先日もアップしました、“SMAP解散報道”に関連する記事をご紹介します。
すでに沢山の方がネットや紙面でご覧になったと思いますが、前回に引き続き「記録」して残し、時間が過ぎても「問題提起」できるように紐づけしておきたいから。
久々に、新規カテゴリーを作りました(笑) 『SMAP解散報道 記事紹介』 にこれから収納してゆきます。
まずは昨日見た記事から・・・
【「地の文」が隠した背景 津田大介】朝日新聞
2016年1月28日05時00分
コチラ 朝日新聞DISITAL
~引用~ リンクから飛べる人は直接アクセスして記事をご覧ください。飛べない人は下記をご覧ください。
「 国民的人気タレントのSMAPが1月18日、一連の解散報道を受け、テレビの生放送で謝罪した。じつに不気味で不可解な内容だった。
5人のメンバーがそれぞれ「反省」を述べるのだが、肝心のグループの存続について明言はされず、世間を騒がせたという紋切り型の謝罪に終始した。ネットには「誰に何を謝っているのかわからない」「公共の電波を利用した“見せしめ”だ」「事務所の面子(メンツ)を守りたいだけ」といった批判の声があふれた。マスメディアとソーシャルメディアに流れる情報の間に強いコントラストが生じていた。
この騒動はスポーツ紙2紙が第一報を出し、週刊誌やワイドショーも追従したことで報道が過熱していった。問題を一言で言えば、創業者一族とたたき上げで役員まで上り詰めた現場マネジャーとの対立である。オーナー企業ではしばしば発生する現象だ。時に創業者が解任され下剋上となることもあれば、敗れた外様側が顧客を奪う形で独立することもある。この問題も内々に処理されていれば、ありふれた日本の企業経営の一風景に過ぎなかっただろう。
だが、芸能マスコミは当初から事務所側に立った一方的な報道を繰り返した。中でもスポーツ紙は露骨だった。事の発端を「女性マネジャーの“暴走”が原因」と断じ(19日付スポーツニッポン)、「ファンへの恩返しをする場所(コンサート)を事務所が与えるかは4人の姿勢次第だ」と結んだり(20日付サンケイスポーツ)、グループの存続を事務所の「温情ある処置」と讃(たた)えたりもした(19日付スポーツ報知)。
ポイントは、これらの記述が客観的な事実と印象づけられる「地の文」で行われたことだ。「事務所関係者のコメント」と明記すれば、読者も「これは事務所の言い分だ」と勘案しながら読むことができる。だが、今回一部を除く芸能マスコミは軒並み情報源をぼかし、結果的に事務所の情報コントロールに加担した。理由は言うまでもない。事務所の機嫌を損ねれば、記事を作る上で貴重な情報源が失われ、自らの立場やビジネスが危うくなるからだ。
芸能マスコミ以外の報道機関も対岸の火事ではない。懇意の記者に情報をリークし、自分の伝えたいメッセージを発言者の「コメント」ではなく「地の文」で書かせる手法は、政局報道でも頻繁に見られるからだ。政治資金規正法疑惑が取り沙汰され、連日「有罪確定」であるかのように報道された小沢一郎衆院議員が最終的に無罪となった陸山会事件はその典型だ。芸能事務所と芸能マスコミの関係はそのまま永田町と大手新聞の関係に置き換えられる。
今回の騒動は単なる芸能ゴシップではない。雇用者が被雇用者や取引先に圧力をかけ独立を阻害するパワハラ・独占禁止法的な問題、一企業が公共の電波を私用することを許したテレビ局のガバナンス・独立性の問題、経験を重ねた年長者が固定観念に囚(とら)われ、若い才能を潰す組織構造――今の日本が抱える様々な社会的閉塞(へいそく)を象徴する出来事だ。
本来マスメディアは中立な目線でこのニュースの背後にあるものをえぐり出す必要があった。今回それが叶(かな)わなかったため、多様な見方はネットに集中した。この傾向は東日本大震災後の原発・放射性物質を巡る議論や、東芝の不正会計問題の評価などでも顕著に見られる。
外に目を向ければ、米国の報道も匿名の情報源は多いが、「匿名を条件に語った」などと、ただし書きを入れて読者にほのめかす「溜(た)め」を用意している。匿名の情報源に頼り、自己保身に走りがちな日本の報道とは対照的だ。この問題を長年放置してきたマスメディアは、今こそ「原則、情報源は明示すること」を厳格に規範化する必要があるだろう。
全ての情報には意図がある。メディア環境が激変した今、万人にニュースの裏側を考えさせるような読者本位の報道が求められている。
(つだ・だいすけ 1973年生まれ。ジャーナリスト・政治メディア「ポリタス」編集長) 」
【(論壇時評)SMAPの謝罪 暗黙のルールが潜む社会 作家高橋源一郎】朝日新聞
2016年1月28日05時00分
コチラ 朝日新聞DISITAL
~引用~ リンクから飛べる人は直接アクセスして記事をご覧ください。飛べない人は下記をご覧ください。
「 SMAPという「国民的」アイドルグループが、所属する事務所からの独立をめぐる大きなスキャンダルに巻きこまれ、テレビで「謝罪」をすることになった。その画面〈1〉をわたしは見た。
沈鬱(ちんうつ)な表情の5人が並んで立ち、思い思いに、ときに口ごもりながら、「謝罪」のことばを述べた。いったい、彼らは、なんのためにそこにいて、誰に、どんな理由でそのことばを口にしているのか。どれもよくわからないことばかりだった。同時に、これは、わたしたちがよく見る光景であるようにも思えた。
