恥を知れ

サディスティック・サディーの生かさず殺さず日記

10/17

2023-10-17 21:11:21 | art

同時開催の特別展もせっかくだから見てきたのだ
揺さぶる絵 変貌する日本画のイメージ

豊橋市美術博物館と国立の近美と釧路芸術館にもご協力いただいて
いい意味で
 日 本 画 と は ?
って揺さぶられた
メインを補強する良展示だったと思う
なんか上からで申し訳ないけども

立体的だったり
派手な色使ったり
既存の美しさに背いてみたり
どのジャンルからスタートしても
表現を究めた先は似たような場所に行き着くのかな
ということを少し思ったりもした


中村彝を読めてエロシェンコ氏の像ってのが有名だよと教えてくれた母が
今日は
片岡球子は面構シリーズってのが有名だよと教えてくれた

浮世絵のパロディみたいで面白い
しかも国芳くん
うれしい

美の巨人たちで見たことあるから
片岡球子の名前と富士山の絵と長生きってことだけはなんとなく記憶にあった
札幌出身だったんだ
どうりで覚えなきゃって思ったわけだ
3つでメモリいっぱいになっちゃって弾き出されてたけど
素直な印象はとにかくまあ絵がデカい
色使いがド派手でエネルギッシュ
見習いたいこのバイタリティ
あの時代に上京して美術学んでしっかり教職も取って働きながら活動続けたのすごい
そりゃ長生きするわ
という結論で合意に至った

アール・ヌーヴォーのガラス工芸も綺麗だったし
小川原脩という人を初めて認識した
シュールレアリスムというけれどそんなに怖くなくて(偏見)
構図や配置はコラージュっぽくてユニークだけど
色使いが優しくて綺麗なので
晩年の作品とか特に絵本みたいなほのぼの感があってよかった
平和なシュールレアリスム
こんな人が倶知安にいたんだなあ
まだまだ知らないこといっぱいあるね
当たり前だけど


 

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10/17

2023-10-17 18:39:30 | art

代休だこのやろぉぉぉ(謎ギレ)

ハイということでね
5億年振りの近美ですよ
この夏はコンサートや観劇には行ったけど
そういや美術館は久々でしたな

この数年は流行病の影響もそれに伴うエンタメ筋の衰えもあって
あっこれいいな、行こ、と思って
やっと勇気を出したら会期短縮されてて終了なんて
悲しい事件もありましたな

そんな私ですが折角のお誘いをいただいたので
この夏リハビリしたエンタメ筋を活かして
すかさず飛び付きましたとも
お誘いつったって母だしな
久し振りの母娘美術館デートだこのやろぉぉぉ(謎ギレ)

なぜキレてるのか自分でもよくわからない
明日から現実に戻るのが嫌すぎるのかもしれない

ともあれ近代日本画と北大路魯山人展なのです
いやー楽しかったー
見応えあったー

作者忘れたけどイケメンな獅子とかね
旭山(推し動物園)のオリトくらいイケメンだった
まあイケメンな猛獣の絵を見るたびに
光琳のゆるふわすぎる虎を思い出して笑っちゃうのはもう条件反射(?)なので許してほしい

足立美術館様って横山大観展のときもお世話になったとこだよね
やっぱそうだよね
また大観先生にお目にかかれてうれしい
ほんともう色の鮮やかさが昨日描いたみたいで
朦朧体のしっとり感ときたら有無を言わせぬ説得力がある

なんて日本画らしい日本画は最初だけ
"近代"と銘打つだけあって
西洋画の技法や斬新なアイディアを取り入れつつ
いい意味で
 日 本 画 と は ?
ってなる刺激的な魅力がいっぱいだった

そもそも額縁に入ってたりするもんな
屏風はさすがに無理だけど
中には掛け軸みたいに布を貼ったうえでさらに額縁に入ってるのもあって
ほんともう日本画とか西洋画とかの概念が揺さぶられる
いい意味で

昔の画家もフィクション作品の登場人物を題材にしたりしてたわけで
今風に言えば上村松園の美女・美少女萌えはガチだったんやなって
美人画のコーナーで思うなどした
そりゃそうだよな
時代に関係なくそういう強烈な衝動がないと芸術なんて生まれないよな

そこかしこに琳派の匂いを感じたのも
琳派好きとしてはうれしゅうございました
たらしこみの美しさ
モチーフの大胆かつリズミカルな配置
日本画は攻めた構図がいっぱいあるのも魅力よな
空白とか間とか絶妙すぎて悶える

