小説になれるかなぁ

自作のブログ小説をのんびり投稿していきます♪

連続長編小説 「コンプレックス」 第4章 vol.1

2006-05-30 01:24:40 | 長編小説「コンプレックス」
第四章

   1

 安藤がそうであったように、世間もお盆休みに突入しているらしい。俺にとってみれば、それはただの日常にしかすぎなかったが、ガソリンスタンドには行楽地へ向かう家族連れの車が多くやってくるようになっていて、なんとなくそれを実感していた。
 
 ここにいた三年もの間に、季節の移り変わりの早さというものを肌で体感していた。しかも、その間隔は年を重ねるごとに短くなってきている。いつからか時は確実に加速をはじめていたように思う。それがいつだったかなんてつきとめることはできないけれど。
 一分が五分にも感じられることもたまにあるが、基本的には泣いても笑っても時間は止まってはくれない。きっとこれからもそうなのだと思う。
 
 今日はより子の描いた絵がレストランの看板部分に設置される日である。だが、俺は日中にバイトがあったためにその作業を見届けることはできない。レストランには夕方から赴くことになる。
 
 スタンドでの勤務がおわると、日の落ちかけた太陽に追われながら海岸道路を飛ばし、レストランへ直行した。道中、車のバンパーがいよいよ外れかかっているのか、振動を拾うたびにガンガンと何かを打ちつけるような音をたてていた。明日、安藤と車の修理をしに行く約束をしている。その日の具体的な予定はまだ決めていない。
 
 フロントガラス越しの見慣れた景色にやがてレストランが映りはじめた。向かって正面に見えてくるレストラン。その場所は明らかに新鮮な雰囲気につつまれている。いつも、店の前で高さ十メートルくらいの緑の鉄柱に支えられていたレストランの看板はなくなり、代わりに眩いほどの金色の海と一輪の赤い花火が印象的なより子の絵がそこには掲げられていた。
 
 看板の絵柄が一つ変わっただけで、そこに建っている建物までも真新しく見えるのが不思議だった。ここってレストランだったよな。俺は何度もそう自分に問いかけながら、見覚えのある駐車場に車を入れていた。
 
 車から降りて、より子の絵を下から見あげると今が現実じゃないような気持ちになる。絵のなかの花火がはるかかなたの上空に溶け込んでいくかのような錯覚をおこす。金色の海も、傾き始めた陽に呼応するかのようにますます映えていく。夢のなかにいるみたいだ。現実感をあたえてくれるものは、花火大会のタイトル、日時、そして場所を記したゴシック体の白抜きの文字と、その絵の裏側にもともとあるレストランの看板だけであった。

 より子の絵はついこないだまで手を伸ばせば届くところにあって、俺だってその気になればペンキの一滴ぐらいはキャンバスに染みこませることができたのだ。それくらい身近な存在だった。
 それが今や地上十メートルの高さではあるが、かぎりなく天に近いところに置かれている。手を伸ばしても届かないところへいってしまった。とても遠いもの。より子の絵はその象徴のようなものだった。
 
 より子を誇らしく思う。それと同時に、より子への嫉妬もある。また一つ、あいつの夢がかなった瞬間を見せつけられてしまった。
 視界から看板が見えなくなるまで首をまわし、俺は作業小屋に向かう。小屋に入ると、より子と安藤がいすに腰掛け、明るい表情で談笑していた。二人は俺に気づくと、声をそろえて「おつかれー」と言ってくれた。

「ね、見てくれた?」
 白黒のボーダー柄のカットソー、乳白色のスカートといういでたちのより子が聞いてきた。

「うん、見た。すごかった」
「でしょう?」
「いっそカネを取っちゃえばいいのにと思ったもん」
「うれしいこと言ってくれるじゃん」
「今回は泣かなかったのか?」
「それがさぁ、泣けなかったのよ! でもね、なぜか笑いがとまらなかったの」
「泣く場面を間違えたんだな、きっとな」
「きゃー、それを言わないで!」
 より子はうれしそうな顔をしながら両手で耳をふさいでいる。駐車場で泣いてしまったことは一生の不覚だったと言わんばかりに。すぐに安藤がいじわるそうな笑みを浮かべて
より子の両手を耳からはがそうとしている。

 今日の安藤の服装は、胸元のボタンが大胆に開けられているスレートブルーのポロに、オフホワイトの細身のパンツというものだった。あしもとには銀色のサンダルが光っている。
 安藤はいつになくお洒落だと思う。どこがお洒落って、たぶんそれは服装の選択。ファッション雑誌にでも載っているような服がいい。でも、今日もふくらはぎが露出されていなかった。ジーンズやパンツを履く安藤は、ロングスカートは履いていた頃よりもそのガードを堅くしているように感じられる。

 より子が「智子のバカヂカラ!」とくやしそうな声をあげた。安藤がより子の両耳から手をはがすことに成功してにんまりと笑っていた。俺はふと机の上に銀色のデジタルカメラが無造作に置かれているのに気づいた。そういえばあの絵を写真に残したのだろうか。

「写真とったのか? あの絵の」
「うん。昼間に設置されたときに少しね。夜にもまた撮ろうと思ってるの。夜は絵がライトアップされるじゃない? きれいだとおもうんだ。あ、昼間に撮ったやつ見る?」
 より子はそう言うと、俺にデジタルカメラを渡してくれた。「右矢印のボタンを押していったら順に見られるよ」と操作方法も教えてくれる。言われたとおりにボタンをピッピと押していくと、四センチ四方の液晶画面に、青いクレーン車によって絵がつりあげられてから看板部分に設置されるまでの様子が次々と表示されていった。黄色のヘルメットをかぶった四人ぐらいの作業員が看板の周囲に組まれた足場に立ち、ワイヤーで吊られた絵を慎重に取り扱っているのがわかる。レストランがバックに映っているそれらの写真を見ると、新装開店のための工事をしているようにも見えた。

 より子たちが写っている写真もあった。二十四枚目の写真には、緊張感のある作業風景を背後に、より子と安藤が黄色いヘルメットをかぶり、ピースサインをしてにっこり笑っていた。俺はそれを見ておもわず鼻息をもらしながら笑ってしまった。最後の写真なんかは花火大会の製作委員の人なのだろうか、背広を着てぎこちない笑顔で絵の方を指さしている。おそらくより子にポーズを強制されたに違いない。

「なによ。面白い写真でもあったの?」
「いやいや。けっこう大掛かりな作業だったんだなあってね」
 俺はニヤニヤしながら答えていたと思う。

「あんたも夜に撮ってあげるよ」
「はは。ありがとう」
 俺はそれからもしばらく写真を繰り返し見ていた。その間、より子と安藤は最近観た映画について話をしていたようだった。

「ね、時間あるからさ、みんなで夜ご飯食べない?」
 壁に掛けられている鳩時計がちょうど七時になろうとしていたころ、より子が提案をしてきた。
「あ、いいかも、いいかも」
 安藤がパンと手を合わせて賛同する。より子は俺にどうする? という視線を送ってきた。
「いいよね?」
「ああ。べつにいいよ」
「じゃ、いこうか!」
 より子は血色のよい顔をさらに輝かせていた。気づけば彼女のペースにぐいっとひきこまれている。彼女と触れあえば、誰もがハッピーな気分になれるような気がする。

 俺たち三人は、空と海原が見わたせる席で夕食を食べた。メニューは三人とも一緒で、えびやイカ、そして貝柱が玉ねぎやサヤインゲンとともにあふれかえっているシーフードカレーだった。なぜかここではカレーを食べることが多い。
 
 より子はここでも明るくおしゃべりをつづけていた。安藤はときどき相槌とやわらかなつっこみをより子にいれ、俺に同意をもとめる。俺はうなずき、意見を少しはさみ、水を飲む。たいくつという言葉が見当たらない三角の輪がそこにはあった。

 その間に夕陽は地平線にどっぷりと沈んでいき、空はどこからか月と星をはこんできた。そして必要なだけの雲を風かなにかでただよわせて夜がやってくる。眼下に見おろせる海はただその変化を見守っていた。早送りをされたような夏の夜のできかただ。
 俺はより子と安藤といる今年の夏が本当に早く過ぎていくと感じていた。何かの終わりに近づいているような、そんな気がしないでもない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第4章 vol.2

