在の女性は、神聖な場所に立ち入れないという昔からのしきたり」(武田和衛・フリーライター『大相撲!』ローカス)

 その意味をさらに突っ込んで説明しているのが、女性で初めて横綱審議委員になった作家の西館牧子氏です。
 西館氏は、「土俵の女人禁制を男女差別と思っていない」「女が土俵にあがる必要はない」としながら、「なぜ女性は土俵にあがってはならないのか」としてこう述べています。

 「それは、『土俵は俵で結界(魔物の侵入を防ぐ区域―引用者)された聖域』だからである。…つまり、過去、女性は障害物として見られて、結界内に入ることができなかった。それが今に伝わっており、土俵は女人禁制なのである」(『女はなぜ土俵にあがれないのか』幻冬舎新書)

 「聖域」とは?
 「大相撲における核は『神にかかわる部分』ではないか。…ことあるたびに、協会(日本相撲協会―引用者)が『聖なる土俵』『相撲は神事』と言うのは、土俵とその周辺に神がいるからである」(西館氏、同前)

 「神」とは?
 「相撲場の『中心』は結界された聖域であったが、それは天皇という現人神のための聖域であった」(西館氏、同前)

 土俵に女性を上げないのは、「神の聖域」を汚さないためであり、その「神」とは「天皇という現人神」だというのです。

 事実、大相撲と天皇(制)の関係は歴史的に根深く、特に相撲協会は裕仁天皇(昭和天皇)と強く結びついてきました(2016・3・26、2017・1・10のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20160326 https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20170110)。

 女性を「不浄」として「女人禁制」にすることは差別であり、人権上許されないことは明白です。しかも、日本相撲協会は文科相が認可する財団法人です。大相撲はけっして私的な催しではありません。

 さらに問題なのは、神道につながる「性差別」「男尊女卑」が国の法律になり、制度化されていることです。それは皇室典範の男系主義です。

 現在の皇室典範(1947年5月3日施行)は第1条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」として、「女性天皇」を否定しています。これは明治の皇室典範(1889年2月11日発布)の第1条「大日本帝国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」をそのまま引き継いだものです。

 明治の皇室典範はなぜ「女帝」を禁じたのか。種々の理由がありますが、その一つは女性差別です。

 「(明治皇室典範制定時の―引用者)女帝否定論者の議論には、見え隠れしながら、しかしきわめて決定的にセクスィスト(性差別者)の立が遍在しているということである」(奥平康弘東大名誉教授『「萬世一系」の研究』岩波現代文庫)

 伊藤博文とともに皇室典範制定の中心になった井上毅は、明治天皇に進言した私案(「謹具意見」)の中で、「男を尊び、女を卑むの慣習、人民の脳髄を支配する我国に至ては、女帝を立て皇婿を置くの不可なるは、多弁を費すを要せざるべし」という女帝否定論者(沼間守一)の言葉をそのまま盛り込みました(鈴木正幸神戸大教授著『皇室制度』岩波新書より)。 

 現在の皇室典範の男系主義(女性天皇否定)の思想的基盤はこうした「男尊女卑」「女性蔑視」であり、それは天皇制イデオロギーの中心と言われます。

 「萬世一系の皇統は、こうした異姓(女帝―引用者)によって汚損されてはならない!―そういった“家督”思想なのである。まさにこの思想こそ、明治支配層らが井上毅ら明治法制官僚たちをつうじて確保しようとした天皇制イデオロギーの中核であ(る)」(奥平氏、同前)

  政府は来年の「新天皇即位」で、天皇の証しとされる「三種の神器」を引き継ぐ儀式(「剣璽等承継の儀」)に「女性皇族」は参加できないと決めました。皇室典範では女性に皇位継承権がないからというのが理由です。

 「女性が土俵に上がれない」ことと、女性皇族が「即位儀式」の一部に参列できないことは、神道・天皇制(皇室典範)の「女性差別」「男尊女卑」において通底しているのです。
 相撲協会に「伝統の見直し」を求めると同時に、皇室典範、さらに(象徴)天皇制自体を考え直す必要があります。


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「日報隠ぺい」と「陸上総隊」発足ー違憲の自衛隊は解散を

2018年04月05日 | 自衛隊・日米安保

     

 陸上自衛隊のウソにウソを重ねた「日報」(イラク派遣)隠ぺいが発覚した4日、陸自創設以来の大組織改編であり「新軍部」創設ともいわれる「陸上総隊」の発足式典(写真左)が行われました。なんという皮肉・巡り合わせでしょうか。