なんでも鑑定団とかで名前はよく聞くけど
竹内栖鳳は偉大な人物であると知ったことが本日の学び
いろんな画家の師匠として解説に語られつつ
ご本人の作品が登場したときのキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!感がやばかった
魯山人と関わりがあったのもこの人なのね
今回の展覧会の要ですわ

魯山人も面白かったなあ
何でもやってるね
絵も書も篆刻も陶芸も何でも
陶芸ってひとつの窯でなんとか焼きを専門に作るものだと勝手に思ってたけど
ひとりであんなにいろいろ作っていいのね
織部も信楽も九谷も
志野も備前も
まあ焼成までは職人さんにやってもらって
自分は絵付けするみたいな分担だったようだけど
私もそれがいいと思うけど
信頼してた職人さんが去ってからは失敗が多くなったってのが
悲しいんだけどなぜかちょっと笑っちゃう
その失敗をもアイディアで作品に変えるバイタリティがすごい
デザイナー?アートディレクター?
何て言うのかわからないけどこれもまた美の巨人って感じ
銀彩って初めて知ったわ

なんかちょっと笑っちゃうんだよね
食べ物を入れるんだって実用を強調するわりに
何をそんなに盛るんだってくらいどでかい大鉢だったり
すでに貝の形してるところにエビとかカニとか描いてあって
ここにさらに食べ物を盛るのかよって
気が散ってしゃーないわって突っ込まずにいられないんだけど
破天荒すぎて笑っちゃう
このユーモアも魯山人のおもてなしの心なのかな

今まで焼き物は正直あまり興味なかったけど
じっくり見てみて釉薬って不思議だしきれいだなって思った
偶然生まれたであろう形やグラデーション
くぼんだところに溜まっている様子
薬のかかっているところとかかっていない地肌の土の味わい
頭の中で中島誠之助先生がしゃべりだしてびっくりした
特にファンというわけでもないのになぜ

あと乾山好きなんだなって知ってちょっとうれしかった
勝手に琳派の香りを嗅ぎ取っていたところに弟さんが現れて
密かな尾形兄弟ファンとしては望外の萌え

しょっちゅう伸び縮みする多動児で失礼しました
いや金泥銀泥とか金箔銀箔たまにプラチナ箔とかが光るのが楽しすぎて
見る角度を変えると光るからさ
屈伸と背伸びを繰り返す不審者と化しておりました
だってもう金泥って言葉だけでも好きすぎる(?)しテンション上がるしヒャッホウ
今日はっきりと認識した
日本画ってだいたい金とか銀とか使ってるからだいたいキラキラしてる
はいリピートアフターミー
日本画はキラキラ!cawaii!ヒャッホウ!
キラキラでこんなに喜ぶなんてカラスか犬かギャルかなって自分でも思ってる
ギャルが一番ないなって自分でも思ってる

ちなみに陶芸はものによるけど魯山人のは結構な割合でキラキラしてるので結構な割合でcawaii

こればっかりは生で見ないと味わえないよなあ
やっぱり美術も好きだー!
って気持ちを思い出させてもらった
ありがとう足立美術館様
諸事情でもう一度行く予定なので
待ってろ近美


 

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8/27

2022-08-27 23:16:27 | art

今日の新美の巨人たちは小樽

祝津の方は行ったことなかったなあ
鰊御殿の内部ってあんなにすごかったのか
一週間に階段一段はさすがに盛りすぎではと思うが
釘を使わぬ工法といい
襖絵やら壁画といい
和洋折衷といい
成金でも何でもこういう方向で競っていただけると
後世の人間としてはありがたい限り
残してくれたから尚更

えっ
明治・大正・昭和の建造物が一つ所に
って小樽だけなの
素人にはいまいちピンとこないが
(大正が短かっただけでは?とか思ってしまう)
そんなにめずらしいのか

「小樽はあまりにも急速に衰退したから古い建造物がそのまま残った」
とブラタモリで言われてたのをしみじみ思い出すなあ
でも地元の方々の保存活動もあったのね
私が生まれた頃だ
よくぞ残してくれたなあ
歴史的建造物の「歴史」の部分は一度なくなると取り返しがつかないから