2006-05-29 12:55:38 | 長編小説「コンプレックス」
   2

 レストランから外にでると、ボタンを開け放った半袖シャツがやわらかな風をうけてひらりとめくれていた。さわやかな涼しい風。夏ももう終わりに近づいているのだろうな、と感じられた。
 俺たちは看板の下でおもいおもいの表情で絵を見あげていた。絵は二つの白いライトによってライトアップされている。
 
 空と赤い花火と金色の海は、深い紺色の夜空をバックにしているせいかスクリーンに浮かぶ映像のようであった。一時停止を解除されるのを待っている静止画像のようでもあり、今にも音を立てて金色の波がうごめき、花火といっしょに飛びだしてきそうだった。それほど躍動感にあふれていたのである。

「すごーい。波がきらめいて見える」
 より子がデジタルカメラを持ったままの右手で絵を指さす。金色の海は小さな波が幾層も存在し、それらの波の盛り上がった部分に、ちりばめられたようなちいさな光が燦然としているのがわかった。そういえば、さっきから見る角度を変えても視線をまんべんなく行き渡らしても、虹色のような光が色をかえながら輝いているような気がしていた。
 
 俺が夕方に見たときにはまったくわからなかったその密かなしかけ。製作中にだって、絵が完成した時でさえ気づかなかった。いつのまにこんな手の込んだことをほどこしたのだろう。

「なんであんなに光るんだ?」
 俺はたまらずにより子に訊いてみたが、より子は安藤とともに絵を見ることに夢中になっていた。俺の声は届いておらず、安藤となにやら話しつづけている。

「ラメの入った特殊塗料が効いてると思わない?」
「うん。それに想像していたよりもきれいだよね?」
「ねえ。びっくりだわ」
 安藤とより子は実際に定点観測をしているように目つきが真剣だ。俺は仲間はずれにされたみたいで少しさびしかった。めげずに声をかけてみる。

「その特殊塗料っての、いつ塗ったんだ?」
 あ、なんか言ってたの? という顔でより子と安藤が俺を見る。ひさしぶりに俺の存在を認識したようだった。

「専門学校の先生に見せに持っていった時だけど。あんた知らなかったっけ?」
「俺の車を借りていった日?」
「うん、そう」
「じゃあ知らないな」
 より子はたいした質問でもないと感じたのか、すぐにまた絵を見上げていた。しかし、安藤のほうは一瞬だけ表情をかたまらせたように見えた。俺は安藤のその様子がすごく気になった。

 ひょっとして、俺の「車を借りていった日」というせりふに敏感に反応してしまったのだろうか。そう考えると、俺でさえより子の細い腕をつかんだ手のひらの感覚が、いまでもあざやかによみがえってくる。お互いに何らかの精神的な禍根をあの日に残しているのかもしれない。
 より子はひとしきり絵を眺めると、フラッシュを光らせながら写真を撮りはじめていた。

 安藤が撮影中のより子を邪魔しないようにその場からすっと離れ、俺の方へ歩いてくる。かつかつというその足音は、大人の雰囲気がただよいはじめた今の安藤に似つかわしいものだった。俺が出会ったころの安藤のままであれば、きくことはできなかったであろう。
 安藤は俺の目の前に立った。俺をまっすぐ見つめる眼鏡の中の瞳。さらさらと風にゆれる長い髪。

「明日の予定どうします? 車ってすぐ直りますか?」
 俺にだけわかるような小さな声だ。

「そういや、決めてなかったよな。んーと、板金屋に車を持っていって修理を頼んでも一日じゃ直らないし、車は預ける形になるんだ。でも代車を借りられるし、普段の足には影響はでないよ。まあ、時間はかなりあまるね」

「あ、そうなんですか。じゃあ、残りの時間はどこかいきます?」
「遊びにいくってこと?」
「あ、はい。だめ、ですか……?」
「いや、だめなことはないよ」
 俺は安藤と中途半端な付き合いをするのはどうなのだろうと思っていた。でも、俺はこの気持ちを表情にあらわすまいと努めて平静をよそおった。

「行きたいところはありますか?」
「特にはないけど、安藤はあるのか?」
「私も特にはないんですけど……。すいません、自分が言いだしといて」
 安藤は視線を下にやった。安藤は気をつかって予定を埋めようと考えていたのだろうか。しかしどちらにしろ、車を直しにいってそれで解散というわけにはいかないだろう。

「ちょっと、あんたたち。何コソコソしてるの? 写真撮るよ」
 俺たちの止まってしまったような気まずい空間は、より子の声によって救われ、動きはじめた。「うん。わかった」と安藤がより子にふりかえる。安藤はより子のもとへ歩きだしながら俺を見た。

「帰り、車の中で話しましょうか?」
「あ、ああ。そうしようか」
 俺はとりあえず安堵した。それから俺も安藤の後を追うようにより子のもとへ向かった。安藤の華奢なうしろ姿。あの細身のパンツの中につつまれているものがどうしても気になってしまう。

 俺たちは絵のまえで個人の写真と二人ずつの写真を順番に撮り、最後に三人一緒の写真を、レストランに入るお客さんにたのんで撮ってもらった。自分の写真なんて最近撮ってなかったなあ、なんて思いだしていた。被写体になったりそれを撮ったりするのがちょっぴり楽しかった。

「あーあ。この絵の写真、あのがんだむオタクに見せてやりたいわ」
 より子がデジタルカメラの液晶画面で画像をチェックしながらはがゆそうに言った。「がんだむオタク」とは、むろんより子の彼氏のことだろう。その口調は強い願望というよりも、皮肉っぽい気持ちが含まれているようだった。自分はこれだけのことをしているのに知らないなんて気の毒だと言わんばかりだ。俺はそのあけすけなより子の言動にかなり動揺してしまった。

「メールで送ってあげればいいじゃない」
「いやよ。返事をぜったいよこさないんだもん、あのばか」
 安藤の進言に対しても、彼氏のことを想っているからであろうこその口の悪さできりかえす。より子は彼氏のことを好きでいつづけているんだ。気にはしたくなかった、でも避けては通れなかった事実。こんなところでも再認識させられてしまうとは。

 明日は安藤と二人きりで一日の大半を過ごすのだろうけど、本来はより子とそういうことをしていなくちゃいけないんだと思った。何をいまさら、だけど。

 俺たち三人は別れ際に、いよいよ来週にせまった花火大会に向けての予定を確認した。当日までにおこなう活動には花火大会の製作委員会と協力して、会場となる砂浜の清掃や会場の設営をすることなどがあった。より子も安藤もこの夏は帰省をしないで、それらの準備に全神経をそそぐという。

 深夜、安藤を車で送っている間も、俺はどこか気がそぞろだった。安藤が何か予定を提案しても、気の乗らない感じで生返事をくりかえしていた。安藤はそんな俺の様子に特に何も言わなかった。結局、昼食を共にすることだけは決まり、それからのことはその時に考えようということになっていた。
 
 突然、ぶあっという音とともに、生ぬるい風がいきおいよく車内にはいってきた。安藤が窓をあけて、つまらなそうに外を見ていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第4章 vol.3

2006-05-28 01:11:19 | 長編小説「コンプレックス」
   3

 翌日はすこぶる快晴だった。信号待ちの車の中ではそれをより実感できる。白い太陽が飽きもせずに地上を照らしつづけ、道路には陽炎がめらめらと立ち昇り、窓を五センチも開ければ街路樹から蝉の懸命な鳴き声がきこえてくる。
雨でも降っていれば、きのうからひきずっていた憂うつな気持ちを少しはごまかせただろう。だがこの天気ではそれもむずかしそうだった。
 
 俺は十時に安藤を迎えにいった。安藤はすでにアパートの前で待っていて、俺の車に気づくと、きのうのつまらなさそうなそぶりがうそだったかのように、笑顔で小さく手をふってくれた。水色と青のボーダー柄のポロシャツ。うすい青のローライズジーンズ。銀色のサンダル。今日のような天気にぴったりの涼しげなかっこうだ。ニューヨークヤンキースのロゴが入った黒のTシャツにチノパン、という気合の入っていない俺の服装がまぬけに思えてくる。

「おはようございます。これ、渡しておきますね」
 安藤は車に乗りこんでくるやいなや、茶色の革のトートバックの中から茶封筒をとりだしてきた。封筒をつかむ安藤の指には濃い青のマニキュアが塗られていて、どきっとすると同時に、思わず色っぽいなと思ってしまった。
 受けとった封筒にはうっすらと厚みがあり、すぐに札が入っていることがわかった。

