『日本の戦歴』
毎日新聞社・編/毎日新聞社1967年
やはり、第二次大戦後中、戦争の残虐性はましたようです。
--しかし、どちらにしても、破壊活動や殺人は行われています。
平時では考えられないことが……。
「カバー写真 昭和17年9月2日、川口支隊のガダルカナル島強行上陸」
こう書かれてあります。下「」引用。
「戦争は
日本人の真実の体験である
われわれは戦争を憎むが
体験をさげすむことは許されない
この本は
日本人が
血の代償として得た体験を
ありのままにつたえる記録である
こんにち
われわれは平和に狎(な)れた
この平和が
刻々と奪われ
まったくそれが
失われた日々にあったことを
われわれは忘れ去ってはならない
戦争の体験--真実あった姿から
目をそらさず
それを直視することによって
平和への最も強い希求が生まれると
われわれは信じる
昭和四十年三月」
「昭和16年4月19 海南島へ日本軍が上陸した その中心都市・海口では気がとおくなるほど多数の中国兵が捕虜になった 中には少年兵もいた」というキャプションのある写真。
その中には、おそらく丸刈りにした女性も含まれているのではないかと、ボクは思った……。
--それは、満州でソ連兵から逃げる日本の女性がいたことを髣髴させる……。
「第一次支那事変」の写真もありました。
はじめ、長崎の廃虚かと思った。
しかし、キャプションには。下「」引用。
「仏印進駐
仏印と中国の国境にある“龍州”の町にはフランス軍がいた 協定前に越境しようとする第五師団の一部に戦闘をいどんだ そのため町は灰じんと帰した」
うしろには、「(昭和20年夏 長崎天主堂)」という写真もあった……。
そして、この写真集についての解説。下「」引用。
「この写真集は、報道カメラマンの血と汗と涙の結晶である。
昭和6年、満州(現在の中共東北地方)をふりだしに、はてしない中国大陸、さらには猛暑と疫病が人間をこばむ南方のジャングル戦線、そしてアリューシャンから南太平洋の島々と、広大なアジア全域で、真実を伝えるため、十五年間写しつづけてきた写真集である。
報道カメラマンは常に生死の瀬戸ぎわに立って、撮影をつづけてきた。数字をあげると、毎日新聞社から海を渡り、戦場におもむいたカメラマンは全部で六十五人。うち九人は、弾丸に射ぬかれ、あるいは餓死にさいなまれつつ、ついに祖国には帰られなかった。重軽傷を負い、いまなお身体に不自由をおぼえ、あるいは後遺症に悩まされている者も少なくない。-略-」
index
もくじ
毎日新聞社・編/毎日新聞社1967年
やはり、第二次大戦後中、戦争の残虐性はましたようです。
--しかし、どちらにしても、破壊活動や殺人は行われています。
平時では考えられないことが……。
「カバー写真 昭和17年9月2日、川口支隊のガダルカナル島強行上陸」
こう書かれてあります。下「」引用。
「戦争は
日本人の真実の体験である
われわれは戦争を憎むが
体験をさげすむことは許されない
この本は
日本人が
血の代償として得た体験を
ありのままにつたえる記録である
こんにち
われわれは平和に狎(な)れた
この平和が
刻々と奪われ
まったくそれが
失われた日々にあったことを
われわれは忘れ去ってはならない
戦争の体験--真実あった姿から
目をそらさず
それを直視することによって
平和への最も強い希求が生まれると
われわれは信じる
昭和四十年三月」
「昭和16年4月19 海南島へ日本軍が上陸した その中心都市・海口では気がとおくなるほど多数の中国兵が捕虜になった 中には少年兵もいた」というキャプションのある写真。
その中には、おそらく丸刈りにした女性も含まれているのではないかと、ボクは思った……。
--それは、満州でソ連兵から逃げる日本の女性がいたことを髣髴させる……。
「第一次支那事変」の写真もありました。
はじめ、長崎の廃虚かと思った。
しかし、キャプションには。下「」引用。
「仏印進駐
仏印と中国の国境にある“龍州”の町にはフランス軍がいた 協定前に越境しようとする第五師団の一部に戦闘をいどんだ そのため町は灰じんと帰した」
うしろには、「(昭和20年夏 長崎天主堂)」という写真もあった……。
そして、この写真集についての解説。下「」引用。
「この写真集は、報道カメラマンの血と汗と涙の結晶である。
昭和6年、満州(現在の中共東北地方)をふりだしに、はてしない中国大陸、さらには猛暑と疫病が人間をこばむ南方のジャングル戦線、そしてアリューシャンから南太平洋の島々と、広大なアジア全域で、真実を伝えるため、十五年間写しつづけてきた写真集である。
報道カメラマンは常に生死の瀬戸ぎわに立って、撮影をつづけてきた。数字をあげると、毎日新聞社から海を渡り、戦場におもむいたカメラマンは全部で六十五人。うち九人は、弾丸に射ぬかれ、あるいは餓死にさいなまれつつ、ついに祖国には帰られなかった。重軽傷を負い、いまなお身体に不自由をおぼえ、あるいは後遺症に悩まされている者も少なくない。-略-」
index
もくじ