磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島、原爆投下直後の憤りと平和の訴え-広島のドキュメント-

2008年10月16日 | 読書日記など
『広島、原爆投下直後の憤りと平和の訴え-広島のドキュメント-』
   齋藤次男・著/日本図書刊行会2000年

どういうわけか?
--広島原爆の被害についてはさほど書かれてなかった……。
教育者らしい? 精神的なことが書かれてあるが……。
ドキュメントというよりも、父親の日記を出版された感じです。



(表)原爆ドーム・齋藤博

帯に書かれてありますが……。下「」引用。

「広島のドキュメント
この本は、第二次世界大戦の勃発から終戦までの時々刻々と移り変わる戦況、世界情勢、原爆投下直後の様子等を克明に記していた歴史教師の生の記録です。その中にあって、戦時下の広島における食糧、物資の乏しい中で真摯に生きようとする教師の喜びや悩み、家族への愛情等を描いています。」

日本は戦争に負けなかったという……。下「」引用。

「日本は米には負けなかったと同様、ソ連にも負けていないのだ。日本は戦いをやめる事によって人類の自殺を救ったのである。原子爆弾に関する日本の対米抗議は中立国のみならず、敵国にも深刻な反響を呼んでいる。」

戦争愛国主義を信じていた人が書いた文章でしようね……。
--他の本でですが、当時、愛国少年でなかった人を捜すのは難しかったそうです……。大人もまたそうだったかもしれませんね……。

カボチャの盗難……。下「」引用。

「数日前裏垣に添って売れていた南瓜三個を皆から盗まれてしまった。普通の南瓜のたちではなく大きな枕型のもので、一個で二貫五百は優にあるものだった。たった一個取り残された青い小さなのを煮てみたが肉が厚くてうまかった。そのことを思うと一層惜しかった。」

戦争愛国主義を信じていた人。また、戦争愛国教育をした人はこんなものでしょうね。下「」引用。

「(二十二)神風特攻隊の偉業(昭和十九年十一月三十日記)
 -略-現身の神業としていいようのないこの崇高なる行為を果たした勇士達-略-」

この神業とは、伝統ある神の概念からもはずれているような気がボクはする。

「長男愫の学童疎開」 下「」引用。

「愫からの書面も三、四日前に来たが元気でやっている様だ。家にはこれ程の財もないが、万が一の事を考えて愫にその目録を持たせてやった。現金にして一万一千二百四十円と、その他の証券が七千百三十四円程で、愫の一生涯には困る事も無いと思った。その他、本の印税もあるが、この方は版権を放棄して残本を八百冊程教習所の倉庫に入れておくことにした。尚又、嗅ぐの一部十一個を広島県の豊田郡船木村なる亀田印七氏の宅に預ける事にして、既に搬出も済み戦焼の際に着るものに事欠かぬ事にした。」

豊かな家であったようだ……。

「後書き」で子息が書かれている。下「」引用。

「記述の中で特筆したいことは、終戦直後に書き記していた「日本は戦いをやめることによって人類の自殺を救ったのである」「戦いに強かった日本は平和には剛くければならぬ」という平和を強く願う気持と、戦争に加担した国民の一人として「国家の体罰を一身に背負っているものの一人となろう」というお詫びの言葉です。
 父は昭和二十八年に四十七才で他界しましたが、これらの言葉は戦争の反省として、後世の人々に強く訴えたかった言葉だと思っております。」

書きたくないところは、書かずに「平和」だけを求める!
--これでは平和はこないだろう……。

本当に「平和」を望むなら、戦争愛国教育をほどこした間違いを書いていただきたかった……。

都合の悪いところは書かない。
--それでは真の教育でもないようにボクは思う……。

そして、反省なき教育者たち。
当然のことながら、システムとして何の変更もされていない。
--戦時システムが続く、平和ではない教育システムの弊害は「いじめ」、自殺へと結実しているのではないか?

イデオロギーはかえても、やっていることは似たようもの……。
--力のごりおし!

もちろん、すべての教育者ではないが……。

そして、教育者だけの責任ではないが……。
--それに、昭和28年に亡くなられている人に責任をきせることも仏教徒から教育をうけたボクはできない。つらい時代を生き抜かれたことを思う……。









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