「まだいいよ。それに今日払うとも限らないし」
「でも、かっこ悪いでしょう? 支払いの時にお金を渡されるのって」
「それは、そうだけど。中にいくら入ってるの?」
「十万円です」
「……そんなに? じゃあ、なおさら持っててよ。落とすかもしれないし」
 弁償させるのがやっぱり悪いような気がした。たとえ修理代が十万円に満たなくとも、大金であることに変わりはない。そんなお金を用意させてしまった自分が、なんだかいやだった。

「わかりました。言うとおりにします」
 俺の浮き足だつ気持ちを知ってか知らずか、安藤は素直に封筒をバックの中にもどしていた。そのとき、安藤のほうからふうわりといい匂いがした。香水なのだろうか。それにしては甘ったるくもくどいかんじもしない。風呂上りに体から香る、リンスやボディーソープの匂いにちかい。

「じゃあ行きましょうか」
「あ、うん」
 俺は鼻をひくひくさせていたのを慌ててやめ、安藤にうながされるかたちで車を発進させた。走りはじめてからも自然にあの匂いがして、俺はそれをかぎながら何だかリラックスしていた。憂うつをおくびにも表さないように注意をはらっていたのが、はるか昔のことのように思えてくる。安藤はラジオから流れる洋楽にあわせて、ときおりうなずきながら楽しそうにハミングをしていた。
 
 車を板金屋に持っていったころ、天気はやや曇りがちになっていた。窓が開けはなたれ、あまり空調が効いていない修理工場の出入り口付近から空を見やったときに気がついた。厚そうな灰色の雲のかたまりがゆっくりと流れていき、太陽はときどきそのすきまから顔をのぞかせている。気温はほんの気持ちていど、下がったかなとは感じるものの、額や胸元にうかんでくる汗の存在がその感覚を否定する。しかし、不思議と気持ちはしずまない。
 
 ハンマーで鉄をたたく音や、グラインダーのかまびすしい音が交錯する中、俺たちは軽トラの前で従業員に見積もりをだしてもらっていた。事故の衝撃で外れかかったバンパー、割れてしまったウインカーのランプカバーは破損状況から部品交換となり、車体の左前面のへこんだ部分は板金作業と塗装で仕上げることになると説明された。修理代は七万から十万円の間になり、さらに代金の支払いは納車時でかまわないと言われたので俺と安藤は思わず顔を見あわせていた。
 
 今日はお金を用意しなくても良かったんだ、と互いに拍子抜けしたところがあったのだと思う。「このあと、大金を持ち歩くのはちょっとこわいですねえ」なんて安藤は笑顔で言っていたが、俺としては安藤からまたお金を渡される場面を迎えなければならないことに今から気がねしていた。
 
 修理期間は工場の混み具合に左右されるが、五日から七日かかるそうで、その間の代車を無料で貸してもらえることになった。代車は少し古い型の銀色のファミリアだった。
 俺たちは乗りなれないそのセダンで修理工場をあとにした。いつも軽トラばかり運転しているせいか運転席からの視界の高さが低いな、と感じる。乗り心地も軽トラよりもかなり良く、何よりも体がふわふわ浮かない感じが新鮮だった。
 
 車内のデジタル時計の表示は十二時十分。俺たちは走りながら今日のこの後の予定を具体的に決めていた。またしても安藤の提案によって、昼食を郊外のショッピングモールでとり、そのままそこでブラブラしようということになった。優柔な態度を見せる俺に、安藤はいつも文句一つ言ってこない。俺は何だかその空間が心地よかった。

 しだいに晴れ間がのぞくようになった上空。エアコンの風量を一段階あげると、冷風が足もとに強くふきつける。「ちょっと強すぎる?」と安藤に聞くと、「あ、いえ。大丈夫です。今日は暑いですからね」と気にしていないようだった。でも、俺は安藤がジーンズのふくらはぎの裏の部分をぎゅっとつかんでいたのを見のがさなかった。
しばらくしてからさりげなく風向きを変えてみたが、安藤はジーンズからなかなか手をはなさなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第4章 vol.4

2006-05-27 00:42:46 | 長編小説「コンプレックス」
   4

 三十分ぐらい走ると、造成中の団地へとつづく坂道の並木通りが行く手に見えはじめた。通りには十五メートルくらいのにせアカシアの高木が並び、小さな白い花と緑の葉がゆれている。そこを上りきると、今度はT字路を右に曲がる。そのまま道路沿いの看板に従って進むと、安藤の言っていたショッピングモールが正面に現れてきた。
 
 うすいピンクの外観が印象的なその建物は、南北に三百メートルほどもつづく巨大なものだった。黒光りのする広大な駐車場には、平日の盆にもかかわらず多くの車で埋まっていて、警備員が誘導のために忙しく働いている。
 
 建物の中は五階建ての吹き抜け構造になっていた。和洋中のレストランが集合している一階のフードスペースをのぞけば、主にファッション関係の店舗が多く入っているらしく、ブランドらしき名前の入った紙袋を持って歩く若い女性の姿があちこちで見られた。
 
 俺と安藤はこんな暑い日には熱いものを食べようと意味もなく盛りあがり、一階のフードスペースにあるさまざまなレストランを見てまわった。掲示されているメニューやロウでできた見本を吟味しながら、「やっぱり、さっきの蕎麦屋かな」と俺が言うと、「珍しいですね、貸川さんが提案するなんて! いいですよそこで」と安藤に妙な賛同をされてしまった。
 
 安藤と連れだってお目当ての蕎麦屋にひきかえし、「宝来」と書かれた藍染の暖簾をくぐった。店内は古い民家のような内観で、梁と束によって構成される木の骨組みが圧倒的な存在感をかもしだしている。昼時で多少客は多かったものの、俺たちは従業員の案内で一番奥の二人がけの席に腰をおろすことができた。

「何にする?」と安藤に聞くと、「貸川さんと同じものでいいですよ」と返してきたので、二人して月見そばを食べることにした。俺たちは鼻の頭に汗をかきながらも黙々とそばを食べつづけた。俺は汁をテーブルに散らしながら早々に食べ終わってしまい、冷たい水を飲みながら安藤のようすを見ていた。

 長い髪の毛が器のなかにはいらないように、髪をかるく束ねて右耳のうしろへかける安藤。それを左手で抑えながら顔をすこしかたむけ、利き手の右手でそばを口にはこぶ。その動作はとても上品なものだった。

「食べるのがおそいですね、わたし」
俺に気をつかっているような安藤は、食べるスピードをあげようとしていた。

「俺がはやいだけだから。気にしないで、ゆっくり食べて」
「すいません」
 それでも安藤は俺の言葉に反するように、急いで食べようとしている。まじめなんだなと思うのと同時に、自分の気持ちを抑えつけて我慢するという安藤の一面が強くでているんだなと感じていた。瞬間的に月明かりの下でパンツの裾をぎゅっとつかむ安藤の姿が思いだされる。安藤の聖域。安藤といると何とはなしに、いつのまにかそれを意識させられてしまう。はやく冒してしまわないといけないのに。もう何度も思ってきたことだ。

「そんなに見つめられると照れますね……」
 安藤は俺の一直線の視線にとまどっていたようだ。それから安藤は残った汁を何とかのみほして、「ごちそうさま」と言った。そして顔の汗を水色のハンカチでていねいに拭い、しきりに髪を気にしながら水を飲む。さらには化粧を直しにいくのか、「お手洗いにいってきます」と席を立ってしまった。俺は安藤が落ち着くのをしばし待つことにした。

 蕎麦屋をでてからは、ブランドメーカーが入ったブティックを中心に、時間をかけてゆっくりと回った。ほとんどの店が女性向けの服やアクセサリーを取り扱っていて、それほどファッションに興味がない俺にとっては、それらの価値があまりわからなかった。でも、安藤が「あっ、これかわいい」と声をあげては目当ての品物に駆けよっていくのを見ていると、それが安藤の知らない一面だと感じられてたいくつはしなかった。

 安藤はTシャツやタンクトップ、そしてポロシャツなどには興味を示していたが、パンツや殊に裾が膝下ぐらいまでのスカートには見向きもしなかった。ふくらはぎが露出するスカートにはやはり抵抗があるのだろう。俺は安藤がそんなスカートをはいたらどんなだろうと想像していた。

「女性のファッションで、貸川さんが好きなのはどんなのですか?」
 安藤が品物に目をやりながら俺に聞いてくる。今の俺のこころの中をのぞいていたかのようなタイミングだ。

