さくらいろぴんく

好きなもの、こと、日ごろ感じることなどを、なんとなく書きつづります。

この世を去るということ

2024-03-07 13:26:51 | つれづれ

とてもつながりの深い叔父が亡くなった。

そろそろ覚悟をしなくちゃいけないということは分かっていたけど

それでもあまりにも突然の知らせだった。

家族が買い物に出かけたほんの少しの間に、眠るように息を引き取っていたらしい。

 

病気をしていたんだから、身体的には辛かったに違いない。

家族も大変だったし、心を痛めていた。

だけど、こんなに清々しくこの世を去った姿を初めて見た。

 

私と妹は、少し勘がするどい所がある。

私は身近な人の死の間際を感じるし、妹も誰かが亡くなった後に体調を崩したり

いつもよりも第六感が冴えわたってしまうことがある。

 

こんなに近い人なのに、私は死の気配を感じ取れなかった。

今日、自宅に向かうと、玄関や廊下がいつもより明るくて

ご遺体が安置されている居間の空気が、まるで森林みたいに澄んでいた。

木や草や川の流れ、山の空気のような物を感じた。

人が亡くなれば、そこに言葉では説明するのが難しい重力のような

重さを感じるはずなのに、それが本当にほんの少しも無かった。

 

最期は食事もほとんど摂らず、植物が枯れていくような状態。

いつもと同じ顔で、ただ横たわっていた。

感情も未練も心配事も、何もかも手放してこの世を去ったのだろう。

納得とか感謝とか、そういう物さえ残さずに、本物の「無」に

還っていったのだと思う。

 

霊的なことは、あまり人に話さない。

だけれど、今日は特別な亡くなり方をしている叔父がすごすぎて

遺族にこのことを伝えてきた。

遺族の顔がまた少し、明るく晴れた。

 

こんな死に方をしたいと、私と妹は思った。

悲しいし、大きな喪失感を抱えて家に入ったのに、ご遺体に対面したら

全然泣けなかった。

人が亡くなって、こういう気持ちになったことが無いのでむしろ戸惑ってしまう。

 

私は幼少期をその叔父の住む家のすぐそばで過ごしてきた。

今日、普遍の物なんて何一つ無いことが分かった。

時間が過ぎ去ること、その中から自分が消えるということが

どんなことなのかを気付かせてくれた。

 

すごい人だったんだと、こんな時になって知った。

すごさを人に悟らせない人だった。

生きている時も亡くなってからも、同じ気配を纏う人。

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