磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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【二冊】聞き書き 天草へ帰った被爆者

2007年05月15日 | 読書日記など
『聞き書き 天草へ帰った被爆者』
   中原澄子・著/創元社2005年

詩人でもある方の聞き書きです。詩人らしく言葉を大切にされ、方言のままに書かれています。



聞き書きというのがぴったりする文章でした。下「」引用。

「慌ててダブル毛布にお父さんを包んで。異人墓にうちの墓のあったっですよ。そこば向こうさん抜けて街の方の小学校か何かに一応避難したっです。電線はこうみいんな切れてぶらさがってしもうて、どこでん空気はもう白うこうもう混じってしもうて息苦しうして。もう病院どこっじゃなかったです。」

捕虜のことも書かれてありました。下「」引用。

「そうてこう見回したら右側にアメリカの捕虜が,生のカボチャば割って食べよったです。」

むかしの日本人は外国人といえば、アメリカ人と思ってしまう傾向があったと思います。


天草の被爆者だからといって、長崎とは限りません。広島におられた方もいます。


お札(さつ)が飛んだという……。下「」引用。

「お父さんの札かなんか。昔の粗末かお札ば、何枚か。胸のポケットに入れとらしったでしょ。それが爆風でパアッと飛んだっでしょ。それは燃えたと思いますよ。ぱっと飛んだとば気づいたもんやっけ。「飛んだ」「飛んだ」て手を追うごとさすとです。」

また、広島だけでなく、長崎でも。いわゆる二重被爆の方もおらます。
「空白の七十四時間四十七分-廣島から長崎へ-」のタイトルはNHK番組放映から採用という。

戦争で男の人の人手不足。それで、女性がチンチン電車の運転手になった。
広島だけではなく、長崎もそうであったようです。
女の運転手の一号という方が語られています。




『聞き書き 続・天草へ帰った被爆者』
    中原澄子・著/創元社2005年


「遺体片付けば一週間」
むごかったと書かれてありました。

一円でチャンポンが食べられたという。下「」引用。

「チャンポン一杯一円やったっですばい。ほら、一円ちゅうたっちゃ今の一円とは違うと、そう安うはなかったばってんですな、それが楽しみですな。」


捕虜には蒸しパンだったそうです。

この小説家は誰なのか気になりました。下「」引用。

「兄ちゃんの記録のずうっといっしょに載って。だっ(だれ)じゃったか、書かした。女の小説家のおらした。」







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