「俺? 俺はファッションにあんまり興味がないからなあ。本人に似合っていればなんでもいいんじゃない?」

「でも、こういうのはぜったいだめ、っていうのはあるでしょう?」
 安藤はどうしてもききたいようだった。無難なこたえで逃げようとしていた俺ははたとして困ってしまった。なんとなくスカートを採りいれたかんじが好きなのかな、とは思えた。ぜったいだめっていうのは……。しいて挙げればアンクルソックス? っていう、くるぶしが見えてしまう短い靴下をはかれると生理的に受けつけないのかもしれない。靴下をはいているように見えない、そのにえきらない感じがちょっと苦手なんだと思う。

 でもそのことをうまく表現する自信がなかったし、好きなスタイルの方を答えるにしても、それは安藤の聖域に忍びこむことと同意である。平穏だった今日これまでの流れを断ちきるようで、どうしてもためらってしまう。

 俺は逡巡しながら、のどもとまで押しよせてくる無数の台詞を精査することがしだいにできなくなっていた。すると、その中から不運にも選択されてしまった台詞が口をついてでてしまった。

「スカートが好きなんだ」
 体をぴくん、と反応させる安藤。なんて断定的な言い方をしてしまったのだろう。俺が安藤の聖域をねちねちと揺さぶりはじめたのは確実だった。安藤がまた助手席から飛びだしていってしまいそうな感覚がよみがえる。もうあとにはひけない。

 安藤は左手の指先で、棚に整頓して積みあげられていたモスグリーンのタンクトップをなでるようにさわっていた。しかし、指先に意識を注いでいるようには思えない。何かを探りとろうとしている瞬きのない目が、それをものがたっている。

「どんなスカートですか? ミニとか、ロングとか、いろいろあるじゃないですか」
 安藤の指はゆっくりと動きをとめた。俺を見ることのない彼女の横顔。そこにむかって、「膝丈ぐらいのスカート」、そう言えたとしても、理由を聞かれる前に逃げだしてしまいそうだ。

 俺は安藤が助手席から飛びだすずっと前から、あらかじめ彼女の腕をつかんでおくような、そんなずるいことしかできそうになかった。

「こんなの。こんなかんじのやつ」
 俺はタンクトップが積まれていた右となりに目をやった。ハンガーにかけられたいくつかのスカートがあり、その中から膝丈ぐらいのスカートで、適当なものに手をかけていた。手につかんで夢中で引っぱりだしたのは、深いスリットのはいった純白のスカートだった。

 こんな太ももがちらちら見え隠れしそうな大胆なスカートをはかれたら、男はまずまちがいなく悩殺される。これでは自分がエッチな男だと公言しているようなものではないか。だがすでにひっこみがつかなかったので、それを安藤の体に押しあててみた。

「こんなかんじ」
 安藤の下半身の前で、白いスカートが落ち着かないようにゆらめく。自分の手が震えているのだとわかった。

「これは、ちょっと……。大胆すぎますね、わたしには」
 そうだろうな、と思った。
 手の震えがみじめに思えてくる。自分のぼろを取り繕うための行動が、さらなるぼろを生みだしていた。でも、安藤は困った顔をしてはいたものの、俺への警戒心をすこしずつ解いているように見えた。俺のとっさの行動は、安藤の心情を気圧するようなものではなかったのだろうか。

 安藤はスリットの部分に手をやり、「こんなに開いてるんですよ?」と恥ずかしそうに俺の顔をうかがってくる。彼女はスカートの丈ではなく、スリットに関心をもっていたのだ。自分の顔がかあっと熱くなる。

「つまり、こんなかんじですよね?」
 安藤は俺の手をとり、近くにあった全身が映る鏡の前までくると、今度は俺の体にそのスカートをあててきた。鏡に映ったその姿は、気弱なおかまみたいだった。安藤は声をあげて笑っていた。

「なんかおかしいですね」
「わ、笑うなって」
 安藤はすぐに「ごめんなさい」とあやまってくれたが、何度となく俺にスカートをあててきたので、俺はそのスカートをとりあげてもとの場所にもどした。

「ごめんなさい。怒っちゃいました?」
「別に」
「怒ってますね。ごめんなさいね」
 怒ってはいない。恥ずかしくてこの場にこれ以上いられないだけだ。俺は安藤を置いていくように、足早にその店をあとにした。おくれて、安藤のサンダルの音がおいかけてくる。俺を二、三歩追いこした安藤は、腰の後ろに両手をまわしてバックを持ち、くるりと俺の方を向いた。彼女は俺の顔をのぞきこみながら、そのまましばらく歩いていた。







              あぁぁぁ



ごほっごほっ!sa12colorです。


とうとう連続投稿がとぎれてしまいました
自分でも信じられない勢いで、執筆中に爆睡してしまったのです
目覚めると朝方4時。ここはどこ和菓子は誰?状態で・・・、そのまま二度寝までしちゃいました

待っていらっしゃる方が、それでもいたかと思うと(実情はいないのですけれど)心苦しいのですが、、、
皆さん!カラダガ資本ですよ!と、とりあえず叫ばしてください
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第4章 vol.5

2006-05-26 01:58:27 | 長編小説「コンプレックス」
   5

 ぶらぶらしていた、という言葉がぴったりあてはまる午後のひととき。俺と安藤はほとんどの店をまわり終え、何も物を買わないまま、これからどうしようか、と話をしていた。そのうち一階に降りてきて、中央付近にある「憩いの場」に導かれるように行くと、噴水のまわりに並べられていた白いベンチの一つに二人ですわっていた。俺たちの背後ではじょぼじょぼという水の音が絶えまなくきこえていた。

「疲れました?」
 俺の左隣にすわっている安藤はバックを俺との間に置き、まっすぐのばした両腕をベンチについて、背すじをピンとさせながら言ってくる。

「いいや、大丈夫だよ。そういえばいま何時だろう?」
 俺がチノパンのポケットから携帯をとりだすと、液晶画面に安藤が顔を近づけてきた。

「三時……、二十三分?」
「だね」
「映画でも観ますか? もう遅いかな?」
「ここ、映画館が入ってるの?」
「はい、五階にシネコンが入っているみたいですよ」
「いま面白いのやってる? 最近の映画はよく知らないんだけど」
「貸川さんは邦画と洋画のどっちが好きですか?」
「面白ければどちらでも好きだよ」
「じゃあ、邦画だったら『星になった少年』なんか面白いかも。日本人の像使いの実話を基にした映画なんですけど。洋画だったら『宇宙戦争』とか。これは地球が宇宙人から攻撃される映画ですね」

「ふーん。安藤はどっちがおすすめなの?」
「貸川さんが観たい方でいいですよ。あっ、本当に観るんだったらですけど」
「じゃあ、とりあえず五階に行ってみようか。チラシとか看板とか見て、面白そうだったら観よう」
「そうですね。そうしましょうか」
 俺たちは上りのエスカレーターに乗ってシネコンへ向かった。俺たちは五階に上がるまで、自然と同じステップに乗っていた。上階へ上がるたびに繰り出す一歩目の足も二人ともなぜだかきれいにそろっていて、それはなんだか気持ちがよかった。

 五階のシネコンのチケット売り場の前に着くと、さっそく上映する映画のラインナップと上映時間をチェックしてみる。安藤が言っていた二つの映画は上映をしていたようなのだが、どちらも最新の上映時間が十五時十分からとなっていてすでに始まっていた。次の上映時間は十七時四十分となっている。俺と安藤はほぼ同時に「ああ……」とつぶやいていた。

「観るんなら、始めから観たいよな?」
「そうですね。でも、あと二時間以上も待てませんよね?」
「そうだよなあ……」
 どうしたものか。
 いろいろな思いをめぐらせるが、言い考えは浮かばない。いつのまにか俺は映画の宣伝用の看板にじっと見入る安藤を眺めていた。しばらくして安藤がこっちを向いた。目と目が合い、それから長いこと見つめあっていた。安藤はどこかものほしげな顔をしている。まわりの雑音がしだいにおそく、とおくなっていった。二人だけの空間がその場から切りぬかれたように。
 
 しかし安藤の肩が通行人の肩とぶつかると、覚醒されたような感覚は消え、再び周囲の音がはっきりと聞こえるようになった。

「とりあえず、あきらめようか?」
 俺が提案すると、安藤は静かにうなずくだけだった。俺が歩きだすと安藤は遅れずについてきて、やはり何も言わなかった。
 
 俺の中ではこのまま帰るのがなんだか寂しい気もしていた。今日が来るまでは、安藤と中途半端な付き合いをすることに少なからず抵抗感があったのに、そんな感情が生まれてくるなんて予想もできなかったことだ。なんでなんだろう。安藤も同じ気持ちなのかな。

