NHK総合2006年11月7日
ラストメッセージ第3集
愛と怒りと
木下恵介監督
いつもヒーロではなく普通の庶民を描いた監督!
「愛の美しさ、悲しさ」
幸せに生きている人間の生活や命が大きな力によって壊されていくのに、憤りを感じていたという。
代表作『二十四の瞳』
49作品、ほとんどが弱い人を描いてきたという。
8年前、弟子「山田太一」は葬儀でうったえる。
「人間の弱さ 弱さが持つ美しさ
運命や宿命への畏怖(いふ)
権力への理不尽さに対する怒り。
いつまでも、日本人が無関心でいられるわけがありません」
『二十四の瞳』の大石先生のクラスなら、
いじめなんて、おこらないのではないでしょうか?
偏差値教育、机上の論理でなくせるわけがないと思う!
実家は漬物屋。
昔は人がやさしかったという。
家族は信頼しあって住んでいたという。
平和な家族だったという。
ふるさとには、「浜松文芸館分館 木下恵介記念館」がある。
戦時中国策映画『陸軍』を撮る。
映画のラスト、わずか1ページのシーンを10分に。
陸軍の協力。陸軍は勇壮な場面となるだろう。
しかし、母の愛情を描いた木下監督。
内部での試写会は成功したという。
軍国の母らしくなく、反戦的だといわれる……。
そして、思うように撮れぬならと、
松竹に辞表をだす。
昭和19年、空襲中、母は脳卒中で倒れる。
戦争は木下の家庭も破壊した。
戦後、松竹に復帰。
社会のひずみが家族をこわす映画をとる
『日本の悲劇』(昭和28年)。
木下は怒りをぶつけたラストシーン。
「警察予備隊」が「保安隊」になる。
木下は反戦の意味をこめて、『二十四の瞳』(昭和29年)をとる。
ラストシーンが涙をさそう……。
『楢山節考』は他の監督もとっています。
『戦場の固き約束』を木下監督は撮ろうとしますが、反対にあう。
中国で日本軍が中国の一般の無抵抗の人を殺したことを撮ろうとした。
ロケハンにも行ったのに、松竹から反対されたという。
結局、この映画は幻の作品となる……。
松竹と絶縁する。良い映画をとるためには信念を曲げない。
暴力や性を売る映画が流行り出す。
庶民を描く映画ははやらなくなったという。
「強い者を賛美する」
テレビドラマの世界に木下はうつる。
映画界からは過去の人とされる。
田中角栄のロッキード事件など、殺伐とした事件。
「悪(あく)強くやれば勝てる」と思っている社会。
TBSが松竹と協同で映画製作『衝動殺人 息子よ』(昭和54年)
通り魔殺人の被害家族を描く。
父は全国の被害者家族をまわる。
弱い人たちが手をつなぎあう。
国に対して補償制度をつくれ!と運動する。
父はやがて視力を失う。やがて死亡。
その運動は「全国犯罪被害者の会」へ。
『この子を残して』
永井隆博士をもとに作られた。
最期まで戦争が繰り返されないことを望んでいた博士。
永井博士の肉声とモノクロの画面がうつされた。
当時、東西両陣営は核戦争にむかっていた。
そして、核兵器反対の市民の声。
原爆投下後、三か月の永井博士の杖をつき歩く映像。
これを見て、木下監督は感動した。
弟子の山田太一が脚本をかく。
永井博士は最期まで平和の本をかき、疲れると子供の絵をかいた。
木下監督がラスト変更、くっきりしたメッセージに。
永井博士のメッセージをすべてのヒトに贈った。
『この子を残して』木下惠介監督作品
この映画がつくられてから23年。
この映画のリバイバルが長崎で。
5年前から「高校生一万人署名活動」が行われています。
被爆二世の方も参加されています。
父は入退院を繰り返していた。
女子高生「最後の被爆地にしたい」
INDEX
Index
目 次
ラストメッセージ第3集
木下恵介監督
いつもヒーロではなく普通の庶民を描いた監督!