えっ
手宮線って北海道初の路線だったの
跡地は何度も行ったり通ったりしたが知らなんだ
雰囲気のいいフォトスポットだよね
私は撮ったことないが
何か浪漫があって
街中だから行きやすいし
というかぶらぶら歩いてたら自然と出くわすレベルで駅近

観光地特有のあざとさがまったくないわけではないけど
やっぱり全体的に雰囲気がいいんだよね
それは「歴史」の部分が醸し出すもの
新しく作ろうとしてもなかなか追いつけない価値だ
「あまりにも急速に衰退したから古い建造物がそのまま残った」
という事情が手伝った向きもあろうが
保存に動いた方々はよくわかっていたんだな

ああまた似鳥美術館行きたいなあ
あれは大変よいものだ
駆け足で味わい切れるコレクションではない
なんか新しい美術館もできたと言うし
すごく知った気になっていたが5年前に一度行ったきりだ
できればまた外国人観光客でごった返す前に
なんて言ったら怒られそうだが
流行病で大ダメージだったものな
つまり今行っておくのは貴重なチャンス…?

それはそれとして
ナレーションを小林薫さまの声で脳内変換する無駄な技術を
いまだ保持していることを確認した

---

辰野金吾・渋沢栄一・榎本武揚
このBIG3は強い
何気にイケオジ回だった
偉人ポーカーがあったらスリーカード作れちゃうな
小樽つながりを強弁していただきたい
こじつけじゃないから普通に美しい役だな
(QK並感)


 

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11/12

2021-11-12 22:16:27 | art

今日のGoogleロゴはフェルメール
生誕389周年という半端な記念はいつものこととして
アレ?この人そもそも生年月日わかってたっけ?
と思って調べたらやっぱり不明瞭
じゃあなんで今日やねん
と思って調べたらワシントン・ナショナル・ギャラリーで展覧会が開かれた日だそうで
まったくもってピンとこないが
現存する35点の作品のうち21点が展示されたということだから
画期的なイベントであったには違いない

昔真珠の耳飾りの少女を観に
東京は上野の国立西洋美術館まで行ったことがあったけど
立ち止まらずに進んでくださいと急かされて一瞬だったなあ

もっと昔
まだEPSONが美の巨人たちのスポンサーだった頃
札幌Loftが生きていた頃
精巧な印刷による原寸大のレプリカ展覧会やってくれたんだよなあ
2回くらい観に行った
ボッティチェリのラ・プリマヴェーラ大きくて迫力あったなあ
そしてグイド・レーニのベアトリーチェ・チェンチの肖像
真珠の耳飾りの少女の参考になった可能性もありえる説が当時なぜかとても刺さった私は
何十分も立ち止まってじっと眺めていた
あまりに不審だったのか学芸員的なお姉さんがそっと
撮影OKですよと声をかけてくれた
お言葉に甘えて当時のガラケーのなしうる最高画質で撮らせてもらった
どちらも闇を背景に振り返る少女の絵
でもその闇が違った
全然違った
フェルメールは静かにまっすぐ引いた闇
レーニは荒々しく塗りたくった闇
穏やかに微笑む少女の
過酷な運命を慟哭するかのように
その筆致まで再現してくれたEPSONの技術をいまだに忘れることができない
一瞬で通り過ぎた本物よりも
じっくり観た精巧なレプリカの方が心に残っている話

実はフェルメールにかこつけて
当時気になっていた人に会いに行ったなんて甘酸っぺえ思い出はまた別の話


 

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6/5

2021-06-05 22:33:18 | art

小林薫様の声が聴けなくなってから遠ざかっていたけれど
今週は和田誠というのでなんとなく見てしまった新美の巨人たち

亡くなった時の平野レミの言葉
和田さんのための最後の料理を作りながら
本当に幸せだったなと思ったっていう
何で読んだのか忘れたが
シンプルな愛しさと悲しみであふれていて印象に残っている

ご自由にと言われて困惑する和田さんに
都会のメルヘン
と言った当時の週刊文春の編集長のセンス
しびれるわ
昔はこういう大人がいたんだな
と思うのも今を生きる未熟な人間の幻想かな

2000号記念に1号と同じ鳥を描く
すっぴんのレミさんがカメラ片手にインタビューするの微笑ましかった
素でもあのテンションであの喋り方なんだなあ
なんか納得するけどなんか笑っちゃう