 安藤はうつむきぎみに歩き、バッグを左右の手で交互に持ちかえながら、ときおり髪に手をやっていた。俺たちの前方は急に人の数が多くなって混雑していた。大道芸人が全身を銀色に塗って銅像になりきるという芸を披露しているらしく、その見物人であふれていたのだ。安藤がそのパフォーマンスに特に関心を抱いていなかったようなので、俺はその雑踏を突き抜けることにした。

 その時、安藤が俺の左手首をぐっとつかむのがわかった。俺は一瞬どきっとしたが、安藤の方をふりかえる余裕もなかったので、そのままの状態で歩きつづけた。いつかも感じたことのある安藤のやわらかな手のひら。しっとりとからみついているようだった。

 雑踏を突き抜けてもしばらくの間は手首をつかまれたままだった。この状況がいつまでつづくのだろうと思い始めたころ、CDショップの前あたりで安藤は手をそっと離した。俺が思わず足を止めてしまうと、安藤は俺を少し追いこしてから立ちどまった。そして、そのままくるりとふりむき、「どうしたんですか?」ときいてくる。

 俺は安藤が手を離したことになぜかショックを受けていたのだと思う。安藤は俺とはぐれないために俺の手首をつかんだだけであって、そうする必要がなくなったから手を離しただけなのに。
 何を動揺しているのだろう。

「帰るか?」
 俺は本心ではないことを言っていた。本当はこのまま帰るのが寂しいはずなのに。安藤はあきらかに、えっ、もう? という顔をしている。迷子のお知らせをする館内放送が、その場を風のようにとおり抜けていく。二人は向きあったまま、互いの顔に視線をそそぎつづけていた。

「帰るのは、ちょっとさびしいな……」
 かかとをそろえた安藤が、両手で持ったバックをひざにぽーんとあてている。全身からさびしさがにじみでている。こういうとき、何て声をかければいいのだろうな。俺は頭をぽりぽりかくしかなかった。

「あっ!」
 とつぜん、安藤がCDショップの前に見本として陳列されていた、映画のDVDソフトの一群を指さしていた。安藤はそのまま小走りに駆けよっていくと、陳列されていた中から一枚のDVDソフトを手にとり、興奮したようすでそれを俺に見せた。

「オーシャンズトゥエルブ! もうDVDになってたんですね。知らなかったぁ」
「なにそれ? 洋画?」
「はい。あー、すごく観たくなっちゃった。貸川さん、DVDプレーヤーって持ってます?」
「いや、持ってないけど。あ、でもプレステ2なら持ってる。あれってたしか、DVDが観れたような。じゃなかったっけ?」
「あ、じゃあ観れますね! 観ましょう、観ましょう。ちょっと買ってきますね」
 安藤は俺の返事を聞かないまま、CDショップの中に入っていった。観ましょうって、俺のアパートで? 俺は自分と安藤がその場所にいることをすぐには想像できなかった。 しかも、安藤は俺の都合ってものを気にしないでいるし。
 
 俺が事態をよく飲みこめないでいるうちに、うれしそうな安藤がかるい足取りで帰ってきた。彼女は「じゃーん」と言うと、紺色のビニール袋の中から一枚のDVDソフトを取りだした。DVDのパッケージには「OCEANS TWELVE」というタイトルと、たくさんの外人の俳優達の姿が確認できる。
 
 オーシャンズトゥエルブ。ということはシリーズ十二作目。つまり、この前には十一作のオーシャンズがあるってことだろう。途中から観ても話のつながりがまったくわからないような気がする。

「おもしろいのか、それ?」
「おもしろいですよ。公開されたときに映画館で観たんですけど、前作よりも格段にスケールがアップしていてすっごく興奮しましたもん」
「俺さ、オーシャンズのワンからイレブンまで観てないんだけど大丈夫かな?」
「やだ、シリーズの一作目がイレブンなんですよ。トゥエルブはイレブンの続編ですけど、予備知識なくても十分楽しめると思いますよ」

「あ、そうなの」と言いながら、俺は納得するフリをしていた。イレブンが一作目? 本当は何もわかっちゃいなかった。

「で、俺のアパートで観るって?」
「はい。今日はもう他に行きたいところもやりたいこともないでしょう?」
「まあ、ないけどさ」
「決定ですね」
 安藤はそう言うと、ビニール袋の中を覗きこみながら、俺を置いていくように先に歩きだした。安藤はときどき積極的になることがある。自分の主張をためらうことなくストレートにぶつけて。安藤がいつもそうだったら、別人に思えてしまうだろう。でも、俺はそんな安藤もいいなとほんの少し思えてしまった。俺は安藤の右のふくらはぎの部分を見つめながら彼女を追った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第4章 vol.6

2006-05-25 01:35:24 | 長編小説「コンプレックス」
   6

 ショッピングモールからでると、どんよりした上空からびっくりするような大雨が落ちていた。おまけにむしむしした暑さで、吹きつける雨まじりの風もあたたかい。俺は安藤を雨がしのげるショッピングモールの入り口に待たせておいて、急いで車を取りに走った。

 俺のアパートに向かうにつれて、空はますます暗くなり、雨足は激しさをまし、ときおり雷も光っていた。車内ではフロントガラスをたたく雨の音と、いそがしく動くワイパーの音がうるさく、ラジオをつけて気をまぎらわそうとしてもよけいに騒々しくなるだけだった。だから最後にはラジオも切ってしまった。

 安藤はたくさんの水滴がついた助手席の窓を黙って見ている。この天気ではさすがに気持ちも曇ってしまうのだろう。しかし、しばらくしてから安藤がこの天気に気分をふさがれてしまったのではないことがわかった。いつのまにか静かな寝息をたてるようになっていたのだ。

 首をこてん、と窓の方にかたむけ、バックを抱いたままねむる安藤。安藤の方がよっぽど疲れていたのだろう。俺はこのあと、自分のアパートの部屋で映画を観るのはやめておこうと思った。行き先を安藤のアパートへと変更した。

 安藤は彼女のアパートに着くまでねむっていた。安藤をゆさゆさと揺らして起こす。はっと目覚めた安藤は「ごめんなさい、寝ちゃいました……」と申し訳なさそうに言った。それからしばらく髪をととのえてから、「あれ、ここ私の家? 貸川さんのアパートに行くんじゃなかったっけ」と狐につままれたような反応だった。きょとんとした安藤の寝起きの顔。当然ながら、状況をよく把握できていないようだった。

「今日はやめとこうと思って。安藤は疲れてるみたいだし。また今度、一緒に観ようよ」
 俺はていねいに言ってみた。安藤はすこし、驚いたような顔を見せていた。

「……そうですか。じゃあ、今度にしますか?」
「うん」
「でも、約束ですよ。ぜったい一緒に観ましょうね」
「うん。約束する」
 そこまで会話すると、まだ雨の落ちる中、安藤は助手席のドアを開けていた。そして、降りぎわになってもう一度、俺の顔を見つめた。

「気をつかってくれてありがとうございました」
「ああ、うん」
「今日はデートみたいで、本当に楽しかったです」
 安藤は恥らったような笑顔だった。そして「おつかれさまでした」と言うと、アパートの玄関先まで走っていった。俺と安藤は手をふりあいながらわかれた。
 俺の耳には安藤の「デートみたいで」、という言葉がいつまでも残っていた。

 デートみたい。つまり、男女の交際みたい。さらにいえば、男女の好きな者同士の交際みたい。いや、どうもちがう。男女の仲間同士の交際みたい、だろう。俺と安藤はそうじゃなきゃおかしい。でもそうなると、「みたい」がよけいになるか。

 より子のことなんか、微塵も思いだすことはなかったし、純粋に安藤とのふれあいを楽しんでいたとは思うけど。けど、デートみたい、とまでは思えない。
 車内には安藤の香りがしばらく残っていた。なぜか、濃密な一日が終わろうとしていると感じられた。《第4章・完》
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第5章 vol.1

2006-05-24 01:17:21 | 長編小説「コンプレックス」
第五章

   1

 花火大会に向けての準備が急ピッチで進んでいた。
 準備は主に日中に行われていたが、俺はバイトの都合でそれを手伝うこともできなかった。そこで夕方以降であっても、会場となる砂浜のごみ拾いをして微力ながらも何かしら貢献しようとがんばっていた。日中にバイトの時間を集中させたシフトがあまり役に立っていなかったのは、なんだか口惜しかった。
 
