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「満洲国」とは何だったのか-日中共同研究-

2010年08月14日 | 読書日記など
『「満洲国」とは何だったのか-日中共同研究-』
   植民地文化学会、中国東北淪陥14年史総編室・編著/
     小学館2008年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「日中の歴史認識の違いを乗りこえる
「満州国」史の決定版!
日中両国の25人の第一線研究者による共同研究の成果を、中国版に先駆けて刊行」



「はじめに」西田勝・著。 下「」引用。

「戦争を体験した世代は次々に歴史の舞台から去り、日本でも中国でも戦争を知らない世代が社会の多数になっている今日この頃である「中国残留孤児」あるいは「中国残留婦人」のことは、その肉親捜しや帰国後の生活難についての新聞やテレビでの報道を通じて知っていても、また旧日本軍が敗戦時に地中に埋めた毒ガスで今も中国民衆が被害を受けていることなどを知っていても、かつて日本が、虚偽の口実を設けてイラクに攻め込んだアメリカと同様、自作自演の事件を捏造して中国東北部で戦争を起こし、次いで「満州国」という傀儡国家を建て、一四年間に及ぶ苛酷な植民地的支配を行なった事実は、ほとんど知られていない。
 中国でも今から二十数年前には、同様な状態があった。戦争終結から四○年、戦争を知らない世代が次々に歴史の舞台に登場するとともに、社会全体から戦争の記憶も次第に薄れつつあった。しかし、中国は一九八○年代の中頃から、他国による再侵略の脅威など、いくつかの理由によって過去の歴史に学ぶ愛国主義運動を展開するようになり、現在に至っている。南京事件の被害を展示する侵華日南京大遭難同胞記念館の創設をはじめ、多くの戦争記念館が建てられるようになったのも、この頃からである。」

第一次大戦……。下「」引用。

「第一次世界大戦が勃発してまもなく、日本陸軍省および黒竜会・国民外交同盟会・対支連合会などの右翼団体は、加藤高明外相に対して中国侵略の要求や意見をつぎつぎに提出し、大戦の好機を逃さず、中国侵略において日本の優位性を確立し、中国を独占支配せよと主張した。」

「満州国」は執政。下「」引用。

「明確な君主制を布かなかったのは、清朝の復活ではないことを示す必要からだった。執政は皇帝とことなり、天意によってではなく、民意にもとづいて「全人民」に「推挙」されたのである。」

日本人高官。下「」引用。

「一方、「満州国」政府および各部の枢要な地位について中国人高官を操縦し、「満州国」を実際に動かしたのは日本人だった。-略-おもな日本人官吏を表2-略-に掲げた。」

「抗日武装勢力の「討伐」と「包囲作戦」」下「」引用。

「「満州事変」後、東北各族人民は前後して抗日義勇軍や抗日遊撃軍、人民革命軍や東北抗日聯軍などを組織して、抗日武装闘争を展開した。日中戦争以降は、河北東部の八路軍も熱河や遼寧に進撃し、「満州国」の西南地区に根拠地を築き、抗日遊撃戦争を繰り広げた。-略-」

関東軍一○○部隊。下「」引用。

「七三一部隊の成立と同時に、関東軍参謀長の板垣征四郎は、長春孟家屯にあった臨時病馬厩を拡充して、家畜を主な対象とする最近部隊--軍馬防疫厩の新設を提案した。これが後の関東軍の一○○部隊だ。板垣の報告では、一○○部隊と七三一部隊とは車の両輪で、同等に重要な地位にあると位置づけられている。
 -略-関係した軍人の回想によると、一○○部隊の主たる業務は、関東軍の獣医や、軍馬を管理する軍人を養成すること、軍馬防疫廠が必要とする炭疽血清ワクチン・鼻疽診断液などの薬剤を製造すること、また鼻疽の人工感染や治療を研究することなどだった。」

七三一部隊との共同実験。下「」引用。

「実は家畜に対するものばかりでなく、人間に対する「人工感染や治療」の研究もあった。だから、七三一部隊の業務と密接な関係があった。関係した軍人の証言によると、一○○部隊は七三一部隊と黒竜江省の安達実験場で、動物と人間を対象とした共同の細菌実験を行なっていた。」

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五一六部隊」--関東軍化学部。下「」引用。

「-略-化学部は、元技術部のすべての土地建物を占有、部隊の名称を「五一六部隊」と改められた。
 化学部と隣り合わせだったのは迫撃第二連隊で、迫撃中隊一、自動車で牽引して毒剤に散布するガス中隊一、家畜で牽引し毒剤を散布するガス小隊一を擁していた。化学部が創設されると、この迫撃連隊は科学部の練習隊となり、対外的には、「五二六部隊」と称していた。」

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「貧困」と「退学」(「満州国」下の教育被害)。下「」引用。

「一九三九年度の国民学校の統計によれば、「貧困」(四万六○五○人)「患病」(一万六四九四人)「死亡」(二七五六人)により、六万五三○○人が退学した(入学者は五五万二二五九人。『第三次民生年鑑』)。中等学校の在学生においては、貧困を理由とする退学を併せて、死亡と病気による退学が一九四二年以降増加した。学校における「教練」と「勤労奉仕」の影響だった。学校外では、日本による治安・軍事政策が無数の中国東北の人々の生命を奪い、中国東北の人々が教育をうける機会を根源から奪っていった。」

反戦……。下「」引用。

「一九四五年一月、ハルピンのキリスト教徒が反戦行動に出、日本軍の忠霊碑や神社に参拝することを拒んだ。ハルビン警察庁外事課長の影山善次郎は彼らを威嚇していった。」

東本願寺=スパイ活動。下「」引用。

「日本の東本願寺がハルピンの極楽寺に派遣された教師をスパイ活動に従事させている。」

仏教徒死刑。下「」引用。

「一九四五年二月、ハルピン仏教会と道徳会のなかに反日救国会の秘密組織があることが発見され、ただちに逮捕・訊問され、三五人がハルピン高等検察庁に送られ、首謀者は死刑の判決をうけた。そのほかの者も有罪となり、監獄に収容された。」

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