シシド・カフカ語り上手いなあ
杏か貫地谷しほりあたりかと思ったわ

今は毎週ナレーション違うんだっけ
決して悪くはないのだけれど
小林薫様の声はやっぱり素晴らしかったなあと失って改めて思う
幕間の茶番劇とか
絵画警察とかモデュロール兄弟とか好きだったから
番組の構成が大きく変わってしまったのは個人的には残念だが
今の状況を思えばちょうどよかったかもしれない
以前の構成のままだったら番組の存続自体危うかったかもしれない
美術番組は貴重だから
リニューアルしても番組が残っていることにまず感謝
テーマは建築関係が増えた印象
昔ながらの一枚の絵にこだわる回もたまには見たいが
新になってもモデュロール兄弟が出てくれたのはちょっと癒やされた


 

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5/18

2021-05-19 00:05:27 | art

まさか風神雷神図屏風デートの続編がきてたとは
夏秋草図屏風!
酒井抱一!
最高!
てかびじゅチューンまだ続いてくれてるのね
最近全然見られてないけどよかった
またお正月に一挙放送してよ


 

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12/22

2018-12-23 02:39:38 | art

今年もなんとか無事にワカマツカオリ様のカレンダーをGET
これで年が越せる
わかってたけど10月にはまだ置いてなかったし
次にLoft行けるのがこんな時期になっちゃってひどく心配したけど
むしろ結構残っててそれはそれでホッとしたような複雑なような
みんなもっとワカマツカオリ様のカレンダーを買おうぜ
2019はオリエンタルな雰囲気で素敵だよ
相変わらず人物は凛としてカッコイイし植物は美しくて癒されるし
線画のキレがたまらない
変なポエムとか無いのが至極快適
毎年形態が違うのが楽しい悩みだけど来年のは普通に掛けられそうで
個人的に疲れ果てた身にはそれもありがたい


 

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9/23

2018-09-23 22:14:56 | art

行ってきましたよ芸森
行ってきましたよブリューゲル展
地震やら停電やらで一時はどうなることかと思ったが
すべりこみセーフ

ブリューゲルって一族でこんなにいっぱいいたのね
私たぶん一番有名な父ブリューゲルしか知らんかったわ
息子の作品も見たことあるような気がするけど
全部ひとりのブリューゲルだと思ってたわ

こうして解説付きで並べてくれると
結構はっきり画風ちがうのね

ぱっと見の印象だとやはり花のブリューゲルが綺麗だなと思うけど
次男は売れっ子でお金持ちだったのに
長男が貧乏で生活苦だったとか切ない
地獄のブリューゲルって二つ名のかっこよさなら負けてないのに
そういうの好きなマニアックなパトロンはいなかったんかい
弟もちょっとは援助してやれんかったんかい
いやでもそこは兄のプライドで断っちゃうかな
兄弟妄想が止まらないからやめよう

孫や娘婿になるとだいぶ元祖ブリューゲル感は薄まってくるけど
進化の過程もそれはそれで興味深い
果物の静物画なのに背景が野外な絵が面白かった
イタリアに行ったまま帰ってこなかった曾孫ブリューゲルだっけ
静物画って基本テーブルの上だよね
イタリアは今も昔も画家憧れの留学先ですって
言われてみればしみじみ納得
ルネサンス発祥の地だものなあ
フランドルの精密な静物画の技法とイタリアの鮮やかな風景画の技法の融合
とか聞くとちょっとわくわくしちゃうよね

それにしても人気作は容赦なく模写しまくって大量生産しまくっていたという衝撃
一点物の芸術作品というより日用工芸品のような
日本で浮世絵が流行したようなもんだろうか
銅版画はすでにあったわけだし
しかし肉筆画をそのノリで量産するとは
なんかほんと考え方が絵画というより絵付けのような
でもそのおかげで元祖父ブリューゲルの大ヒットが盤石となり
ブリューゲル工房150年の繁栄の礎を築いたならば
やはり長男ブリューゲルの功績はもっと讃えられるべきではなかろうか
とにかく父の絵を模写しまくったんだって