 国道に面した会場の入り口には、合成樹脂製のパイプで組み上げられたアーチ状の入場ゲートが設置され、会場内には来賓用の白いテントが五つほど建てられていた。そしてその砂浜のとなりのレストランには、会場を見おろすかのようなより子の絵が異彩を放っているのだった。夕陽に染められてますます黄金色が強調されるその絵を毎日見あげていると、そういえばこの看板もいつかははずされるんだろうなあ、とすこしせつなくもなってくる。
 
 本番が四日後に迫っていた水曜日の夕方、俺はいつものように砂浜のごみ拾いをすませると、保安関係上、監視が必要な危険区域場所に、進入防止用のロープをはりめぐらす作業を花火大会の製作委員会の方々に混じって行っていた。安藤は珍しく、「遅れます」とメールを入れてくれていたが、その理由はわからなかった。
 
 男手がものを言った作業を終えると、心地よい疲労感が体中に充足していく。それはとてもすがすがしい。赤と紫に染まる夕空を眺めながら足を投げだして砂浜にすわると、その感覚はさらに倍増した。

「おつかれ」
 背後で懐かしい声がひびいた。水色のTシャツ、デニム地の短パンのより子だった。これまでもそうであったように、より子とは彼女がバイトを終える夜十時か十一時以降にしか顔を合わせる機会がなかった。それに、たとえその時に言葉をかわせてもより子は疲労の色が濃く見え、何よりもすぐに帰らせてあげたいという感情が先にたってしまっていた。

 より子はビーチサンダルをぺたぺたと鳴らしながら俺の右隣までくると、そのままひざをかかえるようにしてすわった。袖からつきでる二の腕には、日焼けのあとがくっきりとついている。肩までのメイプルブラウンの髪が、ところどころこがね色にかがやいていた。

 夕陽に照らされるちいさな横顔を見ると、何度でも心をうばわれそうになる。ひさしぶりにより子と近い距離にいるなと思うと、何だか緊張してきた。

「だいぶ準備が進んできたね」
「ああ。今日はバイトないの?」
「あるよ。もうちょっとしたら行く」
「あ、そうなんだ」
 この後、ずっといられたらよかったのにな。ちょっと期待していた。

「早かったって気がしない? この夏」
 ひそかに残念がる俺の気持ちなど知るわけもないより子が、左の太ももをかきながらきいてくる。

「そうか?うーん……。まぁ、この砂浜で絵を描いて、小屋で色をつけて、くみ上げて、看板にして、だもんな。それが三ヶ月もかかっていたなんて思えなくもないか」
「そうそう。人生で史上最速の夏って言ってもいいぐらい」
「それはおおげさだよ」
「ほんとだもん」
 俺はあとがつづかなかった。しばしの沈黙。より子がそばにいるのに、会話をはずませなければならないのに。そう思えば思うほど、話すことが見つからなかった。何も言いだせず、ただより子をちらちらとうかがう。より子は腕のむだ毛を気にしているようだった。

 これでは一生、片想いのままで終わってしまう。好きだと言いたい、言いたいよ―――。

 俺は右手を砂の中にずずっと埋めながら、より子の方へ近づけた。もう少しでより子のお尻に触れそうになったその時、手がつった。なんてバカなのだろう俺は。

「智子さ、今日遅れるって言ってたでしょう? 理由知ってる?」
「ううむ」
 俺はしかっめ面のうえ、うなり声でしか返事をくりだせなかった。より子は不思議そうな顔で俺を見ていたが、特に何も言わなかった。

「……残業なのかな。あ、そういえばこの前、二人でデートしたんでしょ? どうだったの?」
「デート? ちがうちがう! ただ車を直しに行ってきただけだよ」
 俺は手の痛みをこらえながら、思わず大きな声を上げていた。

「でも、智子が楽しかったって言ってたわよ」
「だけど、あれはデートじゃないってば」
「……ふーん」
 より子は納得のいっていないような顔をしていた。だが、ここはきっぱりと否定しておかねばならない。より子の冷やかしは手に負えないし、何よりも俺はより子との距離を縮めなければならないのだ。

「デートなんて最近してないなぁ」
 より子がさびしそうにぽつりともらす。
だが、俺はそれに対して反応しなかった。ここでより子にどんな言葉をかけようが、最後には「がんだむおたく」に話がおよんでしまうような気がしたからだ。

「あんたさ、あんたの好きな人とどうなったの? もう告白したの?」
 より子は俺が無視していたことなど気にもしていなかったようだ。それどころか、俺の心にぐさっとくるような質問をたたみかけてくる。まったく気がぬけない。

「告白はしてない」
「まだぁ? じれったいなあ。ちんたらしてたら忘れられちゃうよ」
「わかってるよ。けど、その人は好きな人がいるんだ。どうしようもないだろう」
 俺はより子を目の前にして、そんな台詞を言うのがつらかった。

「……そのヒト、好きな人がいたんだ。ごめん、知らなかった」
 俺の言葉がよほど真にせまっていたのか、より子はしゅんとしていた。それからはうちまたぎみの自分の足を見つめながらしばらく黙っていた。

「わたしは忘れられてるんだろうな、きっと」
 より子は他人事のようにぽつりとそう言った。本当に忘れられていてほしいと思った。でもいじわるな思いを抱くことになれていない俺は、そんな考えをもった自分を責めてもいた。





              ちょっと一休み



元気ですか・・・、暑いですよ!sa12colorです。


昨日付けで投稿している小説の第4章が終わりました。私のだらり画面風のブログ小説を覗いてくれた皆様、とても感謝しています!ありがとうございます。39!

芥川賞・直木賞が発表されましたね
芥川賞の伊藤たかみさん、直木賞の三浦しをんさん、森絵都さん、いずれもも早稲田大卒。それぞれの作品の題名が個性的ですよね!

なくてもいいお話を現実感を持たせて読ませる、私もそんなお話をいつか書きたいですなぁ

私の小説は盛り上がることもなければ、たんたんとしている、ということもなく、、、 構想もつきてきました。ぷすん・・・ ああ、いかんいかん!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第5章 vol.2

2006-05-23 11:33:32 | 長編小説「コンプレックス」
 郷愁をさそうような夕空。もう少しで陽が沈んでいく。すがるようにあとを残す、波の白い泡しぶき。それらを順にゆっくり見ていると、なぜだかものがなしくなる。

「二人でなにしてるのー?」
 安藤の声がきこえた。俺とより子がほぼ同時にふりむくと、息を切らしながら走ってくる安藤がいた。紫と茶、そして白が斜めに走るバイヤス柄の半袖シャツに、細身のデニム、そしていつものバック。安藤は腰から下のラインが女性的な丸みをおびていた。細めのパンツスタイルだから目を引いたのだろう。安藤の顔と眼鏡の奥は笑っていた。

「智子、残業だったの?」
「ううん。定時に仕事を終えてから、あちこち行っていて遅くなっちゃったの」
「あ、そうだったんだ」
 安藤は俺とより子の前に立って説明を終えると、俺の左隣にゆっくり腰をおろした。こころなしか、俺との距離がとても近いような気がする。俺はある意味、ハーレム状態だった。

「さて、と。邪魔者は消えるかな」
 ハーレム状態はすぐに終わった。より子がすくっと立ちあがったのだ。

「わたし、バイト行くね。智子、貸川をなぐさめてやってね」
「え? う、うん。わかった」
「じゃ、またあとで」
 なんだよ、邪魔者って。俺はビーチサンダルをぺたぺたと鳴らして去っていくより子のうしろ姿を見ながら、延々と毒づきそうになった。こうして、砂浜には俺と安藤だけしかいなくなった。

 沖のほうを小さな船舶が東へゆっくりと移動していく。さわやかな風がふき、それが安藤のシャツをたなびかせる。腰のあたりがめくれあがり、白い肌がすこしあらわになっていた。安藤は裾を下に引っぱって、それをさりげなく隠そうとしている。

「元気がないんですか、貸川さん?」
 安藤がより子の発言をそのとおりに受けて、心配そうな顔で訊いてくる。見ればわかるだろう、なんて吐きそうになったが、安藤に八つ当たりをしてもしょうがない。

「ちょっと、な。夕陽が沈むのがせつないなあって思ってさ」
「あ、わかります。その気持ち。意味もなく悲しくなっちゃうんですよね」
 俺の嘘にも真面目にこたえてくれる。俺には罪悪感だけがつのっていく。
 すこしして、安藤が俺にそっとよってきた。そして、砂に手をついていた俺の左手の上から自分の右手をゆっくりとかさねてきた。俺はその状況にびっくりして安藤の顔を見た。

「こんなことしかできませんけど……」
 安藤はいとおしそうな目で二つの手を見ている。安藤の体温がつたわってくる。言いしれぬ感覚におそわれ、俺は何も考えずに安藤と指先をからめあっていた。
 いけない。

「小屋に行こうかな」
 俺は我に返り、左手を安藤の右手からするりと外すと、いそいで腰をあげた。俺はおそるおそる安藤を見たが、彼女はかすかな微笑みを浮かべ、うなずいていただけだった。仲間である安藤にあんなことをされてしまうとは。一種のきずなの表明ってやつなのか? 俺は頭の中がこんぐらかってきた。

 俺は安藤とすこし離れて先に立って歩いていた。横に並ばれてしまったら自分がどうかなりそうだった。

「あさってがより子の誕生日って知ってます?」
 俺のすこし後ろのほうからいつもと変わらない安藤の声がする。より子の誕生日?

