磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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被爆医師の証言 長崎原爆記

2007年10月26日 | 読書日記など
『被爆医師の証言 長崎原爆記』
    秋月辰一郎・著/弘文堂1966年

川野君と出てくるプロテスタントの医師。昔、読んだときは、そう関心もなかったけれど、川野さんの本も読んだので、理解がよくできたとも思う。



当時のことはやはり惨憺たるものだったと思う。しかし、そんな状況でも努力されて生きてこられたことが大きいと思います。下「」引用。

「その数カ月間、診療カルテもなく、病院日誌もなかった。私自身の日誌もなかった。それらを残す余裕もなかった。しかし、なにか記録にしておかなければ、書きしるししておかなければという気持が日増しに強まっていった。
 それは、原爆の残酷さと悲惨さを訴えて、ふたたびこの惨禍のなからんことを願うためばかりではない。また試練にたえて立ち直り、信仰を守りつづけた長崎の信徒を讚えるためばかりでもない。
 私にこの記録を書かせたのは、治療も十分受けられないまま、この世を去っていった人びとの地底からの叫びなのである。病院を目指して登ってきた亡者のような黒く焦げた人びとに、なんらなすことのできなかった私への怨念なのである。
 私のいつもゆきつくところは、原子爆弾を投下したアメリカへの憤りではなく、この悲惨さを知りながら、あえてこれを行なった人間の心の恐ろしさであった。これゆえに、人間は幾千年来、殺し合いを繰り返してきた。被害者である私たちも、立場が異なれば、いつ、いかなる場所にか原爆を投じないとはいえない。」

午後三時ごろ、川野君は浦上第一病院に赤ん坊を抱いてたどりつく。
著者は残酷なことをいう。「いったいその子を誰がみて育てるんだ。まだミルクがいるじゃないか」
川野は赤ん坊を捨てることはできなかった。川野は浦上第一病院で救護をすることに。下「」引用。

「彼は、プロテスタントの神学を勉強し、戦争にも行き、医学を修めるために長崎医大に入った人だ。彼のプロテスタント的人生観は、こういう一大変事においてその真価を十分に示した。」

原爆と聖書

雲と光-或る脳神経外科医の軌跡


著者の病院はその時「誰も死んだ者はいない」……。
70名の入院患者に、重傷者もなければ、焼死した人もいない。
だが、病院は燃え、レントゲン器械も燃え、万巻の宗教書も医書も燃えた……。

軍医少尉が治療にきたという。下「」引用。

「三時間ほどで三十名くらいの治療をすまると「薬品がなくなった」と言い、彼等は治療をやめて帰りかけた。
 私は少しあわてて、軍医少尉を呼び止めた。」

一回だけでは患者があまりにも可哀想だ。著者は翌日も来て欲しいと要請、翌日も来てもらうことができたという。

永井隆博士のことも書かれてあり、また永井博士の文章の掲載もありました。


↓の全集にも掲載されています。

9. 









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