合作・共作にまったく躊躇がないのも驚愕というか
そういう時代だったんだなあと
まあとにかく合作・共作の多いこと
ギルドとか徒弟制度とかいうものが現実だった時代
なんというか親方と職人たちのものづくりだったんだなあと
あのルーベンスと仲良しでよく合作してたとかね
親子とも合作してたと思うけど
友達だったのは息子の方だったかな(どっちかは忘れた)
当たり前だけどルーベンスが人物描くと全然違うw
でもすごいのは人物が得意なルーベンスと組んだらブリューゲルが背景を描いて
背景が得意な人と組む時はブリューゲルが人物を担当したっていうね
どっちも描けるブリューゲル△
とかくしょうもない人生ぞろいの芸術家において
幸福の画家と呼ばれるのはルーベンスとルノワールくらいだと思うけど
父ブリューゲルもおおむね幸せだったんじゃないかと
パトロンは大公夫妻で
子宝に恵まれて息子も娘婿も孫も画家で
まあ後代には投機に失敗して娘を嫁にやれず修道院行きなんて
切なすぎる話もあったけどもそれはまあ…自業自得かな…

しかし時にはフランドルとイタリアで郵送し合ってでも合作したとか
そのために銅板の方が都合が良かったとか
たしかに小っさい作品多かったね
それもキャンバスじゃなくて板とか銅板とかの
それはもう効率や量産のためじゃないよな
どんだけ合作したかったの
工房の職人でそれくらいできなかったの
何?萌え案件なの?
すみません調子に乗りました

そんなふうにみんなで人気のモチーフを取り扱う時代からか
影響を受けたり与えたりしたであろう同時代の他作家作品もいっぱい
雪中の狩人とか本物のバベルの塔とか
父ブリューゲルの有名作があるわけじゃないけれど
画家一族150年の系譜がそのとおり一堂に会して見られたのがよかった

それにしても鳥罠やスケートの絵が大ヒットとか
当時のフランドルの感覚はわからんわ
鳥が今にも捕まりそうだったり密かに氷に穴が空いてたり
気を付けろという教訓画らしいんだけど
そんな説教臭いものをわざわざ求める気が知れない
なにか魔除け的な効果があるとか信仰的にポイントが高いとか
そういうことなんだろうか
ありがたい絵を家の中に貼ってご利益を期待するみたいな

ところで音声ガイドが石田彰って見た瞬間なぜか笑いが止まらなくて
つい借りてしまったのだけど
聞いたら聞いたで小芝居が面白すぎてしばしば絵に集中できなくて
鑑賞にやたら時間がかかってしまった
いやーほんと老若男女なんでもできるね
すげーわこの人
なんでこんなに笑っちゃうのか自分でもわからんけど
相変わらず優しくて深くて背筋をざわつかせる不思議な声

古楽器のBGMも素敵だった
当時の音楽を当時の楽器で奏でる味わいよ

笑っちゃうといえば野外での婚礼の踊りで
農民の男がつけてるラッキィ池田みたいなのは何事だろうと思ったが
どうも当時は普通のファッションらしい
ああたしかにズボンの前閉じられる作りじゃないんだね
笑っちゃうというかビックリした
しかし花嫁はすぐわかるけど花婿はどこへいったのか
それは謎のまま


 

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8/26

2018-08-26 20:54:56 | art

遅いお昼にちょうどよい時間になったので
まったりランチで休憩

そして日本の美百花繚乱後期展示ですよ
前期もちゃんと行ったんだけどまんまと書きそびれた
ので覚えてる限りごちゃまぜに書いてみる

まずは金地の豪華な屏風絵でお出迎え
イヤッフゥー
なんで金ってこんなにテンション上がるんでしょうね
私だけか
前期の白菊も綺麗だったな
あれ胡粉なのかな
白が鮮やかで
なんていうのか忘れたけど厚く盛ったエンボスが豪華で
後期の葡萄棚も素晴らしかったけど
葉っぱばかり目立ったのはあれ多分実が銀だったんだな
銀は時が経つと黒くなってしまうのが残念でもあり
味わいでもある
光琳の紅白梅図屏風なんかそれすら見事だもんな
作者不詳の武蔵野図屏風も
銀で描かれていたであろう黒い月がまことに印象的だった
今リスト見返してて気付いたけど
武蔵野図屏風って前後期で違う作品だったのか
ぼんくらでごめんなさい
人はなぜ武蔵野に惹かれたのか
月をセットにしたのか
それを永遠に思い続けたい

光琳といえば
ああやっぱ琳派好きっす
前期の風神雷神図屏風おいらはしかと堪能いたしましたよ
他の来場者からも別日に前期見た母からも
本物じゃないしとか
よく知らない人の見てもねえとか言われても
そんなことないよ!
鈴木其一は正当な江戸琳派の継承者だよ!
と声を大にして言えなくても
チキンなおいらをお許しください
だって見ました?
後期の萩月図
美麗で瀟洒という解説がドンピシャの
抱一の夏秋草図を彷彿とさせる繊細な美しさ
それは光琳の裏絵で
それは宗達の風神雷神図に感銘したもので
ああ琳派の系譜って尊い