「いや。知らない」
 俺は後ろをふり返りながら、足を止めてしまった。

「実は、今日ケーキ屋さんによってきて、バースデーケーキを予約したんです。びっくりさせようと思って、より子には内緒にしてたんですよ」
 安藤はそう言いながら俺に追いついた。

「あ、そうなの? うわ、なんか楽しみだな。思いっきり祝ってやりたいな」
「はい。だから、本人には当日まで内緒ですよ」
「ああ、わかった」
 俺は急に元気がわいてきた。それと同時に、危険な思いつきも浮かんでいた。これはより子に想いを告げる最大にして最後のチャンスだと―――。花火大会が終わるまで、なんてもう待っていられない。誕生日に告白。しびれるようなシチュエーション。ハードルはめっぽう高いにもかかわらず、根拠のない自信がとめどなくあふれてくる。

 俺はいつのまにか安藤と並んで歩きだしていて、「プレゼントどうしようか?」、「ケーキだけでいいか?」などと話していた。安藤と指先をからめあっていたことを思いだしたのはその日のずっと後になってからだったが、気にかけるようなことではなかったと、むりやり心の中で処理をした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第5章 vol.3

2006-05-22 09:38:27 | 長編小説「コンプレックス」
   2
 
 より子の二十四回目の誕生日をむかえた。今日は朝からそわそわしていた。どうやってより子に告白しよう、どうやって二人きりになろう、そうやって何通りものプランを考えていたからだ。だがどの案も頭に入ることはなく、時計の針ばかりが気になるだけだった。
 
 バイトを終え、運転になれてきたファミリアで、いつもよりゆったりと海岸道路を流しながらレストランへ向かった。陽のかたむきがきのうよりもはやい気がする。レストランへ近づくにつれて何度か弱気になり、帰ろうかなんて考えもしたが、車の助手席には安藤に頼まれて持ってきた、ケーキを保冷するためのクーラーボックスが積まれていた。帰らなければならない理由はあまり見当たらなかった。
 
 レストランの新しいシンボルマークとなったより子の絵が見えてくると同時に、設営が完了に近づきつつある花火大会の会場が、華やかな存在感をかもしだして目に飛びこんでくる。思わず車のスピードをゆるめていた。

 灯のともっていないちょうちんが会場の内外にぶらさげられ、波風をうけてゆれている。照明機材や発電機、それにスピーカーなども透明のシートをかけられて会場のあちこちに置かれているようだった。これでやぐらでも組まれたら、さながらお祭りの会場のようでもある。

 コンクリートの壁には赤い文字で花火大会を告知する、横に長い白いビニール製の幕がくくりつけられていた。そのそばを小学校低学年ぐらいの二人の男の子が袋菓子を食べながら通りかかり、はやくはじまらないかなあ、という顔でそれを見ている。しまいには、二人で肩車をしてコンクリートの壁の先にある会場を必死にのぞいていた。俺はその情景を横目に見ながら、臆病な気持ちがほんのすこし和らいだ気がした。
 駐車場に止めた車から出ようとした時、ジーンズのポケットに入れていた携帯が震えた。

 安藤からのメールだった。「今、向かっています。あと二十分くらいで着きます」という文面―――。より子は十時までバイトだし、安藤もまだ来ないとなると、告白の計画をいま一度練りなおすことができる。ちょっとラッキーかも。俺は心の中でそうつぶやきながらクーラーボックスを降ろし、小屋に向かった。
 
 小屋が見えてくると、入り口のアルミ製のドアがすこし開いているのがわかった。おかしい、誰もいないはずなのに。きのう鍵をかけ忘れたのだろうか。俺はすこし慎重になっていた。クーラーボックスを背負いなおし、閉まりきっていないドアの前に立つ。ドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開けた。
 
 暗い部屋の中には、机に両ひじをついて顔を覆っている女性らしき姿があった。見覚えのある黒と白のチェックの制服を着ている。より子のようだった。バイトの休憩時間なのだろうか。

「より子?」
 俺は不気味なほど静まりかえった小屋に足を踏みいれた。

「……貸川?」
「ああ。電気をつければいいのに」
 より子は顔を覆ったままだった。俺はより子からただならぬ雰囲気を感じていた。

「とりあえず電気つけるぞ」
 俺は入り口の近くにある電気のスイッチに手をかけた。

「いい。つけなくていいよ」
「え?」
「つけなくていいから」
 より子はそこまで言うと、ぐしゅりと鼻をすすった。

「泣いてるのか?」
「泣いてないよ」
 またぐしゅりときこえる。俺はスイッチを入れるのをやめた。クーラーボックスを床に置き、スニーカーの靴底からかたい音を響かせ、より子のそばまでちかづく。そしてのどをごくりと鳴らしながら、より子のとなりのいすに腰をおろした。

 より子は背中を丸め、表情をうかがうこともできない。俺はどうしていいかわからなかった。そのあいだにも、ぐしゅり、ぐしゅり、という鼻をすする音が聞こえていた。俺はがまんができなくなって、より子の左腕をつかみ、それを顔からはがすようにひっぱった。より子は抵抗することなく、素直に横顔を見せてくれていた。

 暗くてはっきりとは見えなかったが、頬がすこし髪でかくれ、目は潤んでいるようだった。俺はより子の左腕から手をはなした。

「なんかあったのか?」
 俺はやさしくきいてみる。より子は右手を顔からはなすと、上体をすこし起こして、こちらへ向いた。

「……あいつがね、返事をくれないの。今日、わたしの誕生日なのに。何日も前からメールを送ってたのに、くれないの」
 より子の口から「誕生日」という言葉がでてくるとは思わなかった。こっそり誕生日を祝ってやろうという思惑は早くもくずれかかっている。

「自分の誕生日がくるのを、自分から言いだしても無視されるのって、よっぽどだと思わない?」
 より子は指先で涙をぬぐっていた。ほそい鼻息をもらしながら、肩をふるわせ、目には光るものがとめどなくあふれている。俺はポケットをさぐったが、ハンカチもティッシュもなかった。

「あんた、男でしょ」
「え? なに?」
「肩をかして」
 より子はそう言うと、顔を俺の右肩にうずめてきた。そして、ひっく、ひっくと泣きだした。彼女は傷だらけの心を俺にだけ見せているようだった。
俺はより子を抱きしめたいと思った。俺によってより子が救われるのなら、何でもしてやりたいと思った。
 俺はより子の両肩をつかみ、そのまま自分の胸にひきよせた。

「そこまでしなくていい」
 より子はくぐもった声をだして拒んだが、俺はより子の両肩をはなさなかった。だきしめることはできなかったが、彼女は俺のシャツをぐっとつかんでくれていた。芯の強いより子の、流す涙の意味は重すぎる。
 彼女はしばらく俺の胸に顔をうずめたままだった。





              ちょっと一休み



マイカーのタイヤがパンクしてしまいました、sa12colorです。


車のタイヤのパンク ただのエア漏れだったんですけれど、タイヤの内部構造のワイヤーが肉眼で視認できるほど浮き出て、溝も異常磨耗していました。この6ヶ月で2回目、しかも同じ左後輪だから絶対車のクセになっている。

