吉岡はくすっと笑うと、また前に向き直っていく。思いきり誤解されたように感じた。自業自得ではあるが、わざとらしい益田が少し憎たらしくもなる。
「誤解されるようなこと言うな」
「若山君。勝ち馬投票券なんて買ってはいかんぞ。で、いくら儲けた?」
「しつこいな。だいたい、なんの話だよ」
「現国の出来」
「現国ぅ? 可もなく不可もなくだよ」
「あ、そう。俺もだよ。ま、必要ないしね。捨てちゃっても、今さら、ね」
「余裕の発言だな。留年間近ってあの噂は本当だったか?」
「えっ? どこからその話を。さすがは事情通。ならば打ち明けるが……」
そこで会話に間が空く。くだらなすぎて二人で笑いあう。いつものパターンだった。気心知れているからこその仲だから。それが俺たちだから。狭く深く付きあう嗜好性が合致し、一年の時の林間学校で親しくなった三年来の友人。
一緒にいられる残りの時間を逆算してしまうと、感傷的にもなってくる。こいつともこの先、つきあっていきたい。いけるだろうか。そこんとこ、益田はどう思っているだろう。
「もう帰れる?」
「悪いまっすん。三者面談の希望日時の記入待ちで、しばらくかかる。遅くなるぞ。今日もバスだろ?」
「うん、まあ。でも待つよ」
「いいって。バイパスのバス一本逃したら、次、三十分待ちだろ? 寒いし、気が遠くなるぞ」
「そうか? うーん、じゃあ、今日は先に帰るか?」
「そうしろよ」
「おう。よし、じゃあ、お先。またメールする」
「おう」
「若山の彼女によろしく」
「いないから」
益田はいたずらげな顔だった。いまどき、男で男に手をふりながら去っていくやつはいるまい。あいつはこちらよりも一足早く入試が始まる。それも第一志望の私立大学と言っていた。事前に備える事柄が、凡人とはいくらか異なる。気づかいは必要だと思うのだ。
あいつも、そんなこちらに気づいていてほしい。
でもなんか、それって、願うこととちがうような。
いい人になっても、見返りがあるわけじゃない。
やっぱ、どうかしてるのかも、今の俺。
いつの間にか、教室内の人間は半数以下になっていた。皆、こころなしか帰りを急いでいるように思う。各々、やることが基本的に一緒でも、内実は十人十色で人生に向かって行っている。当たり前の事実に、気圧されていく。
自分は何もできていない。この先どうなるのか、本当にわからない。どうして、こんなにも弱き人間になってしまったのだろう。時間は待ってはくれないのに。ため息を漏らすのをがまんして、天井を見上げるしかなかった。
五人、四人、そして三人。クラスメートがどんどん消えていく。女子の一人が吉岡にプリントを渡すと、教室内はとうとう二人きりになってしまった。場がシーンとしているからなのか、自分と吉岡しかいないからなのかはわからないが、妙に緊張してしまう。
きれいな髪が肩までおりていて、紺のブレザーの後ろ姿は華奢に見える。後ろにいる者の特権で、ここぞとばかりに女子という存在をあけすけに見てしまう。男だから、ふらちな想像すらしてしまう。救いだったのは、目の前の席が一つ空いていたことだ。これが至近距離であれば、荒い鼻息をとどめられていただろうか。
「若山君、最後だよね?」
いすをギッと引き、吉岡が上体を真横に向けてこちらをうかがっていた。吸いこまれそうな瞳と目があう。あう。あうー。うなるように、吠えそうだった。
吉岡ってこんな綺麗な顔してたんだ。この二年間、話したことなんて数えるほどで、意識もしたことなんてなかったけれど。やばい。もろタイプだーって、今になってかよ。ここには二人しかいないからだ。だいたい吉岡に失礼じゃないか。
「最後だよね?」
「は? あ、はい。最後です」
「なんで敬語なの。おかしい」
念押しされていたようだし、敬語になっていたし、笑われたし。なんて挙動不審。女子への免疫力がまるでないみたいだ。実際、ないけど。もうどう思われてしまっても仕方ない。にこやかな吉岡は、椅子から立ち上がってプリントを持ってきてくれた。
「わたしって、こわい?」
「え? 全然。なんで」
「よそよそしいから」
「そんなことないよ。ええっ、そう見えた? ごめん」
「謝らないでよ。若山君って面白いね」
「あんまり面白くはないけど」
「そこが面白いんだけど」
どこがだよー、と突っこみたかったが、ますます墓穴をほりそうで何も答えなかった。ただただ面映ゆかった。からかわれているのか、単なるコミュニケーションなのか、よくわからないというのが正直なところだ。ただ、弟を相手にしているのとはワケがちがうのは明らかだった。
