磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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見捨てられた在韓被爆者-日・韓両政府は彼らを見殺しにするのか-

2008年10月22日 | 読書日記など
『見捨てられた在韓被爆者-日・韓両政府は彼らを見殺しにするのか-』
   竹中労・編著/日新報道1970年

個人の意見をもった人が書いた本です。
--イデオロギーなどに流されて、こんなもんだという、いい加減な著者ではないようです。



表紙の裏にこう書かれてあります。下「」引用。

「このレポートは、韓国政府(中央情報部)の手で“禁書”とされるかも知れない。だが、被爆協の幹部を投獄したり、組織を解体することは、よもやあるまい。なぜなら、韓国に原爆被爆者が生存していることは、まぎれもない事実であり、その事実が勇気あるジャーナリストによって顕在化され、日韓両国の国際的世論になりつつある現時点で、被爆者を弾圧することは、韓国政府にとっての得策であるまいしと、私は判断するからである。」

まだ、当時は小学生だった私には時代背景がわかりづらい面もあります。

日本共産党と北朝鮮のことが書かれてありました。下「」引用。

「いますこし、ハッキリいえば、金日成一国社会主義にとって、日帝とコトを構えぬのが当面の国益である以上、その出先機関である“総連”は、朝鮮人下層プロレタリアの日本政府に対する権利要求、階級闘争を抑制することを、主たる任務としなくてはならない。それと同様、国民政党とやらに脱皮した日本共産党にしてニコポン大衆路線、愛される日共の印象を大安売りしなくてはならぬからして、とうぶんは文学少女めいた“原罪”をふりまわしていれば無難である。
 かくて、彼らの日朝友好は、協会の幹部と“総連”のオエラガタが焼肉パーティを開くことであり、朝鮮人犠牲者の慰霊祭を厳粛にとり行なことであり、北朝鮮は人民のユートピアだとPRすることであり、在日朝鮮人の悲しみと怒りを、その闘いをとなえている間にも、被爆者は死んでいく。玄界灘を渡って、まずしい済州島の民衆は日本に流入してくる。妓生(キーセン)と称する韓国人の娼婦たちは“人身売買”され、朝鮮人スラムは強制撤去される。」

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1963年、大島渚のテレビ・ドキュメント『忘れられた皇軍』があったという。

大江批判が書かれてあった。下「」引用。

「安保闘争以後、『性的人間』の作家、大江健三郎がの政治的関心はヒロシマに傾斜し、原水爆神話の司祭の一人に名をつらねることで、知識層の支持を集めた。一九六四年十月から、『世界』に連載された大江のノートには、「なおも暗くかぎりなく暗い噂」が、びっしり書きこまれている。-略-
 大江は信じていう。「彼女はおそらく白血病の青年を愛しはじめたときから、確実な目前の死を見すえていたはずである」-略-
 私はおもう。大江の『ヒロシマノート』にとりあげられた青年もやはり、〈オレは死なない。死んでたまるものか〉と思いつつ、倒れていったのではないだろうか? 惧れはあったであろう。覚悟もしていたであろう。しかし、心のいっぽうには「新しい生命にいたる」希望が、たえまない不死への期待が、うずまいていたにちがいないのだ。だからこそ、ひとりの娘を愛し、婚約したのだと私は思う。私は人間をそのように理解する。」

著者が事実である確率が高いとボクも思う……。

さらに続く。下「」引用。

「大江はいう。「ヒロシマは、人類一般にとって共通の罪悪感の根元である」。何を馬鹿げたことを! ヒロシマに原爆を投下したのは、“人類一般”であるのか?
 私は素朴な疑問をいだく。いったい人間が主人なのか、核兵器が主人なのか? 人間自身が生みだした「新しい火」に、どうして人間がかくも脅え、ひざまずかなくてはならないのか?」

マンハッタン計画のほとんどの科学者も都市部の投下に反対していた……。

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クリスチャンの個人の努力。下「」引用。

「戦争責任は自覚したクリスチャンの“平和へのあかし”として、原爆孤老養護ホーム「清鈴園」の建設に努力している橋本栄一さん(四四)=広島女学院高校教諭=は朝鮮で生まれ、敗戦まで朝鮮で育った。
「私自身意識的に罪を犯した覚えはないが、日本の植民地政策の中で行動して来たことは間違いない。日韓条約によって日本の責任は解消したという考え方が一般的だが、人間としての責任は残っている。ショク罪意識のない者には次の歴史を作ってゆく責任感もないだろう。被爆朝鮮人の救援には政治問題がからむので、運動が発展しにくいのは事実だ。しかし、具体的に日本の過去の責任を感じている人が行動すれば、ヒューマンな立場で貫けるのではないか。清鈴園は韓国の被爆者や原爆手帳を持っていない在日被爆朝鮮人にも開かれた施設にしたい。」

ABCCへの誤解。下「」引用。

「東京オリンピックの時、彼は奮発して観光団に加わった。日本に行けば被爆者は無料で治療してもらえると聞いていたからである。広島を訪れると、さっそくABCC(原爆傷害調査委員会)へ行った。」

無料の治療などはしない。名前のとおり、調査のみ……。

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そして、著者は……。下「」引用。

「-略-九月某日、佐藤寛子(栄作夫人)代理人と称する弁護士が、務台光雄読売新聞社社長を訪問、私が「週刊読売」に連載中だった『エライ人を斬る!』第11回、“庶民ぶるネコなで声の権勢欲夫人佐藤寛子”につき、名誉棄損で告訴すると恫喝し、自粛を要望した。務台は一言の抗弁もなく屈服して、執筆者の私とは何の話合いも行なわず、ただちに連載を中止をきめてしまった。とうぜん、私はそのような専断--マスコミ私有の暴挙に抗議し、もの書きとしての争いを構える決意をしなくてはならなかった。
 独裁者佐藤栄作のみならず、大新聞ジャーナリズムを向うにまわしての闘いとなると、ふだんは言論の自由という人々も、出版社もオジケづいて、マスコミに依拠していの闘争はまず絶望的だった。やむを得ずタイプ印刷のビラを刷り、ばらまき発送し、ダイレクトに真相を訴えるという、さよう二十年前の青春時代の日常の闘いであった“情宣活動”を、わずか数人の同志を糾合して、まさに細々と開始したのである。」

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