  陸上総隊の初代司令官となった小林茂陸将は4日の会見で、「シビリアンコントロール」を強調しました(写真右)が、その直後、小野寺防衛相は、陸自制服組が昨年3月に「日報」を確認しておきながら稲田防衛相(当時)に報告していなかったことを明らかにしました(写真中)。「シビリアンコントロール(文民統制)」など絵空事であることが誰の目にも明白です。

  これはたんに「シビリアンコントロールが赤信号」(辻元清美立民党国対委員長)だという話ではありません。自衛隊という軍隊そのものの根本にかかわる問題です。
 なぜなら、「軍事機密」の隠ぺいは軍隊の属性であり、そもそも「シビリアンコントロール」とは憲法違反の自衛隊を保持するための方便にすぎないからです。

 自衛隊は「戦力不保持」を明記した憲法9条に明白に違反する違憲の軍隊です。憲法と自衛隊は共存できません。それは自衛隊の側からも認めていました。

 「警察予備隊(1951年8月発足の自衛隊の前身―引用者)時代の(入隊時の―同)宣誓書には、『私は、日本国憲法及び法律を忠実に擁護』するとあり、保安隊(1952年10月発足―同)にも、『私は、日本国憲法を擁護し、法律を遵守』するといった文面があった。しかし、自衛隊創設(1954年7月―同)の折に、『憲法擁護』の文字が削除された経緯がある」(纐纈厚山口大名誉教授、『侵略戦争―歴史事実と歴史認識』1999年ちくま新書)

 なぜ自衛隊の「宣誓書」から「憲法擁護」が削除されたのか。

 「戦後の再軍備は憲法の改悪を先取りする形で強行された。それで自衛隊創設当時、軍事や軍隊の存在を全く想定していない現行憲法に忠誠を誓うことは非合理的であるとの判断が自衛隊周辺に存在し、その結果が『憲法擁護』の削除になったと思われる自衛隊側からすれば、軍隊組織の保有を認めた新憲法の登場を待って憲法への忠誠をなそうと判断したに相違ない」(纐纈氏、同前)

 「宣誓書」問題は国会でも追及され(1973年9月19日の参院内閣委員会)、形式的には「日本国憲法」の文字は戻りました。しかし、纐纈氏は「自衛官には憲法遵守の精神や思想が隊内教育として徹底されているとは言い難い」と言います。

 纐纈氏のこの指摘は19年前のものですが、安倍首相が9条に「自衛隊」(軍隊組織の保有)を明記する改憲に躍起になっている今の状況を予見していたものと言えるでしょう。

 憲法が禁止している自衛隊が「憲法擁護」するのは矛盾、だから憲法を変えて自衛隊を「合憲」にしてくれ。それが制服組(軍人)の自衛隊発足以来の願望です。安倍首相はその声に応えて憲法を変えようとしているのです。

 方向がまるで逆です。「立憲主義」に立てば、違憲の自衛隊に合わせて憲法を変えるのではなく、憲法に合わせて違憲の自衛隊を解散させるべきであることは言うまでもありません。 

 違憲の軍隊、しかもアメリカがつくった警察予備隊の当時から対米従属の軍隊である自衛隊は解散しなければなりません。それは東アジアの平和にとっても急務です。災害対策には救助に特化した組織(レスキュー隊)を新設すべきです。
 それが今回の「日報隠ぺい」事件からくむべき最大の教訓ではないでしょうか。

 少なくとも、「陸上総隊」は直ちに解散すべきです。今まで、海自には「自衛艦隊」、空自には「航空総隊」がありながら陸自には5つの方面隊を統括する総隊がなかったのは、戦前の教訓から、「権限の集中を懸念していた」(中村龍平元統幕議長の発言、4日のNHKニュース)から、すなわち”陸軍の暴走“の恐れがあったからなのですから。  




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沖縄上空を覆う米軍「臨時訓練空域」の恐怖

2018年04月03日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊

     

 米軍の訓練空域によって、那覇空港を離発着する民間機がきわめて危険な状況に置かれていることは先に書きましたが(3月15日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20180315)、その後の琉球新報の報道で、米軍と日本政府の“共謀”によって沖縄上空がさらに危険な状態になっていることが分かりました。

★「米軍訓練空域 大幅拡大  沖縄周辺、「臨時」で 設定常態化、民間機を圧迫 2年で6割増」(3月26日付琉球新報)
★「米軍の空 裏で肥大化  国説明が二転三転」(同)
★「民間機 迂回余儀なく  既存航路を廃止」(3月27日付、同)
★「米軍、伊江飛行認めず  85年日米合意、形骸化 民間機、大きく迂回」(3月30日付、同)