≪つづく≫
「誤解されるようなこと言うな」
「若山君。勝ち馬投票券なんて買ってはいかんぞ。で、いくら儲けた?」
「しつこいな。だいたい、なんの話だよ」
「現国の出来」
「現国ぅ? 可もなく不可もなくだよ」
「あ、そう。俺もだよ。ま、必要ないしね。捨てちゃっても、今さら、ね」
「余裕の発言だな。留年間近ってあの噂は本当だったか?」
「えっ? どこからその話を。さすがは事情通。ならば打ち明けるが……」
そこで会話に間が空く。くだらなすぎて二人で笑いあう。いつものパターンだった。気心知れているからこその仲だから。それが俺たちだから。狭く深く付きあう嗜好性が合致し、一年の時の林間学校で親しくなった三年来の友人。
一緒にいられる残りの時間を逆算してしまうと、感傷的にもなってくる。こいつともこの先、つきあっていきたい。いけるだろうか。そこんとこ、益田はどう思っているだろう。
「もう帰れる?」
「悪いまっすん。三者面談の希望日時の記入待ちで、しばらくかかる。遅くなるぞ。今日もバスだろ?」
「うん、まあ。でも待つよ」
「いいって。バイパスのバス一本逃したら、次、三十分待ちだろ? 寒いし、気が遠くなるぞ」
「そうか? うーん、じゃあ、今日は先に帰るか?」
「そうしろよ」
「おう。よし、じゃあ、お先。またメールする」
「おう」
「若山の彼女によろしく」
「いないから」
益田はいたずらげな顔だった。いまどき、男で男に手をふりながら去っていくやつはいるまい。あいつはこちらよりも一足早く入試が始まる。それも第一志望の私立大学と言っていた。事前に備える事柄が、凡人とはいくらか異なる。気づかいは必要だと思うのだ。
あいつも、そんなこちらに気づいていてほしい。
でもなんか、それって、願うこととちがうような。
いい人になっても、見返りがあるわけじゃない。
やっぱ、どうかしてるのかも、今の俺。
いつの間にか、教室内の人間は半数以下になっていた。皆、こころなしか帰りを急いでいるように思う。各々、やることが基本的に一緒でも、内実は十人十色で人生に向かって行っている。当たり前の事実に、気圧されていく。
自分は何もできていない。この先どうなるのか、本当にわからない。どうして、こんなにも弱き人間になってしまったのだろう。時間は待ってはくれないのに。ため息を漏らすのをがまんして、天井を見上げるしかなかった。
五人、四人、そして三人。クラスメートがどんどん消えていく。女子の一人が吉岡にプリントを渡すと、教室内はとうとう二人きりになってしまった。場がシーンとしているからなのか、自分と吉岡しかいないからなのかはわからないが、妙に緊張してしまう。
きれいな髪が肩までおりていて、紺のブレザーの後ろ姿は華奢に見える。後ろにいる者の特権で、ここぞとばかりに女子という存在をあけすけに見てしまう。男だから、ふらちな想像すらしてしまう。救いだったのは、目の前の席が一つ空いていたことだ。これが至近距離であれば、荒い鼻息をとどめられていただろうか。
「若山君、最後だよね?」
いすをギッと引き、吉岡が上体を真横に向けてこちらをうかがっていた。吸いこまれそうな瞳と目があう。あう。あうー。うなるように、吠えそうだった。
吉岡ってこんな綺麗な顔してたんだ。この二年間、話したことなんて数えるほどで、意識もしたことなんてなかったけれど。やばい。もろタイプだーって、今になってかよ。ここには二人しかいないからだ。だいたい吉岡に失礼じゃないか。
「最後だよね?」
「は? あ、はい。最後です」
「なんで敬語なの。おかしい」
念押しされていたようだし、敬語になっていたし、笑われたし。なんて挙動不審。女子への免疫力がまるでないみたいだ。実際、ないけど。もうどう思われてしまっても仕方ない。にこやかな吉岡は、椅子から立ち上がってプリントを持ってきてくれた。
「わたしって、こわい?」
「え? 全然。なんで」
「よそよそしいから」
「そんなことないよ。ええっ、そう見えた? ごめん」
「謝らないでよ。若山君って面白いね」
「あんまり面白くはないけど」
「そこが面白いんだけど」
どこがだよー、と突っこみたかったが、ますます墓穴をほりそうで何も答えなかった。ただただ面映ゆかった。からかわれているのか、単なるコミュニケーションなのか、よくわからないというのが正直なところだ。ただ、弟を相手にしているのとはワケがちがうのは明らかだった。
≪つづく≫