光悦さまの筆にこんなにお目にかかれて恐悦至極
宗達"派"というのが惜しいとこだけど
本物とのコラボは間違いなく重文クラスだものな
そうそう蝦夷地になんぞ来ない
琳派100年に参加できなかった恨みをまだ引き摺ってる

円山応挙と聞くとまず「本物!?」と疑ってしまう鑑定団脳
谷文晁や渡辺崋山もそうだなあ
応挙の海棠金鶏図色鮮やかで美しかったなあ
金鶏って雉に見えたけど雉でいいのかしら(いいっぽい)
海棠の花って可愛いね

椿椿山の富貴花鳥図も綺麗だったなあ
特に女性は何人も立ち止まって
おいらもその一人だけど
しかしなんでこんな変な名前にしたんだろう
目立ちたかったんだろうか

岸駒のドヤ顔イケメン虎に一目惚れ
とっ…虎好きには…たっ…たまりませんね…ハァハァ
唐突な変態感をお詫びします
前期の狩野派のもさすがの迫力だったけど
毎回光琳の緊張感ゼロのゆるふわ虎を思い出して笑っちゃうのは
ある意味光琳の魅力でもあるのかな

熊谷直実を読める若いパパ
いいぞー
かっこいいぞー
ちゃんと聞く息子さんもお利口さん
敦盛知ってる感じだったな
習うの中学くらいだっけ
やっぱり教育って大事
教養はなくても死なないがあれば人生を豊かにする可能性を広げる

おいらは源氏物語くらい読んどけばよかったと痛感しましたね
そうすれば源氏物語図屏風の何がどの場面か
ちょっとはわかったかも

でもせめて能を好きでよかったとも痛感しましたね
前期の平家物語図屏風
大原御幸と小督が一対の屏風だなんて
なんて切なく渋いチョイスだろう
と能の知識がちょっぴりあったおかげで積極的に感動できたから

さていよいよみんな大好き伊藤若冲
いやーやっぱ本物の奇想天外さ半端ないね
象のデフォルメっぷりときたら
何度見しても開いた口が塞がらない
鶏をあんな精緻に描ける人がさ
あの大胆さ
しかもあれ70代の作品て
85歳まで生きただけで当時は仙人クラスだろうに
どんなファンキー爺だよ

前期は池大雅夫妻にも驚いたなあ
奥さんも画家だったなんて
しかも上手いのなんの

曽我蕭白も奇想派なのね
蝦蟇仙人といえばNARUTO…
亀仙人といえばドラゴンボール…
いや私だけじゃないから
同年代の考えることはだいたい同じのようで
共感する呟きがあちこちから
発想の源という点でもある意味同じで
ああ私たちは日本人なんだなあと
言ってしまうのはあまりに強引に過ぎるだろうか

通期の工芸品もちょっぴり
島津斉彬公の鎧一式はさすがの美しさだったねえ
白が基調で高貴なの
しかし白糸裾萌葱紺威鎧が読めなくて
ぱっと見で「え?何?萌え袖?」と思ったのは正直ごめんなさい
よく見たら袖じゃなくて裾だし
あと前立の部分に解説も何も触れてなくて気になったんだけどあれは狐でいいの?
神狐なの?そういうことにするよ?

それにしても兜って個性豊かよなあ
鯱が両側から噛み付いてたり
鹿の角生えてたり
ナイキみたいだったり
貝殻みたいだったり
予想外の面白さ
これは鎧兜の擬人化くるかとか一瞬でも血迷ってなんかごめんなさい
なにそのカオス

篤姫の嫁入り道具もすごかったね
小さなものなのにオーラがすさまじい
茶碗台と茶碗と蓋なんだけど
びっしり蒔絵
泣く子も黙ろうかという厳かさ

どこかのお姫様の嫁入りの駕籠も見事だった
外側の装飾もさることながら
内側も余すところなく草花の絵が描き込まれて
人に運んでもらうとはいえお姫様には辛かったであろう長旅の道中
少しでも慰めになればという心が伝わるような