 キーワードは「臨時訓練空域(アルトラブ)」です。

 「沖縄周辺で民間航空機の通航を制限して米軍が訓練する空域がこの2年間で大幅に広がっていることが分かった。既存の訓練空域に加え、米軍が必要に応じて使う臨時訓練空域『アルトラブ(ALTRV)』を新設する形式だが、実際は常時提供状態となっている」(3月26日付琉球新報)

 「既存」と「臨時」を合わせれば「米軍訓練空域」は沖縄周辺の上空をほとんど覆っていることが分かります(写真中の地図の青い部分が「既存」、赤線で囲った部分が新設された「臨時」=3月27日付沖縄タイムスより)。

 「臨時訓練空域」には、ただ危険なだけでなく、日米合作のさまざまなトリックがあります。(以下、琉球新報の報道より)

①    日本政府(防衛省、国交省)は当初、「臨時訓練空域」新設の事実自体を否定していたが、やがて「自衛隊用だ」とし米軍の使用は否定。さらに「自衛隊と米軍の共同使用」と説明が二転三転。

②    「自衛隊との共同使用」を認めながら、実際の使用状況は「把握していない」と説明・情報公開を拒否。

③    米軍嘉手納基地(写真右)の資料(2016年「空域計画と作戦」)では、これらの空域は米軍が使用する「アルトラブ」と明記されている。

④    「臨時」といいながら実態は「年間千回以上発令」(航空関係者)されて常態化し、民間機を排除している。

⑤    「臨時」という名目のため、これらの空域は一般に公表される地図には掲載されていない(秘密空域)。

⑥    岩国周辺で「臨時訓練空域」が新設された時(2016年)、安倍政権は山口県に計画の説明をしたが、沖縄の「臨時訓練空域」新設(15年12月10日)の場合は県への説明は行っていない。

⑦    伊江島上空は米軍訓練空域の上(5千㌳=1524㍍以上)は民間機が飛行できるという「日米合意」(1985年)があるが、実際は飛行を認めておらず、那覇空港に着陸する民間機は大きく迂回せざるを得ない。

 「ドイツでは、米軍はドイツ航空管制(DFS)に訓練空域の使用を申請し、DFSは『民間機を第一に考えて』調整する。これがあるべき形である。米軍の訓練を最優先させ、民間機が迂回する沖縄周辺の状況は異常である」(3月31日付琉球新報社説)

 主権者・国民に対して情報を開示せず、バレるまで実態を隠そうとする日本政府(安倍政権)の秘密・隠ぺい主義は、「森友・加計」「陸自日報」などとまったく同じです。

 さらに、それが米軍の意向を「忖度」したもの(あるいは米軍の指示)であるところに、対米追随の日米安保体制(軍事同盟)の実態が表れています。

 沖縄をはじめとする日本の空を米軍が”占領”している状態は、たんに民間機が迂回して時間をロスするだけでなく、乗客・乗務員、地上の住民の生命・安全にとって大きな脅威です。

 日本の航空管制がドイツ並みに民間機を優先すべきは言うまでもありませんが、ほんとうに「あるべき形」は、日米軍事同盟を廃棄して沖縄・日本の空から米軍機を一掃することではないでしょうか。


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「済州島4・3人民蜂起」と日本

2018年04月02日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     

 あす4月3日は、1948年に韓国・済州島(チェジュド)で起きた人民蜂起(以下「4・3事件」)から70年です。  

 朝鮮半島の南端から約90㌔、日本からの最短距離約180㌔の地点に浮かぶ火山島・済州島(写真左地図の左下)。リゾート地として日本人の観光客も多い所ですが、この風光明媚な島で、70年前の「4・3」から数年にわたり、3万人(島民の約10%)にものぼる犠牲者が出た住民虐殺(ジェノサイド)が行われました。(写真中。写真右は犠牲者の遺品の絵)

 「4・3事件」の本質は、「祖国分断に抗って蜂起した祖国統一のための”抗争“」(金石範氏、『済州島4・3事件の記憶と文学』平凡社ライブラリー)ですが、その詳細は今も明らかではなく、韓国では真相究明と再評価が現在進行形で行われています。

 昨年10月チェジュを訪れた際、米軍基地反対闘争をたたかっているチェ・ソンヒさんは「4・3事件」について、「重要なのは、民衆を弾圧した軍隊や警察を裏で操っていたのがアメリカだったということ」だと強調しました。(2017年11月13日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20171113

