アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

目取真俊氏が語る「沖縄と天皇制」

2018年04月26日 | 沖縄と天皇・天皇制

     

 先の明仁天皇・美智子皇后の沖縄訪問(3月27日~30日)は、「本土」メディアはもちろん沖縄県紙(琉球新報、沖縄タイムス)も、「乗松聡子の眼」(4月4日付琉球新報)などごく一部を除き、「賛美」一色でしたが、25日付の琉球新報に的を射た論評が載りました。目取真俊氏(作家)のコラム「季刊 目取真俊」(第13回)です。要点を抜粋します(丸カッコ、太字は私)。

 <裕仁天皇が死去し、沖縄戦の体験者も少なくなっていくなかで、「慰霊の旅」や「沖縄への思い」を前面に出した明仁天皇の度重なる来沖が、県民の反発を鎮静化する効果をあげたのは事実だ。しかし、それによって昭和天皇の戦争責任問題が深められたわけでもなければ、天皇制が持つ問題が解決されたわけでもない>

 <サイパン島やペリリュー島まで足を運んだ明仁天皇も、韓国を訪れることはできていない。近代日本のアジア侵略と植民地支配、戦争による加害の問題の中心にある天皇制に対し、被害を受けた側はその深さを忘れることはない>

<沖縄にとっても忘れてすまされるものではない。1879年に武力による威嚇のもと琉球国が滅ぼされ、日本国に併合された(いわゆる「琉球処分」)。それは日本の帝国主義的なアジア侵略の先駆けであったが、そういう被害の側面と同時に沖縄は、日本への同化が進むとともにアジア侵略の一翼を担った加害の側面を持つ。被害と加害の二重性を持つ独自の位置から、沖縄と天皇制、アジア諸国との関係を問い直す作業が常に必要だ>

 <明仁天皇が来沖した3月27日は、「琉球処分」が行われた日だった。また、与那国島に訪問した28日(写真中)は、陸上自衛隊沿岸監視隊が発足して2年の記念日だった。同日は慶良間諸島の渡嘉敷島で強制集団死(いわゆる「集団自決」)が起こった日でもあり、このような日程の組み方はただの偶然ではあり得ない>

 <明仁・美智子夫妻が初めて先島地域を訪れたのは2004年の1月。その3カ月後、辺野古では海底ボーリング調査の工事が始まり、陸上と海上で激しい抗議行動が取り組まれた。この頃から自衛隊の南西方面重視や島嶼防衛の強化が言われ出す。(2004年12月の「新防衛計画大綱」閣議決定、05年1月の防衛庁「南西諸島有事」方針、同8月の「大江・岩波沖縄戦裁判」にふれて)明仁・美智子夫妻が最初に先島地域を訪れてからの14年間とは、辺野古新基地建設が強行されると同時に、先島地域への自衛隊配備が着々と実現されていった時期でもあった。沖縄戦の犠牲者に対する慰霊の裏で、中国に対抗するために沖縄のさらなる軍事要塞化が進められていたのだ

 <それは沖縄が今でも、日本=ヤマトゥの利益のために戦争の前面に立たされ、いざとなれば切り捨てられる「捨て石」の位置に置かれていることを意味する>

 天皇・皇后の度重なる沖縄訪問・アジア地域への「慰霊の旅」の背景、政治的意図、歴史的意味への見事な照射です。

 そして、目取真氏がこの論考を締めくくっている次の一文に、胸を衝かれました。

 <天皇が何度も来たから自分たちも一人前の「日本人」として扱われていると考えるなら愚かなことだ

  沖縄県民に向けての一文ですが、この意味をかみしめなければならないのは、ヤマトゥである私たち「本土」の人間ではないでしょうか。なぜなら、この言葉の背景には、明治以降の日本による沖縄差別・植民地支配、天皇制による「同化政策」の歴史があるからです。

 目取真氏は別の所でこう語っています。

 <沖縄はもともと、天皇制、天皇家とは無縁な島だったはずです。…それが「琉球処分」により日本の植民地として領土の中に組み込まれ…日本への同化が進められます。…国家神道の下に統合されていきます。…同化教育=皇民化教育を推し進め、沖縄人を天皇のために命を捧げる臣民へと変えていったのです。
 しかし、そうやって懸命に日本人になろうとしても、沖縄人はしょせん「二等国民」として差別されていました。その差別から脱するために、より立派な日本人になろうと努め、戦場に駆り出された学徒兵は命を投げ出します。父もそのひとりだったのです>

 <日本に「併合」されて以降の沖縄人は差別への恐怖心を植えつけられます。そして差別から逃れようとあがき、みずから「琉球的なるもの」を否定して、立派な日本人になろうと努力し続けたのです。
 一見、沖縄人がみずから進んで行ったかのように見えるヤマトゥへの同化の裏には、そのような差別と脅迫=強制の構図があったことを見なければなりません。差別がもたらす暴力とそれへの恐怖心に支えられて同化教育=皇民化教育は進められていったのです>(目取真俊氏『沖縄「戦後」ゼロ年』生活人新書2011年)

  私たちはこの指摘を胸に刻まねばなりません。

  そして今、「象徴天皇制」の下で繰り返された天皇・皇后の「沖縄訪問」は、天皇自らが行っている今日の「同化政策」と言えるのではないでしょうか。

 さらに、天皇による「同化政策」は、沖縄だけでなく、「本土」の日本人に対しても行われているのではないでしょうか。天皇の「公的行為」による「国家への同化」として(写真右は25日の「春の園遊会」)。

 

 

 


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