国の衰退が始まっている
少子高齢化社会の到来といわれて久しい。まだ先のことと思うかもしれない。しかし、もう初まっている。人は記憶に引っ張られて現実を現実として認識するのに時間遅れがある。しかし、国・社会の衰退は現象として現れているようだ。
10月末新潟の家内の里に帰省した。紅葉が美しい。写真を撮るため日暮れ前、前を流れる川、百メートル先にある森の神社など散歩した。後で「熊が出るから危ない」といわれた。昼日中、人家のそばで熊が出没するのだ。今までは熊は猟師の鉄砲の話題でしかなかった。いまや、生活を脅かしているのだ。
家の周りの畑、さすがにわが家の畑は来ないが、少し辺鄙な所だといのししとかサルが出没するという。
ヒトが生活圏を拡大して林や森を畑にして動物を山奥へと押しやった。いまや、逆の現象がおきつつある。ヒトが里へと押しやられているのだ。
中小企業の支援をしている。
国の中小企業支援策として各種の講習会やコンサルテーションが行われている。しかし、中小企業者の参画はどうも少ないように思えてならない。目先のことで次の手を打つ考えのゆとりが無いのも理由のひとつだろう。しかしそれだけではない。事業意欲を持つ中小企業者、創業予備軍が少ないのだ。少子化で若者が減り、成熟した社会で「それなりの生活ができる」状態で、必死で生きなければならない社会状況ではないのだ。
満ち足りた社会、それは目指す社会かもしれないが、到達点になって次への展望が開けていない。ある意味では平均的には恵まれた状況かもしれない。しかしそれは過去の遺産の上に立っており、次への供えが無い。一時的な安逸の次に衰退の奈落が押し迫っているように思えてならない。
いじめが問題になっている。連日マスコミが政治が取り上げる。それへの対応も大切だが、もっと大切なことがあるのではないか。もしヒトが危機的状況にあったら仲間内でいじめなどやるだろうか!協力し合って生きていけない状況だたらどうする。安逸の中で陰湿ないじめにうつつをぬかす。学校の教師の一挙手一投足にめをこらす。事件の幾つかは教師に問題があったかもしれない。しかし、この問題は家庭の問題だ。親が子供をどう育てているかだ。子供の心をどう育てているかだ。
田園荒れて、人の心がすさんで、次への目標を喪失した状態、
これは国・社会の衰退そのものだ。
今こそ、田園を緑にし、人の心をとりもどすための活動が必要だ。