 ここで考えたいのは、「4・3事件」が日本・「日本人」とけっして無関係ではないどころか、密接に結びついているということです。

 第1に、「4・3事件」は日本の朝鮮に対する植民地支配と直接関係しています。

 1つは、「4・3事件」の発端が、日本の植民地支配に抗して朝鮮人民が独立のために立ち上がった「3・1独立運動」(1919年)の記念集会(1947年)だったことです。

 「四七年三月一日、済州邑(現在の済州市洞地区)で三・一独立運動の記念集会が開かれ、その集会後のデモに対して軍政警察が発砲して十数名が犠牲となる事件が起きている。この『三・一節事件』は、四・三事件への出発点であると同時に、済州島に本土の左右対立が持ち込まれる転機でもあった。…三・一節事件は、米軍政庁と島民との間に深い亀裂を生んだ」(文京洙・立命館大教授、『新・韓国現代史』岩波新書)

 もう1つは、「武装蜂起を起こした側も、これを討伐した側も、もとをただせば、植民地期の支配と抵抗にまつわる機構や運動を引き継ぐ存在であった」(文京洙氏『済州島四・三事件の記憶と文学』前掲)ということです。

 当時「4・3事件」に加わった詩人の金時鐘氏は、「今更ながら、植民地統治の業の深さに歯がみしました。反共の大義を殺戮の暴圧で実証した中心勢力はすべて、植民地統治下で名を成し、その下で成長をとげた親日派の人たち」(『朝鮮と日本に生きる』岩波新書)だったと述懐しています。

 第2に、戦後アメリカの東アジア戦略の中での日本と朝鮮の関係性です。

 代表作『火山島』で「4・3事件」を描いた作家の金石範氏は、アメリカの対日政策と対朝鮮政策の違いを指摘します。

 「戦後日本における米占領政策(日本政府を介しての非軍政)による天皇制の温存と合わせての民主化政策は、南朝鮮における徹底した暴力装置のもとでの、反共親日右翼以外の諸勢力に対する弾圧と反民主化、反革命政策とはまさに対極的だった」(『転向と親日派』)

 文京洙氏は、金石範氏の言葉を引き、「同じ米軍の占領統治下にありながら、日本と南朝鮮に加えられたアメリカの暴力の偏りは、沖縄を間に置きながら、一見極端なコントラストを見せている」としながら、さらにこう指摘します。

 「しかし同時に、『親日派』と『戦犯』とが、裁きの場からともに復権を果たし、アメリカのパートナーとして戦後体制を形作り、アメリカが授けたはずの民主主義は、『反共』という冷戦の枠組みの中に封じ込められてしまう。
 植民地の解放者は、解放された民とではなく、植民地支配やその協力者と結託し、冷戦下の新たな支配構造を再編成する。解放者が『解放』したのは、抑圧されてきた人びとではなく、抑圧してきた人びとだったというイロニー
 こうした逆説とイロニーが、玄界灘を挟んだ民主主義と暴力との強烈なコントラストの陰で、東アジアの戦後に共通する構図として、そのグロテスクな姿を刻印し、対照的な二つの国の戦後は、そうした戦前と戦後を結ぶ奇怪な連続性において通底している」(文京洙氏『済州島四・三事件の記憶と文学』)。

 さらに重要なのは、それに続く文氏の次の指摘です。

 「しかし日本人の戦後史の語りは、こうした朝鮮半島と日本列島を結ぶ奇怪な『ねじれ』の構造について、ほとんど沈黙してきたのではないだろうか。

 日本は自らの植民地支配によって『日本人』にした朝鮮半島の人びとを、一九四七年の外国人登録令によって外国人とし、占領からの独立を果たしたサンフランシスコ講和条約発効の五二年には、一方的に日本国籍を奪い日本国民から除外した。
 その時から日本は、日本人だけを国民とする国家として、植民地支配の過去を忘却し、朝鮮半島の内戦を踏み台にして、太平洋の彼方(アメリカ―引用者)へ大きく身を開きながらアジアには体を閉じつつ、経済復興への道を踏み出した。

 戦争の過去は語られることはあっても、植民地支配の記憶は消し去られ、同時にコロニアリズム(植民地主義)から、植民地人(朝鮮人―同)と植民者(日本人―同)が共に解放される道筋をも、見失われてしまった」(同)

  「4・3事件」は朝鮮戦争(1950年)へ、そして今日の朝鮮半島の分断・苦悩へと続いていきます。

 日本の近現代史は朝鮮のそれと表裏一体です。朝鮮に対する戦前・戦後の日本の罪・責任を「忘却」することは許されません。
 朝鮮と日本の関係史を再認識する。「4・3事件70周年」をそのきっかけの1つにしたいものです。


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