「愛の美しさ、悲しさ」
幸せに生きている人間の生活や命が大きな力によって壊されていくのに、憤りを感じていたという。
代表作『二十四の瞳』
49作品、ほとんどが弱い人を描いてきたという。
8年前、弟子「山田太一」は葬儀でうったえる。
「人間の弱さ 弱さが持つ美しさ
運命や宿命への畏怖(いふ)
権力への理不尽さに対する怒り。
いつまでも、日本人が無関心でいられるわけがありません」
『二十四の瞳』の大石先生のクラスなら、
いじめなんて、おこらないのではないでしょうか?
偏差値教育、机上の論理でなくせるわけがないと思う!
実家は漬物屋。
昔は人がやさしかったという。
家族は信頼しあって住んでいたという。
平和な家族だったという。
ふるさとには、「浜松文芸館分館 木下恵介記念館」がある。
戦時中国策映画『陸軍』を撮る。
映画のラスト、わずか1ページのシーンを10分に。
陸軍の協力。陸軍は勇壮な場面となるだろう。
しかし、母の愛情を描いた木下監督。
内部での試写会は成功したという。
軍国の母らしくなく、反戦的だといわれる……。
そして、思うように撮れぬならと、
松竹に辞表をだす。
昭和19年、空襲中、母は脳卒中で倒れる。
戦争は木下の家庭も破壊した。
戦後、松竹に復帰。
社会のひずみが家族をこわす映画をとる
『日本の悲劇』(昭和28年)。
木下は怒りをぶつけたラストシーン。
「警察予備隊」が「保安隊」になる。
木下は反戦の意味をこめて、『二十四の瞳』(昭和29年)をとる。
ラストシーンが涙をさそう……。
『楢山節考』は他の監督もとっています。
『戦場の固き約束』を木下監督は撮ろうとしますが、反対にあう。
中国で日本軍が中国の一般の無抵抗の人を殺したことを撮ろうとした。
ロケハンにも行ったのに、松竹から反対されたという。
結局、この映画は幻の作品となる……。
松竹と絶縁する。良い映画をとるためには信念を曲げない。
暴力や性を売る映画が流行り出す。
庶民を描く映画ははやらなくなったという。
「強い者を賛美する」
テレビドラマの世界に木下はうつる。
映画界からは過去の人とされる。
田中角栄のロッキード事件など、殺伐とした事件。
「悪(あく)強くやれば勝てる」と思っている社会。
TBSが松竹と協同で映画製作『衝動殺人 息子よ』(昭和54年)
通り魔殺人の被害家族を描く。
父は全国の被害者家族をまわる。
弱い人たちが手をつなぎあう。
国に対して補償制度をつくれ!と運動する。
父はやがて視力を失う。やがて死亡。
その運動は「全国犯罪被害者の会」へ。
『この子を残して』
永井隆博士をもとに作られた。
最期まで戦争が繰り返されないことを望んでいた博士。
永井博士の肉声とモノクロの画面がうつされた。
当時、東西両陣営は核戦争にむかっていた。
そして、核兵器反対の市民の声。
原爆投下後、三か月の永井博士の杖をつき歩く映像。
これを見て、木下監督は感動した。
弟子の山田太一が脚本をかく。
永井博士は最期まで平和の本をかき、疲れると子供の絵をかいた。
木下監督がラスト変更、くっきりしたメッセージに。
永井博士のメッセージをすべてのヒトに贈った。
『この子を残して』木下惠介監督作品
この映画がつくられてから23年。
この映画のリバイバルが長崎で。
5年前から「高校生一万人署名活動」が行われています。
被爆二世の方も参加されています。
父は入退院を繰り返していた。
女子高生「最後の被爆地にしたい」
INDEX
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目 次
中日友好の活動をしている者として『戦場の固き約束』が映画化されなかったことは誠に残念至極です。日中両国の今後の平和友好を思うと正しき歴史認識の上に立って、その関係を結ばなければなりません。再度の映画化に、実現ができなかった無念さは余りあると推察されます。
この脚本を何とか映画化できないものでしょうか。
この脚本を手に入れるにはどうしたら良いでしょうか。映画化を強く望みます。
今、北朝鮮やイランなどで核の問題が取り沙汰されていますが、核兵器はどの国であれ根絶すべきです。
核兵器は生命の尊厳を脅かす絶対悪と捉えて根絶すべきです。
弟子の山田太一さん、がんばってもらいたいものです。