さて後半のメインはなんといっても怒涛の浮世絵連作
前期の北斎!後期の広重!
前期の北斎!後期の広重!
大事なことなので2回言いました

いやもうね語彙が追いつかない
天才に天才っていうのは失礼だとわかってるんだけど
構図が神すぎて
線画の潔さこそ浮世絵の命
こりゃゴッホもメロメロになるわと改めて納得

あとグラデーションの美しさね
何をどうして何回摺ればこんなになるのか
想像を絶する

役者や美人の大首絵も素晴らしいけれど
やっぱ風景画が好きかな
構図の見事さ
リズム感
摺りの美しさが一目瞭然

道の整備や信仰心の高まりから旅行ブームが生まれ
風景画の需要も増えたってのも興味深い
自分は行けなくても誰かに代理で行ってもらったりしてたことを鑑みるに
道中の風景画を買うことにも同等のご利益があると考えたのであろうご先祖様方
ああ私たちは日本人なんだなあと
苦笑せざるを得ない
なんか自宅にリトル神社やリトル寺を作っちゃう人々らしいというか
強引でご都合主義だけど幸せになる術を知っているというか
もしかしたら外国にも似たような事例はあるのかもだけど
それならちょっと仲良くなれそうな気がするなあとか

よき一日でした
休日に一人で二箇所も美術館回れるなんて
おかあさん私やったよ
やればできる子だったよ
(何の話)


 

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8/26

2018-08-26 19:36:48 | art

今日は
無言館展と
富士美術館展の
二本立て

計画性のない私がめずらしくいろいろ考えて
まず文学館へ

お久し振りの中島公園
薄曇りで気温もちょうどよく風もさほどない
絶好のアート日和

もうね
1点目から泣けるね
享年○○歳って
見るだけで切なくて
見るたびに打ちのめされて
あまりの若さに
終始涙目

そんでまあ
びっくりするくらい上手なのね
失礼ながら
こんなにレベル高いとは思わんかった
美大生はまだしも
趣味で描いてた方々もみんな

東大野球部のエースで
絵を描くのも好きだったって子が印象的だった
これがまた素直で爽やかで優しい絵なの
才能の塊じゃないか
いのちながかったならばどんな大人物になっていたことか

北海道出身の子もたくさんいたなあ
上京して憧れだったであろう美術学校に入学して
どんなに楽しかったろう

この子ほんとにセザンヌが好きだったんだね
この子はゆくゆくはフォービズムとかシュールレアリズムに進んだかも
ああこの子の画風好きだなあ
戦争がなければ
どんな画家になっていたか見てみたかったなあ
日本画の絵の具ってほんとに綺麗だね
まるで昨日描いたみたい

どなたも享年圧倒的年下ゆえ
この子呼ばわりをお許しください

こんな才能あふれる若者たちが
なぜ命を散らさねばならなかったのだろう

どんなに苦しかったろう
ほとんど戦死じゃなくて戦病死の方が多くて
結核は戦争がなくても罹患してたかもしれないけど
マラリアとか栄養失調とか
銃弾を体内に残したまま復員したけど化膿が治らなくてとか
どんなに痛かったろう

どんなに悔しかったろう
20代後半ともなれば妻子持ちも当たり前で
もうすぐ生まれる我が子を見られずに
あるいは可愛い盛りの子を残して
どんなに辛かったろう

それでも描いてしまうんだ
葉書の片隅に

中島敦の手紙もそうだったね
妻への手紙は弱音を吐いたりもしたけど
それでも本音のすべてではなかったろうけど
開戦後は検閲もあるし
心配かけちゃって慌てたりして
子供への手紙は楽しいことだけ
時にイラスト付きで
絵本にする計画実現してほしかったなあ

昔の人は早熟だよね
早熟にならざるを得なかったのか
今が未熟を許される期間があまりに長すぎるのか
それにしたって
遺された言葉があまりに立派で
凛としていて

自分がどう生きればいいのか
考えてしまう

昔は写真も葉書もちっちゃいね
だから字も細くて小さかったのか
でも昔の人はみんな字綺麗よな
そういうのを選んで展示してるのかもしれないけど

今も東大生レベルならあのくらい書けるかな
今のことばで
言語化能力や語彙力は変化してると思うけど
感受性はそれほど衰えてないと思うから
今の若者だって

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やっぱそういうのを選んで展示してるだけかもしれんな
ちょっと時代は古いけど
お世辞にも賢さんの字は上手いとは言えんものな
いや賢さんらしくて好きですけど
トンちゃんは綺麗
さすがインテリ


 

コメント
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