この「事件」に関して、即座に、おびただしい意見が現れた。たとえば。
「SMAPの解散は昨夜までしょうもないゴシップだったのに、昨夜の会見を境に雇用者の圧力で被雇用者の意思が曲げられるとか、批判検証をしないマスコミとか、個人を犠牲にして感動を消費する社会とか、日本が抱える複数の問題がクローズアップされて一気に社会問題へランクアップしてしもうた」〈2〉
ツイッター上に現れた、この呟(つぶや)きは、多くの共感を呼んだが、それほどに、人びとの関心は深かったのだ。
*
米ロサンゼルス在住の映画ジャーナリスト猿渡由紀は「こんな騒動は、アメリカでは絶対に起こり得ない」と書いた〈3〉。それは、「人気グループの解散も、タレント事務所の移籍も、本人たちがしたいならするだけのことで、当たり前に起こる」からだ。
「日本の芸能界がサラリーマン式なら、ハリウッドは完全なる自営業式。タレントは、自分のキャリアを自分でコントロールし、その代わり、責任も、全部自分で持つのだ」
「アクターズ・スタジオ・インタビュー」は、アメリカの人気テレビドキュメンタリー番組でDVDにもなった〈4〉。名優を輩出する演劇学校へ赴いたスターたちが、そこの学生たちの前でインタビューを受ける。ポール・ニューマン、ロバート・デニーロ、メリル・ストリープ、等々。彼らの、ことばの多彩さと表現の巧みさに、いや、単なる俳優のことばを超えて、ひとりの生身の人間の人生の重みを伝えることばを持つことに、いつも驚かされた。それは、「自分のキャリアを自分でコントロール」し「責任も、全部自分で持つ」ことから生まれるものなのだろうか。
神林龍は「解雇」をめぐる西洋と日本の違いについて、こんなことを語っている〈5〉。欧州では、「解雇」というものは「ソーシャル」なものと考えられている。つまり、「社会」に認められたルールに反してはいけないのだ。そして、その、認められたルールの下では、極端なことをいえば、「解雇」は「犯罪に近い行為とみなされる」のである。
それに対して、「日本では解雇も基本的にプライベートな問題とされます。双方が和解したのなら問題がなかったことになってしまう世界」であり「こうなると第三者は何が起きたのかも分からず、その解雇がどのような規範に基づいてなされたのかを客観的に判断することが困難」になるのである。
その上で、神林は、他の会社で起こった解雇であっても、自分たちとつながった同じ社会の問題、と考える欧州に比べ、しょせん他人事(ひとごと)と考えるわたしたちの国では、組合活動が沈滞するのも無理はない、とした。
*
SMAPの「謝罪」会見を見て、どこか同じ境遇を感じた会社員は多かった。華やかな世界に生きる彼らも、実は「事務所」という「組織」が決めた暗黙のルールに従わざるをえない「組織の中の人」だったのだ。
雑誌「SWITCH」で藤原新也が、現代の若者たちの写真を撮り、インタビューをしている〈6〉。見応えも、読み応えもある特集だったが、とりわけ、福田和香子のものに、わたしは惹(ひ)かれた。
「周りの友達と上手(うま)く馴染(なじ)むこともできないし、無理して合わせるのも変だよなと感じて」いた福田に、事件が起きる。「中学の家庭科の先生が『君が代』不起立をやって」左遷されたのである。その処分の後、校門の前に立ってひとりで抗議をしていた先生に「頑張ってね、応援してるよ」と声をかけられなかった福田は、その悔いを残したまま、やがて国会前のデモに行くようになる。けれども、そんな彼女の周囲にいた、以前からの友人たちは、離れていった〈7〉。
それもまた、「謝罪」のために立ち尽くすアイドルグループのように、わたしたちにとって馴染み深い風景なのかもしれない。どちらも、この社会が隠し持っている暗黙のルールに違反したから起こったことなのだ。
自分の「正義」に疑いを抱きながら、それでも、「危ういバランス感覚」で活動をつづける自分について、福田はこういっている。
「下手に正義を掲げて突っ走ってしまったら、すごく偏った人間になってしまうから。半分靴紐(くつひも)がほどけていて、全力では走れなくてダラダラ歩いているぐらいのほうがいいのかなとも思う」
自分の足元を見つめること。そして、それがどれほど脆弱(ぜいじゃく)な基盤の上に置かれているかを知ること。それでも自分の足で歩こうとすること。そんな場所から生まれることばを、わたしたちは必要としている。「組織」や「社会」にしゃべらされることばではなく、「自分の」ことばを。
〈1SMAPの謝罪
〈2〉「こなたま(CV:渡辺久美子)」のツイートから
〈3〉猿渡由紀「『SMAP騒動』は起こらない」(ネット投稿、24日、http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160124-00053732/)
〈4〉アクターズ・スタジオ・インタビュー(日本版DVDは「アクターズ・スタジオ」)
〈5〉神林龍「西洋解雇規制事情」(POSSE29号)
〈6〉「特集:写真家の現在 藤原新也」(SWITCH・34巻2号)
〈7〉大学生・福田和香子と藤原新也の対談(同上)
たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。本紙「折々のことば」連載中の哲学者・鷲田清一さんとのトークイベントに先日参加。対談の模様は近く紙面と朝日新聞デジタルで紹介されます。 」
「さくさく」姉妹版 「中居語録」コチラ。