近々、「ハチミツとクローバー」という映画が公開されるそうなのですが、友人に聞くところによると、その内容が今書いている自分の小説をはるかに、もうはるかに高度に仕上げた感じらしいのです。もちろん主題は違うと思うのですが、キャンバスに絵を描くシーンが登場するとかしないとか。

比べることのほうがおこがましいですけど、私も自分の小説が映像になったらいいなぁと考えながら小説を書いていました。やられたぁって感じです でも、私は私の小説を最後までまっとうしたいです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続長編小説 「コンプレックス」 第5章 vol.4

2006-05-21 09:03:19 | 長編小説「コンプレックス」
   3

 いつのまにか窓の外は真っ暗になっている。小屋の中では、闇に目がなれてきていた。気分が落ち着いてきたのか、より子が俺の胸から顔をあげる。俺とは目をあわせてはいない。彼女の両肩をつかむ手に、いぜんとして力がはいっていた。
 
 二人の間に流れる無音の間。俺の心臓の鼓動の音が、その場で聞こえそうだった。
 ようやく俺たちは目をあわせた。

「ありがとうね」
「もう大丈夫か?」
「うん」
 より子は鼻をすすりながら、うなずいた。それから、俺にまだ肩をつかまれているのが意外だったのか、「手、はなしていいよ」と言ってくる。だが、俺はわずかなきらめきをはなつより子の瞳にくぎづけになっていて、その言葉は耳に入らなかった。
 ―――これはより子に想いを告げる最大にして最後のチャンス。
 
 そんな思いが心の中にとうとつによみがえっていた。ある意味、この空間はしびれるようなシチュエーションだった。こんな真っ暗な小屋の中で、相手の悲しみにつけこみ、どさくさまぎれに想いをつげる。それがどんな結果を招くのかわかりそうなものだったが、俺はもはやまよわなかった。
 当たってくだけろだ。

「より子……」
 声がだせた、いいぞと心の中で調子づいたが、それ以上言葉がついてこない。あとはたった三文字だけだった。だけどとてつもなく勇気がいる。俺は唇を何度もぴくぴくさせながら、なにも言えないでいた。

 絶対に言ってみせるとあらためて意を決したつぎの瞬間、頭上の蛍光灯がぱちぱちと鳴り、小屋の中がまぶしいくらいに明るくなった。

「きゃっ」
 すぐに小屋の入り口付近から女性の小さな悲鳴のような声がきこえた。ふりかえると、長い黒髪の女性が片手に小さな白い紙袋を持って驚いたようにこっちを見ていた。俺はあわててより子の肩から手をはなした。

 誰だろう。初めて見る顔だった。Uネックの白のノースリーブに、藍色のジーンズ、そしてヒールの高いサンダル。年のころ二十四、五歳の大人の女性というかんじだった。

「ごめんなさい」
 女性はそう言うと、小屋の外に姿を消してしまった。しかしきこえたその声は、何度も親しんだ透明感のあるものだった。まぎれもなく安藤の声だ。眼鏡をかけていなかったから彼女だと全然わからなった。

 俺はより子の顔をちらっとうかがってから、急いで安藤のあとを追った。安藤はきっと見てはいけないものを見てしまったと感じて、小屋を飛びだしてしまったのだ。なんと弁明すればいいのだろう。俺は安藤がここに向かっていたことを完全に忘れていた。
 小屋をでると、安藤は小屋の壁によりかかるようにしてうつむいていた。眼鏡がないと本当に別人のようだった。

「安藤、あのな、あの……」
 俺はしどろもどろになっていた。目の前にいるのは安藤なのだけれど、やっぱり安藤じゃないような気がした。

「すいません、誰もいないと思っていたから」
 安藤は顔を上げた。眼鏡のしていない安藤の顔。小屋からもれるわずかな光だけがたよりだったが、目鼻立ちが前よりもはっきりしていて、何よりも二重の目がとても近くに見えるようだった。俺はいつか安藤の眼鏡をとりあげて、彼女の素の顔を暴いたことを思いだしていた。そういえば、あの時の顔だ。めちゃくちゃきれいだとうなった、あの時の。

「……眼鏡、してないんだな」
 俺は弁明することを避けるようにしていた。我ながらずるい人間だと思う。

「コンタクトにしたんです」
「今日から?」
「はい」
「そっか。いや、安藤だとはおもわなかったからさ。びっくりしちゃって」
 安藤はふたたびうつむいた。手に持っていた白い紙袋に、ところどころしわがはいっている。安藤は小屋の中での状況を説明してほしいようだった。

 だが、告白しようとしていた、なんてまず言えない。ごまかしても神経の細やかな安藤のことだ、すぐにばれてしまうだろう。俺は八方塞がりに追いこまれてしまった。波の音はどこへいってしまったのだろうか。

「智子。あんたが心配しているようなことはなんにもないよ」
 気づくと、より子が小屋のドアの内側からこちらのようすを見ていた。より子のその台詞は、まさに波よりも強い助け舟だった。

「そう、そうなんだ。あいつが彼氏に無視されてたのを、俺がなぐさめてやっていただけなんだ」
「本当よ。智子」
 安藤はより子と俺の顔を何度も見ると、「そうだったの……」とようやく声をもらしていた。

「入って、智子」
「うん」
 安藤は俺と目をあわせてから、より子に導かれるようにして小屋の中に入っていった。より子は安藤を見届けてから、小屋の外にでてきた。

「あんたさ、さっき私に何を言おうとしてたの?」
 ささやくような声で俺に訊いてくる。やっぱり告白しようとしていた、なんて言えるわけがなかった。

「彼氏に何か事情があるんだろう、って言おうとしてた」
「……あ、そう」
 より子の腰にまかれた黒の前掛けがはたはたと揺れている。開けっぱなしになっていた小屋のドアも、ぎぃーという音をだしながら閉まりそうになっていた。急に風がでてきたようだ。

「あんた安藤の気持ち、わかってる?」
「え? それはあれだろう? お前が彼氏もちなのに、男の仲間と親しくするのを心配しているんだろう?」
「それだけ?」
「他になにがあるんだよ」
「にぶっ。あんた、ほんっとににぶいわ」
「なんだよ、その言い方」
 より子は、さっきまで他人の胸の中でべそをかいていたとは思えないほどの気のつよさだった。おまけに腫れぼったい目で俺をにらむようにしている。俺はすこしかちんときた。どこがどうにぶいのか説明してもらいたい。

 より子はぷいと俺に背を向けると、小屋の中へ消えていった。すぐに「なにこれ? みせて! だめなの? ケチィ」、という明るい声がきこえてくる。ひきずらないやつだ。
その後より子はバイトにもどり、誕生日を祝うのは午後十時を過ぎてからになりそうだった。

 ついに、私服姿のより子を迎えた。
 俺と安藤は、クーラーボックスからケーキの入った箱とペットボトルの紅茶を取りだして、彼女を驚かせた。より子はこうなることを半分予想していたようだったけど、それでも感激してくれて、何度も「ありがとう」と言ってくれた。
 
 直径五センチぐらいのショートケーキには板のチョコレートがのっており、白い文字で「Happy Birthday より子」と書かれていた。ろうそくを六本立て、マッチで火をつけ、電気を消すと、みんながわくわくしていたと思う。ろうそくの火は一発で消し飛び、三人でわれんばかりの拍手をおこした。

 ケーキを囲んで談笑するだけの時間は夜更けまでつづき、それが終わりをつげたのは夜中の一時ごろであった。別れぎわ、より子は俺に「今日はいろいろありがとうね。あいつのこと信じてみるから」と安藤にきこえないように言ってくれた。そして目で安藤の方を見るように合図してから、「智子って、気にしやすいからね」ともつけくわえた。

 そのとき、俺には何となくわかった。より子は変わらずに、がんだむおたくを好きでいるのだということを。安藤にきこえないように感謝の気持ちを述べたのは、純粋に俺とのフレンドシップをかみしめたかったから。そして、再び安藤が混乱しないように配慮したかったから―――。

 今日はより子の誕生日を祝う機会であって、より子に告白する機会ではなかったし、もとをたどれば、この八月が終わるまでは告白しないはずだった。勇みすぎた俺には、もう より子に告白する気力が残されていないようにさえ思えた。
 
 帰りの車内はすこしぼんやりしていた。でも、安藤の生の視線にだけは救われていた。安藤は視線を合わせるたびにほほえんでくれた。
 髪に手ぐしを入れたり、冷房を気にしてふくらはぎの裏をぎゅっとつかんだりする、そんな彼女のくせが見られたときも、俺はなぜだか安らいでいられた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする