<笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号>
― 感謝のスピーチ ― SMAP 中居正広
「え~・・タモリさん、32年間お疲れ様でした。 僕が「いいとも」に携わる・・ちょうどこの2014年の4月ぴったりで・・ぴったり20年になりました。 え~・・振り返ってみますと、94年の4月・・ん~・・まだ・・有名でも無いですし、その・・ジャニーズのアイドルとして人気もあるわけでも無かったですし、知名度もなく ましてマネージャーさんとかもいない僕らを・・まず、レギュラーとして迎え入れてくれて・・ まず、深く感謝を申し上げたいと思います。 ありがとうございました。」
「やっぱり・・バラエティって非常に残酷なものだな、とも思います。 お陰様であの・・歌もやらさせてもらって、お芝居もやらさせてもらって、バラエティもやらさせてもらって・・。歌の世界っていうのは、いずれかライブとかやれば最終日があって。 ドラマもクランクアップがあって。 映画もオールアップがあって。 なんか始める時にその終わりを・・ゴールに向かって・・それを糧にして進んでるんじゃないかなって思います。
でも、バラエティは終わらないことを目指して、進むジャンルなんじゃないかな、と。 覚悟を持たないといけないジャンルなんじゃないかな、と思いながら、「いいとも」に立たせてもらったのをきっかけに僕は、バラエティを中心にSMAPとしてやらさせてもらおうかな、と。」
「非常にやっぱり・・バラエティの終わりは・・寂しいですね。
他のジャンルは、評判が良かろうが悪かろうが終わりがあるんですけど、バラエティってゴール無いところで終わらなければならないので、こんなに残酷なことがあるのかなと思います。」
「当時、俺と香取でホント何も出来なかったんですね。 今日はこれやろう、今日はこの話やろう、つって何も出来なかったんですけど・・・ でも、番組を・・ タモさんをアシストすることが・・楽しい番組を、娯楽を提供する手段のひとつでもあるっていうことを僕は学びました。」(目を赤くし、鼻をすすり)
「残念ですね。 こんなに残念なことはないと思います。」
「さっきも話出ましたが、タモさんは・・あの・・怒りもしないですし・・誉めもしてくれない方でしたけど、ここ・・・ようやく2年・・3年、4年前ぐらいからようやくご飯を食べれるように・・タモさんとなり・・ ある時お酒を飲んだ時・・タモさんが・・まあ、酔っ払ってたということもあったんでしょうけど・・僕のことを優しく抱きしめて・・優しく頭をなでて・・
『中居、俺 お前に感謝してるからな。 本気でお前のこと感謝してるからな。』 って言ってくれたのが、すっごく すっごく嬉しかったです。」
「今、こんな形でジャニーズでバラエティとか普通にやってますけど、ホントにあの「いいとも」出させても・・俺と香取、出させてもらって・・ジャニーズもバラエティとか全然知らない・・育て方とか知らない中、こんなチャンスを与えてくれてありがとうございました。」
「20年間・・ ケガしたり病気したことで休んだことありました。でも、どんなことあっても僕は20年間、アルタに通い続けました。
・・ある人はお正月になったら、1年に1回休んでる人がいて・・ なんでこの人、1年に1回・・ハワイに行くたびに(笑いが起きる)・・ 毎年、毎年、休みやがって・・特大号のモノマネで自分がウケなかったからつって、不参加になって・・・」(鶴瓶さんが映し出される)
誰かと比較するのは好きじゃありませんが、僕は20年間、えー・・ホントに休むことなく、さぼることなく、えー、私的なことを除いて、えー、しっかりと全うできたと。20年間でタモさんが『もう成人だから 卒業してもいいんだよ』 とおっしゃってくれてるんじゃないかなと、勝手に解釈をして。
今後も「いいとも」のレギュラーとして胸を張って・・「いいとも」をずっとやってたんだよ、と胸を張って、恥じないように今後のバラエティ・・他のジャンル含めて、頑張っていきたいと思います。 タモさん、ありがとうございました。」
深く一礼。
拍手 そして、笑いが沸き上がるなか・・次のスピーチは鶴瓶さんへ。